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第八章 雪解けを待つだけ (薬師)


 積った雪の上に車輪の後を残しながら馬車は進んでいく。足跡もない綺麗な雪の上に2本の跡だけが平行に、そして途切れることなく一定の深さと間隔を保って刻まれていく。跡を辿ると、一軒の宿屋の前で馬車に追いつくことができる。止まったばかりの馬車の窓からは光が漏れ、動く人影が外からも見て取れる。

 装飾の施された馬車は、街並みにもそぐわない雰囲気を纏っていて、宿の窓から宿泊客が何事かと覗き込む様子が見て取れた。


「やれやれ、やっと着いたようじゃな。歳をとると馬車での移動も腰にくる」

 腰を摩りながらロージェさんは立ち上がると、ポンポンと2度、腰を軽く叩いた。

 振動をあまり感じないように改造された高級馬車でも、雪の上を急いで走ってもらった為、老体には少しきつかったようだ。


「一人で降りられますか?」

 先に降りた僕は、手すり代わりに片手を差し出した。


「おぉ、すまんの」

 僕の手を握ると、杖を3本目の足のように器用に操作し馬車を降りていく。弱くなったとはいえ、雪の降る中ではいつ滑ってもおかしくない。


「ありがとう。もう大丈夫じゃ」

 そう言って手を離すと、宿屋の入り口に向かって一人歩き出す。大丈夫とは言われたけど……後ろから見ているとフラフラ横に揺れ動く姿は大丈夫には見えないし、さっきからの様子や言葉を聞いていると、とてもエイダをまかせられる薬師さんなのかと、疑問が少しだけ湧き上がっていた。一応、貴族付きの薬師さんだから腕は確かなはず、それにルインさんだって信頼しているのだから大丈夫とは思うけど……。


「少年よ、人を見た目で判断してはいかんぞ」

「え?」

 僕の心を見透かしたかのように、背中を向けたままロージェさんは言う。やましい僕の考えなど、すべてお見通しのようだ。


「すいません」

「フォフォフォ、いいんじゃいいじゃ。ワシが少年の立場でも同じことを思うからの」

 そう言って振り返ったロージェさんの顔には、孫をからかうおじいちゃんのような優しさがにじみ出ていた。


「それよりリオンとやら、荷物持っとくれよ。まさかこの老体に重たい荷物を運ばせるつもりではないじゃろ?」

「も、もちろんです」

 御者が馬車の荷台から下ろした大きな鞄を率先して受け取る。何が入っているのか分からないけど、見た目以上にズッシリと重みのある鞄だ。


「大切な薬が入っておる、慎重に運んでくれ」

「は、はい」

 これもエイダのためだ。後ろで苦笑いしているだろうルインさんの小さな声援を背中で受けながら、宿屋の玄関に続く階段を、重たい荷物を両手で持ちながら上っていく。

 入り口を抜けると宿屋の受付を通り過ぎ、2階へ向かうためのさらなる階段を上る。重たい荷物さえ持っていなければ、気にもならなかった階段が、今だけ拷問のように僕の足腰に襲いかかってくる。

 受付横に繋がる酒場からも、お酒の入ったジョッキ片手に、何事かとこちらを覗き見る客の姿が見て取れる。杖をついた老人を先頭に、高級馬車から降りて来た一団が何者か、誰もが興味津々のようである。


 エイダの眠る部屋の前には人影が立っていて、遠くからでもそれがマリアさんであることが分かった。僕らの到着に気づき、待っていてくれたようだ。

「外から馬車の車輪の音が聞こえたので、もしかしてと思いましたが。 無事に薬師を連れてこられたのですね?」

「あぁ、ちょっと予定外な事もあったけどな」

 ルインさんの言う予定外とはもちろん、貴族の高級馬車に乗って戻ってくることになったことだろう。さすがのルインさんもそこまでは出発の際に予想できているはずがなかった。


「それで薬師さんは?」

「ワシじゃよ。マリア殿」

 僕とルインさんの影から、ゆっくりと姿を現すかのように前に進み出る。背丈の低さから僕の持つ重たい鞄や、ルインさんの影に隠れていてマリアさんも気づかなかったようだ。


「……ロージェ……さん? ご無沙汰しております」

「久しぶりじゃな。じっくり再開の挨拶でもしていたいんじゃが、中に患者がおるんじゃろ? そっちが先じゃ」

「えぇ、そうですね。ではこちらへ」

 マリアさんはドアを開け、中に誘導する。予想していたことだけど、ルインさんとロージェさんが知り合いなら、マリアさんとも知り合いであるのは当然のことである。


 ロージェさんの後に続き、僕らもエイダの眠る部屋の中に入る。中では、出発した時と同じようにベッドに眠るエイダを見守る先生の姿があった。

 ドアの開く音に気付いたのか、先生が顔を上げこちらを見る。


「無事に戻って来たね。それでそっちの爺さんが薬師かい?」

「婆さんに爺さんと呼ばれたくはないのぉ、ご明察通りワシが薬師のロージェじゃ」

 気が合うのか、合わないのか……そう言うと老婆の医者と、老人の薬師はプッと噴き出すように笑い合う。どうやら歳を重ねた二人にしか分からない間合いがあるのだろう。


「それは失礼したね。しかしあんた達、大物を釣り上げたようだね。あんたがアルセントで有名な薬師のロージェさんかい」

「ワシを知っておるのかの?」

 とぼけたように言いながらも、当の本人は少し嬉しそうである。


「たいていの医者ならみんな知っておる。腕がいい薬師だと……ただし金の為に、貴族専属の薬師にしかならない奴だって噂もね」

「フォフォフォ、手厳しい噂じゃ。本当のことじゃからしょうがないの、金の為と言われても。ワシも飯を食わんといかんのでな」

「食えない爺さんだね。まぁいい、それよりも患者を診とくれ。この辺では旅人がかかる病に侵されておる」

 先生がベッドの横から一歩下がると、ロージェさんはエイダの顔を覗き込むように前のめりになる。


「うむ、キネツ病じゃな」

「一目で分かるかい。さすがは噂の爺さんじゃ」

「フォフォフォ。貴殿もたいした名医じゃ。キネツ病を判断できるとは、普通の風邪と見分けがつきにくいんじゃが。こんなハイダルシアの田舎街に置いておくには惜しいの。どうじゃ、アルセントの貴族を紹介してやろうか?」

「遠慮しとくよ、この街が好きなんじゃ。それに今の生活にも満足してる」

「残念じゃな」

 そう言うロージェさんは、僕から見ても本当に残念がっているように思えた。


「それでキネツ病の薬はあるのかい?」

「いや、ないの」

「え?」

 まさかの答えに、思わず見守っていた僕が驚かされてしまう。


「それじゃあ、ロージェさんを連れて来た意味がないですよ」

 あの猛吹雪の中を死ぬ物狂いで隣町までルインさんと歩いた意味が全部、無駄だったことになる。


「まぁ落ち着けリオン」

「ルイン……さん」

 今にもロージェさんに掴みかかりそうな勢いの僕を、ルインさんが引き止める。


「話は最後まで聞け。ロージェさんは初めから何の薬も持ってないんだ」

「じゃあ、あの重たい荷物は?」

 部屋の隅に置かれた大きな鞄の中身は一体……。


「フォフォフォ。つまりのぉ少年。あの中には薬の元となる数百種類の薬草や木の根が入っておるんじゃ」

「え……つまり……?」

 まだ、頭の中で整理できてない自分がいた。


「つまりだな。ロージェさんは病人の容態や病気によって、その場で薬を調合できる薬師なんだよ」

「……な、あー……」

 リレイドに住んでいる時にも薬師について聞いたことはあったけど……ほとんど薬を持ち歩いて、病人に与えている人だと思っていた。その場で調合するなんて聞いたこともない。


「理解できたようじゃな、少年よ。さて、薬を用意するのに、ここではちと役不足な部屋じゃの。どこかいい場所はあるかの?」

「それなら、地下の倉庫を借りてます」

 部屋の前で話してから、姿が見えなくなっていたマリアさんが言う。どうやら今の間に宿屋の主に地下倉庫を使わせてもらえるように、お願いしにいっていたのだろう。昔からロージェさんを知っていたのなら、薬を調合する部屋が必要になることも予想できるはずだ。


「さすがはマリア殿、ではワシはさっそく取り掛かるとしよう。ほれ、ぼーっとしておらんで、荷物を運んどくれ。リオンとやら」

「あ、はい」

 重たい鞄を急いで持ち上げると、部屋を出ていくロージェさんを追いかける。宿屋の受付横の扉から厨房を抜けると、地下へと降りる階段があった。ここから地下倉庫に続いているのだろう。階段の先にある冷たいドアを開くと、泊っている部屋と同じ広さはあるだろう地下室が向かえてくれた。両サイドと突き当りの棚には、黒い幕が上から垂れ下がっていて、部屋の中央には腰くらいの高さのテーブルとイスが置かれていた。


「おぉ、これまたマリア殿は有能じゃな。すでにここまで準備してくれておる」

 テーブルの上に鞄を置くように指示すると、椅子を引いてゆっくりと腰から座った。テーブルの下には、バツが悪そうに杖が横たわっている。


「今から薬の調合に入るでの。しばらくは一人にしておくれ」

 追い出されるまま地下室を後にすると、来た道を戻るように階段を上り、エイダの部屋の前へ、そこにはルインさん達が揃って待っていた。


「ロージェさんは?」

「薬の調合を始めたので、一人にしてほしいと」

「そうか、なら後は待つだけだな」

 信頼しているのか、ルインさんは安心したように隣の自室に戻っていく。同じように先生とマリアさんは、エイダが眠る部屋へと入っていった。部屋の前で立っていてもやることもないので、諦めて僕も自室へと戻ることにした。

 部屋に入ると、疲れていたのか窓際のベッドでルインさんは横になって目を閉じていた。僕も同じようにベッドに横になる。体の重さを吸収してくれるようにベッドは沈み、その心地よさに、自然と瞼は重くなる。緊張の糸が切れたかのように、僕の思考は暗闇の向こうへと落ちていく。自分が思っていた以上に、荒れ狂う雪道を歩いた体は限界を迎えていたのかもしれなかった。


「リオン、リオン起きろ」

 ルインさんの呼ぶ声に目を覚ました時、起き上がると体の節々が痛んだ。眠ったことで余計に、疲れと痛みを体に思い出させてしまったようである。


「ロージェさんの薬ができたみたいだ」

「本当ですか?」

「あぁ、早くエイダの部屋に行こう」

 痛む体を押して隣の部屋に行くと、ちょうど起き上がったエイダにマリアさんが薬を飲ませようとしていた。ベッドの横のサイドテーブルの上に置かれた赤い薬包紙に包まれている白い粉、おそらくこれがロージェさんの調合した薬のようだ。

 薬を口に含んだエイダは、少し苦そうに顔を歪めた後、マリアさんに手渡されたグラスを受け取り、一気に口の中に水を流し込む。


「うむ。これで1.2日もすれば、すぐによくなるじゃろ」

「ありがとうございます」

「これも仕事じゃ。さて、ワシは急いで戻るとするかの。残りの薬は忘れずに毎日飲むんじゃぞ」

 三角に折られた赤い薬包紙が入った袋をマリアさんに渡すと、ロージェさんは足早に立ち上がる。


「もう帰るんですか?」

 調合していた時間を合わせても、街に着いてから数時間しかたっていない。

「ワシがいない間にエレン様の身に何かあってはマズイからの」

 そう言ってニコッと笑う表情からは、お金の為だけに貴族専属の薬師になっている人物とは到底思えなかった。噂なんて、意外と適当な事ばかりなのかもしれない。


「下までお見送りします」

 ロージェさんを連れてマリアさんが出ていく、ルインさんも気をつかってくれたのか、僕の肩に一度手を置くと、そのまま部屋を出て行った。残された部屋には僕とエイダの二人だけ。


「……リオン」

 瞼を閉じかけた薄い眼でエイダは呟くように声を発した。うっすら見える蒼い眼は、病に侵されていても吸い込まれそうなほど、綺麗だった。

 前髪をそっと指で払い、額にそっと手のひらを載せると、エイダは冷たさを感じながら、安心したように目を閉じる。なんとなくだけど……薬のおかげで顔の血色もよくなったような気がした。手の平から伝わるエイダの鼓動を抱きしめるように感じながら、僕はじっと手を添えたまま見守っていた。



……………………………………………………………


「ロージェさん。ありがとう、助かったよ」

 宿屋の前、馬車のドアを御者が開けて待っている。乗り込もうとするロージェにルインは言う。


「フォフォフォ、お役に立てたようで。ですが、お礼なら私を行かせることにしたロザリア殿に、そしてエレン様に、いつか叶うなら」

「……いつか……叶うならきっと」

「それがよろしいかと……おっと、そうでした」

 何かを思い出したように、肩を貸してくれていた御者の手を離すと、ロージェはマリアに向かって小さく手招きをする。

「少しマリア殿だけ、よろしいじゃろうか?」

「え、えぇ」

 隣に立つルインの顔を見てから、ロージェの傍に駆け寄り、目線を合わせるように屈む。


「私にだけとは……何でしょう?」

「実は……行きがけにロザリア殿から、ご伝言を頼まれておりまして」

「お姉様から?」

「はい。『いつでも主を見捨てて戻ってきてもいいのですよ』と」

「ふふ、お姉様らしいですね」

「ワシもそう思う」

 二人は顔を見合わせて小さく笑う。離れた場所からその様子を見守るルインには、話す声は聞こえていなかった。


「ロージェさん。私からもお姉様に伝言をお願いしてもよろしいですか?」

「承りましょう」

「お姉様がエレン様を絶対に裏切らないように、私も最後までルイン様の傍に付いて行こうと思います。とお伝え下さい」

「かならずお伝えしましょう」

「ありがとうございます」

 ルインとマリアが見送る中、馬車はゆっくりと車輪を回し旋回する。隣町に向けて再び雪の上を進んでいく。


「何の話だったんだ?」

 隣に立って手を振るマリアに、ルインは尋ねる。


「秘密です」

 そう言ってマリアは、降る雪から逃げるように宿屋に戻っていく。


「秘密か……やれやれ」

 苦笑いのルインもまた、マリアを追いかけるように歩きだすのだった。


…………………………………………………………


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