1.廃マンション
小説投稿サイトのエブリスタにて行われる超・妄想コンテストの中の「そうだ、〇〇へ行こう」への応募作です。結果は落選。
廃墟となったマンションを訪れた女子大生のFさんとその彼氏のIさん。
ここは心霊スポットとしていくつかのサイトで紹介されている。
屋上から飛び降りる人の影を見た、という事例が最も多い。そのほか、忍び込んだ友人が帰ってこなくなった、夜にアパートの方から叫び声が聞こえた、という報告もある。
Fさんたちは、実際に中を見て回って何か不気味なものが撮影できればネットにアップするという腹づもりであった。
怖がるIさんのために、午後のまだ日が高い時間帯からやってきた。
「ああ、いい感じに何か出そう」
「俺は出ない方がいいんだが」
ホラー映画も苦手だというIさんである。
曇天の冬の日。いっそう気分が滅入る天候だが、目的を考えると浮つかずに神妙な気持ちにもなれたのはいいのかもしれない。
「本当に人気はなさそうだな。でもこの車は?」
「出てった人が放置してったんでしょ」
この7階建てプラス屋上があるマンションは老朽化で閉鎖され、聞くところによると来年取り壊しが始まるらしい。人は住んでいないが、車が何台か駐車場に放置されていた。
近くにあるのは古びた水道、手入れがされず雑草に乗っ取られている花壇。住人が去ってからは朽ち果てるのを待つだけになっているようだった。
「こっちの扉が、開いてるんだっけ」
廃墟となったこのマンションを以前に訪れたことがあるという人物と、FさんはSNSでやり取りしていた。出入り口の鍵が壊れている扉があり、自由に中に入ることができるという情報を得ていた。
「あらら、本当だね」
情報に従って向かった先。そこにあったガラスの扉がギーと鳴って開いた。
Fさんがずんずんと入る。
Iさんはまだ乗り気でないのか、遅れて入ってきた。
「このマンション、皆いなくなったのかな」
「そりゃそうでしょ。勝手に住んでる人はいるかもしれないけれど」
意外と臭いこそないが、空気がよどんでいるのを感じた。音はしない。時が止まってしまっているかのようだ。
手前にあった部屋のドアに手をかけるが、鍵がかかっていた。
「どうする?」
「とりあえず噂の屋上から行こうか」
少し歩いて、非常階段へとつながる扉を開けた。Fさんたちはそこを上って屋上を目指していくが、Iさんが声をかけてくる。
「なあ、途中の階がどんな感じか見てみようよ」
「うん、いいよ」
いったん途中の4階に立ち寄ることになった。
実際に歩き回っても怖いものが何も出てこないことで、Iさんにも幾分か普段の元気が戻ってきたようにFさんは思った。
Fさんは今では動かないであろうエレベーターの前に辿り着く。そこには少し広めの空間があった。窓から周辺を見渡すことができる。いろいろ眺めていると、少し遅れて後ろにIさんも来た。
同じようなマンションが視線の先に連なる。コンクリートと同じような空の色だった。寂寥感が漂う。
「退去した人たち、すぐに行き場所見つかったのかな。困った人とかいただろうにね」
「……」
Fさんが声をかけたが、後ろのIさんからの返事がない。振り向くとIさんがうつむき加減で窓の外を指さしているのが見えた。
「えっ? 何かある?」
窓の近くから外を見ていたFさんは、彼氏が指さす先を視線で追う。しかし他の建物とそのバックに灰色の空が広がっているばかりである。
「何か、変なものでもあったの?」
Fさんは振り向く。
すると、先ほどまでいたはずのIさんの姿が消えていた。
「え、あれ、I? どこ? あれ?」
キョロキョロと周囲を見回すが、彼氏の姿はない。
Iさんのスマホに電話しても話し中だ。
もしかしたら、彼が先に屋上に向かったのかもしれないと考えた。あり得ないことではない。
再び非常階段へ戻り、上へ向かって歩みを進める。
しかし予想外の光景があった。屋上へ通じる扉には鍵がかけられ、ドアノブに鎖まで巻かれていたのである。他に屋上へ通じる階段があるのだろうか。
「そんな、どうしよう……」
行き場を失ったような気分のFさん。こうなると階ごとにIさんを探すしかない。
まず7階。エレベーターの前まで行き、そこから各部屋の前を静かに通る。なかなか広いマンションであり、階を全て巡るだけでも時間がかかってしまう。
目に付いた部屋のドアに手をかけるも、どこも鍵がかかっている。そして、屋上へ行くには非常階段から上がっていくしかないことがわかった。
「みんな出ていったのに、いちいち鍵をかけとくものなの……?」
6階、5階と降りていくものの、Iさんの姿はやはりない。
道中で物音がしたらそれがIさんではないかと考えていたが、あいにく外の風の音しかしない。
「さっきいなくなったのは4階だったよね、確か……」
再び先ほどまでいた4階へ降り立とうとする。
「えっ?」
階下の3階にて意外なものが目に入った。Iさんらしき背丈と服装の人物が、3階のある部屋にまさに入ろうとしているところだった。
「え、あれ、Iだよね……」
Fさんは声を書けるか一瞬迷い、その間にIさんらしき人影は振り向くこともなく部屋に入っていった。
「どうしよう、あの部屋に入ってっちゃった」
自分もとにかく3階へ降りようと踏み出したFさん。そこへ、突然スマホの着信音が鳴り出した。
誰からかと画面を見ると、Iさんだった。
「I? ねえ、どうしたのよ」
電話に出て、すぐに疑問を投げかけるFさん。しかしそれへの答えはなく、相手が話し始めた。
「あのさ、今、屋上にいるんだけど、Fも来られる? 変わったものがあるんだよ」
電話から聞こえるのはIさんの声である。背筋がゾクッとした。
「え、でも、さっき……」
「待ってるからさ、屋上まで来てくれよ」
Fさんは得体の知れない恐怖を感じる。
屋上の扉はさっき開かないのを確認した。そしてIさんらしき人物が3階の部屋に入っていくのを見た。では、電話口のこの人物は何を言っているのだろうか?
迷った末にFさんはこう返した。
「ねえ、あなた、いったい誰?」
「……」
プツッ。
ツー、ツー、ツー。
電話が切られた。
Fさんは内心パニックに陥る。Iさんのことが心配だが、どうするべきなのかわからない。
彼を探してもう一度上階へ行くか迷い、上を見上げた。
落下してくるものがある。
人の身体だった。Fさんの横を通り過ぎていく。
「えっ、うそ」
Iさんの服装をした人間らしき固まりが落ちていった。
やはりIさんは屋上にいたのか、自分が早く彼の元へ行っていれば。瞬く間にそんな後悔が襲い、彼女は目を閉じた。
……しかし、人が落ちたときのような衝撃音がない。
慌てて目を開けて確かめるも、眼下に人が落ちたような形跡が見受けられない。
「も、もう、何が何だかわからないよ」
涙目となったFさんは急いで非常階段を駆け下りる。我が身かわいさで、もはや幽霊の撮影もIさんのことすらも諦めていた。
入ってきたガラス扉を開けてマンションから出る。
鍵が開いていたことに安堵しながら、Fさんは少し離れてマンションの方を見た。
その瞬間、マンションの窓という窓から、Iさんの顔をした何かが一斉に顔を出した。
「ひいいっ!」
ゾワワワワッ!
Fさんは心臓に強い圧迫を感じ、そのまま意識を失った。
「F! F! しっかりしてくれ」
頬を軽く叩かれる感触で、Fさんは意識を取り戻した。
目の前には心配そうにFさんを見つめるIさんの姿があった。
「え、I、どうして」
道路で気を失ったはずのFさんだが、Iさんに発見されて歩道まで運ばれてそこで横たわっていた。
Iさんと再会できて喜ばしいが、そもそもマンションの中でIさんに振り回されたようにFさんは感じており、ついつい責めるような言い方をしてしまう。
「でも、Iが中でいなくなっちゃったから、大変で。あたし、探して回ってたんだから」
それを聞きIさんは怪訝な顔をする。
「俺、マンションの中に入ってないよ」
「えっ、だって、あの扉から」
「いや、お前が開いてるって言ってたガラスの扉、鍵がかかって入れなかったんだよ。いきなりお前の姿も見えなくなったから、マンションの周りをうろついてるのかと思って探してた」
信じられない思いだった。
「嘘……え、だって、電話もしたし」
「ああ、電話は俺もしてたよ。話し中だったけど」
双方の発信履歴を見ると、確かにFさんがIさんにかけた時間帯にIさん側もFさんにかけていたのである。
しかし屋上へ誘う謎の電話は、Iさんのスマホの発信履歴には残っていなかった。
「そ、それじゃあ、マンションの中であたしと歩いてたのは、いったい誰なの?」
Fさんにマンションの情報をくれた人物は、SNSからも姿を消していた。それ以降、Fさんは面白半分で廃墟に立入ることをやめたそうである。