第十章 岸壁の上の要塞(跡目)
「そういえば御三家っていえば、アルセント内で噂になっているおもしろい話があるんだけど。聞きたいか?」
聞きたいかと聞いておきながら、すでに話したくてウズウズした様子のジェイドさん。どのみち話してはくれるのだろうけど、これから向かうアルセント内の話であれば興味はある。
「おもしろい話とは?」
「実はな、御三家同士が今、水面下で跡目争いをしているらしいんだ」
「跡目争い……ですか?」
「あぁなんでも次期国王の妻を自分の家から選んでもらおうと、それぞれの貴族たちが画策しているらしい」
次期国王の妻となれば、ゆくゆくは国王の母になる可能性だってある。そうなれば王家との関係も今以上に強固なものとなる。そこまで考えているのだろう。よその国の権力争いとはいえ、ドロドロした話である。
「今の国王には三人の息子がいる。もちろん次期国王になる予定なのは長兄のジョイス殿下だ。兄弟仲が悪いという話もないし、兄を殺してまで国王の座に弟達をつかせようとする派閥もない。これがどういうことを表しているのか分かるか?」
観衆を魅了する舞台上の役者のように語り始めたかと思えば、一転して疑問を投げかけてくる。何がしたいのかは分からないけど、忙しい人だ。
「つまりジョイス殿下に自分の家の娘を嫁がせることができれば、未来の王妃になれるってことだろ」
「その通り。察しがいいなルイン君は」
「それはどうも。それで、どこの家が優先なんだ?」
褒められたことも、興味がないといった様子でルインさんは話を進める。
「噂によると一歩リードしているのはエンテリカ家みたいだな」
「エンテリカ家……」
エンテリカ家といえば、ルインさんの説明の中では大戦後の教会とのパイプ役を担った教会信仰の強い家とのことである。他家よりも歴史が浅く、王家との血脈も薄い為、蜜月関係を深めるためにも自分の家の娘を嫁がせたいのだろう。
「あそこのローズお嬢様はもともとジョイス殿下と同い年で幼馴染だ。同じ学院で学んだクラスメイトでもある。ジョイス殿下もローズ様に対してかなり心を許されているようだし、関係の薄い女性よりは勝手知った相手の方が婚約者として、殿下自身が選ぶ可能性も高いはずだ。そういう意味でも、現時点で一番可能性が高いのがエンテリカ家のローズ様ってことだ」
「他の家は?」
「うーん。そうだな……次点はフラジリス家だな」
フラジリス家、これもルインさんの話では歴代当主が必ず騎士団総帥を務め、アルセントの防衛、警備、攻撃のすべての武を司る騎士の家になる。
「フラジリス家の令嬢はメイス様っていって、ジョイス殿下よりは少し年上になる。フラジリス家自体が騎士の家ということもあって、メイス様ももちろん幼少の頃より武芸に秀でていて、アルセントで一番の騎士学校を女性として初めて首席で卒業したらしい。その強さは男顔負けだ。殿下とももちろん面識はあって、騎士学校に在籍している頃から三人の殿下に剣術指南役として教えていたそうだ。今は近衛兵隊に所属して殿下の妹であるエマ様の護衛を務めているとか。殿下だけではなくエマ様からの信頼も厚く、もちろん国王陛下や王妃様とも常に顔を合わせ、もはや家族同然といってもいいかもしれないな。将を射んとする者はまず馬を射よとはいうけど、まさにメイス様はそれだな」
ジェイドさんの話を聞いていると、確かにどちらの令嬢も、家柄はもちろんのことジョイス殿下との関係も深く、選ばれる可能性が高いことに間違いはなさそうだ。
「では残ったロンガム家はどうなんですか?」
ちょうど料理を食べ終えたマリアさんが尋ねる。
「うーん。ロンガム家は出遅れてるな」
「出遅れている? ロンガム家にも年齢の近い令嬢はいらしたはずですが」
「その通り。もちろんロンガム家にも年頃の令嬢はいる。殿下よりも少し歳は若いがエレン様といってアルセントでも指折りの美女らしい。俺も舞踏会で2回、遠くから見かけたことがあるけど、噂通りの美しさだったな。ただ体が弱いらしい。表舞台に姿を現す機会が少なく、ほとんどを自宅で過ごしているみたいだ」
「エレン様……?」
どこかで聞いたことがあるような名前である。どこだっただろうか……確か、エイダの為に薬師を派遣してもらうようお願いしに行った高級宿で、ルインさんの口からエレンという名前を聞いた気がする。チラッと横目でルインさんを見てみるも、特に表情は変わらず、じっとジェイドさんの話を聞いているだけ。同じ名前の別人ってこともある。僕の気のせいだろうか。
「そしてここが一番重要な理由でもあるが、ジョイス殿下の末弟にヘンリー殿下がいる。どうやらこのヘンリー殿下がエレン様にご執心らしい。時間があればエレン様に会いにロンガム家に出向いているとか。通行人の話では、よくロンガム家の前に王家の馬車が止まっているらしい。だけど可哀そうなのが、当のエレンお嬢様にはその気がないとか。他に好きな相手がいるのか、それとも単純にヘンリー殿下が苦手なのか。そのへんについては俺にもサッパリだ。だけど当人達の気持ちなんて関係なく、最終的には家同士が政略的に婚姻を結ぶだろうとも噂されている。エレン様には可哀そうな話だが、これも大貴族の家に生まれた令嬢の宿命ってやつだね。極貧なうちとは大違いだ。まぁそんな理由もあって、さすがのジョイス殿下も弟が好意を寄せている相手とわざわざ遺恨を残してまで結婚しないだろうとみられている。そうなると可能性が高いのは残る二家。どっちになろうと俺達のような下々の身には関係のない話といえば話だけどな。おっと、さすがに話過ぎたようだ」
乾いた喉を潤すようにグラスに入った水を一気に飲み干すと、ジェイドさんはテーブルの上を見渡す。ジェイドさんが話している間に僕らの前に並んでいた料理は綺麗サッパリなくなり、空になったお皿もすでにウェイターに片付けられていた。
「ジェイド。ねぇそろそろ」
「あぁ。そうだな」
エクセラさんが促すように耳打ちすると、ジェイドさんも頷き返す。
「そろそろ俺達は行くよ。時間がきたようだ。長話に付き合わせて悪かったな」
自分で言うってことは長話をしたことについて自覚はあるようだ。
「いえ、アルセントの話も聞けましたので」
「そっかそれならよかった。お前達もアルセントに行くだろうから。もし国内で困ったらうちを尋ねるといい。相席した仲だ。何もできないけど寝る場所くらいは貸してやるよ。じゃあな」
そう言い残すと、ジェイドさんとエクセラさんは仲良く腕を組んで席を後にする。残された僕らは嵐が過ぎ去った後のように訪れた平穏と静寂が逆に不気味に感じた。
「……変わった貴族もいるんですね」
「……そうだな。かなり稀なケースだろうな」
アルセントにいる貴族が全員、ジェイドさんのような人ではないのは間違いないだろう。ただ、まだ見ぬ貴族社会のアルセントに少しだけ不安が大きくなったのも確かなことであった。




