第十章 岸壁の上の要塞(表裏)
…………………アルセント ダレルマスカ寺院……………………………
中流貴族の家々が立ち並ぶ貴族街の中心に、アルセント国内でも最大規模の寺院がある。没落した貴族の豪邸を改修して建てられたダレルマスカ寺院は、他の寺院に比べ教会というよりもお城のような外見をしていた。
鎧を着た衛兵が守る寺院の表門を抜けると、微かに歌声が耳に聴こえてくる。
大勢の人の声が重なりハーモニーを生み出す、その歌声が聴こえてくるのは寺院に併設された丸い屋根を持つ建物からであった。
丸い屋根の下は大きなホールになっており、毎日信仰心の強い国民が集まっては国歌や讃美歌を歌う慣習ができていた。
中庭まで漏れ聴こえてくる歌声がピタリと止まる。これが集会の終わりを告げる合図でもある。しばらくすると集まっていた人々がホールの四方にある扉から、あふれ出る水のように、流れに沿って街へと散らばっていく。
出てくる人の顔には達成感と幸福感が皆にじみ出て。それはまるで一種の暗示にかかっているかのように。
ホールには外へ出るための扉以外に、直接教会内部へとつながる扉が一つだけある。ただし、この扉は教会関係者専用となっており、おいそれと簡単に誰もが通ることができるものではなく、存在自体も知る人が限りなく少なかった。
そこに一人の白いローブをまとった男性が慣れたように扉を開け、通りぬけていく。この扉を抜けるということは必然的に教会関係者であることを示していた。
扉の先、地下へと続く円形の階段を男性は迷いなく降りていく。固い靴底が階段を踏みしめるたびにカンカンと、金槌で打ち付けるような音が響く。
階段を降りきると、終点には暗い廊下が待っている。壁に掛けられた松明の炎で辛うじて、道があることだけは分かる薄暗さだ。
男性はゆっくり一歩一歩確かめるように進んでいく。
途中、壁際の棚に置かれた燭台を手に取ると、松明に近づけ、そっと蝋燭に火を点けた。
薄暗い廊下は一本道で、奥には扉が3つ、分岐点のように扉だけがある。
男性は正面の扉のノブに手をかける。時計回りに回してみると、鍵のかかっていない扉は簡単に男性に身を任せたかのように、部屋の奥に向かって開いていく。
日の当たらない地下室は、ローブを羽織っていても少し肌寒く感じるほどであった。
部屋に入るなり男性は手に持った燭台を近くのテーブルの上に置いた。
燭台の上で燃える4本の蝋燭の火が、部屋の一部を明るくしている。
「おや、待っていらしたのですか?」
「……」
男性の問いかけに暗闇からは何も返ってこない。
「せっかくでしたら貴方もご参加されればよかったのに。私は貴方の声が好きです。歌声もきっと綺麗なのでしょう」
「生憎だが……遠慮する」
「それは残念。歌はお嫌いですか?」
「嫌い好きの問題ではない。意味がないことはしない……それだけのこと」
「貴方らしいですね」
「気を引くための雑談は、私には必要ない」
「はぁ……そうでした。昔からそういうところは変わらないようですね。エリザ殿」
暗闇の中からロウソクの火が照らすテーブル横に、黒いローブを纏ったエリザが姿を現す。いつものように顔には仮面が被られている。
「それで今日は何の用ですか? これでも私は忙しいんですよ。昔と違って国内でもかなりの地位まで上りつめ。今まさに頂点に近づこうとしているところなのです」
「それも教会あってのこと」
「確かに……感謝はしています。貴方と同じただの“影”だった私が、今や日の当たる表舞台に返り咲き、人々の視線を避けることなく受け止めることができるのも、すべて教会のおかげであり、ナーヴェル卿様のおかげ。ですからこうして忙しい時間の合間をぬって貴方にも会いにきたのです」
「もうすぐ一人の少女がアルセントにやってくる。もちろん3人の仲間と一緒に」
「ずっと追いかけていたターゲットですね。確か……名前をエイダと」
「そう。そのエイダを一度、確認したいそうです」
「確認? 確認とは?」
「……」
男性の質問に、急にエリザは口を閉ざした。
沈黙は二人にとって無視ではなく、黙秘もしくは答えることができない事由ということである。
「分っています。私程度には教えてもらえないということは、ただの興味本位です。今の質問は流してください」
「すまない。教えることができても……知らないほうが良い事もある」
「優しいですね貴方は。それで私にどうしろと?」
「少しの間だけ彼女を拘束すること。できれば穏便に彼女を傷つけることなく」
「……簡単に言いますね」
「よく知る相手だからこそ」
「それはどうも。昔の仲間への誉め言葉ととっておきます」
「話は以上。それでは」
そう言い残してエリザは再び、ロウソクの火の届かない暗闇に同化していく。
「あ、そうだ。最後に一つ」
闇の中に残る気配を引き止めるように、男性は問いかけた。
「?」
「どうして貴方は“影”を続けているのですか?」
「……」
「貴方ほどの功績であれば……私のように日の当たる世界へと戻ることを許されるはず、ましてや自由を得ることも可能だったのではないですか?」
問いかけに返事は返ってこない。それでも男性には暗闇の中にまだエリザの気配を感じることができた。
「それに私は知っていますよ。あなたが髪の毛を染め、目の色も特殊なアイテムで変えていることを」
「……」
「昔、死んだ先輩に聞いたことがあります。かつての貴方は仲間内でも噂される程の、綺麗な白銀の髪をして、清んだ海のように蒼い目をしていたと」
「……」
「……いなくなってしまいましたか……残念」
部屋の中から気配が完全に消えてしまったことを察した男性は、後悔するように自らの指先をじっと見つめる。
「でも……与えられた役目はまっとうしましょう。何物でもない貴方からのご指示ですから」
開いた手をギュッと力強く握る。誰もいない暗闇に誓いをたてるように呟くと、男性は再び部屋を出て行った。
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