第17話 勇との過去
夜の静寂が聖愛の豪邸を包む中、修道院聖愛は自室でベッドに腰掛けBL本をパラパラとめくっていた。
ピンク基調の乙女チックな部屋は、彼女の性格をそのまま映し出しているようだ。
もう1人、戦場武彦は勇との話し合いを終えて帰宅途中の暗い路地を歩いていた。
月明かりが薄く照らす中、彼の足音だけが響いている。
「……はあ、勇の奴、女になっても相変わらず真面目すぎるな。そこが……って! 何を考えてるんだ俺! 気をしっかり持て! 勇は親友だ!」
武彦がそう呟いた瞬間、背後から冷たい風が吹き抜けた。
振り返ると、そこには赤い髪と青白い瞳が浮かんでいる。炎城寺氷華だ。
彼女の優雅な笑みが月光に不気味に輝いている。
「戦場武彦さん、夜道は危ないわよ。特に、あなたのような素直な子はね」
「……炎城寺氷華⁉ 何か用か?」
武彦が拳を握りしめ構える。だがその瞬間、氷華が指を鳴らすと彼の身体が宙に浮き上がり動けなくなった。
「何だ、これ⁉ 動けねえ⁉」
「ふふ、魔法よ。私の世界ではこれくらいは朝飯前なの。……さて、あなたには少し寝ていてもらうわね」
氷華が呟くと武彦の意識が暗闇に沈んでいった。
***
その直後、聖愛の部屋。
彼女はBL本を読みながら、鼻歌を歌っていた。
「ハヤト✕ヤマト、最高よねえ……あっ、このシーン、勇にも教えてあげなきゃ!」
そんな呑気なことを考えていると部屋のドアが静かに開いた。
振り返ると、そこには氷華が立っていた。
「氷華さん⁉ こんな夜遅くにどうしたの? 体調はもういいの? あっ、もしかして私のBL本に興味が⁉」
「……ふふ、聖愛様、あなたは本当に無邪気ね。……でも、残念ながら今日は遊びに来たわけじゃないの」
氷華が指を鳴らすと、聖愛の身体が宙に浮き上がり動けなくなった。
「⁉ えっ、氷華さん、何するの⁉ ちょっと、BL本を落としちゃったじゃない!」
「ふふ、大事な本は後で拾ってあげるわ。……それよりも、あなたには少し寝ていてもらうわね」
氷華の冷たい笑みと共に、聖愛の意識もまた暗闇に沈んでいった。
***
聖愛と武彦が目覚めた時、彼らは廃ビルの一室にいた。
手足はロープで縛られ、埃っぽい床に転がされている。
部屋は薄暗く、窓から差し込む月光がわずかに彼らの顔を照らしている。
「……うっ、頭が痛い……ここ、どこ⁉」
聖愛が呻きながら目をこする。
隣を見ると武彦も目を覚まし、ムッとした顔でロープを睨んでいる。
「……くそっ、炎城寺氷華の野郎、俺をこんなとこに連れてきやがったか。勇に知らせねえと……」
「戦場君⁉ あんたも捕まったの⁉ ていうか、私のBL本は⁉」
「……修道院、今はBL本より脱出を考えろ。勇に連絡して、助けに来てもらうしかねえ」
武彦がそう言うと、聖愛が首を振った。
「駄目よ! 勇にここに来ちゃ駄目って言わなきゃ! 氷華さん、絶対に指輪を狙っているんだから、勇が来たら危険すぎる!」
「……そうだな。修道院、なんとか俺たちだけで脱出するぞ! くっ!」
「その通りよ! でも……縄が……」
聖愛が言葉を詰まらせ、目を伏せる。武彦もまた複雑な表情で呟く。
2人が自力で脱出するのは不可能だと悟ったのだ。
「……ああ、でも、勇の奴、絶対に来るよな。昔からそうだった。あいつ、俺たちのためならどんな無茶でもする奴だ」
聖愛がふっと笑い、過去の思い出を語り始めた。
「……そういえばさ、小学校低学年の時の話なんだけど。私、公園で上級生の男子たちに囲まれて追い出されそうになったことがあったの。『女は邪魔だから出てけ』って言われて、怖くて泣きそうだったんだけど……そこに勇が現れたのよ」
「……勇が?」
「うん。震えながらも私を助けに来てくれたの。『聖愛をいじめるな!』って叫んで上級生に立ち向かったんだけど……まあ、ボコボコにされたんだけどね。でもさ、その時、勇の目がめっちゃ真剣で、私、初めて『あ、この子、ほんとバカだけど頼りになるな』って思ったの。あの時の勇、鼻血を出しながらも笑ってたんだよ。『聖愛、大丈夫か?』って」
「……はは、勇らしいな。俺も似たような話があるぜ。中学の時、俺が不良と喧嘩して学校から退学されそうになったことがあったんだ。相手が先に手を出してきたのに、俺が悪者にされてさ。職員室で先生たちに囲まれて、どうしようもねえって思ってたら勇が飛び込んできたんだよ」
「勇が⁉ 何したの?」
「あいつ、必死に『武彦は悪くない! 相手が先に殴ってきたんです!』って説明してくれたんだ。まあ、俺の見た目が悪すぎて先生たちは信じてくれなかったんだけどさ。勇の奴、しまいには『だったら俺も一緒に退学してください! 俺も連中をぶん殴ったんです!』って叫び出したんだ。……いや、あの時は笑っちまったよ。『お前、バカか?』って言ったら、『武彦が退学になるなら俺も一緒に辞める!』って真顔で言いやがって。結局、先生たちも呆れて、俺の退学は取り消しになったけどさ」
「……勇らしいね。ほんと、バカだけど、めっちゃ熱いよね」
「ああ。あいつ、昔からそうだった。俺たちのためならどんな無茶でもする。……だから、今回も絶対に来るぜ」
聖愛が目を伏せ、ため息をつく。
「……そうね。勇、絶対に来るよね。私たちがこんな状況でも絶対に見捨てないって、わかってる。……でも、だからこそ来てほしくないの。氷華さん、絶対に指輪を狙っているんだから、勇が来たら危険すぎる」
「……修道院、俺も同じ気持ちだ。けど、勇の奴、俺たちの気持ちなんて無視して絶対に来るよ。……くそっ、こうやって縛られているのがもどかしいぜ」
2人がそんな会話をしていると、部屋の隅からかすかな気配がした。
氷華が姿を消しながら彼らの話を耳にしていたのだ。
彼女の青白い瞳が暗闇の中で冷たく光っている。
「……ふふ、相模原勇、あなたの仲間たちは本当にあなたを信じているのね。……でも、それがあなたの弱点でもあるわ。あなたが来るのを楽しみに待っているわよ」
氷華の声が廃ビルの暗闇に溶け込んでいった。
聖愛と武彦は勇が来ることを想像しながら、複雑な思いを抱えていた。
勇のバカ正直な優しさと過去の思い出が、彼らの心を温かく、そして重くしていた。




