第八章 雪解けを待つだけ (兄妹)
「あの……ロザリア様」
状況を見守っていた老紳士は、おそるおそるメイド服の女性に話しかける。
「失礼ですが、こちらのお二人はお知り合いの方ですか?」
「え……あ、いえ、知りません。こんな人、私は知りません。支配人、さっさと追い出して下さい。この方々はお嬢様に危害を加える可能性があります」
激しく狼狽えていた息を整えると、僕らに背を向けたまま、何もなかったかのように再び階段に向かって歩き始める。
「待ってくれ、ロザリアさん」
「気安く名前を呼ばないで下さい」
ロザリアさんは背を向けたまま、静かに淡々とした様子で、話を断ち切るように言う。
「私もお嬢様も貴方とは何の係わりもないはずです。それとも“一族の掟”を違え、エレンお嬢様に害を及ぼすつもりですか?」
一族の掟という言葉に、ルインさんは苦しそうに目を伏せる。もしかすると、前に話してくれた例え話と何か関係があるのだろうか。僕には分からない。ルインさんにとって、とても重要で、大切なこと。
「そんなつもりはない。ただ……どうしても助けたい仲間がいる。その為にはネルの……エレン様の助けがいるんだ?」
「その方にはお気の毒ですが……その方を助けたせいで、間接的にも貴方がお嬢様に害をなさないという保証がありますか? 私は昔から貴方のことを一ミリたりとも信用してはおりません」
振り返ったロザリアさんは、はっきりと言いきる。
「俺の事は信用してくれなくてもいい。ただ、これを託してくれたマリアのことは信じてくれないか」
そう言ってルインさんは懐の中に大切に持っていた、真紅のブローチを取り出す。室内を照らす灯篭の炎に、共鳴するようにブローチは輝いている。
「それは……マリアのブローチ」
「ロザリアさんなら、大切なこれを俺に託してくれたマリアの思いは分かるはずだ」
「う……そういうことなのですね。マリア」
まじまじとルインさんの持つブローチを見つめた後、ロザリアさんは服の上から何かを押さえるように、胸の上に手を当てた。
「分りました。不本意ではありますが、貴方の事を今だけ信じましょう。ただしお嬢様に会わせるわけにはいきません」
せっかく来たのに、それではエイダを助けることができないではないか。
「話は最後まで聞いてください。お嬢様に会わせるわけにはいきませんが……病気の方を助ける為に、同行している薬師の者を派遣することは許可しましょう」
「それはありがたいが、薬師を派遣して、いざという時、大丈夫なのか?」
「同行している薬師は一人ではありませんので、その心配はご無用です」
さすがは王族に連なる貴族になると、同行する薬師も一人ではないようだ。
「支配人さん、ロージェ殿を呼んできて頂けますか。あと、雪道でも走れる頑丈な馬車を1台」
「かしこまりました」
僕らを囲んでいた執事服の男達は両サイドの扉へ戻っていき、支配人の老紳士も足早に奥の部屋へと消えて行った。
「いいのか? 馬車まで用意してもらって」
「勘違いしないでください。貴方がたの為ではありません。当家の薬師が無事に戻れるように手配するだけですので」
「それでも、ありがとう」
隣で頭を下げるルインさんを見て、僕も同じように頭を下げた。
「お待たせ致しました。ロージェ様をお連れし、馬車も玄関前にご用意ができております」
老紳士が出て行ってから少しすると、一人の人物を連れて戻ってきた。後ろを歩く人物が薬師のロージェという人なのだろう。
「こんな夜更けに急な要件とはどうしましたかの、ロザリア殿」
老紳士の後ろから、小柄な男性が杖でバランスを取りながら前に出る。長い顎髭に、後ろで一つにまとめた髪の毛、どちらも白くなり、かなり年配の男性であることが見て取れた。
「ロージェ殿、夜分に申し訳ありません。実は隣町に病人がいて困っているとの知らせがあり、この者達と一緒に向かってはくれませんか?」
「それはかまいませんが、わざわざエレン様の薬師であるワシが? ロザリア殿にしては大胆な決断ですな。どういった風の吹き回しじゃろう」
そう言ってロザリアさんを見た後、視線を僕ら二人へと動かす。その瞬間、ロージェと呼ばれる薬師の目は妖艶な月のように細くなった。
「ほう、なるほど。これはまた、こんな場所で面妖な方とお会いできるとは……長生きはするものですな」
もちろん僕に対しての発言ではないことは百も承知である。この場に僕の事を知っている人がいるわけもない。ということは、この薬師の老人もルインさんを知っている人ということになる。つまりルインさんもこの老人を知っているのだろうか。
「この任、承りましょう。それがエレン様の為にもなるじゃろうから」
「お引き受け感謝します。ですがロージェ殿、今回の件はお嬢様には……」
周りを気にしながら、ロザリアさんは心苦しそうに言う。
「わかっております。言いはしません。悲しい希望など、初めから知らぬ方がよろしいこと」
「……ありがとうございます。あと一つお願いが」
そう言って、薬師の老人の耳元でなにやら耳打ちをする。残念ながら僕らには聞こえない小さな声で。
「ふむ、そちらも承りましょう。では、お二方参りましょうかの」
老紳士が用意してくれた馬車が宿の入り口で待っている。まだ雪の降る中、僕らは薬師を連れ、エイダの元へ急ぐのだった。
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ゆっくりと音を立てずに扉が開くと、隙間から光が棒状に射し込む。光を一瞬人影が遮り、再び扉が閉まると、部屋の中に暗闇が戻ってくる。
「ロザリア?」
暗闇の奥から、部屋を訪れた人物に向かって声が発せられる。少し幼げな声から、それが少女の声であることが分かった。
「はい。エレン様、ここにおります」
問いかけにロザリアは応えると、ベッドの横のランプに炎を灯す。すると一瞬で、部屋の中を支配していた暗闇が姿を消す。
「申し訳ありません。起こしてしまいましたか?」
ルイン達と話している時とは打って変わり、優しい声でロザリアはベッドに横になる少女こと、自らの主であるエレンに微笑みかけた。
「ううん。元々起きていたから気にしないで。それよりも少し外が騒がしかったけど、何かあったの?」
「いえ、たいしたことでは……隣町で病人がでてしまい、薬師の手を借りたいと訪れた者達がいましたので、その相手を」
「……そう」
エレンは上半身だけ起き上がると、跳ねている髪を触る。
「申し訳ありません。私の独断で薬師のロージェ殿を隣町へ向かわせました」
「いいの。困っている人がいれば助けるべきでしょ。それに、今の私とても気分がいいの。きっといい夢が見られたからかしら」
「夢ですか?」
「そう。幸せな夢」
幸せな時間を思い出すように、そっとエレンは目を閉じる。
「暖かな日差しの中、木々が揺れる木陰、優しい声と大きな手、大好きだったお兄様と過ごした時間。どうしてかしら……急に夢の中で会えるなんて」
目を閉じたまま、エレンは両手で包み込むように胸を押さえた。
「まるでお兄様が近くにいるみたい……フフ、おかしいでしょ? もう二度と会えないはずなのに……変ね」
そう言ってエレンは少し寂しそうに微笑んだ。
「変なこと言ってごめんなさい。話していたら少し眠くなってきたみたい」
小さな手で目をこすると横になる。すると、すぐさま横になったエレンの上からロザリアは丁寧に毛布をかけていく。
「ありがと、ロザリア」
「おやすみなさいませ。エレン様」
エレンの目が閉じるのを確認すると、ロザリアはランプの炎を消し、そっと静かに部屋を後にするのだった。
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