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第十章 岸壁の上の要塞(別離)


 黄金色に輝く丘、風に揺れる小麦畑。

 大きな風車が風に愛されたように回り続けていく。

 風のように自由に走り回る子供達のまぶしい笑顔。

 この光景はどこだろうか?

 どこかで見た事がある……間違いない。

 ここは僕の育った孤児院ではないか。

 生まれた時から親の顔をしらない僕は、優しいシスターや同じ境遇の仲間と一緒に、丘の上の孤児院で暮らしていた。

 小麦を育て、牛を飼い、青空の下、シスターに勉強を教えてもらう。

 他愛もない日々がずっと続くと思っていた。


「リオンの夢は何?」

 同じ孤児院で暮らす、一人の女の子が尋ねてくる。

 夢? あの頃の僕の夢は街に出て、植物の勉強をもっとすることだったはず。


「夢は叶ったの?」

 別の男の子が今度は尋ねてくる。

 叶う? 叶ったのか? 分からない。


「フフフ、変なリオン」

 変なのか? こんな昔の夢を見ている自分が。

 そうだ。これはきっと夢なのだ。

 僕は今、リレイドの街から旅立っているのだから。

 でもどうして? 今さら孤児院の夢を見ているんだ。


 急に視界がボヤケて、真暗になる。

 深い闇の中に落とされたように。

 暗闇の中で、一人、また一人とスポットライトを浴びるように孤児院の仲間達の姿が浮かび上がる。


「僕らのことを忘れたのかい?」

 一人の男の子が尋ねてくる。

 忘れた? 僕が忘れている。でも……でも……確かに名前が出てこない。

 僕はどうして忘れてしまっているのだろう。

 こんなにも大切な記憶達を。

 彼は誰だ? 彼女は誰だ? シスター?

 誰の顔も名前も思い出せない。

 あるのはまるで顔のないのっぺらぼうのような姿だけ。

 三日月のように弧を描く口だけが、不気味に笑っている。


「あははは」

「あははは。変なリオン」

「あははは。可哀そうなリオン」

「あははは。惨めなリオン。作られた記憶とも知らず」

 作られた? 何を言っているんだ? 頭が痛みだす。嘲笑うような笑い声だけが頭の中で木霊する。

「あははは。だから君は大切な人をいつも失う」

 大切な人? やめろ……やめてくれ。僕は……僕は。


「ル……ん。ルイン……ん」

 孤児院の仲間達の声とは違う、誰かの声が聞こえてくる。


「ルインさん。ルインさん」

「は……はぁはぁはぁ」

 声に導かれるように視界が明るくなると、意識がハッキリする。

 目の前には心配そうに、こちら覗き込むマリアさんの姿があった。

 僕はベッドに横になっていたのだ。


「……ここは」

「セイグラムの宿屋ですよ。大丈夫ですか?」

「……すいません。そうでした」

 落ち着いてくると、いろいろと思考回路が回り始める。

 アルセントに行くために国境のトンネルを抜ける整理券を持ったまま、宿に宿泊していたのだ。

 三日間待たされ、今日やっとアルセントに向かうことができる。そんな日の朝に、こんな変な夢を見てしまうなんて……。


「ルインさんとエイダは?」

 部屋の中にはマリアさんの姿しかなかった。


「二人なら先に朝ご飯を食べに行きましたよ。お腹が空いたエイダさんは待ちきれなかったようです」

 そう言ってマリアさんは可笑しそうに笑う。


「……そうですか」

「嫌な夢でも見られましたか?」

「え?」

「ひどくうなされていました。それに汗も」

 そう言うとマリアさんは、僕にタオルを差し出した。

 受け取って汗の垂れる首筋にそっとタオルをあてると、少しだけ水を含んだタオルは冷たく、心を落ち着かせてくれるようだった。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 水の入った桶に返したタオルを浸けると、何度か泳がせた後、手で絞っていく。

 そういえばマリアさんと二人きりで、面と向かって話すのは初めてかもしれない。

 リレイドで出会い、一緒に旅をすることになりいろいろあったけど、二人きりの時間はなかった気がする。


「アルセントに行くことが嫌ではないですか?」

 言った後にしまったと思った。ルインさんに直接聞けないことを、ズルしてマリアさんに聞いているような気がしたからだ。


「ありがとうございます。私たちに気を使ってくださり」

「いえ……僕は何も」

「でも、きっと大丈夫です。私もルインも、もちろんリオンさんもエイダさんも」

 僕が聞きたかった事の意味を分かっていてはぐらかされたのか、マリアさんの返答は当たり障りのない言葉だった。


 二人で部屋を出て食堂へ。食堂では朝ご飯を食べているエイダの横で、ルインさんは本を読んでいた。ヘルタンの古本屋で買った本だ。そういえばここ最近よく、難しい顔をしてあの本を読んでいる姿を見かける。気にはなっていたけど、これもまた聞くに聞けない雰囲気だった。


 セイグラムの街は今日も変わらず人の流れが慌ただしく動いていく。セイグラムにやってきた初日に整理券を受け取った砦に向かうと、今日も、整理券の配布を待つ長蛇の列ができている。

 その横を僕らは進んでいく。すでに整理券を持っている者は、砦の国境管理室にあるもう一つの入口から検査を受け、トンネルを抜けることができるそうだ。

 管理室の中で、一人づつ順に呼ばれていく。ルインさん、そしてエイダ、マリアさんに僕、

 思っていたよりも簡単に検査は終わった。

 確かにハイダルシアに入る際の国境よりも質問や手荷物検査は厳重だったような気がするけど、想像していたよりも楽で、もしかすると整理券を手に入れる事、そして手に入れてからまたされる日々も含めて、アルセントへの入国が面倒だと思われているのかもしれない。


 管理室の裏手では山脈を突き抜ける大きなトンネルの入口が出迎えくれる。

 そこにはすでに先に入ったルインさんとマリアさんの姿があった。


「お待たせしました。あれ? エイダは?」

 先に入ったはずのエイダがまだ、管理室から出てきてはいなかった。


「そうなんだよ。俺とマリアもその話をしてたんだ。中にまだいなかったか?」

「いえ……僕が最後ですけど……中では会わなかったです」

「まだ、砦の中でしょうか?」

 マリアさんの少し不安げな言葉に、一気に嫌な予感がしてくる。

 砦からは他の旅人や行商人が抜けて出てくるのに、エイダの姿はない。

 明らかにおかしかった。時間的にも、もう出てきているはず。


「……大切な人をいつも失う」

 思わず夢で言われた言葉が思い出される。


 いなくなってしまったエイダ……一体どこに。

「……エイダー」

 思わず僕は叫ばずにはいられなかった。


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