第九章 追う者と追われる者 (林檎)
リレイドの街からハイダルシアに向かう際、多くの旅行者や行商人が最初に通過する町がクライストの町である。国境の街イーダストとリレイドの間に位置するクライストは、小さな町だが休憩地点として重宝されていた。
「に、兄さまはクライストの町は初めてですか?」
自分から兄妹設定にしてほしいと言ってきたわりには、兄さまという言葉も言いにくのか、見るからにぎこちない様子でリンは言う。
「聞いたことはあるけど、来るのは初めてだ」
「この町を抜ければ、すぐにイーダストです。まだ明るいので今日中には到着できそうですね」
リレイドの街でドゥーブル卿と話し、リオンの家を調べ終えた私達は、ハイダルシアを目指し、国境の街イーダストの手前にあるクライストの町に差し掛かっていた。旅行者や行商人の休憩地として栄えているだけあり、宿泊施設や食事処、出店など主要な通り沿いに店が立ち並んでいた。
「ねぇねぇそこのお二人さん、リンゴ買っていってよ。おいらのリンゴはリレイドで一番おいしいんだよ」
立ち並ぶ商店と商店の間のスペースに、木の籠を並べ小麦色の肌をした少年が大きな声で、行きかう人に声をかけている。立ち止まり覗いてみると、木の籠の中にはたくさんの赤いリンゴが詰め込まれていた。そういえばクライストの町の山岳地帯は、上質なリンゴが取れる農村地帯が有名であると聞いたことがある。この少年もそこから商売の為に山を下りてきているのだろう。
「二人は恋人かい?」
立ち止まった私達を見て少年は言う。幼く見えて、意外とマセた少年である。
「兄弟です。大人をからかわないの」
店に並ぶリンゴのように顔を真っ赤にしたリンは、怒ったように訂正する。これではどちらが子供なのか分からない。
「へーごめんよ。兄弟にしては似てなかったから」
思わずギクリとしてしまう言葉だ。こういうとき直観のするどい子供の方が、固定概念がなく素直で騙しにくい。おや、よく見ると木の籠の影に隠れるようにして、声をかけてきた少年よりもさらに幼い少女が、小さな手で一生懸命、売り物のリンゴを布で拭いている。さっきの売り子の少年の言葉ではないが、どことなく少年に似た目鼻立ちをしている。おそらく彼らは私達と違い本物の兄妹なのだろう。
リンゴを磨いていた少女の手が止まり、ジーっとガラス玉のような透き通った目が私を射貫くように見つめてくる。
「どうしたかな?」
できるだけ優しい声を掛けてみると「……綺麗」と一言呟いた。年端もいかない少女に綺麗と言われるとは思ってもいなかったので、自分でも珍しく動揺した顔をしているのではないかと思う。枢機卿に選ばれた時からポーカーフェイスを徹底してきたつもりでも、まだまだ甘かったようだ。
「ヨン兄ちゃん。このお客さん綺麗な顔してる。エイダお姉ちゃんと同じくらい」
「エイダ……?」
聞き覚えのある名前に思わず聞き返していた。
「あーごめんよ、お客の兄ちゃん。コイツはおいらの妹なんだ。そんで前に仲良くなった女の子がエイダっていうんだ」
「エイダってもしかして……白銀の髪に蒼い眼をした少女では」
「あれ? エイダを知ってるのかい?」
どうやら彼らの知っているエイダは、私の知っている灯り師の少女と同一人物のようだ。
「他の街で会ったことがある」
「じゃあリオン達も一緒だった?」
「あぁ、4人で一緒に旅をしていたよ。今頃きっとハイダルシアとアルセントの国境を旅しているころかな」
「へー随分遠くまで旅してるんだなアイツら。また会いたいなー」
そう言って少年はキラキラした目で遠くを見つめる。きっとエイダ達との思い出は、目の前の少年にとってとても大切な思い出なのだろう。表情を見ているだけで何となくそれが想像できた。
「キミ達はどうして彼らを知っているのかな?」
「前にこの町で会ったんだ。おいらの村にも来てくれて、おいらの家にも泊まったんだぜ」
「……そうですか」
彼らがこの少年の家に泊っていたのか……なるほど、これは面白い巡り合わせだ。
「ものは相談なのだが、もしよければ私達を今夜キミ達の家に泊めてくれないか。もちろんタダとは言わない宿泊費は払うよ。町の宿屋と同じ料金でどうかな?」
「に、兄さま。な、なにをいって」
驚いた様子のリンが咄嗟に止めに入る。
「シー、リンは黙ってて」
「は、はい」
演技上は兄妹とはいえ、さすがのリンも私に黙れと言われてしまえば何も言い返せるはずがない。もちろんそれも計算の内である。
「どうかな? 泊めてくれると嬉しいけど」
「うーん、泊めてもいいけど。どうしておいらの家に? お金があるなら町で泊ったほうがいいよ。おいらの家は田舎だから遠いし、汚いよ」
「どうして? うーん……友人であるエイダやリオンと同じ家に泊ってみたいから、という理由では駄目かな?」
「変な理由だなーおかしな兄ちゃん。よし、いいよ泊っても。そのかわり後で嫌って言っても知らないよ」
「言わないさ。ありがとう」
交渉は無事成立、リンゴを売る彼らの後始末が終わり次第、家に連れていってもらえることになった。
「どうしてこのようなことを?」
商店の並ぶ通りから街角の隅に連れてこられた私は、珍しくリンに詰め寄られる。リンのこんな姿を見るのは初めてだった。
「キミ達には悪いと思っているよ。でも、ワガママを許してほしい」
「謝らないで下さい。主にそこまで言われれば私達は従うしかありません。すぐに宿周辺を見張っていた仲間を、先に少年達の家に向かわせます。それはよろしいですか?」
「まかせるよ」
「ありがとうございます」
急な思いつきに思われるかもしれない。ただ、偶然だったとしてもクライストの町でリンゴ売りの少年に出会い、灯り師の少女達の残像に出会えたこと。リンや他の“影”達には申し訳ないが、あえて彼らの形跡を辿ってハイダルシアに向かうのも、これからの旅において必要なことに思えてしかたがなかった。




