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【5】側室?






 央が結城家の国元に到着したのは、気持ちよく晴れ渡った初夏のある日のことだった。


「奥方さまは良い日にいらっしゃいました」


 先導の家来たちが気を利かせてくれたのか、景色の良い場所や近くの町が見渡せる場所を通るたび、籠の外から声をかけられた。央はそのたびに小窓を開けて外を覗いた。


 旅路の退屈を紛らわしがてら、嫁いだ家の領国の景色を眺めて過ごす時間は有意義なものだった。


「この時期のここら一帯は、霧に覆われると少し先でも見渡せないほどになりますから」


「そう。天候に恵まれて良かったわ」


 何より、晴れていれば家来たちも道中の警護がしやすいだろう。

 霧深い中、女たちをたくさん連れた道程で、盗賊やら刺客やらの警戒を怠らずに移動するというのは彼らも神経をすり減らすはずだ。


 領国内に入るなり、隆郷は今回大殿の代わりの当主名代としての役割を負っての帰参でもあったため、たちまち忙しく動かざるを得ないようだった。彼は央に本隊を残して三河に向かわせ、自身は隊列を分けて別動という形を取った。


 隆郷と別行動になってからというのも、家来たちの緊張感はひしひしと伝わってくる。央に領国内で万が一のことがあった場合、責任者が腹を切るくらいでは済まされない大ごとになるだろう。


 そういうこともあって、央はたいていの場合、大人しく籠の中に収まってじっと揺られて守られていた。

 上方から連れてきた女房たちが、やれ足が痛い、やれ籠に揺られて酔ったと不平を漏らすのを彼女はむしろ諫める立場だった。


 だからようやく、それから数日後、隊列の先導が三河の城への到着を継げる声を上げた時には、彼女もほっと胸を撫でおろした。


「方々、ご覧あれ! あれが結城の居城でございます」


 領国の結城家の居城は、上方の壮麗な御殿を見慣れた央の目には、遠目にも地味で簡素な平城のように思えた。


 三河の城には、天守閣もなかった。


 城の外周北半分は鬱蒼とした森に覆われ、南側には堀のすぐ外周から雑多に城下の町並みが密集しているような有り様で、その武骨な田舎城の様相に、彼女は思わず呆気に取られた。


(これが、結城百四十万石の居城……?)


 ただ、城に近づくにつれて堅固に積み上げられた石垣や、城下全体を覆う質実な雰囲気に触れれば、それらはいかにもこの土地の古参城主という貫禄を兼ね備えていた。


 わかりやすい豪華さや華やかな威容はないけれど、質実剛健な雰囲気は、地に足がついてそれはそれで好ましい。


 城内に入り、隆郷の生母である西郷の局やその他の人々と初対面の挨拶を交わした後に、央は隆郷の御殿であるという西の丸へと入った。


 その西の丸では、予想外の存在との出会いがあった。


三河には、隆郷のかねてからの側室である(れん)という名の女と、彼の一人娘、(かず)姫が住んでいたのだった。











「……側室?」


 事前に側室のことも、ましてや娘のことも一切聞いていなかったので、央は当初面食らった。


 とはいえそれは、言っておいてくれればいいのに、という種類の驚きであって、特段不快を示すための聞き返しではなかった。しかし与加那たち結城方の女房たちは皆、ばつが悪そうな顔をして押し黙ってしまう。


「それで。その蓮どのとやらは今どこにいるの?」


「……ひとまずは、本丸の、西郷の局さまのもとに移っております」


 後から聞いたところによると、女房たちは側室とその娘の存在を、しばらくの間は央の目に入らないところに隠して存在ごと知らせずにおくつもりだったらしい。


 彼女たちの誤算はいくつかあって、一つは領国下りの日程が順調すぎて西の丸の片づけが万全には整わなかったということ。もう一つは、彼女たちが思うよりも央の勘が鋭かったことだった。


 実際、西の丸には明らかに、直近まで誰かが住んでいたような生活感があった。障子戸の張り替えは新しい部分と古い部分が混在していたり、廊下や畳のところどころに最近できたような小さな傷や毛羽立ちの痕跡が残っていたり、少なくともそこは、主が長く不在にしていた寒々しい雰囲気の御殿ではなかったのだ。


 隆郷の居所として割り当てられた御殿と聞いていたが、彼が領国を不在にしている間は、家中の誰か別の人なり住んでいたのかと思った。


 けれど、そう思った央がなんの気なしに『誰か別の人がいたの?』と聞いてみたら女房たちが一斉にぎくりという顔をしたので、さすがに女関係だと察した。


(……側室ねえ)


 そりゃあ、側室に一人や二人いるだろう。隆郷も二十半ばの健全な男だ。


 そういえば伏見の屋敷には誰もいなかったな、ということを多少意外にさえ思っている央は、夫の余所見に対しては所詮その程度の認識でいる。


 ましてや隆郷は結城の跡取りなわけで、家の存続のためには彼の実子は極力多いほうが良いには違いない。


「別に構わないわ。蓮どのも姫君も、もともとこの西の丸に住んでいたんでしょう? 本丸よりも住み慣れたこちらに戻してやりなさいな」


 本丸はむしろ、隆郷の弟妹たちや大殿の側室たちも複数住んでいる大所帯だ。その中で、隆郷の側室という立場で仮住まいをもうける暮らしというのもなかなか腰が落ち着かないものだろう。


「し、しかし……、」


 気を遣ってもらえるのはありがたいが、現実的に考えれば同じ三河城内に住むのに、夫の側室であるその人と全く顔を合わせないということも難しいだろう。


 本丸の方々に迷惑をかけたり、色々と手間を取らせる前に央がさっさと許容しておいたほうが、のちのち角が立たないに決まっている。

 

 女房たちがその後も歯切れ悪く、隆郷さまのご意向をお伺いしてから…だの、本日はお方さまもお疲れでしょうから…などと話を逸らされて埒が明かなかったので、央はだんだんと面倒になって少しばかり強い言葉を使った。


「本来なら身を隠すのではなく、向こうから挨拶があるのが筋というものでしょう。ともかく、一度顔を出しに来させてちょうだい」







 そういう状況で、ほとんど央が呼び付けたと言っても良いような流れでの初対面だったものだから、その人はとても緊張した面持ちで現れた。


 彼女は、女性にしては少し大柄な体躯の、背の高い人だった。


「――蓮と申します」


 蓮はその身を縮めるように、下座で小さくなって平伏した。


 蓮はその日、使用人と大差ないような軽装でいた。しかし彼女がただの女房ではなく側室であろうということは、なんとなしの雰囲気で察せられる。


「蓮どの。苦しゅうないわ。近う」


 何度目かの声かけで、ようやくおそるおそる顔を上げた彼女と目が合った。


 朴訥そうな、家臣の娘、といった風情の女ではあった。けれどその容貌には華があり、今は緊張に委縮した顔をしているが、きっと本来は溌溂とした笑顔のの合う人だろうと思われた。


 隆郷はこういうのが好みなのか、というしみじみとした感慨を持って、央はその人を見つめていた。


 彼が国元に隠すように囲っていた側室。

 その人のことを知ることは、央が彼のことを理解するための、少しの手助けになるのかもしれない。


「あら」


 蓮に何かしら挨拶を返そうと口を開きかけた矢先、その蓮の隣にちょこんと座っている小さな女の子とばっちりと目が合ってしまった。


 その子は、ぱっちりとした丸い目を見開いてじーっと央を見上げていた。

 彼女は、隣に座る母の緊張や方々に控える女房たちの蒼白な顔色のことを理解できるほどには、まだ大きくはないようだ。


 その子の興味の矛先は、どうやら央の着物の帯紐に向いているようだった。

 帯紐には、丸いポンポンのついた房飾りの意匠があしらわれていた。こういうの、確かに子供は好きかもしれない。


「これ?」


 伏見城でも似たような飾りをつけた女房が飼い猫にじゃれつかれて困っていたことを思い出しながら、央は帯飾りを持ち上げて問いかけた。


 すると和姫はたちまち、母親の隣をするりと抜けて立ち上がった。


「……っかず!」


「ああっ、姫さま!」

「こらっ」


 母親や女房たちの悲痛な制止も聞かず、和姫は興味のあるものに一直線というように上座の央のもとまで駆け寄った。

 彼女が房飾りに手を伸ばしたところに、央は手早く飾り紐をほどいて手渡してやる。


「あげる」


 そう言うと、和姫はぴょんと肩を跳ねさせた。

 表情の乏しい子供のようだったが、丸い目がきらきらと輝いた。


「いいの??」


 彼女はとても喜んで、その興奮を示すように央の手から飾り紐をひったくるように受け取って小さな手でぎゅっと握り込んだ。


「ええ。遊んでおいで」


 和姫は新しいおもちゃを抱えて廊下を走って行ってしまった。央が許可した手前、女房たちは止めかねたように、腰を浮かしかけた格好でどうしたものかと困り果てて顔を見合わせている。


 ちょうど活発な子猫のような忙しない足音が、水を打ったように静まり返った室内によく響いた。


「――っ、申し訳ありません、礼儀も何も知らぬ子で、」


 子供の無作法に、最も顔色をなくしたのは他でもない蓮だった。


「いいのよ。可愛らしい子ね」


 はしっこくて利発そうな子だ。

 それと同時に、癇が強そうで、確かに世話には手を焼いているのだろう。


「……いえ、本当に。ご挨拶も申し上げられずに、まだとても人前に出せるような子では」


「蓮どの。やっぱりあなたたち母子で、西の丸に戻っていらっしゃいな」


 会ってみて、蓮があまりに央の前に居づらそうなので、無理に同居を勧めるものでもないかと一瞬思い直しかけていた。


 しかしやはり、和姫のことを考えれば彼女たちは西の丸にいるべきだろう。


「和姫にとっては、住み慣れた西の丸から居を移そうとするのは大変なことでしょう。ああいう子に新しい場所で馴染むまで無理をさせるのもかわいそうよ。蓮どの、あなたには多少気詰まりかもしれないけれど」


「とんでもございません、されど、」


「同じ御殿に住んだって毎日顔を合わせる必要があるわけでもなし、ここは私の顔を立てて、嫁いで参ったばかりの身で西郷の局さまにご迷惑をおかけしたくない気持ちを、どうか汲んでくれないかしら」


 央は同意を求めて与加那に視線を向けると、彼女は期待通り、概ね央の言葉に納得したように頷いてくれた。


「お方さまもこうおっしゃって下さっていることですし、ここはありがたくご厚意をお受けするがよろしゅうございましょう」


 与加那にも促され、遠慮よりも渋った態度を取り続けることのほうを気にしたらしい蓮は、おそらく彼女の内心の葛藤よりかは比較的すんなりと承服の意を示した。


「ご温情を賜り、誠にありがたき限りにございます。私のような者がお方さまのお邪魔にならぬよう、よくよく気を配って過ごさせていただきます。……どうか、御殿の片隅においていただければと」


 こちらの温度感とおよそすれ違っていそうな堅い言上を受けながら、央はとりあえず場を安心させるようににこやかに対応しておいた。


「後から来た私が言うことでもないけれど、お互い気楽に暮らしてやっていきましょう」

 

 夫の側室という存在との思わぬ邂逅と、そして彼の一人娘の存在と。

 央の国元での暮らしは彼女たちがいたことで、予想外に賑やかに始まりそうだった。











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