第二章 旅の始まりと少年の初恋 (友情)
待ちに待った夜がやってくる。
ヨンの先導で家を出ると、僕らはドンチ達の隠れ家目指す。メンバーはヨンとルインさん、そして僕の3人。マリアさんも来たがっていたけど、家に残るステラさんとアンが襲われる可能性もあったので、今回はお留守番である。
「あそこが隠れ家か?」
茂みの中でルインさんはヨンに尋ねる。
「うん、まちがいないよ」
「よし、じゃ行こうか。先頭は俺がいくから、二人はそのあとに、いいな?」
「はい」
「おう」
返事を確認すると、ルインさんは慎重に隠れ家に向かって進みだした。
----------------------------ドンチの隠れ家-------------------------------------
日の当たらない斜面の中ほどに大小無数の丸い空洞があった。ここはドンチ達の隠れ家である洞窟の入り口。日が当たらないせいで作物もまともに育たないこの周辺には、普段は誰もやってはこない。それをいいことに自然にできた洞窟はならず者達の隠れ家となっていた。
馬の蹄の跡が一か所に集中した先、杭が立てられただけのボロボロな馬小屋といえなくもない場所に数十頭の馬が結び付けられている。
馬小屋の先には小さな洞口の入り口がある、中からは男達の声が外まで聞こえてきていた。
「ヒヒヒ、これで向こうはいうことを聞かないわけにはいかないな」
赤黒く汚れた顎に、ビッシリと生えわたる無精髭を上機嫌に撫でながらドンチは酒を食らう。その横には酒瓶をもって、お猪口に注ぐボンチの姿もあった。
「よ、さすがはドン兄貴。悪者の鏡、人でなし、親不孝もの、でべそ、足が臭い、指の形がへん」
「フハハ、褒めるな褒めるな……って、おい、お前悪口言ってないか」
「き、気のせいですよ。兄貴」
「そうか? まぁいい酒だ酒。じゃんじゃんもってこい」
「がってんだ」
洞窟の奥から次から次へと運び込まれる酒の詰まった大瓶は、みるみるうちに空になっていく。
「そういえばドン兄貴」
「あー? どうした?」
「連れてきた二人はどうしやすか?」
奥の部屋の牢屋の中には、気を失ったままのエイダとイルの姿があった。
「うぃー……そうだな。とりあえず今はまだ牢にぶち込んどけ」
「がってんです。それにしてもあの女の方は惜しいですね。ゲヘ」
「あー? なんだお前ああいうのは好きなのか?」
「ちょっと若い気もしますが、珍しい髪の色と目は俺好みですし、血管が見えるくらいの白い柔肌もいいっス」
思い出すかのように、ボンチは泡立つよだれを垂らしながら舌なめずりをする。
「ヒヒヒ、お前も好きだな。あいかわらず気持ち悪い趣味しやがって」
「ドン兄貴だって同じじゃないっスか」
「分ったわかった。ことがすんだら、好きにさせてやるよ」
「さすが、ドン兄貴」
「「ハハハハ」」
酒の匂いを充満させながら、二人の高笑いは洞窟中に響きわたっていく。
「ド、ド、ドン兄貴―」
水を差すように子分の一人が血相をかえて走りこんでくる。
「た、たいへんでやす」
「慌ててどうした?」
「ボン兄貴もいたんすね。た、たいへんなんす」
「だからどうした? 落ち着け」
ボンチから酒の入ったお猪口を受け取ると、子分は一気に流し込む。
続けてもう一杯飲み干すと、やっと落ち着きを取り戻す。
「なにを慌ててやがる?」
「お客さんです」
ドンチの問いかけに、子分は応える。
「あぁ誰だ? こんなときに」
「あの……いつもの方です」
少し言いづらそうに子分は言う。
「なに? バカ、それを早く言え。さっさと通せ。俺もすぐに行く。丁重にな」
「へ、へい」
子分は急いで駆けていくと、すぐさまドンチは汚い上着を脱いで、洞窟の壁に掛けていた唯一の一張羅ともいえるオオカミの毛皮で作られたちゃんちゃんこ(羽織)に着替える。
「どうだボンチ? 匂いは?」
ボンチは鼻を近づけると、犬のようにクンクンと匂いを嗅いでいく。
「へい。いつもよりはマシです」
「マシか……まぁいい、水浴びしてる暇はない」
酔い覚ましの水をグッと飲み干す。顔の赤みが簡単には引いてはくれるわけもない。
酒部屋から一つ目の分岐点を右手に進むと、少し広い空間が顔を出す。来客はすでに部屋の中で待っていた。
「すいやせんね。待たせちまって」
子分達の前とは打って変わって、弱弱しく頭を下げる。不格好な頭の下げ方を見れば、慣れていないのが丸わかりである。
待ち構えていたのは全身黒のローブとフードで体を隠した人物。フードから見える顔ですら、ピエロのような真白な仮面を被り、男か女かすらも分からない状態だった。
「順調そうだな」
仮面のせいなのか曇った声色が聞こえる。声からも男か女なのか判断が難しい。
「はい、それはもちろんです。ほとんどの住民が立ち退いて」
ヘコへコする姿には、大兄貴と呼ばれていた男の面影はなかった。
「本当か? 一つ問題があるとか」
「よくご存じで、それは……心配ないです。はい、明日中にはカタがつくかと……はい」
痛い所を突かれたのか一段と小さくなる。
「何か秘策でも?」
「ちょっと女子供をかっぱらってきたので、コイツらを上手くつかいます。はい」
「あいかわらず卑怯な手を使う」
「一人はなかなか立ち退きに従わないヨンってやつの弟ですが、もう一人は旅をしているやつらの女なんですが、これがまた田舎にはいないような美形で」
「旅の女……どんなやつだ?」
初めて仮面の人物の声に生気が漂う。まるで何かに動揺したかのように。
「知り合いですか?」
違いに気づいたのか、ドンチも尋ねる。
「余計な事を詮索するな。質問にだけ答えろ」
「は、へい。それが、めっぽうキレイで、なおかつ髪が銀のようにきれいな女でして、ボンチともいまから楽しみだなって……いえ、これはなんでも……失敬しました」
思わず誤魔化すように口を手で隠す。
「銀……白銀?」
仮面の人物は、呟いたまま一瞬考え込む。
「はい……どうされました?」
「いや、その女子供は今どこいる?」
「牢屋に入れてますが。はい」
「そうか……」
「何か?」
「なんでもない気にするな。お前はあの方の言うとおりに引き続き動けばいいのだから」
「それは分かっています。ですから……」
途中までドンチは口を開きかけて、口ごもる。
「どうした?」
「ぜひ、あの方にも、よろしくお伝えください」
「分かっている。そのためにも任務を全うすることだな」
そう言い放つと、仮面の人物は部屋から出ていった。
「どうでしたドン兄貴」
子分達の待っている部屋にドンチは戻ってくる。
その顔には、さっきまでの上機嫌な様子は微塵もなかった。
「ふん、いけすかないやつだ。偉そうにしやがって」
「それならやっちまいますか、あの野郎も。今なら一人ですし」
すぐさまボンチは壁に掛けられたサーベルに手を掛ける。
他の子分達もいつのまにか臨戦態勢をとっている、それぞれ手には斧や槍が握られている。
「バカ、聞かれてるかもしれないだろ」
慌ててボンチの口を塞ぐ。
「うううう……ううううー……」
苦しさからボンチはもがき苦しみ、ドンチの腕を必死に叩く。
辺りを確認した後、ドンチは手を離した。
「はぁはぁはぁー……し、死ぬかと思いやしたよ。兄貴」
ボンチはおいしそうに大きく息を吸う。
「こっちが死にそうだバカ。口には気をつけろ。どこで聞かれてるかわからんぞ」
「……スイヤセン。でも相手は一人ですよ」
「だからお前はバカなんだよ」
そう言ってボンチの頭をはたく。
「あんな奴が怖いんじゃない。バックにいる俺たちの取引相手を忘れるな」
「それは、きょうか……うううううう」
ボンチは再び強引に口を押えられる。
「だからお前はバカか。気安く口にするな。消されるぞ」
「はぁはぁはぁ……スイヤセン」
「とにかくだ。今回の立ち退きが上手くいけば、俺たちも山奥の洞窟暮らしともおさらばだ。ぜったいにしくじりはゆるさん。人質もしっかり見張っとけ」
「へい」
転がっている酒瓶を持ち上げて直に口を付けると、ドンチは奥の部屋へとズカズカ入っていった。残されたボンチは牢屋のある反対側の部屋と向かっていく。もちろん人質の元へだ。
「見張りもひまだなー」
牢屋の見張りをしている下っ端子分は退屈そうに呟く。
自然と口元には大きなあくびがこぼれている。
「まぁもうしばらくの辛抱だ」
下っ端子分のぼやきに、背後から現れたボンチは労いの言葉をかける。
「お疲れさんっス。ボン兄貴。いつのまに?」
「ドン兄貴がご立腹でよ。女子供をしっかり見張っておけってさ」
「なるほど、それで。人質は変わらずっス」
牢屋の中には、意識を取り戻したエイダとイルが隅の方に寄り添って座っていた。
「よ、ガキんちょ。生きてるか?」
「ガキって言うな。早く出せー、あほー」
牢屋の中から鉄格子越しにイルは叫ぶ。
「あいかわらず口の悪いガキだ。かわいげもねぇ」
「悪い奴に言われたくないよーだ。べー」
と言って、イルはおちょくるように舌を出す。
「なんだと」
「まぁ待て」
詰め寄るように立ち上がる子分を、引き留める。
「ガキのたわごとだ。気にするな」
怒る子分をボンチは宥める。
「だせよー。ハゲ」
「ハゲ?」
ボンチの目の上にできた皺がピクっと、まな板の上に乗せられた魚のように跳ねる。
「チ、今ハゲっていったのか。ガキ」
「言ったよ。ハゲー」
「一番言っちゃいけないことを言いやがる。優しくすればつけあがりやがって。おい、鍵を貸せ」
ボンチは顔を真っ赤にして立ち上がる。確かに最近のボンチの頭の頭頂部は一目で分かるほどに髪が薄くなっていた。そして頭が剥げていることは、ボンチにとって一番触れてほしくないところであった。
「ですが……ボン兄貴」
「いいから。少しお灸をすえてやるだけだ」
「へ、でも……」
鍵を手に子分は渋る。目の前のボンチの命令も大事だが、ドンチからも開けるなと命令されているからだ。
「いいから、貸せ」
「へい……」
下っ端から奪うように鍵を取り上げると「すこし大人の怖さを教えてやる」そう言ってボンチは口元に笑みをこぼしながら牢の鍵を開け始めた。
ガチャ。牢の錠が音を立てて開く。
「クソガキ、さっきはよくもなめた口聞いてくれたな」
イルの腕をつかむと、強引に引き寄せる。
「イタ、やめろ。離せよ」
逃げるようにもがいても、イルの力ではかなわない。
顔を真っ赤にしたボンチはイルの腕を無理やり引っ張っていく。
「やめて……この子を虐めないで」
とっさにエイダはイルを庇うように抱きしめる。
「あぁ? じゃあ、お前が代わりに遊んでくれるのか?」
ボンチの視線は足元から腰、胸、顔とエイダの体をなめるように見さだめる。
白い柔肌を前に、ボンチの舌なめずりが一段と大きくなる。
「ボン兄貴、まずいですよ女に手を出すのは」
「知るか。ドン兄貴も後で好きにしろって言ってたんだ、後が今になるだけだろう。ヒヒ」
「そうですけど……お、おいら知りませんよ」
下っ端子分は関係ないとばかりに逃げていく。
「お嬢ちゃん、楽しませてくれよ」
じりじりと壁際にエイダを追い詰めていく。
ボンチの目は常軌を逸したように、顔と同じように充血している。
「やめろー。エイダ姉ちゃんに触るな」
勢いよくイルはボンチの背中に飛びつく。
「あぁうるさい、じゃまだガキ」
体を回して遠心力でイルを振りほどくと、そのまま牢屋の壁に投げ捨てる。鈍い音がして壁に激突したイルはボロ雑巾のように崩れると、そのまま動かなくなった。
「ありゃりゃ、やり過ぎたか? まぁいい死んだら死んだだ。さて」
充血した目が再び獲物を捉える。
「……いや……」
逃げるようにエイダは下がるが、背中にひんやりとした壁の感触が伝わる。
「鬼ごっこは終わりだ嬢ちゃん。諦めて素直になりな。お前も楽しませてやるからな。ヒヒヒ」
毛むくじゃらなボンチの太い手がエイダの白銀の髪を掴んだ瞬間
「ボン兄―……たいへ……いへんだ……」
逃げたはずの下っ端子分が、息を切らせながら戻ってくる。
「ど、どうした?」
ボンチが振り返ると、そこには顔面蒼白で千鳥足で動く下っ端子分の姿があった。
誰が見てもわかるくらいあきらかに様子がおかしい。駆け付けようとすると、子分は頭から倒れこむ。うつ伏せの背中にはナイフが深々と刺さり、傷口からにじみ出た血が服の上を徐々に染めていく。
「おい、大丈夫か?」
「あ、あに……き……にげ……て」
絞り出すように言うと、子分の頭は力なく崩れ落ちた。
「チキショー。誰がこんなことを……」
冷たくなり始めた子分の体を地面に横たわらせた瞬間、ボンチを頬を一陣の風が吹き抜けた。
「誰だ?」
顔を上げると、目の前には全身黒尽くめのローブにフード姿で、顔を仮面で隠した人物が立っていた。
手には子分の背中に刺さったままのナイフと同じ装飾がされたナイフが握られている。
「まさかお前が……裏切るのか?」
「裏切る?」
「お前は……ドン兄貴の仲間だろ。それに今回の仕事だって」
「仲間? お前らのような下種と一緒にするな。私は主の命令でお前達と会っていただけだ」
「な……ふざけんな」
「立ち退きにおいては、お前たちはよくやってくれた。しかしお前は犯してはいけないことをしてしまった」
「何わかんねぇーこと言ってんだ」
「お前は今、エイダ様に手を出そうとしている」
「エイ……ダ……様? この女か? この女がなんだ? お前らはこの女を知ってるのか?」
仮面の人物を捉えていたボンチの視線がエイダに向けられる。
いつのまにかエイダは倒れこむイルの傍に駆け寄っていた。
「お前が知る必要もないことだ、そして知る権利もない。ただ死ね」
「なめるなよ」
腰にさした短剣を抜き取ると一直線に仮面の人物に向かって振り落とすも、感触もなく空を切る。気が付けば仮面の人物のナイフは、一瞬のうちに首筋に添えられていた。一歩でも動けば待っているのは死である。
「な……」
体全体を恐怖と震えが支配し始め、口の中を急激な渇きが襲う。
「兄貴に言われなかったか? 我々に歯向かうなと?」
「な、なぁ……た、たすけてくれよ」
自然と目からは涙が溢れこぼれだす。
「……あ……にき……」
唇だけが酸素を欲した魚のようにパクパクと小刻みに震えていた。
「残念ながら手遅れだ」
ナイフが一瞬、壁に掛けられた燭台の光を反射すると、頸動脈から噴き出した大量の血液が、シャワーのように壁を赤く染め上げる。
「安心しろ。すぐに兄貴も一緒だ」
そう言って仮面の人物は、子分の背中に刺さったナイフを抜き取った。
「ご無事ですか? エイダ様」
ローブの中にナイフをしまうと仮面の人物はエイダの側に駆け寄る。
気のせいか、男達と話す言葉よりも幾分も柔らかく、女性の声のように聞こえる。
「……あなたは?」
エイダの蒼い眼が見透かすように仮面の奥の顔をじっと捉える。
「理由あって名は教えられませんが、エイダ様の身を案じるものです」
「私……の?」
「はい」
エイダの問いかけに頷くと、そっとエイダの乱れた髪を手で優しくなおす。
「私よりも……イルは……」
仮面の人物は動かないまま横たわるイルの体を触ると、胸の上にそっと手をかざす。
「大丈夫です。腕が折れているだけで、死んではいません。ショックから気絶しているだけのようです」
「……よかった」
エイダの顔に安堵の表情が浮かんだ瞬間「侵入者だ」っと、突然、洞窟内に子分達の騒ぎ声が響き始めた。
「騒ぎが起きていますね。きっと助けがきたようです」
「助け? ……リオン?」
「きっとそうでしょう。もう心配ないようですね、私はこれで」
そっとエイダの手を離すと、仮面の人物は立ち上がる。
「待って」
「何でしょう?」
「また……会える?」
「もちろんです。私はいつも貴方の側にいます、それでは」
そう言い残すと仮面の人物は振り返ることなく、牢屋を出て行った。
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「リオン、先に行ってくれ」
3人の子分の相手をしながらルインは言う。その横ではヨンが必死に木の棒を振り回していた。
まさか侵入してすぐに見つかってしまうとは、夜にこっそり侵入した意味もなくなってしまった。
「でも……」
「いいから、お前は先にエイダのところへ、俺もすぐに向かうから」
「……分かりました」
どちらせよ、ここにいたって戦力にならない僕はきっとルインさんの足手まといでしかない、それならばここに残るより先にいったほうがいいはずだ。
「後で待ってますから」
ルインさんの背中を残して洞窟の先に進む。この先にエイダ達の捕まっている牢屋があると、途中で倒した子分が言っていたのだ。
細い通路を進んでいくと次第に少し道幅が広くなる。先のほうから漏れる光からして、どうやらもう少しで部屋があるようだ。急ぐ足を止め、右手に握った木の棒を一段と強く握りなおす。もし敵がいたら……僕だってやるしかない。壁づたいに少しづつ近づいていき、そっと部屋の中を覗き見る。
すると鉄格子で囲われた牢屋の中にエイダとイルの姿があった。
一目散に駆け寄ると、足元に二つの大きな物体があることに気づく。
赤い液体が流れだす物体は固くなっていて、かすかに見覚えがあった。
「……う」
口の中にこみ上げてくる酸っぱい匂いを胃の中に強引に押し戻す。
鍵の開いた牢屋の中に入ると、潤んだ瞳のエイダがイルを抱きかかえたまま座り込んでいた。
「エイダ」
「……リオン」
「無事か?」
「……うん」
「よかった……」
目の前にいるエイダの無事な姿に全身から力が抜ける。
「リオン、エイダは無事か? って、うわ」
追いかけてきたルインさんは部屋に入ると、倒れている二人の物体を見て飛び退く。
「おい、コイツら死んでるぞ」
傷口を確認しながら首筋に手を当てて脈を測る。
「ナイフで一突き、かなりできるこいつは」
「誰がやったんでしょう?」
「仲間割れか……それとも……とにかく、今は逃げるのが先だ」
「分りました。そういえばヨンは?」
ルインさんの傍にヨンの姿はなかった。
「あれ? 途中まで一緒だったのに、あいつまさか」
嫌な予感が頭の中に浮かび上がる。きっとルインさんも同じ考えだろう。後先考えずに突っ走るヨンの性格からして、イルとエイダのいる牢屋に駆け付けないということは……答えは一つしかない。
気絶したイルをルインさんは抱えると、急いで部屋を出た。
来た道を戻りながら、途中の分岐点を曲がる、おそらくこの先にいるはずだ。
進んでいくと、ひときわ大きなドーム状の空間の中にドンチと相対するヨンの姿があった。
「やっと追い詰めたぞ」
木の棒を片手に、ヨンはドンチに詰め寄って行く。
「チ、他の奴らも来やがって。うちのアホどもは何してんだ」
「もう観念して、あの土地も諦めろ」
「うるさい。ガキだと思って優しくしてやれば」
石でできた玉座にふんぞり返っているドンチも、側に置いていた大きな棍棒を持ち上げると、ヨンに向かって対峙する。
「おいらはガキじゃない」
「ふん、ガキはガキだよ」
大きなこん棒を両手で振り回しながら突進する。
同時に空気を切り裂く音が、ドンチの周りから広がる。
「そんなでかいもん、あたるもんか」
ひょいっとヨンは棍棒を避けると、ドンチの足元に滑り込み、脛をめがけて持っていた棒でたたきつける。
「う……痛い、やめろ」
さすがのドンチも弁慶の泣き所を殴られて、痛みから部屋の中を走り回る。
「痛い……痛い……」
それをめがけてヨンは、足を棒で引っかける。「うわっ」引っかけられたドンチはそのまま壁に激突する。
気が付けばいとも簡単に、ヨンの勝ちである。ドンチは目を回して気絶している。
「意外と弱かったんですね……あいつら」
「ヨンが頑張ったってことだよ。敵は打てたなヨン」
「うん、おいらがやったんだぜ」
倒れたドンチの横でヨンは照れたように鼻をかいていた。
---------------------------洞窟の奥---------------------------------
「イタタタタ……くそーかならず仕返しをしてやる」
頭をさすりながらドンチは目を覚ます。
まだ足は赤く腫れあがっていた。
「アタタ、まだ痛いぜ。誰かいないかー、ボンチー?」
ドンチの呼ぶ声に子分たちは誰も反応はしなかった。
「クソっ」
ヒュー
ふいに背後から風が通り抜ける。
「誰だ?っと、なんだアンタか」
振り返ったドンチの前には全身黒づくめのローブとフードを被った仮面の人物が立っていた。
「ひどいやられようだな」
「それは……すぐにやってやりますよ」
「その件だが、もういい」
「いい? どういうことで?」
「言葉の通りだ。もういい、お前達に用はない」
そう言うと、ローブの中から黒い筒状の先端部分が顔を出す。
「それは……なぜです? あの方の命令で?」
「いや、私個人の意思だ」
「チ、なんだと、血迷ったか。影の分際……で」
ドン
二人以外、誰もいない洞窟に銃声が響き渡る。
「貴様は、触れてはいけないものに触れてしまった。そんなお前の行き先は死だけだ」
仮面の人物が立ち去った後には、屍だけが転がっていた。
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無事にエイダとイルを救出し家に戻った僕らは、次の日の朝を向かえていた。
「じゃ行くか?」
ルインは体を伸ばしながら言う。
ステラさんやヨンはもっとゆっくりしていきなよと言ってくれたけど、
「そうですね」
「うん? リオン、エイダはどうした?」
エイダの姿がなかった。
「……」
ルインさんの問いに言葉が出てこない。
「おい、リオン」
「ルイン、エイダさんはヨンくんに呼ばれて小川の傍にいっています」
代わりにマリアさんがそっとルインさんに告げる。
「そういうことね……」
「僕を見ないでください」
ジーっと見てくるルインさんの視線を無視して、僕は二人が帰ってくるのを待つしかできなかった。
太陽の光で水面が鏡のように輝いている小川のほとりにヨンとエイダの二人はいた。
「エイダ……ここに残らない? 一緒にリンゴ作ってさ」
そう言うヨンの目は真剣そのものであった。
「……ごめんなさい……」
「どうしても、そのエルルインってとこに行くのか?」
「うん……私は……そこに行かないといけない。それに……」
「それに?」
「リオンと約束したから……」
「リオンと?」
「リオンが私を絶対に連れて行ってくれるって約束したから……だから私はリオンと一緒に行く」
「……」
エイダの言葉にヨンはじっと黙っていることしかできなかった。
「お世話になりました」
エイダが小川から戻ってくると出発する。ただそこにヨンの姿はなかった。
「ヨンいなかったな」
「……」
ルインさんの呟きに僕は何も言えないでいた。
僕には痛いくらい、ヨンがいなかった理由や気持ちがよく分かるからだ。
「リオン」
しばらく歩くと、道の真ん中にヨンが待っていた。
「ヨン?」
「ちょっといいかな」
「うん」
ヨンに連れられて3人から見えない木陰まで歩いていく。
「おいら、エイダに言ったんだ」
立ち止まると、ヨンは背中を向けたまま口を開いた。
「ここに残らないかって」
「そう……なんだ……」
予想していたとはいえ、本人から聞くとやっぱり動揺してしまう。
「でも振られたよ……」
そう言って振り向いたヨンは笑いながらも目にはうっすらと涙がにじんでいた。
「エルルインに行くからって?」
エイダが断る理由はこれしかないと思う。
「いや、リオンお前だよ」
「え、僕?」
「絶対にエイダをエルルインに連れてけよ」
ヨンの目から涙は消え、真剣な男の目に変わっていた。僕も必死に見つめかえす。それがヨンに対しての礼儀だと思えた。
「そして、絶対にエイダを誰にも取られるなよ」
「うん、約束するよ」
エイダへの思いを、一層ぼくはヨンの目と涙に誓うのだった。
--------------------------------暗い地下室の一室---------------------------------------
ヒュー
暗い地下室の部屋に、一陣の風が舞い込む。
「エリザか?」
発せられたのは疑問形でありながら、誰かがいるのだと確信を込めた声だ。
「はい……」
暗闇から静かで透き通った声が返ってくる。
「やつらを殺したか?」
現れたエリザに対して、低いかすれた声で淡々と、部屋にいた人物は尋ねる。
言葉にした内容に対して、口調は冷静であった。
「はい、申し訳ありません。急のことでしたので、了承を得ずに独断で行いました」
「かまわん。もともとたいした連中でもなかった」
言葉と同様に、その声色からは死んだものへの興味すら感じられない。
「あんな土地に教会を建てたいなどと、初めから私は反対だったのだ。それよりもエイダは無事なのか?」
「はい、もちろんです」
「それならばいい。お前は引き続き監視を続投せよ、そして邪魔なものは排除しろ」
「は」
話が終わると暗闇から気配が消えていく。
「フフフ、炎はより輝きを増さねばならない。なぁエイダ」
部屋の中には静かな笑い声と言葉だけが響いていた。