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即興小説集

償いのプロポーズ

作者: 佐藤朝槻

 

 彼は目の前の()()に微笑み、鼻同士をこすり合わせた。

 純愛映画のように優しく、ラブコメ漫画のように恥ずかしそうに。

 そういう作品を思い浮かべ、彼は表情を作っていく。


 彼女は少し離れたところで黙って眺めている。


 これは償いだった。何の償いか?

 時は遡る――。


 二人は遊園地にいった。

 何度か重ねてきたデートだが、彼女にとって特別な日になるはずだった。


 彼女はデートが終わったらプロポーズをしようと決めていたのである。それほど彼のことを大切に思っていたし、彼なら肯定的に受け止めてくれると信じていた。


 にもかかわらず、プロポーズの計画を知らない彼は、行列に並ぶ中、別の女性を目で追いかけていた。その上、彼女を褒めずに別の女性の容姿を褒めた。

 彼女の逆鱗に触れてしまったのである。


 二人はホテルに泊まる予定だったが、急遽帰宅した。

 彼は折檻を受けることになったのである。


 折檻が始まって一時間ほどが経過していた。

 どうして折檻を与えるほど怒るのかという疑問を浮かべる彼は、「そろそろ……」と溜め息をこぼした。許しを乞うように彼女を一瞥する。


「本当はそこまで怒っていないよ」

 彼女の心からの言葉だった。怒りではなく、むげにされた悲しみが強かったのである。


 しかし、彼は信じなかった。彼女の据わった目が怒りを表していないならば、どのような感情が混じっているかわからない。

 嫉妬か、悲しみか、絶望か。あるいは殺意か。

 恐怖を覚え、黙っている。


「ね、反省してる?」

「……」

「してない?」

「してます」

「じゃあ続けて」


 彼女は()()をちらりとみる。

「どんなことしようと思ったのか、やってみせて?」


 彼女が科した折檻は、目の前で偽装浮気をやってみせることであった。とてもリアルな人形を使い、彼の妄想を視角化させるのである。


 その人形はラブドールと呼ばれるもので、人間にとてもよく似ている。

 しかも彼が目で追いかけていた女性と瓜二つだった。マッシュヘアーのウィッグを被り、垂れた瞳に唇はほんのり赤みがある。

 服は彼のシャツ一枚だけ着ている。これは彼女が彼の妄想力を煽るためであった。


 横座りする人形に彼は距離を詰め、優しく頭を撫でる。

「キスは?」と問う彼女の声は冷たい。唇を重ねると人形特有の苦みがあった。


「そういうことがしたかったの?」


 問い詰める彼女の声に、彼は口を引き結ぶ。

 遊園地では見た目に惹かれただけで、こういうふうなことをしたかったとは考えてない。かといって下心がないわけでなかった。


 一方、彼女は彼の一部始終を見物していた。人形に触れる細長い指、力む肩、キスの苦さに歪ませる表情、バツが悪そうに伏せられる目。

 これはいい、効果がありそうだ、と内心楽しんでいる。


「もうおしまい?」

「うん」

「どうして私がこういうことさせるか、わかるよね?」

「……怒ってるから?」


「それもある。でも一番は悲しかった。あなたの態度に傷ついた。今日すごく楽しみだったし途中までは楽しかったから。私の気持ち、わかる?」

「うん」

「返事だけはいいけど、前科があるじゃない。前回の浮気を考えたら今回は未然に防いだし、軽いけど信頼は失うよね。すぐには信じられないな」


 少しの間のあと、彼は口を開きかけ、躊躇い、閉ざした。

 その隙を彼女は突く。


「私のこと嫌い?」


 彼は俯き、無言で首を振って否定するだけ。即答したら信じてもらえないと考えた。


「そんなに他の人が好みなら別れるのもありだと思うよ。今ならまだ……」

 引き返せる。彼女はその言葉をあえて言外に含めた。


 彼女の視線は彼から外れ、玄関のほうに向けられていた。放置された鞄のなかには指輪が入っている。


「そっちこそ俺のこと信じてないんだろ?」


 昨日までのことを振り返っていたせいで、彼の力強い眼差しにとらえられていることに彼女は気づかなかった。彼の発した声でようやく気づき、視線を目の前に戻す。


「今日急にこんな人形まで用意できるわけないよな。なら、俺がやらかすこと前提で用意してたってことか」

「……」

「俺はお前が、大切な存在が、当たり前にある。女好きの俺を許してくれるお前だから……。その安心感がこうさせたのかも」

「それはおかしっ……」

「じゃあ俺のことどう思ってんの? 信じられないって先に言ったのはそっちだ」


 暫時沈黙。

 彼女は彼に背を向け、玄関へと向かう。自身の鞄を漁り、ゆっくりと丁寧に靴を履いた。

 彼はそれを引き留めない。彼女の返事をまっていた。そうです、と一言認めさせたかった。

 しかし、そうはならない。


「これみてもそう言えるなら真性の屑ってことでいいんじゃない。あなたも私も」

 指輪が入った箱を投げつけた彼女は、外へ飛び出した。


 彼は呆然と立ち尽くす。あまりに一瞬の出来事で、彼女の自嘲すら見逃すほど動揺していた。

 箱を開けたとき、はじめて彼女の一言一言が彼の背中にのし掛かる感覚を覚えた。


 ○


 冷え込む夜は彼女をよりいっそう冷やす。


 冷えるにつれ、彼女の鼓動が高鳴り、それはまるで彼女の記憶―彼とのデートをいつも楽しみにしていた自分や前回の浮気で目を腫らして泣いて仲直りしたこと―が全身を駆け巡るようであった。


 けれどもすべてが馬鹿らしく、自暴自棄になっていた。

 

 彼女は立ち止まり、膝に手をあて呼吸を整える。

 荒ぶる呼吸音だけが聞こえていた。耳の奥がどくどくと響き、顔を歪めた。

 この体も壊れてしまえばいいのにと願う。命も何もいらなかった。


 呼吸が整ってくると、パタパタと近づいてきた足音に気づき、彼女は起き上がって視線を送る。

 街灯に照らされた彼はぜえぜえと息を切らしながら言葉を紡ぐ。


「ぜ、全部、俺が、悪かったよ。反省、するし、もう、しないって約束する。だから……」

「だから?」

「っ……、結婚しよう」

「嫌」

「なんで!?」


「頭に酸素回してみてよ。私が買った指輪でプロポーズして恥ずかしくないの?」

「そう、だな……。恥ずかしいよ。でもここで引き留めなかったらもっと恥ずかしいだろ」

「へぇ、結局自分のプライドのためってわけ」

「違う。君の怒りを受け止めたくて」


「受け止める? 私が信じるとでも?」

「さっきも言ったけど、大切に思ってる気持ちは変わらない。そのせいで甘えてたのも今ならわかる。これ用意してるお前を信じないほうが俺には無理だ。だから結婚することで応えたい」


 と彼は手元の指環に視線を落とす。

 彼女もそこに目を向け、伏せる。暫し考え込んでから、試すように彼を見上げた。


「あの人形、ばらばらにしていい? それから浮気してないかどうかこっちでたまに確認する。やり方は教えないけど、浮気が発覚した瞬間に私はあなたとあの世にいくかもしれないとだけ言っておく」


 淡々と提案する彼女に彼は息をのむ。


「代わりに私はあなたを愛し続けるし、あなたの不満とかちゃんと聴くわ。これが私から提案できること」

「……わかった。全部のむよ」


 彼女は頷くと、彼の持っている指輪を受け取って小さくお辞儀する。


「よろしくお願いします」

「こ、こちらこそ」


 彼女から優しく唇を重ねられる。唇が離れると二人はおもむろに手を繋ぎ、夜道を歩いた。


「あなたの女好きのこと、ご両親に相談しておかないと」

「ええ……」

「嫌なら直して」

「うっ……。もう少し折檻を優しくしてくれない?」

「んー、……縛るとか?」

「……やっぱこのままでいいや」

「そう?」


 彼は小さく溜め息を吐いた。やめさせようとするだけ無駄だと悟った。

 彼女の手が冷たくて、彼は包み込むように握り直す。反応はなかったが、振り払う様子もなかった。


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