第十一章 騎士の守る王国 (階級)
素通りで国境管理室を抜けると、馬車は山脈を横断するトンネルの中に侵入する。前を走る馬車と一定の距離を保ちながらである。もちろん前を走るのは、灯り師の少女を乗せて走る謎の馬車。急いでいる様子もなく、何事もないかのように平然と進んでいく。貴族同士が相手の馬車を追いかけることなんて通常はないことだけに、前の馬車もまだ私たちが乗る馬車の存在に気付いているとしても、不審には思っていないのだろう。
均等に壁に掛けられた松明の炎が薄暗いトンネルの中を照らす。道幅は馬車2台が横に並んで走るのに余裕があるほど、ときおりアルセントから国外に向かう馬車とすれ違うこともある。
「エスター卿、あの馬車が誰の持ち物かわかりますか?」
名のある貴族であれば馬車に家紋やエンブレムを施しているのが当たり前であり、前を走る馬車にも家紋が刺繍された旗が前後に掲げられていた。
「あれは……ブルガタス家の家紋が入っているな」
「ブルガタス家、ご存じですか?」
「知っている……が、知らないともいえる」
はっきりとした言葉遣いを好むエスター卿にしては歯切れの悪い言い方である。
「何を言ってるのさエスター卿。なぞなぞ? とんち?」
「黙っておきましょう。ノーベルさん」
「……え、は、はい」
空気を読まないノーベルの発言を、さっとリンが静止すると、黙って席に座らせる。まるで学校の先生と生徒のようにも見えた。
「ゴホン。ブルガタス家とは御三家といわれるエンテリカ家の親戚筋にあたる中流貴族だ」
「……エンテリカ家」
確か教会とのパイプ役としての中核を担い御三家に上りつめたという、新興貴族であった。
「それは表の顔。ただ一説にはダミー貴族ともいわれている」
「ダミー貴族?」
懲りた様子もなくノーベルはまた興味津々といった様子で言う。
「つまり、自らの名前が明るみにでては困るようなことをするときに、活用される家柄ということですね」
「ふ、さすがにグランヴィッツ卿は察しがいいな。その通りだ」
灯り師の少女を攫った貴族がダミー貴族といわれるブルガタス家であるなら、なおさら堂々と少女誘拐という悪事に手を染めていてもおかしくはなかった。
「一ついいですかエスター卿」
「なんだ?」
「追いかけている中……今更になりますが。大丈夫ですか? このまま追いかけていても?」
あちらの馬車に家紋が入っているように、こちらの馬車にもエスター卿の家紋がはっきりと入っている。追跡していることがバレてしまうイコール、こちらの素性もバレてしまうということ。つまりはエスター家とブルガタス家とのもめごとになる可能性もある。さらには両家それぞれの親戚筋にあるフラジリス家とエンテリカ家がもめてしまう。御三家同士の争いごとの火種になる可能性もある。
「かまわない。私個人としてもエスター家としても騎士に連なる家に生まれた者として、灯り師であろうとなかろうと、少女を誘拐するような貴族を放っておくことはできない。それにもしフラジリス家とエンテリカ家の争いになったとしても、新興貴族であるエンテリカ家に負けるほど、やわなフラジリス家ではない。特に今の当主であるソフィア様は歴代でも1、2を争うほどの聡明さと強さを持った方だ。心配することすらおこがましいことだ。もちろん一番は素性がバレないにこしたことはないが」
「そうですか。それを聞いて安心しました。では心起きなく追跡を続けましょう」
前を走る馬車の先には豆粒のような小さな光の玉が見える。光の玉は次第に大きくなってくる。それはトンネルの出口である。トンネルを抜けるとアルセントの街が出迎えてくれる。すべての土地も建物も王の管理する国。民は貸し与えられている土地に家を建て住む。迂闊に家を改修しようものなら、罰せられることもある。ただ、厳しく統率がとられているからこその統一性の高い街並みの美しさもある。
「どうやら自らの館に帰るようではないな」
エスター卿は窓から前を走る馬車の行く先を見定めながら言う。
「わかるの?」
不思議そうにノーベルは尋ねる。こういうときに疑問に思ったことを素直に聞き返せるのはノーベルの才能かもしれない。
「あぁ。アルセントの貴族街は下流、中流、上流、王宮周辺とわかりやすく分かれている。いま走っている大通りは街の分岐点でもある、前の馬車は先ほどの曲がり角を右手に降りている。ブルガタス家は中流階級の貴族だが、この道は中流階級の住まうエリアに向かう道からは逸れてしまっている」
「じゃあどこへ?」
「おそらく下流貴族の館が立ち並ぶ貴族街か、その先にある一般市民の住むエリアだろう、市民街と呼ばれるエリアの奥にはスラムのような場所もある。そういった場所には貧困で暮らすだけではなく、悪事を働きやすいからこそ訪れる者も少なくはないとか。隠れ家を作るにしても好条件というのだろう。騎士団の監視も奥地にまでは行き届いてないと聞く」
どこの街にもスラム街のような場所は存在してしまう。規律で縛るアルセントでもそれは同じことのようだ。
「彼らもその類であると?」
「かぎりなく黒に近いグレーといったところだろう。だからこそ細心の注意を払う必要がある。黒だとすれば誘拐や犯罪行為も手慣れたもののはず。もう少ししたら馬車を止め降りよう」
「えー。どうして?」
分かりやすいほど嫌そうにノーベルは言う。間違いなく歩くのが嫌なのだろう。
「尾行しているのがバレてしまうからですね」
「あぁジーニアスのいう通り、ここまでなら我が家の馬車が後ろを走っていても、自然ではあったが。さすがに下級貴族街にさしかかってきては、不自然に思われるだろう。追跡するにしても疑われるようなことは控えたほうがいい」
「理由はわかるけどさ。えーじゃあ歩いて追いかけるの? 無理、絶対無理だよ。走るなんて。それに馬車に追いつけないよ」
先程よりも力強く言う。ただ、ノーベルの言うことにも一理ある。市街を走る馬車とはいえ、人が歩くスピードよりも数倍の速さはある。後ろから走って追いかけることは難しく、追いかけている姿も、実に目立って怪しい。
「わかっている。だから私の”影”達に追跡させよう。ギルベルト」
「はい。ご命令を」
窓越しに従者の男性が答える。物腰からしてもただの御者ではないと思っていたが、エスター卿の”影”であったようだ。
「周辺にいる”影”に伝令を出せ。前を走る馬車を追跡するように」
「かしこまりました」
頭を下げ頷くと、手綱を引き馬車のスピードを緩める。そのままギルベルトと呼ばれた男性は、腕をまっすぐ掲げると指を不規則に動かす。これで仲間に知らせているのだろう。原始的な方法だが確実な方法でもある。隣に座るリンも興味津々といった様子で覗いている。
「よし、では我々はここから歩いて行こうか」
エスター卿が立ち上がり、馬車を降りていく。ここから灯り師の少女を追う、追跡劇の二幕が始まるのだ。




