13 オースティンという男
お待たせしました。
続きです。
もう最初に決めた話数はどこ行った???状態ですが、完結まであと一息となりました。
オースティンの言葉にマリアナは真っ赤に頬を染めた。
記憶の奥底で『そういえば王女殿下と参加した夜会でそういうことがあったわ』と思い出す。
思わぬ告白に胸が痛いほどドキドキと脈を打ち、急にオースティンが二割増しに男らしく見える。
いや、男性ではあったのだが異性としての意識が上がったのだ。
「マリアナは手を繋ぐことに躊躇している僕に言ってくれたんです。『私にだってコンプレックスはあるの。抜けるように肌が白くて羨ましいわ。雪の妖精みたいね』そう言って手をギュッと握ってくれました。それがどれだけ僕の心を救ってくれたことか」
オースティンはマリアナの優しさに衝撃を受け、必死に変わろうとした。
マリアナ嬢に再びあったその時に『あの時の雪の妖精さんね!素敵』と言ってもらいたい一心で。
減量を意識し兄と剣術の稽古もしたし、王宮試験を受けるべく勉強も手を抜かない。
王宮に出仕している父親がいるとは言え、伝手に頼った採用は出世から外れてしまう。
高潔な王女とその親切な侍女に再び会うときに俯かない自分でいようと、心も体も成長するように努力を重ねていった。
そしてその結果体重はいつの間にか減っており、成績は上位を維持。教師達からの推薦状も貰い、王宮の文官として就職することができた。
「貴方のお陰なんです。マリアナが僕の道標だった」
マリアナはこの告白に胸がギュッと痛くなった。
(こんな私でも誰かの役に立っていたのね)
侍女時代は良いことばかりでは勿論ない。きつくて、辛くて投げ出したいことも沢山あった。
だが、周囲の人間に支えてもらって、努力を認めてもらい、自信を持たせて貰ったから。だからこそ弱気になっている学生に向けて声をかけたのだ。経験から生まれた言葉が、誰かの支えになっていたことが何よりうれしかった。
マリアナは感極まって目頭が熱くなる。
だがそんなマリアナにオースティンは少し困ったように頭を下げた。
「マリアナ……あなたが好きです。マリアナには僕という人間を知ってほしい。嫌われそうだから言いたくなかったけど僕は情けない人間なんです」
残念そうに眉尻を下げるとカップの中身を飲み干し、一気に話し始めた。
変わる切っ掛けをくれたマリアナはオースティンにとって『憧れの君』そのもの。
王女付きでとても自分が近寄れる人ではないけれどいつか、一言お礼が言いたいと切望していた。
いや、あわよくばいつかこの淡い恋心を告白したいと願っていた。
マリアナは侍女の中でも王女のお気に入りであったため、暗黙の了解で王宮勤めの男達は気軽に手を出せる相手では無かった。これは本人が知らなかった事実であろう。
王家は王女の周囲の人間を丁重に扱うものなのである。
無事に文官として上がった後に、内部だからこそ得られた情報でマリアナは雲の上の人物だと理解した時はかなり落胆した。
だが、気持ちに蓋をすることはできず、王宮に勤め始めた時からオースティンはずっと目で追い続けた。
オースティン・ホワイティは家族も自分も認める自己肯定感の低い男だ。太り始めた頃から卑屈な性格に成り下がり、学院で揶揄われ続けた男はだいぶん拗らせている。
すっきりとした容姿に変わると姉からは『可愛い子豚ちゃん』と揶揄われることは無くなったが『恥ずかしがり屋のアルパカ』と言われるようになった。
母親譲りの美しい輪郭が戻ってくると、真面目で多くの資格を持つ文官のオースティンは女性から秋波を送られることは幾度もあった。だがマリアナを見るとどうしても諦めがつかず周囲の女性とは適度な距離で付き合ってきた。
家族にもその気持ちは知られており、姦しい姉達は情報を夜会茶会で得てきてはオースティンに圧をかける。
『ノビーパーク伯爵令嬢は王女と隣国に渡る予定らしいわ!その前に告白して玉砕してきなさい!』
励ましとも貶しとも判断つかない言葉をオースティンに投げてよこした。
どんな形でも踏ん切りをつけて前向きに将来の伴侶を見つけなさい!という意味だったのだろうが、オースティンは中々決心がつかないまま時間だけが過ぎた。
ずっと憧れているのに、王女殿下と一緒に隣国へ行く予定の女性を口説く勇気が持てず、玉砕する自分を想像しては勝手に胃を痛める夜もあった。
しかもその期間が長くなるにつれ
(こんなこじらせ男の僕だ。そんな男がマリアナさんに思いを寄せていると知られたら逆に気持ち悪がられるだろうな)と気落ちした。勝手に想像して、勝手に結論付けている姿は煩いほど前向きな家族を猛烈にイライラさせた。
そんなヘタレ男オースティンに転機が訪れた。
マリアナの隣国行きが無くなったのだ。
しかも次の配属はオースティンの部署とも関わりのある騎士団専属部署。オースティンは飛び上がるほど喜んだ。
もちろんマリアナはオースティンに全く気がついていない。
些か残念ではあったが、オースティンはできることをしようと努力を重ねた。
明るく紳士的で仕事のできる素敵な男性としてマリアナに近付いていきたいと行動したのである。
領地がある訳でも爵位がある訳でもない。せめてと女性ウケする容姿にしようと、おしゃれなメガネに、整えた眉毛。清潔感のある服装。どの女性から見ても『素敵』と思われる男性になろうと自分をプロデュースし始めたのだ。
多くの本を読み、会話も紳士的でジョークも言える大人な人間性を目指す。
短期間でオースティン・ホワイティはさらに男振りを磨いた。
磨いたつもりだった。
懸命に努力しているのに、姉達からはそこじゃないんだけど……と残念がられた。
え?違うの?と首を傾げて相変わらずマリアナに告白できずにいたら、ここでもオースティンの決断力のなさが残念な結果を呼び込んでしまった。
どうやって思いを告げようかと思案しているうちにヴァレンタイン・ブラックホルムに掻っ攫われたのである。
(姉達曰く攫われたとは言わない。自業自得であるそうだが)
しかもヴァレンタインは女癖の悪い遊び人のくせにマリアナならばと婚約まで結んでしまった。
(詰んだ)
オースティンは今度は『生ける屍』という渾名を姉妹達からもらった。
折角整えていた容姿も一瞬でくたびれたものになり、学生時代に近いような根暗な性格になってしまった。
姉達は最初のうちは笑い飛ばしていたがそのうち、廃人になりそうな弟に呆れ果てこう言った。
『あなたがしてることは欲しがることばかり。マリアナさんを手に入れるのだ!とちゃんと決断できていないからそんなことになってしまうのよ。何かを得ようと思ったら、何かを犠牲にするのは当然よ。告白して振られてバカにされるくらいの犠牲どうってことないわ。そんな簡単な決断もできないからあなたは彼女と顔見知り以上になれないのよ』
肉食女子達に励まされたがオースティンはその言葉は尤もであると項垂れた。
だが、再びマリアナはフリーになった。
もうこの機会を逃したら次はないことくらい流石のヘタレ……初心な男でも理解できる。
騎士団の部署でも書類をまとめて団長室に持参するのは、その日の仕事を早く仕上げる事務官と相場が決まっている。
オースティンは日中の書類を誰よりも早く作り上げ、毎日団長室に通い、マリアナと少しでも接触が増えるように懸命に努力した。
当然のようにマリアナの友人ベロニカとも交流を深め、情報収集を怠らない。
ヒヤリとしたのはベロニカの情報で軍部の人間がアプローチを掛けようとしていた時だ。
釣り書きを用意しているとなるとかなり本気ではないか!?と冷や汗が出た。マリアナ自身まだ気持ちの整理がつかなかったようでそこに関してはノビーパーク家でも丁寧に断りを入れていったようだった。
(神が味方している)
オースティンは自信を持ってそう断言したが姉に扇子で頭を殴られた。
『そんなの偶然よ。あなたは自分のペースで物事を運ぼうとしているけれど、違うわ。彼女のペースに合わせないとまた同じ結果よ』
そう言われてハッとなる。
オースティンの感情に合わせて世界は動いているわけではない。
自分中心で世の中は回っていないのだ。
姉の言葉に気付かされてからは今度こそ絶対に声をかけると決めた。
オースティンは書類を足繁く団長室に運び続けることで会う回数を飛躍的に増やし、勇気を出して食事に誘うことに成功した。
初めて食事を誘った日のことは今でも忘れない。
両手にじっとりと汗をかきながら顔は涼しいままに姉に教わった通り、『相手が悩む隙を与えない日程を提案』したのである。
あの時ばかりは姦しい姉に心の中で手を合わせて感謝をした。
その後も縁を途切れさせてなるものかと努力の甲斐あってマリアナとは雑談ができるようになり、ついには食事に気軽に行く仲にまで進んだ。
姉達からしたらそれも遅い仕事だと揶揄われたがこれがオースティンの精一杯。(次のあだ名は二足歩行の亀男であった)
二人で食事に行き、デートという実績を積み重ねていると、オースティンはマリアナの魅力にさらに惚れ込んでしまう。
(マリアナって本当に素敵だ……その上可愛らしいところが沢山あるんだ)
オースティンの一番好きな時間は二人で食事をしている時だ。
マリアナの食事の作法の美しさは特に目を引く。
食堂でも背筋を美しく伸ばし、ゆったりとフォークを口に運ぶ姿は凛としていて見ていて気持ちがいい。そして少量で『お腹いっぱいで』と遠慮するその辺の令嬢と違い、ワインも食事もしっかり楽しむところも自分にはあっていた。
当然ながら会話の選び方や話題の切り返しは頭の良さを窺わせ、だがそれを鼻にかけることもない。
謙虚でありつつ王女殿下が頼りにしていただけあって博識。
そして考え方がオースティンの好奇心を掻き立てる。
何かが起こった時人のせいにすることなくいつも自分ごととして、捉えている女性は少ない。新人の失敗は自分の言葉が伝わっていなかったせいだと反省している姿を見た時はこんな考え方をする女性もいるのだな、と感心した。
普通は『言ったでしょう?わからなかったのなら自分から聞かないと』と新人を責めるものだ。知れば知るほどマリアナは人間的に良い子だな……とさらに惚れ込んだ。
数回の食事の席で周囲はオースティンの気持ちを汲み取ってくれた。
『爵位のない僕だけど結婚してくれませんか?』と手紙に認め、必ずこの手紙を渡すぞ!と持ち歩き始めたのが数日前。
そして夕日を背に泣きそうなマリアナを見つけてしまった。
流石の世紀のヘタレ男でもわかる。
ここで彼女を抱きしめなかったら『漢』じゃない!!
オースティンはこうして人生で初めて男らしい行動をとったのであった。
*************
マリアナはオースティンの告白に暫し呆然となった。
思わず目の前のお茶を飲み干すがなんと声を出していいのかわからなくなり、視線は膝の上を彷徨う。
同じ職場でプライベートな会話ができるオースティンは、友人以上と捉えていた。
思いの深さに驚くとともに、彼の想像以上に長い恋心が自分の知らないところで上がったり下がったりしていた事実で複雑な感情が胸を騒つかせる。
(気持ちが嬉しいのになんでしょう……この胸の落ち着かない感じは)
オースティンを好ましく思いながら、ずっと陰から見守られて(?)いた日々を思い返すと、己の黒歴史を全て知っている彼に対しての気持ちがザワザワとする。
「信じて欲しいのは貴女に対して僕は一途に思い続けているということです。気持ち悪いですか?」
(気持ち悪い?)マリアナが首を傾げて言葉を考えているとドアがノックされた。
はいと返事をした瞬間ガチャリとノブが回った。
「お邪魔するわね」
赤髪のホワイティ夫人が優雅に部屋に入ってきた。
「マリアナさん、一時間がもうすぐ経つのだけれど……」
(まだ経ってないのにホワイティ夫人は心配なさったのね)とマリアナが些か驚いた表情をしていると夫人はオホホと笑った。
「言葉たらずの息子でごめんなさいね。私から補足させてちょうだいね。オースティンは」と話し始めようとした。
「母上!すみませんがあと少しお待ちいただけますか?!」
オースティンは席に着こうとするホワイティ夫人を座らせずに出入り口に追いやった。
そし今までに見たことのない眼差しをマリアナに向けた。
「お願いだから。彼女には僕が話をする」
その声は低く有無を言わせない強い声音であった。マリアナが一瞬ドキリとするほどその表情は真剣で夫人も思わずたじろいだ様子である。
あっと声をあげそうになる夫人をそのまま外に追い出し、オースティンはドアを閉めてしまうと大きく息を吐き出した。
「横槍が入りましたね。騒がしい家でしょう?こんな家で育ったのに僕は卑屈で勇気が持てない人間だった。僕みたいな人間を『ストーカー』って巷では言うらしいです」フフフと自嘲するとオースティンは肩をすくめた。
マリアナもその言葉にハッとなる。恋愛小説に出てくる『愛が深すぎる故に相手をずっと追い回してしまう男』。そう言う話を確かに読んだことがあった。
だが思う。
小説を読んでいるときは『なんて迷惑な男なのかしら』と憤っていたのに、実際にマリアナ本人が付き纏われていた……そう感じたことはない。
マリアナはそれをすぐに伝えた方が良い気がした。
「付き纏われているなんて思ったりはしなかったわ。話を聞いていて気持ち悪いとも思わなかった。ただ……」
「ただ?」
「自分が情けなく感じたわ。今までの失敗も全て見られて知られていたのかと思ったら……その……恥ずかしくて、情けないなと思って……」
そう言うとオースティンの顔が見られなくなった。
オースティンの優しさがずっと嬉しかった。
自分が一人でないと感じられる喜びは、強がっていた自分には何より有り難かったし得難い感覚だったのだ。
マリアナが考え込んだように膝頭を見つめているとオースティンは大きく息を吐き出した。
「わかっていますよ。僕のこと恋愛の対象だって見ていないんでしょ?」
不意を突かれマリアナは顔を上げる。
「そ!そんなこと思っていないんだけど…………その……驚いてしまって」
「いいんです。他に考えることが今までたくさんあったことも僕はわかっていますから。だけど気持ちは知っておいて欲しくて」
「ありがとう。そのまだ頭が混乱してて」
「いいんですよ。僕は返事を急いでいません。もう何年も待ってた人間です。今更急いで聞かせてと言うことはありませんから」
そう言うとフッと表情を緩めた。
「今日話したのは、気持ちを押し付けたかったわけじゃありません。貴女に気持ちを寄せる人間がいると知っておいて欲しかった。自己評価をいつも下げてしまう貴女を見ていて放って置けなかったんだ。だから、これは励ましの会話なんですよ」
そう言うと立ち上がり、エスコートの手を差し伸べた。
「晩餐室に行きましょう。母は見た目通り食べることが大好きな人です。とても美味しい料理を作れる調理人たちが腕を振るっていますから。どうぞ期待してください」
マリアナはオースティンの言葉に思わず破顔してしまった。
オースティンはいつもこのようにマリアナをリラックスさせてくれるのだ。
「ありがとう。お言葉に甘えて今日はご馳走になりますね」
「母は貴方に興味津々です。きっと王女殿下のお話も根掘り葉掘り聞かれると覚悟してくださいね」
ああ、やっぱり彼は気遣いのできる人間であるとマリアナは痛感する。
話題は貴女のことではないよ、と存外に匂わせてくれるのだ。
その気遣いがより心に沁みた。
「行きましょう。お待たせして申し訳ないわ」
マリアナはエスコートの手を取るとスカートの裾を整えた。
沢山の工芸品が飾られる部屋を一瞬眺め、次に訪れるときはこれらが何処のものか聞いてみたくなったのであった。