12 オースティンの自宅にて
オースティンの実家の設定を考えていたらすっかりあげるのが遅くなりました。
いよいよ終盤です
「ヒィッ!!」
応接室のドアを開けた途端ギョロリとした巨大な目がマリアナを見つめた。
ホワイティ家の応接室にはどこの民族が作ったものなのか奇妙なオブジェが並んでいた。異国の木彫りの人形はマリアナは初めて見るものばかりだが、おそらく南の国で作られている人形であろう。
マリアナより大きな背丈の焦茶色の人形に思わず足を止めたがオースティンが
「あ!ごめんなさい」とクルリと人形の向きを変えた。
「父の趣味なんです」
オースティンが困ったように眉尻を下げる姿を見ると思わず緊張の糸が解ける。
「そ・・・そうなのね」
マリアナは後ろを向いた木彫りの人形のクルクルと巻いている赤い髪を見ながら苦笑いを浮かべる。
(オースティンのお父様の趣味ってすごいわ)
先ほどまでのドキドキとは違う胸の高鳴りを抑えながら勧められたソファに座るとポスリと体が埋まった。マリアナの下半身が見た目より柔らかな感触で深く包まれ不思議な感触だ。
「思ったよりふかふかで面白いでしょう?特殊なスプリングと綿で仕上げているから、見た目はフラットなのに体重をかけるとお尻がすっぽりはまるようになってるんだ」
ティーワゴンを受け取ったオースティンは『これも父の趣味だよ』と言いながらティーカップを掲げる。
東国の参考文献で見たような金と朱色の焼き物は美しく、取っ手のデザインも洒落ている。
先ほどまでの落ち込んだ気持ちも、手を握られた時の緊張感も、オースティンの見せてくれる一風変わった品物に気を削がれて何となく先ほどより嘘のように凪いできた。
ポットから注がれた緑色の美しいお茶はオースティンの瞳の色と一緒である。
「綺麗ね」
「父がね、母と僕の瞳と同じ色のお茶を見つけたからと時々取り寄せているんだ。爽やかな後味ですごく飲みやすいんだ」
そこまで話すとオースティンもマリアナの向かいの席に腰を下ろした。
「マリアナ……どうして今日はそんな悲しい顔をしているの?隠していてもわかるよ」
オースティンは静かな声で話しかけた。
マリアナは大きく息を吐きパチパチと目を瞬かせる。
「私……間違ったことをしたとは思っていないの。ヴァルとの婚約を解消したのは二人のためであったし、未来を明るく過ごすためだって今でも思っているわ。でも」
「でも?」
「心のどこかで思っていたわ。婚約を破棄して仕舞えば私は〈嫁ぎ遅れ〉のオールドミスになってしまうって。私ってずっと誰かに認められたいっていう承認欲求が強い浅ましい人間なんだわ。貴族って早くから婚約者を決めるでしょう?」
そう言うとオースティンは『ああ、兄たちは確かにそうだったね』と頷いた。
「学生時代姉が選ばれて、私はそのままあまり物。爵位もない次女だからどうにか自力で箔をつけなくちゃって意地になっていたの。自分の自立のためと何度も口にしていたけれど、きっと両親や義兄に『あなた達が手放した娘の方が優秀なのよ』と言いたかったんだわ」
マリアナの苦い笑いをオースティンは優しげな瞳で見つめ返した。
誰かに選んでもらいたいと切望していたから、ヴァレンタインとブラックホルム家に歓迎された時の喜びは一入だった。だから、ヴァレンタインから裏切られたあの夜が悲しくて辛くて涙が止まらなかった。
王女の結婚についていけなかったその時よりもさらに辛く感じたのは、きっと確定していた幸せを壊されたと思ってしまったからだ。
「ヴァレンタインにみっともなく縋りたかったときもあったの。その手を離しちゃったらもう誰も私のことを愛してくれないってネガティヴになっていたから」
「そんなふうに自分を追い込んだらきつかったでしょう?」
オースティンが驚いた顔をする。
「貴族の娘ですもの。染みついた既成概念はなかなか抜けるものではないわ。王宮に勤め始めたら、自分より優秀で綺麗な人もたくさん居て自信も何も無かったけれどね。でもそれを助けてくれたのはみんなよ」
「違いますよ。マリアナのことを好きで集まっている沢山の人たちです。みんなマリアナに助けられたり励まされたりしたことがあるんです」
そう言われてマリアナは僅かに頬を染めた。
「私を好きでいてくれるなんて嬉しい言葉だわ…励ましてくれて」
そこまで言った時オースティンが遮った。
「覚えてませんか?僕に学生時代会ったことがあるんですよ。『雪の妖精』覚えていませんか?」
「雪の妖精?」
そこまで話してマリアナは記憶を辿った。
「………ごめんなさい。わからないわ」
ガクリとオースティンが項垂れた。
「マリアナさんはそういう人ですよね。ふふ、サッパリしていると言うか頓着がないというか」
「ごめんなさい。でもオースティンとは騎士団に所属してからのお付き合いだと思っていたけれど本当に昔会ったことがあるの?」
マリアナは首を傾げた。
「まあ、無理もないですよ。僕今より30キロくらい太っていたので」
「えぇ!!」
そう言うとオースティンは笑いながらメガネを外した。
そうすると綺麗な顔が現れる。
「僕はあの時からずっとあなたが好きなんです」
そう言うとオースティンは昔の話を始めた。
+++++++++
オースティン・ホワイティは昔から可愛らしく、兄弟の中で一番整った容姿をしていた。
幼少期までは……
可愛らしく素直な性格で大人しい少年は母親が積極的に連れて歩くことが多かった。親に連れて行かれるお茶会の数が多すぎたのか、兄達が悪いことをするのを黙らせるために与え続けたお菓子が原因なのか、オースティンは十歳の頃にはすっかりふんわりとした体型に仕上がっていた。
次兄のように騎士を目指したりもなかった上に姉達と室内遊びが多かったことも禍であったのかもしれない。
母親のホワイティ夫人がハッと気がついた時には丸々とした体型に仕上がっていた。
色白で穏やかな性格。学園に入学するときについたあだ名は『ホワイトテディベア』であった。
お菓子をやめさせようともしたが、姉達は「男なのだからそこまで体型に拘らなくても良いのではなくて?」と呑気に言い、好き嫌いの多い長兄は自分の食べ残したいものはオースティンに食べさせる癖が抜けなかった。
年頃になったら男はスッキリした体型になるものさ!とポジティブに父親は慰めもしたが末っ子の甘えたの生活はそうそう変えられず、もちろん体型も変わらない。
次兄だけは必死に剣の稽古に付き合わせようとしていたがすでに動きにくくなった体には、負荷が大きすぎて全く続かなかった。
学園で虐めが始まったのは些細なことであった。
成績の良いオースティンが容姿がイマイチであると友人の青年が揶揄ったことから周囲もふざけ始め、どんどんエスカレートした。
家でのストレスも多い貴族の子供達。
ストレス発散のサンドバッグを見つけた後は想像に難くない。
あっという間にカバンは傷だらけになり、教科書は破れて使えない。制服が破られることも一度や二度ではなかった。
目に見えて酷い状態が続いたためホワイティ伯爵家としても学校には当然意見した。
ホワイティ伯爵家からの一声で学園の教師たちはより厳しく注意を行った。
そのため物が壊されることは減ったが、生徒達の揶揄いや、度の過ぎた言葉の意地悪はオースティンを追い詰めていった。
『男のくせに親に頼るなんて情け無い』
学園伝いに親から注意を受けた生徒は恨みがましくオースティンに嫌味をぶつけ続けた。
最悪だったのは王家主催の学園で行われる年末のダンスパーティーであった。
すっかり自信を失っているオースティンにパートナーはもちろん作れず、それでも参加しなければならない理由があった。
年の瀬のこの夜会で成績優秀者や騎士科の上位生は王家からメダルが贈られる。
貴族の家に生まれたからには誰もが憧れるそのメダルを受け取って仕舞えば学園卒業後の未来は明るい。
オースティンにも友人らしき人たちはもちろんいるが、彼等を巻き込んで一緒にイジメの対象になるのだけは避けたかった。草食動物のような彼らに肉食動物の相手を頼むことは出来ない。
オースティンは歯を食いしばってその日は一人ポツンと参加していた。
なるべく意地悪な生徒達に見つからないように壁際でやり過ごそうとしていた時であった。
母が仕立ててくれたグレーのジャケットと壁の色が同化するようにと祈る思いで警戒していたのに不意に腕を掴まれた。
「オースティン・ホワイティ?何隠れようとしてるんだ?その体じゃ隠れようもないし、無様だぞ」
いつも成績を競う侯爵の息子ビクトール・ウッドパクスであった。
彼の取り巻き達は皆高位貴族であり、その日も高価なドレスやタキシードに身を包んでいた。
一番見つかりたくない集団に声を掛けられオースティンは泣きたくなった。
伯爵家のジャネットが赤いドレスをヒラヒラさせながらクスリと笑う。
彼女は侯爵子息に気に入られたいがためにオースティンを殊更傷つける言葉を使うのだ。
「あら、可哀想なこと言わないでよ。生徒はみんな参加必須なのに」
「じゃあジャネット踊ってやるのか?」
「やめてよ。お腹が邪魔できっと踊れないわ」
そういうと数人の生徒達は一斉に笑った。
(ひどい……確かに太っているけれど彼らに迷惑をかけている訳ではないのに)男なのに毎日の積み重なった酷い言葉に泣きそうになる。
この多感な時期の言葉の刃は酷く残酷で相手の心を深く抉る。
「まあでも、せっかくのパーティーで踊らないのもおかしいだろ?いつもの姉さんたちはどうしたんだ?」
ウッドパクス侯爵家のビクトールはキョロキョロと周囲を見渡した。
そう、夜会なのにホワイティ伯爵家の誰もが参加していないのだ。オースティンが不参加になりたかった理由の一番はそこにある。
年の瀬のダンスパーティに外交官であるホワイティ家は隣国に呼ばれていた。
普段なら一緒に参加するはずの兄姉も父と隣国に。家族という防御壁無しでオースティンはその会場に立っていたのだ。
ひとつ有利な点があるとするならビクトールはホワイティ家の次女リリアンヌに密かに憧れている。隠そうとしていても毎回姉の前で耳まで赤くなるその姿は目敏いオースティンには丸わかりだ。(誰でも分かっているかもしれないが……)
オースティンは鼻で笑いそうになる。
(そんなに姉さんのこと気になるなら僕のこと虐めてないで頭下げて橋渡し頼めばいいのに)
リリアンヌは見た目の美しさから社交界では白薔薇の精霊と密かに呼ばれている。だが見た目は妖精のように儚げだが、大飯食らいで性格は大変気が短くサバサバとしている。
おそらくビクトールのことなどぶった斬ってしまうだろうが……
「ホワイティ伯爵家は家族全員で今隣国に行っているのですよ」
取り巻きの一人がボソリと呟いた。
彼の父親はホワイティ伯爵と同じ外交官であるから事情をわかっていたのだろう。ビクトールにそれを耳打ちすると彼は勝ち誇ったような顔を向けてきた。
「一人なら早くそう言えよ。俺たちが仲間に入れてやるのに」
クククッとビクトールが笑えばみんなもバカにしたように周囲も笑い出した。
(我慢だ。もうすぐダンスが始まるし、王族が出て来たらこんな風にふざける余裕も無くなるはずだ)
オースティンはグッと拳に力を入れ、俯いて耐えた。
「おい!仲間に入れてやるって言ってくれたんだぞ。なんとか言えよ」
大柄な子爵家のジルベルトがオースティンの肩を強く押そうとした。咄嗟にオースティンは半歩体を傾けて躱す。
グラッと体が傾いたジルベルトが強く押したのは斜め後ろを歩いていたベージュのドレスの令嬢であった。
「キャア!」
少し甲高い声が上がって令嬢が倒れ掛けたのでオースティンは慌てて支えようと手を伸ばしたが、運動神経のあまりよろしくない青年の咄嗟の行動は格好良くは決まらず、縺れるようにして二人で倒れてしまった。
パッと顔を上げるとジルベルトは蒼白な顔をし、ビクトールは苦虫を噛み潰したように口元を歪めた。
明らかに学生ではない女性を巻き込んで押し倒してしまったのだ。令嬢は前から転び四つん這いに倒れ込んでしまっている。
オースティンは無様な格好で尻餅をついた状態だ。
明らかにやらかしたビクトール達は一瞬怯んだものの目を釣り上げ始めた。
「お!お前避けるなよ!」
最初にジルベルトが声を荒げた。
真っ先に謝るべき人間が声を大きく出したことでビクトールもオースティンを睨みつけた。
「ホワイティ!何してんだよ」
「そうよ!何してるのよ!」
ジャネットは女性の前に仁王立ちをして甲高い声で叫んだ。
女性の声は張りがあり、高いため周囲の人間がおやおや?と視線を向け始める。
オースティンは泣きたい気持ちになった。
素早く立ち上がることも出来ずにお尻をついたまま彼らの顔を見上げると情けなさと悔しさでこの後の結末を想像して真っ青になる。周囲に人が集まってきっと不様なこの姿をみんなが嘲笑うのだ。
(誰か助けて)ギュッと目を瞑っても周囲の視線は冷ややかだ。
その瞬間凛とした声が響いた。
「何をしていらっしゃるの。殿方でしたら手を貸しなさいな」
ビクトールが押し除けられ黒いグローブの手がスッと伸びてグリーンのドレスの令嬢が倒れた令嬢に手を差し伸べた。
「ああ!びっくりいたしました。ありがとうございます」
そう言った令嬢を助けたのは第二王女殿下だった。
「「「あ…………」」」
皆が息を呑んだ。
ビクトールを始め取り巻き達が『しまった』と言った風に手で口元を覆った。
オースティンも驚き過ぎて声にならない。
「貴方立てますか?」
助け起こされた女性は自分も倒れていたにも関わらず呆けているオースティンに手を差し伸べた。
慌てたオースティンは
「立てます!!」と大慌てで体を翻し、膝を立てヨイショッと立ち上がる。
おおよそスマートな振る舞いとは言い難いが、急いで体を起こすとそこにはベージュに黒い刺繍をあしらったドレスを纏った侍女の女性と、グリーンの宝石が縫い散りばめられた豪奢なドレスの王女殿下が立っていた。
ビクトールは今にも逃げ出さんばかりにジャネットを前に押し出して身を隠そうとしている。
「貴方達、おふざけが過ぎるのではなくって?」
王女殿下はベージュのドレスの令嬢に怪我はないの?と視線で会話した後、さっきのドタバタなどなかったかのようにおっとりと喋り出した。
「申し訳ございません。私がお支え出来ず」
後ろから駆けつけてきた護衛騎士はスッと頭を下げた。王女付きの女性は鷹揚に頷いて汚れがついた手袋をスッと彼に渡す。
その動作があまりにも凛としていたので一瞬目を奪われる。
「あ……その……申し訳ございません……」
小さな声でジルベルトが謝った。それは王族関係者に対して謝罪と言うにはあまりにお粗末で、オースティンは思わず顔を顰めた。
学生とはいえ余りにも不敬である。手打ちになったらどうするんだと今にも膝が笑いそうになってくる。威勢の良かったビクトール達もすっかり顔色をなくして縮こまっている。
護衛騎士の男性は王女殿下の後ろで鬼の形相で青年達を睨みつけ今にも掴み掛かりそうだ。
転ばされたのは侍女の女性であったのだと分かると、不幸中の幸いで王女殿下で無かっただけセーフ……いやギリギリアウトか。
ベージュのドレスの侍女は護衛騎士の腕を軽く押さえ王女に視線を向けているので、若い騎士は苛立った様子は隠さなかったが踏みとどまっている。
ぐるりと彼らの顔を見渡すと王女は落ち着いた表情のまま
「いいわ。お祝いの席だもの。今日は許しましょうよ。マリアナがそう言ってるわ」と微笑んだ。
マリアナと呼ばれたベージュのドレスの令嬢も護衛騎士に鷹揚に頷いて見せた。
ビクトールとジルベルトはその場に慌てて膝をついて『感謝いたします!』と頭を下げた。
全くもってお粗末だが王女とそのお付きの令嬢は許してくれると言うことなのだろう。
「いいわよ」とマリアナと呼ばれた女性は口端をあげて薄らと微笑んでみせた。
「行け」護衛騎士の声に弾かれたように顔をあげオースティンを残してビクトール達は去っていった。
「ふふふ、まあ可愛らしい子達ですけどマリアナ本当に大丈夫?」
王女はマリアナの手を取ると傷がないか確かめるように優しくなぞった。
「すみません!」
オースティンは頭を下げて謝った。
元はと言えば自分が避けたせいで彼女は転んでしまったのだ。
ジルベルトのしたことではあるのだが元凶が自分であると言う自覚から震える己を叱咤し丁寧に頭を下げる。
とてもビクトール達のようにサササと逃げる体格でもない。
だが蒼白なオースティンにマリアナは優しく微笑んだ。
「実はねさっきの会話聞いてましたの。意地悪ね、あのご令嬢」
そう言うと王女殿下を振り返り同意を求めた。
「ええ、聞きましたわよ?体型のことを揶揄うなんてあってはならないですわ。あと二十年してごらんなさい。彼らの誰かは私の父と同じようなお腹になるかもしれなくってよ?」
オホホホと王女は自分の言葉に笑いマリアナと護衛騎士は苦笑いをこぼした。
オースティンは恐ろしくて笑うことはできなかったがそれでも王女の気さくさに思わずホッと息を吐き出した。
「マリアナ態と前に踏み出したのでしょう?貴女ってそういうところあるものね」
王女が言うとマリアナは『まあそんな』と俯きながらフフッと声を漏らした。
王女の華やかさに目を奪われていたが、俯いた侍女の女性の横顔の美しさにオースティンは気づいてしまった。
美しい輪郭と頸のラインに思わず見惚れる。
そうか……王宮とは斯くも美しい人々がいるのか……と一瞬で妄想の世界に浸ったが次の言葉で現実に引き戻された。
「本日はお一人なのね。マリアナもパートナーがいないのよ。ちょうど良いのではなくって?」
王女は『ねえどう?』と言うようにマリアナを見つめる。
要するに可哀想で醜い子豚ちゃんオースティンには相手がいないそうだから、貴女がパートナーを務めてあげなさい、という意味だ。
「え!!そんな!!申し訳ないです!!」
オースティンは額に落ちてくる汗を手の甲で拭いながらブンブンと首を横に振った。
「ごめんなさい。地味な年上ではやっぱり恥ずかしいかしら?」
マリアナは小首を傾げながら申し訳なさそうにオースティンの方に向き直る。
(美人すぎる)
オースティンは鼻血が出そうになるのを堪えながら『いやでも』と必死に遠慮したが結局二人の女性に押し切られる形となりダンスホールにマリアナをエスコートして踊る羽目になった。
学生でも踊りやすいワルツは明るい曲調でそれこそ人生の春がきたような気持ちでオースティンは舞い上がった。
「あの、僕なんかとすみません」
まさかこんな美人と踊れるなんてと訪れた幸運に飛び上がりそうになりながら、一応謙遜する。
「そんなことないわ。お母様達のお仕込みがよろしいのね。すごく踊りやすいわ」
マリアナはニコニコと笑いながら手をしっかりと握ってくれる。
社交辞令と分かっていても外国にいる姉と母に心からありがとうと感謝した。
気の強い姉達に散々仕込まれたオースティンは安定感のある腕の力をフルに使った支えでマリアナを最後までリードし続ける。
それは夢のような時間であり、姉達以外と踊る初めてのダンスであった。
「学生の時って尖ってる子が多いから優しい子は大変よね。とても傷つきやすいのに。私だって何度も泣いちゃうことがあったわ」
マリアナは踊りながらオースティンに話しかけた。
「私って姉がいるのだけど、正反対の性格だったからしょっ中揶揄われて。姉はすぐに婚約が決まったのに私には全くそんな浮いた話もなくって、学園時代はそんな思い出に押しつぶされそうだったこともあるの」
「貴女みたいな綺麗な人がですか?」オースティンは慌てて聞き返した。
侍女は王宮でも非常に優れた人材であり、成績も見た目も重要視される。
そんな人に学生時代の暗い話があるなんて意外すぎてオースティンは俄かに信じることができなかった。
「姉は淑女の見本みたいな人なの。だから私は劣等感の塊よ。でもね、学園を卒業した後に思い返すとそれらの嫌な思い出までが急にキラキラ輝いて見えるようになってくる日があるの」
「そうでしょうか……僕にそんな日が来ますでしょうか?」
オースティンは俯いた。
だがマリアナは励ますように明るい声で笑った。
「来るの!それはね、『こうなりたい』って強く願って努力していたら、過去の沢山失敗した自分まで愛しく思える日が来るのよ。不思議なんだけど」
マリアナは少し遠い目をして微笑んだ。
「きっと貴方もそういうふうに思える日がやってくるわ。だって貴方は自分の人生を諦めずに学問に励んでらっしゃるのでしょう?」
にこりと微笑まれ、オースティンは首まで真っ赤に染めた。
「はい、僕も事務官を目指しています」
王宮に入りたいと漠然とした考えだったのにマリアナに向かってつい口が動いた。
熱い思いを持っていたわけではない。
勉強が好きだったから頑張っていただけだし、自分に自信がない分を中身で補って家族に見捨てられたくなかったという思いもある。
意地悪な子達に、『でも成績では僕を追い越せないんだ』という矜持があった。
それら全てをわかって貰いたくて思わず口にした言葉だった。
「そう、なら頑張って。きっと貴方ならなれるわ」
マリアナは花が綻ぶような笑顔を見せた。
ちょうど音楽が止み拍手が鳴り響いた。マリアナは美しいお辞儀をするとそのまま小さく手を振り、その場を去って行った。
ビクトールとジルベルトが呆気に取られた表情で二階の手すり側にいるのが見えたがオースティンは心臓がバクバクとしてそれどころではなかった。