6.月明かりと呪い
Eさんが小学生の頃の話だという。
彼女の親戚はお寺を運営しており、Eさんも正月やお盆など何かと訪れる機会が多かった。寺と家がつながっており、親戚はそちらに住んでいるわけである。Eさんからすると行事の折というよりも遊びに行っていた感覚が強かった。
山の近くにあり敷地もかなり広く、本堂と参道の他はお墓と駐車場、そしてそれ以外は森だった。森の部分はいずれ墓場にするのだと聞いたことがあったような気がするが、とにかくその時点では手入れのされていない森が広がっていた。
「昼間に行くことが多かったので、特に怖いとも思っていませんでした」
Eさんは当時を思い起こす。
お寺へは毎回親の車に乗せられて行くばかりだったが、成長するにつれて自分の家から自転車でも行けることがわかってきた。
「ねえ、夏だから一回ぐらい肝試しがしたいよね」
夏休みの直前、クラスの仲の良い友人達とEさんはそのような話をした。
皆が乗り気であったため子どもらしい肝試しが開催される運びとなるのだが、場所だけが決まっていなかった。
「あ……じゃあ、うちの親戚がお寺やってるから」
Eさんは名乗りを上げてしまう。深く考えてのことではなかった。そしてその通りに場所が決定された。
肝試しの当日になった。
人数はEさんを含めた仲良し4人。夜の21時にお寺の前に集まった。
月が普段より大きく見える夜だ。月明かりが足元を照らしているので少しだけ安心感があった。
すでに小学生が出歩いていい時間ではないが、同じ日に学区内の公民館で催しがあるためそれに参加すると親にそれぞれ嘘をついてきたのである。
夜のわずかな時間だけと考え、Eさんは本来話を通すべき親戚にも内緒で肝試しを行うつもりだった。
「森の中を懐中電灯を持って一周して帰ってくるんだよ」
友達の1人が決めた。親戚に無断でやるため、Eさんは特別な準備もできなかった。
たとえ一周せずに途中で帰ってくるにしても、それなりの時間を暗い森の中で単独で過ごすわけだから肝試しの趣旨とは合うということで全員の了承があった。
ただ、直前になっていちゃもんがつく。
「でも、Eちゃんは自分の親戚のお寺だから怖くないし、ただ歩いてても肝試しにならないよね」
1人が言い出した。
「うん、ずるいよ」
他の友人も同調した。場所を提供したのにずるいとはずいぶんな言われようだと思ったが、子ども心にEさんは成果を出して見返したいという気持ちになった。
「じゃあ、森の中に何かお札とかろうそくとか落ちてるかもしれないから、それを拾って持ってくるよ。見つかるまで探すから怖くなるはずだよ」
Eさんは提案する。
「まあ、それならいいか。あまり待ってて遅くなっても嫌だから、探しても見つからなかったら戻ってきなよ」
少しの助け船があったが、とにかくEさんにだけノルマが設定された。
肝試しが始まり40分ほど経った。3人がそれぞれ懐中電灯を携えて森の中を回って戻ってきていた。
お寺の周辺の地面にライトが設置されているのと、この日は月が明るかったのもあって誰も森の中で迷わなかった。森で適当に歩いて、頃合いを見てライトの光がある方へ戻ればいいのだから。
ただ、最後がEさんだった。彼女の番になったときにまたもルール変更が入る。
「Eちゃんは森もどんな感じか知ってるし、懐中電灯持ってたらずるくない?」
また先ほどの友達が言い出した。
「うん、今日はお月様が出てて明るいから、懐中電灯はダメだよ」
他の2人もやや同調に傾く。
「えっ、でも……」
月明かりだけを頼りに夜の森を歩くように言うのである。難色を示したEさんだが、最後の彼女がここでごねると白けたムードになるだけだと判断して諦めた。
渋々懐中電灯を友達に渡し、Eさんは1人森の中へと入っていく。
「ちゃんと森の中でお札とかろうそくとかしめ縄とか、探して持って帰ってくるんだよ」
後ろから声がかかり念押しされてしまった。しめ縄は神道のものなので通常は寺にはないのだが、彼女たちは誰も知らない。
お寺周辺のライトのおかげで帰りには迷わないだろうが、何かを森の中で探すのは大変そうだ。
Eさんが手ぶらで森に向かったことは確認されているわけだが、当日のルール変更のためにあらかじめポケットに何か仕込んでおくこともできない。現地で何か見つけるしかなかった。
明かりがほとんどない森の中へ入っていく。幽霊はいるかもしれないと日頃思っていたEさんだが、友達3人が何事もなく戻ってきたことで、自分の番でも何もないことを期待していた。
ガサ、ガサッ。
境内は静かで、Eさんが地面の葉っぱを踏みしめる音だけが響く。
何か拾うために足元に意識を集中させていると、上の方に無頓着になる。自分より背の高い草が少し目に当たりそうになり、手で払いのけていく。
「何も落ちてないよ……だいたい人が森に入ってるかどうかもわからないのに」
前方がよく見えない。ひたすら静かだ。夏だというのに虫の鳴き声もしない。心細くなってくる。
上を見ると丸い月が変わらず浮かんでいる。
ザシュッ、ザシュッ。
一歩一歩踏みしめながらしばらく進む。虫が食い荒らした葉っぱが顔に当たり、Eさんはおののく。蜘蛛の巣が顔にへばりつき、慌てて手で引っぺがす。
「もうやだよ、帰りたい……」
何分ほど歩いただろうか。泣きたい気分になってきた。枯れ枝を踏み、枯れ葉を踏む。全身に汗がにじんできた。蒸し暑い。
ザッ、ザッ。
足音が変わった。ほんの少し開けた場所に出たように思った。足元に枯れ葉が積もっていないのだ。木の間隔が開いたのか。
「あっ、何かある」
何かが光ったように思えて目をこらしたEさん。20センチほどだろうか。それに近づいていく。
「人形?」
明かりがないためよく見えないが、Eさんが想像したのは日本人形であった。確かこのお寺では、人形供養もしていると聞いたことがあった。
とにかくこれを持って帰ればノルマが達成できる。Eさんは素手でそれを掴んだ。髪の毛部分だろうか、毛の感触が手のひらに伝わるのだがかなりの不快感があった。濡れているのである。
「うわっ、汚いなあ。水はけが悪いのかな」
この前に雨が降ったのはいつだっただろうかと軽く考えながらも、Eさんは持ち上げた。胴体らしき部分はグニョッという手触りがする。雨風に晒されて中身が腐ってきたのかもしれない。
「でも、さっき何が光ったんだろう」
おそらく月明かりが反射したのだろう。しかし人形のどこにそのように光るものがあるだろうか。
Eさんは急に怖い話を思い出した。拾った人形を部屋に持ち帰ったところ、夜中に人形の目が光って襲ってくるという話だった。少しゾッとする。
「うう、もう、他のを探してる余裕ないよ」
光ったもののことを考えてもわからない。森に入ってかなり時間が経過しているはずだ。
Eさんはそれを抱えて、来た道を戻り始めた。
行きに比べると帰りは早く感じる。わずかに見えるお寺周辺のライトだけを頼りに、ひたすら前だけを見て進んだ。
ついに森を抜けた。友人たちはEさんの姿を認めて幾分かホッとしたような空気になった。
「ねえ、戻ったよ」
Eさんは少し口元を緩めて話しかける。息が上がっているが無事に達成したという安堵感が勝っていた。
「ほら、ちゃんと森の中で拾ってきたんだよ。日本人形」
見返してやったような気持ちになったEさんだったが、友人たち3人の顔に浮かんでいたのは怯えの感情であった。
「Eちゃん、それ、そ、そんなの拾ってきたの」
1人が震えた声で言う。
Eさんはようやく自分が持ち帰ったものをライトの明かりでまじまじと見た。
「ひゃあああっ!」
拾ってきたものは確かに日本人形ではあった。しかし尋常な状態ではない。
着物から髪の毛の部分から、全身がどす黒く染まっている。まるで大量に出血した後のような濃い血の色だった。
着物の上から腹部が切り裂かれ、臓物に見立てた肉らしきものが中に入れられていた。それが飛び出しかけ、腐った悪臭を放っている。
そしてその場の全員が正視できなかったのが、目の部分である。
両目に五寸釘が深々と打ち込まれていた。
「うえええっ」
1人がその場で吐いてしまった。Eさんも気を失いかける。
現実感がなくなりつつある中でEさんは思い当たった。あのとき森の中で人形が光ったように見えたのは、五寸釘が月明かりを反射していたのだと。
「あんたの、あんたのせいだからね! こんなの、ひどい」
数秒の間意識がなかったEさんだが、友人からの罵倒で我に返った。
血まみれの人形を地面に置き、Eさんは走り出した。もう事態の収拾は大人に任せるしかないと思ったのである。
「開けて、ねえ、お願い」
Eさんは寺の裏側の家の方に回り、インターホンを連打した。
出てきた親戚に肝試しのことも話さなければならず大目玉を食らったが、洗面所で血などを洗い流しているうちにようやく気分が落ち着いてきた。
友人たちは怒られると悟ったのか、親戚が出てくる前に急いで帰ってしまったようで、Eさんたちが戻るとすでに寺の敷地内にはいなかった。来るときに乗ってきた自転車もない。
ただ血まみれの人形だけがその場に残されていた。
後日談として、この翌日に人形は親戚の寺で供養された。
誰がどのようないきさつで森にこのような日本人形を放置したのかは、全く謎のままである。何かの呪いとしか思えなかったが、供養の甲斐があったのかあの件以降でEさんの身体に不調はないという。
肝試しを行った友人達とは徐々に疎遠になっていった。すぐに夏休みが始まっていたがそこで一度も会うことはなかった。
Eさんにだけ執拗に肝試しの条件を厳しくしてきた女の子は、夏休みの間に何があったのか2学期から登校拒否になっていた。
時が流れ、あの森があった場所は墓地になっている。