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2 強い味方ができました

 モリー・ジャンピニは人気作家であった。


「ええ、主人は既に亡くなってもう8年かしら?早いものね。私は爵位を息子に任せているから気侭に本を書いているのよ」

 その作品は全てマリアナの愛読書であった。


「えぇ!!!〈クリスタルビーズの王冠シリーズ〉はもう何度も読み返しました!!最後に王子と結ばれた時は私も大号泣で!!!」

 熱く語るマリアナにモリーは優しく微笑む。


「嬉しいわ、こんな可愛らしい読者様にお会いできて。これも何かの縁よね?」

 そう言うとその日は天蓋付きのベッドが置かれた寝室に押し込められた。


「明日以降のことはゆっくり考えて良いのよ。今は休みなさい」

 モリーはそう言うと香油をランプに垂らし出ていった。




 多くの出来事にパンク気味だったマリアナ。

 地にへばりつくほど落ち込み、大ファンの作家に会えてお酒の力も加わって飛び上がって喜んだり……

 躁鬱を繰り返した結果、優しいラベンダーの香りに包まれ、部屋を暗くされると気絶するように寝落ちた。









 <<<<<<<<<<<


 ヴァレンタイン・ブラックホルムは婚約者をその晩探して彷徨いた。


 一緒に来たはずのマリアナ・ノビーパークは大人しく、22歳という年の割に聞き分けの良い令嬢である。

 婚約後は彼女の良さをさらに実感することが多かった。

 第二王女が気に入って引き立てていたのも頷ける。

 周囲の空気を常に読み、自分の過去の女性たちも上手に遇っていた。


 勿論彼女に負担を掛けていることは自覚していたが、ここ最近はそれよりも幼馴染のレイチェルの窮地を救うことに必死になっていた。


 幼馴染のレイチェルは聡明で美しい令嬢であった。

 母親同士が仲が良かったことで気安く話もするが本来、公爵令嬢が子爵家の次男坊などと仲良くすることはない。


 偶々騎士団に所属できて王太子とも歳が近かったことでレイチェルとヴァレンタインはその距離が縮まることはなかったが、離れることもなかった。


 ずっと接点がある関係………それが二人の関係である。


 レイチェルはヴァレンタインの6つ下で妹のように思っていたが、王太子との婚約破棄の事件はヴァレンタインも少なからず動揺したものだ。


 妹が汚されたような不快感が拭えず、レイチェルを必要以上に慰めた。


 レイチェルが婚約解消されたのは19歳。

 新たに婚約者を選定するには厳しい年齢であった。


 自分が伯爵位以上の人間であったならば間違いなく立候補したであろう………

 だが、現実は爵位も継げない子爵家の次男である。

 顔がどんなに良くとも爵位の差がある故に端から対象外なのは堪えた。


 顔が良い分女性は寄ってくる。

 騎士団員は人気職であり、女遊びを知ってしまえばレイチェルへの幼く淡い思いも掻き消えていく。

 女の子を侍らせて楽しむヴァレンタインにレイチェルは偶に会うと苦笑いしながら

 『困ったお兄様ね』

 と微笑んだ。

 

 ヴァレンタインはレイチェルを子供の時から『お姫様』と呼んだ。


 それは二人でいる時の秘密の愛称のようなものであった。



 婚約破棄を経て、歯噛みしたレイチェルも25歳になってついに結婚が決まった。

 しかも地位も血筋も完璧な皇子である。


 ヴァレンタインは微かな胸の痛みは覚えたものの心から祝福をした。


『お姫様に相応しい結婚相手だ』と。


 だが、皇国の皇子であるからにはやはり向こうの御令嬢たちが黙っていない。


 レイチェルは結婚が整ったにも関わらず随分と嫌がらせを受けた。

 嫌がらせは国境を越えるらしい。

 皇国の令嬢たちは流石にバスク王国公爵家の令嬢へ直接の手は下さないが(外交が絡むこともあり)口は滅法悪かった。

 

『年増の行き遅れ!』

『余り物の陰気臭い女』

『カラス姫』


 心無い中傷が幾度もあり回数が重なれば、流石のレイチェルもすっかり疲れ切っていた。


 だからヴァレンタインはこっそりと彼女()を励まし続けた。


 婚約者を伴う夜会の合間は僅かだが時間も取れる。

 愚痴を聞いてやり、頭を撫でた。

 

『俺のお姫様は世界で一番素晴らしい女性だ。自信を持って皇国へ嫁げば良い、君ならやれる』


 エリエファイス公爵家の夜会はレイチェルの最後の挨拶も兼ねて行われていた。

 

 (レイチェルとの最後の夜だ)


 長く見守ってきた妹分を激励するつもりでヴァレンタインはコッソリと二人の時間を作った。


 勿論マリアナにこのことは言えない。


 レイチェルはやはり年下の皇子との結婚に不安を感じていたようであった。

 (自分は彼に相応しくはないわ)

 そう、自信なさげに俯く姿は庇護欲を唆った。



 ヴァレンタインは子供の時、婚約解消の時と同じように抱きしめる。


『俺のお姫様。貴女の幸せを永遠に願う』


 

 まさか、その瞬間を婚約者マリアナに見られているとも気が付かずに。


「ありがとう、元気が出たわ。お兄様もお幸せになってね」

 そう言って別れたが、婚約者のマリアナの姿が会場に見当たらない。


 散々探すもテラスも休憩室も居らず、結局ヴァレンタインは一人で帰路に就いた。


 エリエファイス公爵夫人が「いつの間に居なくなったのか分からないけれど、体調不良で帰ったのかもしれないわね。ブラックホルム夫人と屋敷に残っていないか確認するから」

 と言ってくれたことで少し安心した。


 まさか目を離した隙に、変な男から不埒な真似をされたわけではないと思うが、彼女は地味な見た目とは言え22歳。


 化粧も薄く遊んできた女性たちとは違い擦れていない。


 (母にでも預けておくべきだったかな?)

 と、この時は見当違いの反省を心に浮かべていた。


 どうせ翌日には騎士団の建物で顔を合わせるであろう。女子寮に戻ったかも確認せずヴァレンタインはそのまま実家に帰った。



 >>>>>>>>>>>>


 翌日、騎士団の塔に出勤するがマリアナはどうも欠勤しているらしいことが分かった。


 この時になって初めてヴァレンタインは焦った。


 (家に帰っていないのかもしれない)


 急いでブラックホルム家の母親に伝言を出したが返事は芳しくなかった。

 母親も消えたマリアナを心配して女子寮に遣いを出してくれたが『昨日は戻られていません』と返事をされる。


 母親からは『何故目を離したの?貴方は何をしていたの?!』と詰られたがどうにもできなかった。


 夕刻まで焦れつつ待ったがヴァレンタインに連絡が入ることはなく、仕方なく騎士団長にことの次第を告げた。


「お前は一体何をしていたんだ?」

「……ちょっと人に会ってまして……その時間に居なくなったんです」

 目を泳がせながらヴァレンタインは何か手掛かりを得ようと冷や汗を掻きながら説明した。

 

 しかし騎士団長はそんなヴァレンタインに片眉を上げて嫌な目線を寄越した。


「お前……また、悪い虫が騒ぎ出したんじゃないのか?マリアナ嬢に今辞められたら困る。

 一応事務官の管理局に欠勤の連絡は来ていたから……死んでいると言うことはないと思うが……

 俺だけには本当のこと言っておいた方が良いんじゃないか……ん?」


 ヴァレンタインは真っ青な顔になったがエリエファイス公爵家の話はいくら団長でも話すわけにはいかない。


「断じて女と遊んでいたとかでは無いです。誓って!」


「そうか。女と居たわけじゃ無いんだな」


「…………………………」


 答えに詰まったヴァレンタインに騎士団長は大仰に溜息をついた。


「最近お前が浮き足だっているのは分かってるが、婚約したからって相手が逃げないとも限らないんだぞ?お前はモテるが、結婚には一番向かない男だと女どもは嫌厭しているくらいなんだから」


 は?


 ヴァレンタインは言われた言葉に頭が真っ白になる。

 自分の周囲からの評価に驚いたのだ。


 騎士団長はそんなヴァレンタインを軽蔑するように立たせたまま話した。


「お前がマリアナ嬢を選んだことで株は上がったが、女たちの始末も碌々つけてなかったことは既にみんな知ってる。いい加減にしないと、彼女の実家も腹を立てて怒鳴り込んでくるんじゃ無いか?

 女遊びは女を傷つけた分、反動も大きく戻ってくるもんだ。覚悟しておけ。マリアナ嬢の捜索は俺も手伝うが……今後はよく考えろ」


 そう言うと犬でも追い払うように手を振られて部屋から追い出された。


 そんな馬鹿な…………


 自分の評価は高いと信じていた。

 寧ろマリアナに対して「婚約してあげれば喜ぶかな?」くらいに考えていた。


 弱っていた真面目な女の良いところを一つずつ知って『結婚するならこんな女が一番良いのだ』と判断した上でのことだった。



 その証拠に母も父も連れてきたマリアナを見て、大満足の反応だった。

「素敵なお嬢様ね」

 と兄夫婦も絶賛である。


 今まで遊んできたお頭の軽い令嬢たちとは反応が違ってヴァレンタインは31歳にしてやっと身を固める決心が出来たのだ。


 レイチェルより見劣りするが、それなりだと納得もしていた。


 (本当に何処に行ったんだ……無事なのか……?)


 ヴァレンタインはバクバクと心臓の音が鳴り止まぬまま夜を迎えた。




 ──────────────



 マリアナはモリーの屋敷でお針子をしている男の子たちと翌朝から試着大会で大盛り上がりした。

 モリーは作家である上に、〈フェミーナ〉と言うブティックのオーナーでもあった。

 亡くなったジャンビニ伯爵の本業がこちらだったそうだ。

 現在は息子のダンテが店を切り盛りしているが、デザインや、お針子の指導等はモリーが請け負っている。


『洋服には女を励ます力があるのよ』

 モリーは朝食後から張り切ってマリアナを下着姿にひん剥いた。

『目が腫れてますからっ』と抵抗したマリアナも広い衣装部屋の沢山の服を見ると心が浮き足だった。

 少年たちと、遊び半分でドレスを取っ替え引っ替えしているうちに、昨日のことが些末なことのように思えてくる。

 

 モリーをエスコートしていた少年は、お洒落が大好きなお針子志望の子供だ。

 お針子は女社会だが、マイノリティな少年たちの希望をモリーは叶えてあげるために、性別に関係なく広い屋敷に住まわせ、仕事を与えている。


「男だってお洒落が好きだし、宝石にトキメク人もいるわ」


 目から鱗であった。少年たちはモリーの好意で屋敷に下宿し家賃の代わりに雑務をこなす。

 夢のために彼らは努力し親から離れて暮らしているそうだ。

 現在は5人の男子が住うが、彼らは平民の子供であったり貴族の出身もいる。

 着飾ることが大好きでテーラーよりも、華やかなドレスを好んでいた。


 昼の食事時にはすっかり打ち解け年長者のナッティなどタメ口で話すほど仲が良くなった。


「マリーは目鼻立ちがハッキリしてるんだから、そんなに濃い色の服ばかりじゃキツく見えるよ。

 化粧で差し引いてるつもりなんだろうけど、顔色が悪く見えるし目指す雰囲気は変えた方がいい」

「そうねぇ、ナッティの言うことも一理あるわね」

「フレアスカートばかり履こうとするのはなぜ?」

 マリアナはしどろもどろになりながら応える。

「えっと……女らしいから……?」

 そう言うと二人の少年が不機嫌な顔になった。


「体型からしたらお勧めできない。マリアナは細身だけど腰に肉がついてるじゃん」

 マリアナは気にしていることをズバリと言われ真っ赤になった。



 ああでも無い、こうでも無いと自分が普段選ばない服をたくさん着せられているうちにマリアナは自然と口元に笑が浮かぶようになった。

 ドレスのことは女同士で話すものだと考えていたマリアナは一生懸命にセンスを磨き披露する少年達に一種の感動を覚えていた。

 好きなことを極めて、他人からの評価よりも自分で道を切り拓こうとする彼らにマリアナはいつの間にか引き込まれる。

 そして長い時間を掛けてマリアナは完成した。

 鏡に映る自分は『男に選んでもらえますように』と縋り付くような人間ではなく『私はこの服が好き。似合っているでしょう?』と自信に溢れていた。


 (私はいつの間にか他人の評価ばかり気にするような狭い意識の人間になっていたわ)

 マイノリティな仕事を選んだ彼らは自分の信念を強く持って、挑戦するように、真剣に人生に向かい合っていた。

 自分より5〜10歳若い彼らのその姿勢がマリアナには眩しかった。


 モリーの家から馬車に乗せられる時マリアナは沢山の行李を持たされていた。


「こんなにはお支払いできません!!」と焦るマリアナに「うちのブティックの宣伝をしてくれたらいいわ」とモリーは微笑った。



 サンプルの品物も沢山持たされ、女子寮に到着した時は既に日はとっぷりと暮れていた。




 御者が全ての荷物を運び込み『ありがとう』と言いながら何か大切なことがあったような……とその時になってハタと立ち止まる。

 10秒後、マリアナはすっかりヴァレンタインのことを忘れていたことに気がついた。

 

 (連絡し忘れていたわ……黙って会場から消えてしまったし……なにか言ってくるかしら?)

 2階の階段を上がりながら考えを巡らせているとドアに白いものが見えた。


 部屋のドアノブにはブラックホルム家の使いの者が来たという手紙が2通も挟まっていたため、楽しかった気持ちがプシュ〜ッと萎んだようになる。


 急にマリアナは全てのことが鬱陶しくなった。


 予想していたことだがヴァレンタインは女子寮に立ち寄った様子はなかった。

 (きっと仕事だったから実家に頼んだのね)

 ヴァレンタインの浮気に傷付いて姿を眩ましたマリアナだったが、昨日のような喪失感はもう無かった。


 思い切り泣くと人間頭もスッキリするし色々振り切れるようだ。


 ナッティも話していたが

『レイチェル嬢と密会して抱き合っていた事実は消えないから……今後はそれをどう考えるかだろう?』と言われた。


 ヴァレンタインは元々女好きを公言していた人だからもしかして『あれは浮気じゃない』と言うかも知れない。

 幼馴染を慰めていただけだと言う可能性だってある。


 では、マリアナが同じように違う男性に抱きしめられ慰められても彼はなんとも思わない……なんてことはあるのだろうか?



 モリーは言った。


『話し合いは必要だけれど、まだ気持ちの整理はつかないでしょう?だってマリアナは彼が好きだから傷付いたのでしょうし。

 だったら、傷付けた彼には待ってもらうしかないわ。正直にお話しなさい』


 これが結論であった。


 マリアナは明日は仕事を休むわけにはいかない。


 ドレスを簡単に片すとそのまま馬車を呼びブラックホルム家へと向かった。




 ────────────────

─夜─


 ブラックホルム家ではヤスミン・ブラックホルムがエリエファイス公爵家へ使いを出そうかヤキモキしているところであった。

 昨日の晩からマリアナが行方知れずとなり、ヴァレンタインも心配している。


「事件に巻き込まれていたらどうしましょう?」

 下男にも馬車乗り場に再度確認に行かせ、家中の使用人が義理の娘となるマリアナを案じていた。

 

 僅かな手がかりでもと思うのに全く消息がつかめず、ヴァレンタインは最終手段とばかりに騎士団に頼るとも夕刻には連絡が来た。

 大人しい落ち着いた娘であるがまだ22歳。

 ヴァレンタインは何で婚約者を平気で放っていたのかと腹の底から怒りが湧いた。


「旦那様は私のことを放っていたことなんて無かったのに……うちの息子ときたら」


 そう呟いていると、玄関ホールが急に騒がしくなった。


「奥様!マリアナ様がいらっしゃいました!!」執事が安堵の表情を浮かべながら報告にやってきた。


「!!あぁ!!良かった!!」


 ヤスミンは応接室へと急いだ。




 マリアナはいつもの地味な紺色のジャケットではなく、淡い色のワンピースにレースのケープを羽織っていた。

 それだけで一瞬誰だか分からなかったくらいだ。


「マリアナ!!無事だったのね!!どこに行っていたの?」

 ヤスミンは安堵からか矢継ぎ早に質問を繰り出した。

 思ったよりも元気そうなマリアナの様子に(なぜ!?)が先行したのだ。


 マリアナは紅茶に手もつけず最初に頭を下げた。


「ご心配をおかけしてしまいました」

 マリアナは自分が思った以上に感情的にならないことにホッとした。

 ここ数年、気持ちをフラットに保つ日々を送っていたことが功を奏したのか……

 昨日の夜会の時のようにしゃくり上げて泣いたのは実に学生の時以来であったかと胸の中で思い返した。


 ヤスミンの質問が落ち着いたところでゆっくりと薔薇園での出来事をマリアナは語り始めた。



 

 ヤスミンは一瞬レイチェルのことを聞いてもピンとこなかった。

 確かにエリエファイス公爵家とは交流があるがそれは母親同士の繋がりである。

 ヴァレンタインがそのように二人で会っているなど聞いたことも無かったからだ。

 まさか幼馴染の二人が抱き合っていたとは……と苦いものが喉を通り過ぎる。

 

「まあでも……そうね……その……それはショックよね。でも二人とも結婚が決まっている人間であるし、きっと妹分が海を渡った皇国に行っちゃうから最後の挨拶のつもりで会ったと思うのよ……幼馴染ですもの……あ!勿論良くないことだわ!!レイチェル様も当然醜聞ですしね。ヴァレンタインも、本当に困った子だわ!!私がウンと叱りつけてあげる。

 でも……

 レイチェル様も皇国の貴族から有ること無いこと言われて傷付いていたらしくてね……それはお可哀想だったわ。だからね……」

「だから、私はヴァレンタイン様の過去の女性に傷つけられても我慢して欲しい。その上でレイチェル様とはもう済んだことだから堪えてくれと?」

 マリアナはヤスミンが自分の立場を一番理解してくれそうだから一番に打ち明けたのに義母は見当違いの意見を述べて丸め込もうとした。


 マリアナは無駄に速く回る頭の中の思考を遠慮なく告げた。


 え!?と首を傾げるヤスミンは両目を見開いている。


 今まで大人しく自分の意見など言わなかった次男の婚約者が厳しい視線を寄越していることに驚きすぎて二の句が出てこない。


「正直に言えば直ぐにでも婚約を解消したいのです。このような状態で結婚したところで私たちが幸せになれるとは到底思えませんから。

 ですがヴァレンタイン様にも言い分があるでしょう。

 残念ながら私は本当に傷ついていて、彼とお話しするのは今は辛くて……だから3ヶ月は距離を置きたいと今日は申し上げに来たのです」

「まぁ!え?3!?3ヶ月?」とヤスミンが慌てていることにもマリアナは気にも止めずに一方的に話を進めた。


「ヴァレンタイン様は既に私のことなど見限っておいでかもしれませんが……その時はすぐに婚約解消に応じます。

 ですがそうじゃない時は……3ヶ月は考える時間を頂きたいのです。幸いまだ仕事を辞める手配もしていませんから。今後についてもう一度考え直していきます」


 ヤスミンは口をパクパクとさせていたが急に扉が開いた。


「話は聞いたよ。マリアナ嬢」

 黒髪にハッキリとした顔立ちのレオン・ブラックホルム子爵、ヴァレンタインの兄である。

 突然の入室にマリアナはハッとなったがレオンは堂々と大股で近付いてくる。

 そしてサッと片膝を突くとマリアナの側で頭を下げた。


「弟が、本当に君を傷付けたね。申し訳なかった。このように婚約も済ませた後で君を不安にさせるなんて申し開きをすることも許されないことだ」

 深々と頭を下げる30代半ばの男性にマリアナは腹の底がじわりと熱くなった。


 ブラックホルム子爵の家名を背負うだけあり、レオンには相応の覚悟のようなものが滲み出ている。いや、弟のしたことが『浮気』だと理解している表情であった。

 その瞳の色が、マリアナが否定されなかったことが。すぐに謝罪を述べてくれたことが。


 全てが緊張を僅かながら緩ませてくれた。

 

 (女だからと馬鹿にされなかった。私が傷ついたことを理解してくれた)

 そのレオンの真摯な態度がマリアナを少しだけ安心させる。


「レオン様。頭を上げてください。

 私の気持ちを汲んでくださったことが今はとても嬉しいです」

 マリアナは少しだけ口角を上げた。


「今は時間が欲しいのです。今日はそれを伝えに来ました。

 実家には今から連絡を入れますが多分、成人した私に一任するでしょう。今日のところはこれで帰らせていただきます」


 ヤスミンは気持ちが昂っているのかワナワナと肩を震わせている。その横をマリアナは会釈して通り過ぎる。


 (ヴァレンタイン様に会うのは今は無理だから、このまま帰ろう)


 レオンはすぐに馬車を手配してくれたのでそれに甘えて女子寮までマリアナは戻った。



 (本来ならば成人した私たちが先に話し合うべきことなのかもしれないけれど、モリー様が仰ったように今は距離を置きたいからこれが最善の策になりそうね。きっとヴァレンタイン様は以前のように押し切ってしまいそうだし)


 過去の女性たちから嫌味を言われる回数が増えた時、マリアナはエスコート中の離席をなるべく減らして欲しいと頼んだ。

 本音を言えば『そうならない様にちゃんと話し合っておいてくれ!』と言いたかった。

 だがヴァレンタインはマリアナに苦笑いしながら告げた。

 『上手くやって欲しい。俺は今は君だけなんだから信じてくれないか?君は妻になるんだよ。他の女性と違う』


 その苦笑いに含まれる気持ちをマリアナは『面倒臭いことを言うなよ』と解釈した。

 得意の〈空気を読む〉を発揮した結果である。

 

 始めは愛を囁かれて、優しくされ、絆されていたマリアナも、この時にはヴァレンタインに恋していたから彼の意見を呑み込み堪えてきた。


 好きだと言ってくれた言葉を信じて、〈お願いだから捨てないで〉と必死になっていた。

 その頑張りがあの日薔薇園で解けてしまった。


 モリーに言われた通り、『自分が選ぶ人間になりたい』と今は願っている。


 学園を卒業してからの考えを昨日で一掃した。いや、そうしようと心に決めた。

 もう過去の何かに怯えるのは嫌だと強く願ったのだ。

 

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[一言] いや、ゴミ箱に丸めてポイしようこんな男
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