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【18】四辻とかいう女






 蓮は、京に来てあの四辻とかいう小娘が隆郷に侍っていることを知って、もちろん内心穏やかではなかった。


 別に隆郷が京で女を一人も側に置いていないと信じていたわけでもなかったが、わかっていてもやはり嫌なものは嫌だ。


 三河から出るのも初めてで、体もまだ本調子ではなかった蓮は、道中の移動で疲弊しきってしまった。央姫や警護の武士たちにも大いに迷惑をかけてしまい、京屋敷に着くなり臥せってしまって、申し訳なさと情けなさを味わっていた。


 それでも、京に到着した数日後、見舞いに部屋を訪れてくれた隆郷の顔を見た時には、言いたいことが色々とあった。


「あの四辻とかいうお方は、若さまの女房ですか?」


 四辻は先日、伏せっている蓮の部屋に許可もなく上がり込み、まだ少し疲れが残って顔色が悪い蓮を散々不躾な視線で眺めまわした末に、鼻で笑った。「ふうん」「三河の田舎だと、この程度でもいいんだ?」と、聞いたこともないほど失礼なことを言い、絶句している蓮をよそにキャハキャハと笑って走り去った。


 ……なんなの?


 今のは何?


 しばしの困惑の後に、あまりにも幼稚な女に当てこすられたことへの怒りもさすがに湧いてきて、蓮は屋敷の女房の一人に彼女のことを聞いた。


 京屋敷の女たちも四辻のことを扱いかねているらしく、……というか、かなり折り合いが悪いらしく、すぐに色々と話してくれた。


『――ああ。若殿さまの夜伽役の女房ですわ。女房と言っても、お屋敷の仕事は何もやろうとしませんけれど』

『もともと公家の家の出だと本人は自信満々に自称しておりますけれど、実際のところはどうだか。あの振る舞いでは里も知れるというもの』


 女房たちの噂話で、蓮は既に四辻がそういう役目の女であることを知っていたが、あえてとぼけて隆郷に問うた。

 案の定、隆郷は面倒だったのか適当にごまかそうとした。


「この屋敷の女房だ」


「ただの女房ですか?」


「ああ」


 彼は話を有耶無耶にするような仕草で蓮の髪に触れ、小袖に着物を羽織っただけの肩を撫でた。


 ああ、彼が見舞いに来てくれるとわかっていたら、昼間無理してでも髪を洗っておいたのに。蓮は彼の前ではいつも少しでもきれいな自分でいたかった。


 けれどそういう女心とは別に、現実には彼に憎まれ口を叩いた。


「なるほど、承知いたしました。手を付けたおなごでも、子を身ごもるまでは女房扱いをなさると」


「なんだ。わかっているなら聞くなよ」


 彼は悪びれずに少し目を見開いた後、一瞬で開き直った。なんてことだ。

 隆郷は実際のところ、蓮の前でもいつもわりかし明け透けだった。


「まあ。まあまあ、どういうことでしょう。私たちが三河で、若さまのご無事をお祈りしている間に? こちらで楽しく過ごしていらして。さぞやご立派な心映えのお方なんでしょうね? いったい、若さまが、ご自分の御子を産ませてやっても良いかと思えるような女は」


 さすがに付き合いが長いぶんだけ、彼もまた蓮の生来の性情を理解している。蓮もそういう彼の前では、普段は隠している底意地の悪い嫉妬深さを、今更隠したところでさして意味はないと知っていた。


 その証拠に、隆郷はこちらの気も知らずに恨み節を聞いてもヘラヘラとした。


「いやあ。おまえにそういう反応をされると逆に安心する。央姫は全く四辻にも頓着しないし、思った通りに怒られたほうが却って落ち着くものだな」


「は?? 私は別に若さまを安心させるために怒っているのではありません」


「わかったわかった。悪かった。だが、別におまえを蔑ろにするわけじゃない」


 彼は上機嫌にしたまま、蓮の肩を抱いて頬に手を触れさせた。

 そのまま唇が触れ合って、ごまかすための接吻がなんだか気に入らないような気がしたのも一瞬で、蓮は懐かしい彼の唇に黙らされて、だんだんと静かになってしまった。


「……わかっています。けれど、私のことを忘れたわけでも、飽きたわけでもないのだと。それくらいは、お約束してくださいな」


 漏れ出た言葉は、駆け引きのふりをした単なる本音だったが、隆郷はそれを聞いて呆れたような顔で笑った。


「当たり前だ。今更何を言っているんだか」


 けれどその夜、隆郷が蓮に触れたのは、その口づけの時だけだった。


「蓮。おまえは、もう少し体をゆっくりと休めるべきだ」


「…………若さま、」


「流れた子のことは、かわいそうなことをした。その子にも、おまえにも」


 その話をすると、蓮はまだ泣いてしまう。

 けれど、本来であれば自分から言うべきことだった。蓮は己の分別のなさを反省して、床の上で足を正して、謝罪の言葉を口にした。


「御子のことは、申し訳ありませんでした。せっかく身ごもったというのに。……私が、いたらず、」


「いい」


 手をつこうとしたら、その前に隆郷に両肩を掴まれていなされた。


「生まれられなかった子は、そういう運命だったというだけだ。おまえのせいではない。誰もおまえを責めないし、今は体を大事にして、早く元気になれ」


 彼は蓮を抱き寄せてそう言って慰める。その触れ合いは性愛を伴うものではなくて、単に親愛の情を示す優しい仕草だった。


「……お医者さまが言ったのですか? しばらく、体を休めよと」


「医者と産婆がそう言っていたと、央姫が」


 蓮は驚いて目を丸くした。央姫が?


「自分もそう思うと。おまえの体が本調子でないうちに無理に出産を繰り返させるようなことをして、今度はおまえ自身の身に何かあっては、家中の誰もが悲しむ」


 それは、彼女の真意をよく理解したものが聞くのでなければ、単なる差し出口だと受け取られかねないような危うい言上だった。夫に対して、側室への訪いを控えよと主張しているに他ならないのだから。


「わかってくれるだろう? 蓮。……おまえはそれで構わないと思うのかもしれないが、もしおまえの命と引き換えに子に恵まれたとしても、俺は嬉しくもなんともない」


 もちろん隆郷は、彼女の誠実な人柄を見誤るような人ではないから、央姫の言葉を真摯に受け止めたのだろう。そしてその優しさを受け取った。


「若さまも央姫さまも、優しすぎます」


 側室の役目とはそもそもそういうものだ。男は戦で命を落とす危険があるように、女は出産で命を落とす可能性があるというだけ。だから側室一人にそこまで気を遣う必要などないというのに。


「おまえは俺が知らないところでなんだか随分、央姫と深い仲になったようだな」


 隆郷はいつもの風情で笑ってそうからかった。


 蓮と彼は、立場こそ大きく隔たってしまったとはいえ、まだ互いに大人になり切る前の、幼い頃から互いを知っている幼馴染のようなものだ。

 彼とて、きっと蓮のことを失い難いと思ってくれているのは事実だろう。


 ただ、彼が行動を改めようとまでする理由は、やはり央姫が彼にそう進言したから、央姫に配慮して、という部分が大きいのだろうと思った。


「蓮。おまえは何も心配しないでいい。和姫は健やかに育っている。姫一人では不服だろうが、おまえ以外が先に男を産んだとしても、それで何が変わるわけでもない」


「わかりました。わかりました。しばらくの間は聞き分けよくして、大人しくしておりますわ。……そうしていなければ、央さまが困るだろうと思うからです」


 隆郷がそこまで気を遣って、尊重しようとする相手。央姫に対して丸きり嫉妬がないと言えば、それは嘘になってしまうけれど、蓮はそれでも、彼女がいない頃は家の中がどんなふうだったのかをもう思い出せなかった。


 時を跨ぐ特別な絆などなくとも、隆郷と央姫は、互いに互いの信頼を少しずつ勝ち得て行っている。そしてそれは正しい。

 隆郷に愛されていつか孤独ではなくなる央姫も、彼女という対等な伴侶を得た隆郷も。央姫はきっと、いつの日か彼の隣で、蓮は見ることができない彼と同じ景色を見るのだろう。


「けれど、元気になったら、必ず私に男の子を産ませてくださいな」


 別に今のままでも、央姫はずっと蓮にも優しいままだろうと思う。


 ただ、それでは蓮がつらいというだけだ。家に大した利も返せず、ただ厚意に甘えて容赦されているような立場で、このままずっと過ごしていくのは。


「はは、その威勢でいてくれ」


 愛する人の腕の中で、結局のところ甘やかされて、蓮は側室としては最も幸せな部類にいるのかもしれないと思った。

 そして少しだけ、あの四辻という少女のことを思った。


 蓮のことも事もなく側室として認めた央姫は、この先あの少女のことをどう扱うのだろう。


 少なくとも、きっと無下には扱わないのだろうなあという思いは、ほんの少しのもどかしさと、彼女という人への信頼がないまぜになっていた。






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