【11】馬鹿な訴え
騒ぎを聞きつけた隆郷は、いったい何ごとだと女たちの揉めごとの間に割って入った。
「おまえたちは。……たしか国長のところの」
その場にいた女たちは、確か隆郷のすぐ下の弟に仕える女房たちだった。
女たちは隆郷や隆郷が連れていた近侍の姿を見てさすがに少しばかり怯んだ顔をした。その勢いが止んだ隙をついて、大泣きしていた和姫が暴れて女房の一人の腕を振り払い、うずくまったままの央姫の元に駆け寄った。
「ああっ!」
「なりません! ちい姫さま、」
今ひとつ状況が掴み切れないが、隆郷はひとまず二人に近づき、泣きながら央姫に縋る和姫の背中をとんとんと叩いて宥めた。
「央姫」
しかし隆郷が声をかけても、央姫はぼんやりとして視線すらあげなかった。
女たちはその間もやかましく、聞くに堪えない弁明とも糾弾ともつかないことをまくし立てていたが、隆郷はその言葉の中で、女たちが央姫のことを「その女」と言ったことだけを拾った。
仮にも一門の嫡男の正室に対して、その女呼ばわり。ろくに話に耳を傾けるような必要もないだろう。
「黙れ」
一喝し、周囲を黙らせ、隆郷は努めて声音を和らげながら彼女にもう一度呼びかけた。
「央姫」
彼女はようやく少しだけ我に返ったようにはっとしたが、それは隆郷の声にというより、自分にしがみ付く和姫に反応したようだった。
「かず、……早く、手当てを。だんなさま、かずを、」
「ああ」
和姫を抱き取って、隆郷はそのまま横にいた近侍に姫を預けた。
「すぐ西の丸に戻って手当てを」
隆郷は、とにかくこの場を引き上げることにした。女たちには追って沙汰すると言い置き、隆郷はうずくまったままの央姫の肩を引き寄せて立ち上がらせると、その体をひょいと抱き上げた。
「え、」
央姫は驚いたように声を漏らして大きく身じろいだが、多少暴れられたところで危なげなく抱きとめておけるほど彼女は小柄で軽かった。
央姫に何か言わせる前に、隆郷は足早に庭を伝って西の丸へと戻った。
御殿に残っていた女房たちに和姫の手当てを言いつけ、後のことは近侍任せにして、彼はそのまま央姫の居室へと彼女を運んだ。
しんとした室内はどこか寒々しく、いつになく人の少ない御殿の静けさを際立たせた。
央姫はしばらく、隆郷に抱き下ろされてその場に座り込んだままだった。
どうしたものかと思う。
けれど、今彼女を一人きりにすることは良くないような気がした。
普段からおっとりしてはいる人だが、彼女の様子は明らかにおかしかった。彼女は折り目正しい人だ。隆郷が近くにいて、しかしそのことを気にできないくらいには、常ならぬ動揺の中に気持ちが閉じ込められてしまっている。
あまり声をかけてもと思い、隆郷はしばらく黙ったまま室内で同じ時間を過ごしていたが、ふと彼女の手が汚れていることに気がついた。
手を取り、細い手首を返して確認する。手のひらを擦りむいていて、その傷口が土で汚れて乾いてしまっているようだった。
「あなたも怪我をしているではないか」
「あ、怪我というほどの、ことでは」
「馬鹿を言え、和姫にはすぐに手当てをと言っておきながら」
隆郷は一度立ち上がり、部屋の外で二人の様子を気遣わしげにして控えていた使用人に湯桶と薬を用意するよう命じた。
「あの女房たちにやられたのか?」
「……いえ、違います。私が、自分で転んで」
一度口が動き出せば、彼女は言葉少なながら何があったのかを説明しようという努力を思い出したようだった。
「和を追いかけていて。けれどあの子が、生け垣の向こうに言ってしまいそうになって。それで慌てて、けれど転んでしまって。あの子のことも、転ばせてしまって」
湯桶を運び込んだ女房を下がらせて、隆郷は手ずから彼女の手を取って傷を洗い、清潔な布で拭き取った。
「自分で、」
「いいから」
手を引っ込めようとする彼女をやんわり制止して手当てを施す中で、央姫はずっと俯いていた。
「申し訳ありません」
「何を謝る」
「和にもし、顔に傷でも残ったらと思うと」
「気にしないでいい。和姫があちこち怪我してかさぶたになっているのはいつものことだ。それに、あなたのせいではない」
和姫の怪我が彼女のせいだとは、隆郷は全く思えなかった。
隆郷とてあの子のことは可愛いが、あれが結城の嫡流の姫さまらしい風情を身につける日はまだまだ想像すら及ばない。
おおかた、和姫の無茶に彼女が付き合ってくれていて、それで運悪く今日のようなことになったのだろうと彼はおよそ正確なところを察していた。
「けれど和のこと、……私でなければ、あんなふうにしなくても止められたでしょうに」
央姫の声が頼りなく震えた。
「わた、私が、こんなふうでなければ」
「あの女房たちが何かあなたに言っただろうが、何も気にしなくていい。すまなかった。あれは俺とも折り合いの悪い弟の使用人たちで、ただでさえ隔意があるからあのような態度だったんだろう。だがあんなに質が悪いとは思わなかった。あんな者たちを行き合わせてしまったのは、落ち度だった」
央姫は手当てが終わると自らの手を引っ込めてしまって、それきり貝のように頑なだった。
どのくらいそうしていたかわからない。部屋の外から、バタバタと忙しなく走ってきた女房が、遠慮がちに室内に声をかけた。
「なんだ」
「……申し訳ございません。若さま」
声の主は与加那だった。時刻は既に日も暮れかけていて、蓮たち一行も城下から帰ってきているようだ。
与加那の用件はまさにその蓮についてのことだった。
「蓮さまが、その。……怒り狂って、手が付けられず」
央姫の居室は御殿の奥まったところにあって喧騒は届かなかったが、蓮たちが戻ってくるなり御殿は大変な騒ぎになっているらしい。
「もちろん、国長さまの女房たちに対してのことです。もう大変で、蓮さまが、今すぐにでも本丸の西郷の局さまのお部屋に乗り込んで、不届き者を訴えると言って、本当に直談判しかねない勢いで。……それでその、もしよろしければ、央姫さまに表にお越しいただければと、思ったのですが」
あの女房たちの言い条はすぐさま蓮たちの耳にも入ったらしい。
――央姫が、意図的に和姫に怪我をさせただの。央姫を和姫に近づけるのは、子を亡くした女の恨みで何をされるかわからないからやめたほうが良いだのと。それはお家のためという忠心を擬した、単なる央姫に対する嘲笑だった。
しかし今の状態の央姫を、たとえ彼女に対する理不尽な誹謗に怒る蓮を宥めるためだとしても、連れて行くのはあまりに酷なことだと思った。
「央姫は疲れている。俺が行く」
隆郷は央姫の世話を与加那に言い置いて、御殿の騒がしいほうへと向かった。
そこからまたひと悶着あった。
蓮は、別に芝居がかった表現というわけではなく、それなりに長い付き合いの隆郷でもあまり見たことがないほど本当に顔を真っ赤にして怒り散らしていた。
しかし実際に央姫のあの様子を目にしてしまえば、あながち蓮の怒りが行きすぎとも思えず、ひとまず身重の彼女を座らせて休ませ、隆郷はどっと疲れる思いで蓮を宥めた。
しかしそうした努力もむなしく、弟国長の女房たちが先手必勝とばかりに本丸の母を巻き込み、わざわざ事態を大ごとに仕立て上げてきた。
本丸の母から隆郷に宛てて届いたお達しによると、「国長のところから央姫が和姫を害そうとしていたという馬鹿な訴えが上がってきているが、埒が明かないので仔細を把握していれば事情を説明に来るように」というものだった。
仕方なく本丸に出向いたり、騒ぎを収めて処断するためにあれこれと手を回しているうちに夜になってしまった。
隆郷は、もう彼女が眠っていたら起こさずに帰るつもりで、夜半にもう一度央姫のもとを訪ねた。




