第16話 誘拐電話
朝の光が聖愛の豪邸の台所に差し込む中、俺、相模原勇(男)はエプロンを着けて、フライパンで目玉焼きを焼いていた。
(……目玉焼きって、こんなに綺麗に焼けるもんなんだな)
『当然よ。私の身体なんだから、私のスキルが使えるの。君はただ、私の言う通りに動けばいいのよ』
脳内に響く女の俺の声は相変わらず冷静でちょっと上から目線だ。
俺はため息をつきながら目玉焼きを皿に盛り、トーストと一緒にテーブルに並べた。
「……しかしさ、氷華さんのこと、どう思う? 昨日、俺に『指輪を渡せば元の身体に戻してあげる』って言ってきたけど、あれ、絶対怪しいよな」
俺がそう言うと、勇(女)が脳内で即答した。
『怪しいなんてレベルじゃないわよ。あの女、間違いなく異世界人よ。私の世界を滅ぼした連中と同類だわ。……でも、彼女の目的が単なる指輪の奪取だけじゃない気がするのよね』
(……それはなんで?)
『だって単に指輪の奪取が目的なら炎城寺氷華は聖愛のメイドをしているのよ。変に接触せずに正体を隠してお近づきになって、仲良くなってから裏切るのがお約束よ』
(最初は仲良くなろうと思ってたんじゃない? けれど、君が警戒したから向こうも警戒したとかかも)
『その可能性はあるわね。……でも、それだけじゃない。彼女の目、どこか悲しそうだったのよね』
(悲しそう? いや、そんな風に見えなかったけど……)
『君、鈍感すぎるわよ。まあいいわ。とにかく炎城寺氷華についてはもっと探る必要があるわ。彼女が敵か味方か、はっきりさせないと私たちの命が危ないもの』
「……そうか。なら、今日、聖愛と武彦にも相談して、氷華さんのこと、もっと詳しく調べよう」
そう呟いた瞬間、テーブルの上に置いてあった俺のスマホがピロンと鳴った。
画面を見ると聖愛からの着信だ。
「……聖愛? こんな朝早くに何だよ。ていうか同じ家にいるのに、わざわざ電話してくるなんて、めんどくさいなあ」
俺はそう思いながら電話に出た。
「もしもし、聖愛? どうしたんだよ、こんな朝早くに」
「……相模原勇、よく聞いて」
電話の向こうから聞こえてきたのは、聖愛の声じゃなかった。
冷たく、優雅な、まるで氷のように透き通った声。
……氷華さんだ。
「⁉ 氷華さん⁉ な、なんで聖愛のスマホから⁉」
『君、落ち着きなさい。れ、冷静になりなさい』
勇(女)が脳内で警告するが、俺の心臓はすでにバクバクしている。
「修道院聖愛と戦場武彦を預かったわ」
「……は⁉」
俺は一瞬、言葉を失った。
聖愛と武彦が⁉ 預かったって、どういうことだよ⁉
「な、何を言ってるんですか⁉ 聖愛はここにいるはずで、武彦は昨日の夜、自宅に帰ったんだけど⁉」
「ふふ、修道院聖愛は今、私の目の前にいるわ。戦場武彦もね。昨夜、彼が帰宅する途中で私が連れてきたの。……とても素直な子たちね。抵抗しなかったわ」
「……⁉」
俺は慌てて聖愛の部屋に駆け込んだ。
ベッドに聖愛の姿がない。
シーツが乱れていて、BL本が何冊か置かれているが、これを隠さずに部屋から出るなんて聖愛らしからぬ行動だ。
「嘘だろ⁉ 聖愛⁉ 聖愛、どこだ⁉」
俺が叫ぶと、電話の向こうで氷華が冷たく笑った。
「叫んでも無駄よ、相模原勇。……さて、本題に入りましょう。あなたが持っている指輪を渡しなさい。そうすれば聖愛と武彦を解放してあげるわ。ついでに、あなたも元の身体に戻してあげる」
「……なっ⁉」
『君、絶対に渡しちゃ駄目よ! 指輪を渡したら、この世界が終わるわ!』
勇(女)が叫ぶが俺の頭はもうパニック状態だ。
聖愛と武彦が人質に取られている⁉
そんなの、冗談じゃない!
「氷華さん、聖愛と武彦に何をしたんですか⁉ 2人に危害を加えるつもりなら、俺は……」
「ふふ、安心して。まだ2人には何もしていないわ。でも、あなたが指輪を渡さないならどうなるかわからないわね。……時間はあまりないわよ。指定した場所に来なさい。場所は街外れの廃ビル。知っているわよね?」
「……廃ビル⁉」
俺は一瞬、頭が真っ白になった。
街外れの廃ビルって、あの不気味な廃墟のことか⁉
あそこ、昔から幽霊が出るって噂で誰も近づかない場所だぞ。
「待ってください! 聖愛と武彦を傷つけないって約束してください!」
「ふふ、約束はできないわね。……でも、指輪を渡せば2人を解放してあげる。それだけは約束するわ。では、夕方までに待っているわね」
電話が切れた。
俺はスマホを握りしめたまま、呆然と立ち尽くした。
「……聖愛、武彦……」
『君、落ち着きなさい! これは炎城寺氷華の罠よ。指輪を渡したら私たちの世界が滅ぶわ!』
「わかってる! でも、聖愛と武彦が人質に取られてるんだぞ! 2人の命と引き換えに指輪を渡さないなんて、そんな選択できるわけないだろ!」
『……君の気持ちはわかるわ。でも、私の世界が滅んだ時のことを思い出して。指輪を渡したら同じことがこの世界でも起こるのよ。聖愛も戦場君も、結局は死ぬわ』
(……それでも、俺は2人を放っておけない!)
俺は拳を握りしめ、決意を固めた。
聖愛と武彦を救うためなら、どんな危険でも立ち向かう。
……でも、指輪を渡すわけにはいかない。
どうすればいいんだ⁉
「……武彦に電話してみる」
俺は慌てて武彦の番号を押したが、呼び出し音が鳴るだけで応答はない。
……やっぱり氷華の言う通り、武彦も捕まっているのか⁉
『君、焦っても仕方ないわ。まずは冷静になって、作戦を立てなさい。炎城寺氷華が指定した廃ビルに行くのは危険だけど、行かないわけにはいかないわよね』
(……そうだな。行くしかない)
俺は深呼吸して、心を落ち着かせようとした。
でも、胸の中の不安は消えない。
聖愛と武彦が無事かどうか、考えるだけで胃がキリキリする。
「……よし、行くぞ。氷華さんが何を企んでいても、俺は2人を救う。そして指輪も守る」
『君、覚悟はいいみたいね。……でも、気を引き締めて。炎城寺氷華は異世界人……私の世界を滅ぼした連中と同じ存在よ』
「わかってる」
俺はそう呟きながら、セーラー服の右ポケットに手を入れた。
そこには指輪が冷たく光っている。
この指輪が俺たちの未来を左右する鍵だ。
「……行くぞ」
俺は聖愛の家を出て、街外れの廃ビルへと向かった。
朝の静かな街並みが、まるで嵐の前の静けさのように感じた。




