第九章 追う者と追われる者 (迷路)
「アラド先生なら資料室にいましたよ」
「……そうですか……ありがとうございます」
何度目だろうか……同じような言葉を言われて、同じような言葉で返す。アラド先生が受け持つ教室を後にして、もう一度守衛室で貰ったパンフレットを広げる。教えてもらった資料室はどうやら、隣の建物の3階にあるようだ。正門から見えていた建物は4つ、中に入ってみて気づいたことだったが、裏側に表から見えない建物が2つあった。合計6つの建物の中、私達は何故だかグルグルと迷路の中を彷徨う冒険者の如く歩き回されていた。
「ジーニアスさん」
「言わなくていい。分かってる」
隣で私の広げるパンフレットの構内図を覗き込みながらリンは言う。ただ聞かなくても、言いたいことは分かる。というよりも私も同じ気持ちだった。
思い返せば……ドゥーブル卿の“影”である守衛の男性と別れたのが1時間近く前のことだっただろうか。職員室にいるという情報を元に、アラド先生に会いにいったものの、残念ながら職員室には他の先生はいても、目的の人物の姿はなかった。職員室の入口傍の机で仕事をしていた女性の先生に尋ねてみると……。「アラド先生なら、食堂でランチを食べてますよ」との情報をもらい、職員室を後にした私達はパンフレットの構内図を手に、食堂のある隣の建物へ。各建物は渡り廊下によって2階と3階が繋がっており、職員室から食堂に向かうには、一度2階に降りて渡り廊下を進み、さらに階段で1階に降りなければならない。直線距離では近く感じても、建物の構造上では大回りしなければならない。窓から見える食堂が苦々しく思える。校内唯一の食堂ということもあり、建物のワンフロアすべてを利用した造りの食堂はとても広く、グループで固まってランチを食べる生徒たちの姿も所々に見かけることができた。
「アラド先生はどこにいるんでしょうか?」
「うーん、これだけ人がいると見つけるのも大変そうだな」
時間帯がお昼時ということもあり、次々と生徒や教員たちが出入りを繰り返している。この中からアラド先生を見つけるのは至難の業だろう。人の動きを観察していると、ふとバイキング形式で料理の並ぶ棚の横、トレイを運ぶ割烹着姿の女性が目に入ってくる。おそらく食堂の従業員だろう。黙って見ていても時間がもったいないだけ、聞いてみることにしよう。
「あの、すいません」
「はいよー」
山積みになったトレイを器用に抱えながら、威勢よく女性は振り返る。
「アラド先生を見かけませんでしたか? 食堂にいると伺ったのですが」
「アラド先生?」
そう言って女性は思い出すように口をへの字に曲げる。この状態でも山積みのトレイを崩さず、バランスよく持っていられるのは凄いことである。
「あぁそういえばさっきサンドイッチをテイクアウトして、屋上で食べるって言ってたよ。あそこは海風が気持ちいいからランチに人気なんだ」
「……屋上ですか」
食堂の次は屋上……なかなか簡単には捕まらない人である。
「ありがとう。行ってみます」
割烹着の女性に別れを告げると、私達は屋上に向かうことにした。屋上に向かうには、食堂のある建物の3階まで登り、渡り廊下で海側に立つ建物へ、さらに階段で上がった先となる。狭い敷地内で登りと下りの繰り返し、地味に足の疲れを誘発させる。
額にうっすら汗をかきながら、屋上へのドアを開けると、太陽の光に照らされる海が一面に広がっていた。遮る物はなにもなく、まるで絶景を一人で独占しているような気持ちにさせてくれる光景だった。雲一つない快晴の空の下、屋上にはランチ用に置かれたテーブルと椅子、その中にサンドイッチを食べる男性の姿があった。
「アラド先生……?」
「ふぇ?」
男性はサンドイッチを豪快に咥えたまま振り返る。
「アラド先生……ではなかったですね。すいません」
後姿は少しだけ似ているような気もしたが、丸い眼鏡を掛けた唇の厚い顔は、端正な顔立ちのドゥーブル卿とは似ても似つかなかった。ズボラな性格なのかズボンからシャツがはみ出し、サンドイッチのパンくずが頬に付いている。この辺も綺麗好きなドゥーブル卿とは似ても似つかない。
「ふぁらどしぇんしぇいを、おしゃがしで?」
口に物をいっぱいに詰め込んだまま男性は言う。口元からボロボロとサンドイッチの欠片が零れ落ちていく。その姿に、隣に立つリンも一歩後ずさる。一目見た時から想像はできたが、あまり女性受けの良いタイプではないようである。
「どこにいるかご存じですか?」
なんとか聞き取れた単語を元に推測すると、この男性はアラド先生の行方を知っているようだ。頷きながら口の中に詰め込んだ物を飲み込むと、口を洗うようにグラスの水を流し込む。もちろんその仕草に、リンが一段と引いているのは言うまでもないことである。
「ぷはー上手かった。すいません腹ペコだったので」
「こちらこそお食事中にすいません。それでアラド先生は?」
「先生なら急用ができたみたいで、急いで自分のクラスに走っていきましたよ。だから代わりにサンドイッチを貰って食べてました。へへ」
今度は教室へ……ここまでくると意図的に避けられているような気さえしてくる。ドゥーブル卿の性格から考えてみても、ありえないことではない。
「はぁ……」
思わずため息が出てしまう。ドゥーブル卿もドゥーブル卿である。
「ジーニアス……さん?」
リンが心配そうにこちらを見てくる。背丈の差もあり自然と上目遣いとなる、意図的ではない所が逆にリンの凄いところかもしれない。
「大丈夫、それより次は教室に行こう」
サンドイッチの男性に教えてもらった教室は、最初に訪れた職員室のある建物の1階、道順を考えるのも嫌になりそうだが、階段を降り、渡り廊下を何度か通り過ぎていくと、たどり着くことができた。
教室の扉の上には3-Aと書かれた表札、コンコンと2度ノックすると扉の向こうから男性の声で「はい」と返事が聞こえてくる。ゆっくり扉を横にスライドさせ開けると、太陽の差し込む窓辺に一人の男性が立っていた。もちろんアラド先生ではない。先程私達にアラド先生の居場所が資料室であることを教えてくれた、別の男性教諭である。
こんな経緯もあり、資料室に向かう私達二人の頭の中には同じ考えが芽生えていた。そう、ドゥーブル卿に完全に遊ばれているということだ。逆にそう思わない方がおかしくもある。ここまでくると今まで出会った登場人物全員がグルのような気もしてくる。職員室の女性教諭、食堂にいた割烹着の女性、屋上で出会ったズボラなサンドイッチ男、そして3-Aの教室にいた男性教諭、全員が仕組まれたように我々を惑わしてくる。もしかすると守衛の男性のように、彼らもドゥーブル卿の“影”なのだろうか。多くの“影”を従えているドゥーブル卿ならおかしくもない話である。肉体的にも疲労させ、頭の中をも混乱させる恐ろしい手口、遠路はるばる会いに来た客に対して、随分な歓迎である。
途中で呆れて帰ってしまうとは思わないのだろうか……そこは私の性格を読んでのことなのだろう。と、すればそろそろ私がドゥーブル卿の用意した趣向にウンザリしていることも承知のはず、そろそろゴールは近いかもしれない。
資料室の前に着くと扉をノックする。中から返事は聞こえない。それでもこの部屋が当たりであることを感じることができた。それは隣に立つリンも同じようだった。扉越しでも伝わってくる枢機卿独特の気配といえばいいのだろうか……この中にいるのは間違いない。それもアラド先生ではなくドゥーブル卿が。
扉に手をかけ開けると、本棚に囲まれた壁際に一つの机があった。机の傍には緑色の背もたれの椅子があり、椅子には男性が座っている。
「遅かったわねー、セシルちゃん」
探し求めた人物、ドゥーブル卿が見慣れた笑顔で出迎えてくれた。




