婚約者の王太子に婚約破棄させた男爵令嬢の正体が魔族だったので、真に愛する人と一緒にぶちのめします。え? 王太子? 既に物理的に魔族に喰われていますが
「ジェニファー・ハーバードッ! 僕はおまえとの婚約を破棄するっ!」
コンラッド王太子は言い放つ。その右腕にはやはりというかピンク髪の男爵令嬢レジーナが泣き顔ですがりついている。
(くっ)。
ジェニファーを焦燥感が襲う。
(思ったより早かった。もうしばらく先だと思っていたけど)。
しかし、首を振って気持ちを立て直す。諦めたらそこで終わり。諦めは愚か者の結論。
「婚約破棄? その理由を聞かせていただきとうございます」
「理由? しらじらしい。貴様、このレジーナに陰湿な嫌がらせを繰り返し、あまつさえ命を狙ったであろう」
(何を言っているのだ。コンラッド王太子は。こっちはそんなことをしている暇なんかなかった。いやいや駄目だ。冷静さを失ってはいけない)。
「言われたようなことは一切やっておりません」
「とぼけるなっ! レジーナを階段から突き落とそうとしたり、レジーナが通るのを待ち構えて、階上から鉢植えを落とそうとしたであろうっ!」
(誰がそんな分かりやすい抹殺を図るものか。それにそんな程度でレジーナは死なないということが分からないのか? 駄目だ。コンラッド王太子は。いなくなられた兄上のチャールズ様とは器が違う。いや今はそれを考えている場合じゃない)。
「そのようなことはやっておりません」
「まだとぼけるかっ! ふん、まあいい。婚約破棄はもう決まったことだ。僕はこのレジーナと『真実の愛』を貫くからな」
「嬉しい。コンラッド様」
コンラッドにもたれかかるレジーナ。
(ふうっ)。
内心溜息を吐くジェニファー。
(だけどここまではまあ仕方ない。もともとが愛のない婚約だったし。勝負はこれからだ。シャーロットが帰ってきてくれるまで粘り抜けば形勢は逆転する)。
「分かりました。婚約破棄お受けいたします。しかし、今回のこと私には非がない。それにいささか疲れました。このまま実家に帰り、療養したいのですが」
「ふん。好きにし「待ってくださいっ!」
(「好きにしろ」とコンラッド様が言おうとしたのをレジーナが止めた。これは?)
「コンラッド様、レジーナはジェニファー様が怖くて怖くて仕方がないのです。執拗に陰湿ないじめをされるばかりか、何度も命を狙われ......」
(くっ、レジーナ)。
「このまま家に帰してしまえば、今度はどんな巧妙な手段でレジーナの命を狙ってくるのか。それを考えると怖くて怖くて」
「うむうむ」
レジーナにすり寄られ、満足げに頷くコンラッド。
「よしっ! 衛兵っ! ジェニファーを捕らえ、入牢させよ。明日正午をもって公開処刑とするっ!」
(この馬鹿王太子があ)。
そう怒鳴りつけたい衝動を力技で抑え込み、努めて冷静に言うようにするジェニファー。
「入牢? 公開処刑? コンラッドとの婚約は国王陛下の肝いりで決まったもの。婚約破棄ばかりかそのようなことをしてただで済むとでも? そして、私は公爵令嬢。わが実家はハーバード公爵家。コンラッドは公爵家を敵に回すおつもりですか?」
「ふん」
コンラッドは鼻を鳴らす。
「国王なら昨晩より持病が悪化して伏せっておるわっ! 今は王太子であるコンラッドがこの国の最高権力者だっ! ハーバード公爵家はでかいかもしれんが、この国全体には勝てぬであろう」
(くっ。国王陛下のお体は案じていたけど、そんなことになっていたとは。それで急な婚約破棄を断行したわけか)。
「分かりました。入牢、処刑。受け入れましょう。しかし、今回のことは全て我が身の非からくるもの。ハーバード公爵家まで累が及ばぬようお願いします」
「ふん。どうだかな。今後、コンラッドに一切逆らわないというのなら家名存続くらいは考えてやってもいい。だがハーバード公爵はジェニファーの親父だけあって、名うての頑固者。刃向かってくるだろうな。そうなれば家ごと皆殺しだ」
(残念だがそのとおりだろう。ハーバード家は曲がったことが大嫌いな人間の集まりだ。ジェニファーが処刑されたとなるとハーバード公爵は最後の一人まで徹底抗戦するだろう)。
衛兵に引かれ牢への道を歩むジェニファーは心中で呟いた。
(ごめんね。シャーロット。何とかあなたが来てくれるまで頑張ろうとしたけど。駄目かも知れない)。
◇◇◇
もともとのジェニファーの婚約者で王太子でもあったチャールズ。剣技に優れているばかりでなく聡明で慈悲の心も持ち合わせていた。
お互いが尊敬し合える婚約者同士。王家と国内で王家に次ぐ勢力を誇るハーバード公爵家の強固な関係を築き上げる意味でも理想的と言われ、この国の将来は安泰とされた。
チャールズが謎の失踪を遂げるまでは。
誰にもその原因は分からなかった。失踪せねばならない理由は全く思い当たらない。父である国王も婚約者であったジェニファーもしばし呆然とした。
しかし、高貴な地位にある者は国家の安定的な維持に責任を負う。一ヶ月が過ぎた頃、国王はチャールズを探すことをあきらめ、第二王子のコンラッドを立太子した。
国家の行方には暗雲が漂い始めた。ジェニファー一筋だったチャールズと違い、コンラッドの派手な恋愛遍歴は貴族の間には知れ渡っていたからだ。
国王はハーバード公爵とジェニファーに頭を下げてこう頼んだ。
「ただでさえチャールズの失踪で迷惑をかけているのに、今度はコンラッドと婚約してくれというのは酷い話だというのは重々承知している。しかし、コンラッドは王太子になるための教育を受けておらぬ。支えられるのは完璧に王太子妃になるための教育を受けてきたジェニファーしか考えられぬ。どうかこの国を救うと思って受けてくれまいか」
ジェニファーはちらりとハーバード公爵の方を窺う。
大きく頷くハーバード公爵。
「分かりました。微力ながら力を尽くさせていただきます。コンラッド様との婚約、お受けさせていただきます」
「おおっそうかっ! 受けてくれるか」
国王はジェニファーに駆け寄り、その両手を取った。
「困ったことがあったら何でも言ってくれ。可能な限り何とかする」
◇◇◇
困ったことはすぐに起きた。
婚約を取り交わす場においてもコンラッドは最初から不機嫌な態度を隠そうともせず、国王にたしなめられていた。
二人きりになった時はもっと痛烈にきた。
「舐めるなよ。ジェニファーは自分が不幸だと思っているかもしれないが、こっちだっていなくなったチャールズのお下がりの婚約者なんて迷惑なんだよ。しかもこんな色気のない堅物女が婚約者だなんて。ジェニファーなんかに婚約してもらわなくてもこっちは女には困ってないんだ」
困ったことがあったら何でも言ってくれという国王の言葉に従い、ジェニファーはこの困ったことを国王に報告した。
国王はすぐにコンラッドに言った。
「自覚を持て。おまえはもう王太子なのだ。以前のようないずれ臣籍降下し、適当な地に封ぜられる立場ではない。国を背負って立つ責任にある立場なのだ。婚約者を大事にし、国民に寄り添え」
しかし、コンラッドの素行は改まらない。当てつけるかのようにピンク髪の男爵令嬢レジーナを常に行動をともにするようになった。国王は辛抱強く説得し、ジェニファーはきつく接されても穏やかに接し返した。
それでもコンラッドは変わらず、それどころか近頃は国王の体調不良が目に見えて増えてきた。
◇◇◇
ジェニファーは失踪してしまったチャールズの私室のソファーに深く腰掛けると大きな溜息を吐いた。
(今日も国王陛下は体調不良で執務を中断された。今はまだ国王陛下がご健在だからもっているけど、この先、この国は、私はどうなってしまうのだろう)。
チャールズが失踪し、コンラッドが王太子となっても、チャールズの私室は手つかずのままだった。国王がチャールズの死亡が確定するまでそのままにしろと命じたからである。
正直そのことにジェニファーは相当救われた。ジェニファーの口から前の婚約者の私室をそのままにしてほしいとは思っていても言えない。そして、今は一日一回侍女が清掃のために入るだけだから、一人きりになりたい時に格好の隠れ家になるのだ。
いつものこととはいえ気疲れし、仮眠を取りたい気分だった。しかし、廊下が騒がしい。「どこだっ? どこへ行った?」
「子どもとはいえ、身元の分からぬ者が王宮に入り込むとは問題だぞっ!」
「何としても探し出せっ!」
(どうやら子どもが王宮に入り込んだらしい。いたずら好きのやんちゃな男の子でも入り込んだのかな?)。
そんなことを考えながら何の気なしにチャールズの使っていた机の方を見たジェニファー。そして、その目に入ったのは......
「!」
十歳くらいだろうか、小さな少女がかつてチャールズが大事にしていた白銀の剣を抱えているではないか。
「あ、あなたは?」
「衛兵には言っ、言わないでっ!」
小さな少女は気丈な表情で真っ直ぐにジェニファーを見据えた。
銀色の髪、トパーズ色の瞳。その少女の外見は失踪したチャールズを彷彿させた。一瞬、ジェニファーがチャールズの娘かと疑うほどに。すぐに二十歳のチャールズに十歳の子どもがいるわけがないと気がついたが。
ジェニファーは努めて穏やかに言う。
「分かった。衛兵には言わない。でも、その白銀の剣を放してくれないかな? それはかつての私の婚約者が大切にしていたものなの」
「知っている」
少女は真っ直ぐにジェニファーを見据えたまま言う。
「そして、この剣は迫り来るこの国の危機を救えるもの。ここに置いておいてはいけない。敵に取られたら、この国は終わる」
「何か深い事情がありそうね」
ジェニファーはゆっくりと立ち上がると少女を再度見た。
「綺麗な子ね。庶民の子がいたずらで王宮に入り込んだわけではなさそう。貴族の子ね。安心して。安全に家に帰してあげる。ご両親に叱られるのが怖いなら取りなしてあげる」
「貴族の子じゃない。帰れる家はない。それよりジェニファー......公爵令嬢」
(! この子、ジェニファーのことを知っている?)
ジェニファーの当惑をよそに少女は続けた。
「私をハーバード公爵家の侍女にして雇ってほしい。そして、この白銀の剣をジェニファーの部屋に隠させてほしい」
「......」
ジェニファーは少し考えたがすぐに答えた。
「いいわ。だけどハーバード公爵家も家出少女の収容所ではないからね。こちらでも調べさせてもらって、あなたの家がどこか分かったら帰ってもらうよ」
「構わない。私に帰る家などないから」
「それにハーバード公爵家の侍女頭のマリアは厳しいわよ。ビシビシ鍛えられるからね」
「それも知っている」
(不思議な子だ)。
ジェニファーは思った。
(国王陛下の体調が思わしくない。ジェニファーもいつ婚約破棄されるか分からない。この国の行方も不安。こんな時にこんな子拾ってどうするんだろ。ジェニファー)。
◇◇◇
少女は自らの名をシャーロットと名乗った。
ジェニファーは予告したとおり、内々に十歳くらいの銀髪の貴族令嬢が行方不明になった家はないか捜したが、シャーロットの言うとおりにそんな家は見つからなかった。
そして、シャーロットに驚かされたのはジェニファーだけではなかった。
「お嬢様」
侍女頭のマリアが何とも言えない表情でジェニファーのところを訪れた。
「シャーロットのことなのですが」
「うん。どうなのマリア。シャーロット。いい侍女になれそう?」
「はっきりと申し上げます。侍女の仕事の掃除、洗濯、お茶入れなどはまるで才能がありません。我が力をもってしても一人前には出来ません」
ジェニファーは驚いた。
「え? どんなヘッポコな子でも最低限使える侍女に育て上げてみせると言っていたマリアが? そうは見えなかったけど怠け者とか?」
「それはないです」
マリアは首を振る。
「やる気は大変あります。そして、あの小さな体のどこにと思えるほどの力の持ち主なのです。それが問題なのです」
「どういうこと?」
「つまり掃除をさせれば力余ってほうきを折る。洗濯させれば力余って服を破る。お茶入れさせれば力余ってカップをたたき割る」
「信じられない。ではシャーロットは侍女としては使えないの?」
「それがですねえ」
マリアが困惑顔で続ける。
「もともと怪力だから男衆がやる薪割りとかは得意なんです。後、執事のスタンリーさんが書類仕事を抱えて困っていたら、お手伝いしたいと言い出して、あっという間に片付けたのにも驚きました」
「! 男の子みたい。だけど事務仕事ができるってことは普通の庶民の子ではないということ?」
「そこはマリアにも分からないのです。シャーロット何も言ってくれないんで。ともかく今後は執事のスタンリーさんの方でシャーロットを預かることになりまして」
「そう。ここから追い出されるわけではないのなら良かった」
ジェニファーはホッとした。しかし、シャーロットの謎は深まるばかりだ。
◇◇◇
そんなある日、深夜にジェニファーの部屋の扉がノックされた。力強いその音にジェニファーにはノックした者が誰かすぐに推測が出来た。扉を開くとそこにいたのは果たせるかなシャーロットだった。
「こんな深夜に何の用かしら? シャーロット」
ジェニファーは努めて冷静に問う。
「ジェニファー......様、こんな深夜ですが一緒に見てもらいたいものがあります」
シャーロットはやはり真っ直ぐにジェニファーを見据える。
「それは何? 今でなければ駄目なの?」
「そう、今でなければ駄目。とても恐ろしい事実、この国の存亡に関わること」
「そう」
ジェニファーは小さく溜息を吐くと頷いた。
「シャーロットがそう言うのなら行きましょう」
◇◇◇
そこは王城からほど近い城下ではあったが、明らかな場末と呼べるところだった。
深夜とあって他の人の気配もない。
(何故こんなところに?)
ジェニファーがシャーロットに問わんとしたまさにその時、人の影らしきものがよぎった。
(! あれは!)。
その人影らしきものを見て思わず声が出そうになったジェニファー。その口をシャーロットが小さい手で必死に塞ぐ。
(声を出さないで)。
その人影はジェニファーの婚約者であるコンラッド王太子の愛人レジーナ男爵令嬢だったのだ。
(どうして? どうして? レジーナがここに)。
慌てるジェニファーの気持ちをよそにシャーロットは淡々と小声で言う。
「ジェニファー......様、これからとても耐え難いことが起きるけど声を出さずに我慢して。私にとっても許し難いことなの。でも、今の私の能力ではどうにもならない」
(何か恐ろしいことが起きようとしている?)。
ジェニファーの両手のひらに汗がにじんだ。
◇◇◇
レジーナは辺りの様子を窺おうともしない。こんな時間にこんなところに他の者がいるはずはないと確信しているかのようだ。
そして、レジーナが入っていったのは古い小さな一軒家だった。男爵とはいえ貴族令嬢が入るような家ではない。もちろん中は真っ暗だ。
しばらくすると中から「ぐおっ」という高齢男性の声が聞こえ、物音も聞こえたが、やがて静かになった。
ジェニファーは前に乗り出そうとしていたが、シャーロットはそれを制した。
「気持ちは分かるけど、ここは耐えて」
しばらく経ってからレジーナが不機嫌そうな顔で出てくる。そして、口の周りを拭うとどこへともなく去って行った。
「どうやら行ったよう。ジェニファー......様、何が起こったか見てください」
シャーロットは手持ちのランプを点け先導する。小さな家の中は荒れ放題だった。かなりの騒ぎがあったようだ。
そして、シャーロットがランプを照らした先にあったのは枯れ枝のように痩せ細った高齢男性の遺体だった。
「!」
ジェニファーは一瞬絶句したが、すぐにシャーロットにつかみかかる。
「シャーロットッ! これはどういうことっ?」
シャーロットは全く動ぜず、淡々と返す。
「レジーナの正体は魔族。普通の人の食べ物も食べられるけど、人の精気を吸って生きている。この男性は高齢で天涯孤独なので狙われた」
「高齢で天涯孤独だからって、こんな殺され方されていい理由にはならないでしょっ!」
ジェニファーはいきり立つ。正義感が強く一本気なのは父親のハーバード公爵譲りだ。
「分かっている。でも、今のままでは誰もレジーナを止められない。魔族だということをみなが見ている前で暴かないと逆にこちらが悪いことにされる」
「......」
「だけど、このままではいけない。ジェニファー......様、二つお願いがある。一つはレジーナの正体を暴くには東の国にあるという照魔鏡が必要。それを取りに行くのにお金と休暇が必要。シャーロットに取りに行かせて」
「照魔鏡があればレジーナの正体を暴けるのね。まだ小さいシャーロットにお願いするのもなんだけど。一人で大丈夫?」
「大丈夫。大人数で行くとレジーナに気づかれる。シャーロットは怪力だし、白銀の剣を持たせてもらえれば大丈夫。そしてもう一つのお願いは」
「うん」
「レジーナは王太子にジェニファー......様との婚約を破棄させて、その後釜に収まろうとしている。国王陛下の体調もよくないみたいだし、レジーナが王太子妃になったら、この国はやりたい放題にされてしまう。今は天涯孤独の老人やストリートチルドレンの精気を吸って我慢しているけど、レジーナは本当に吸いたいのは高貴な若者の精気。権力を握らしたら、それを悪用して生け贄を要求してきかねない」
「シャーロット。あなたは何者なの? どうしてそんなことを知っているの?」
「今はそれは言えない。でも全てがうまく行ったらその時に話す。そうもう一つのお願い、レジーナにそうさせないようにジェニファー......様は出来るだけ婚約破棄させないよう頑張ってほしい。シャーロットはなるべく早く照魔鏡を持って戻ってくるから、それまでつらいだろうけど頑張ってほしい」
「......分かった」
(正直、今のコンラッドとレジーナの態度を考えると、コンラッドとの婚約の維持は茨の道もいいところだ。だけど、レジーナの正体が魔族と分かった以上、シャーロットが帰ってくるまで頑張らないと)。
ジェニファーの気は重かった。
◇◇◇
そして、今ジェニファーは婚約破棄され、レジーナの命を狙ったという冤罪で牢内にいる。
何やら城内が騒がしい。教えてもらえないかも知れないが、ジェニファーは、ダメ元で牢番に問うてみる。
「何が起こっているの?」
幸い牢番はジェニファーに同情的だった。
「ジェニファーが処刑されると聞いて、ハーバード公爵が激怒。『わしがジェニファーを助けに行く』と言われたことに対し、王太子殿下が『ハーバード公爵が謀反を起こした。討伐軍を出せ』と命令されたそうです」
(! 最悪だ)。
ジェニファーはうなだれた。
(コンラッドの言うとおり、王軍と公爵家が全面戦争になれば、最後は数の力で王軍が勝つだろう。だけど公爵家はハーバード公爵の下、一騎当千の騎士が揃っている。泥沼の内戦になる。国民も塗炭の苦しみを味わうはめになるし、国土の荒廃は他国の侵略を誘発する)。
しかし、ジェニファーは必死で自分を奮い立たせた。
(いけない。これではいけない。やはり最後まで諦めてはダメ。シャーロット、シャーロット。早く帰ってきて)。
◇◇◇
そんなジェニファーの願いもむなしく、翌日の朝はそのまま明けた。
天候は好天だった。瞬く間に陽は中空に昇り、ジェニファーは処刑されるため、中庭に引き出された。
壇上にはコンラッドとそれにもたれかかるレジーナ。コンラッドはジェニファーの姿を認めると立ち上がり叫んだ。
「無様だな。ジェニファー。これというのもレジーナの命を狙ったりするからだ。安心しろ。すぐに貴様の頑固者のハーバード公爵も地獄に送りだしてやる」
「王太子殿下」
ジェニファーは毅然とした態度でコンラッドの方を見る。
「もはやジェニファーの命が惜しいとは思いません。しかし、レジーナ嬢との婚姻とハーバード公爵との戦はおやめください。この国の者全てを不幸にします」
「やかましいわっ!」
やはりコンラッドは聞く耳をもたない。
「これ以上のレジーナに対する侮辱は許さん。もういいっ! ジェニファーを処刑し、ハーバード公爵との戦の血祭りにしてくれるわっ!」
(馬鹿な。そんなことを言ったらハーバード公爵もその配下の騎士たちもそれこそ死に物狂いで戦うだろう。駄目だっ! そんなことをしては駄目だっ! シャーロットッ! シャーロットッ! 助けてっ! どこにいるの? シャーロットッ!)。
まさにジェニファーの白い首筋に処刑人の白刃が振り下ろされそうになった時、その声はした。
「その処刑待ったっ!」
◇◇◇
その場にいる者全員の注目が集まった先にいたのは息を切らせて立ち、両腕に大きな鏡と白銀の剣を抱えた小さなシャーロットだった。
「みんな騙されては駄目っ! コンラッドを唆し、ジェニファーを処刑させようとしているレジーナの正体は人の精気を吸う恐ろしい魔族っ!」
「無礼者っ!」
激高したコンラッドが立ち上がる。
「何を言うかっ! そこな子どもっ! ええいっ、衛兵っ! その子どもを捕らえよっ! ジェニファーと一緒に殺してしまえっ!」
「これを見てもそんなことが言える?」
シャーロットは白銀の剣を脇に置くと、両手で照魔鏡を抱え、コンラッドとそれに寄り添うレジーナを照射した。
「ううっ、眩しいっ!」
コンラッドは眩しがっただけだが、照魔鏡の光はレジーナの正体を暴き出した。
濃淡がまだら状になった緑色の身体。大きく尖った耳、頭に生えた二本の鋭い角、耳まで裂けた口、そこからは二本の牙、両手両足には人体など軽く切り裂けるのではないかと思えるような爪。
ざわっ
一斉にざわめく場。
「貴様ぁっ!」
コンラッドは激高したままだ。
「我が美しいレジーナに何をしたっ?」
「何もしていない。照魔鏡の光はその者の正体を現すだけ。その証拠にコンラッドの身体は何も変わっていない」
淡々と返すシャーロット。
コンラッドはその場に崩れ落ちた。
グルルルル ルルウオオオオオーッ
世にも恐ろしい雄叫びがその場を貫いた。発したのは魔族の正体を現したレジーナだ。
「もう一歩、もう一歩でこの国を我が楽園に出来たのにっ! やはり邪魔をしたのは貴様かあっ!」
「そうだ」
シャーロットは毅然と返す。
「我が国民を己がエサにしたいなどという魔族は絶対に許さない」
「かくなる上は」
レジーナは崩れ落ちたままのコンラッドを立たせるとその首筋に噛みついた。
「コンラッド愛していますわ」
「うわあああああっ」
その精気を吸うレジーナに対し、コンラッドは悲鳴しか上げることしか出来ず、絶命していった。
「ふっ、とんだヘタレ野郎だったけど、高貴だけあって、いい精気が吸えたわ」
その言葉と共にレジーナの魔体は三倍となった。
その間、シャーロットはジェニファーに近づくと、その身にかかっていた縄を解いた。
「残念だけどもはやコンラッドは助けられない」
「そうね」
ジェニファーは頷いた。
「ある意味『真実の愛』で繋がった者に精気を吸われて死んでいくのもコンラッドにふさわしいかも」
◇◇◇
「次はここにいる者、全ての精気を吸ってくれるわ。そうなれば、この国の全軍をもってしてもこのレジーナは倒せん」
「そうはいかない」
シャーロットは白銀の剣を手に立つ。
「ふん。その小さな身体で何が出来る?」
シャーロットを嘲笑するレジーナに、ジェニファーは照魔鏡を両手に抱えて立つ。
「ならこれならどうかしら?」
ジェニファーは照魔鏡でレジーナではなくシャーロットを照らす。
シャーロットは問う。
「ジェニファー。いつから気づいていた?」
ジェニファーは微笑する。
「婚約者を舐めないでちょうだい。我が『最愛の人』」
照魔鏡の光を浴びたシャーロットの身体はみるみる大きくなり、その姿は失踪したはずの銀髪の青年王子チャールズに変貌した。
◇◇◇
おおっ
たちまちに起こる歓声。
「くっ」
唇を噛むレジーナ。
「やはりチャールズの精気を完全に吸いきれなかったのは我が不覚」
「レジーナに寝込みを襲われ、一部でも精気を吸われ、少女の身体で活動しなければならなかったのはきつかったが、自我を失わずにいられたのはチャールズには『最愛の人』がいたからだ」
赤面するジェニファー。しかし、チャールズはかまわずに続ける。
「『魔族』というだけで殺すつもりはない。だが、我が国民の精気を己がために吸い続けようなどというのなら話は別だ。死んでもらう」
グオガアアアア
レジーナはチャールズのそのセリフが言い終わるか終わってないかのうちに鋭い爪を伸ばし、襲いかかってきた。
チャールズは脇に置いてあった白銀の剣を左手で掴み、右手で鞘から抜刀しながら横になぎ払う。鋭い爪を使って、先制攻撃を狙ったレジーナの両手首を斬り落とす。
ギイッ
悲鳴を上げるレジーナ。チャールズは嘯く。
「どうだ。白銀の剣は破魔の剣。聖なる力を秘めているが故、貴様ら魔族の力をもってしても、斬られた身体は再生せん。今度はこっちから行くぞ」
チャールズは両手で白銀の剣の柄をしっかりつかみ、大上段からレジーナの頭上から振り下ろした。
グワオオオオ
レジーナは一際大きな悲鳴を上げると、緑色の体液を噴出し、絶命した。
「ふうううう」
チャールズは思い切り息を吐くと剣を鞘に納めた。
◇◇◇
一連の出来事に周囲の者はみな呆然としていたが、チャールズは冷静に言う。
「すぐに王軍と公爵家の双方に使者を発し、戦闘を中止させよ。チャールズが戻ってきて、ジェニファー嬢の処刑はなくなった。もう戦う必要はないと伝えよ」
「はっ」
気の回る衛兵が二人外へ駆けていく。
「さて」
チャールズはゆっくりとジェニファーの方に歩いて行く。
「ジェニファー、いろいろ心配かけて悪かった。やっと戻ってこられた」
その言葉にジェニファーは泣き崩れ、チャールズにすがりついた。
「本当ですよ。いきなりいなくなって、どれだけ辛い思いをしたと思っているのですか」
「すまなかった。レジーナの正体が魔族だということは、うすうす分かっていたから、倒すことができる『白銀の剣』を手に入れた。しかし、平民出身の養女とはいえ、男爵令嬢をいきなり斬り殺すわけにはいかない。正体を暴くには照魔鏡を手に入れなければと思っているところで不意を突かれて精気を吸われてしまったんだ。自分の身体が少女にまで縮んだところで逃げ出すのが精一杯だった」
「ふふふ。シャーロット可愛かったですよ。でもやることが十歳の少女のそれじゃないですからね。ひょっとしたらと思って」
「見抜かれていたか。やっぱりジェニファーにはかなわないな」
頭を搔くチャールズ。
だが、すぐに真剣な面持ちになり、真っすぐにジェニファーの目を見据えた。
「ジェニファー。いろいろあったが改めて言う。チャールズと結婚してくれ」
ジェニファーはしばしの沈黙の後、口を開いた。
「今のチャールズ様とは嫌です」
「な......」
あっけに取られるチャールズ。
「今のチャールズのどこがいけないと言うのだ? 教えてくれ。なんでもする」
ジェニファーはふくれっ面を隠さずに言う。
「魔族に精気を吸われて少女の身体になっちゃったのなら、何故それを婚約者のジェニファーに言わないのです。どんな気持ちでいたと思っているんですか」
「すまない」
チャールズは素直に頭を下げる。
「だが分かってくれ。魔族に不覚を取り、少女の身体になったとは恥ずかしくて言えなかったんだ」
「私たちは婚約者です。ジェニファーと結婚したいのなら今後こんな隠し事は絶対にしないと約束してくれますか?」
「ああ誓うよ。今度同じことがあったとしても隠すことは絶対にしない」
次の瞬間、ジェニファーはチャールズに抱き着いた。
「それなら、それなら、許します。結婚しましょう」
「ありがとう」
チャールズは強く抱きしめ返した。
読んでいただきありがとうございます。