第一章 硝子な少女と少女奪還作戦 (考察)
「よ、眠れたか?」
そんなセリフと共に襲撃のあった次の日の朝、ルインさんとマリアさんは、予告通りやってきた。
「眠れたと思いますか?」
もう一度覆面集団が襲ってくるかもしれない恐怖心から、ほとんど眠ることなんてできなかった。
「冗談だよ、それよりキッチン借りていいか?」
「キッチンですか……いいですけど、どうして?」
「考え事するにも、まずは腹ごしらえをしないと」
そう言うルインさんの手には、食材が詰め込まれた木の籠が持たれていた。
「マリア、頼むね」
「まかせてください」
そう言われてマリアさんは食材の入った籠を受け取ると、キッチンへと向かっていった。
どうやら料理はマリアさんが作ってくれるようである。
「とりあえずマリアが食事の準備をしている間に、俺たちがいなくなった後、何があったか教えてくれないか」
「はい。えーと……あの後は……」
順序だてていくように、ルインさん達がいなくなった後のことを思い出していく。
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ドンドン
「誰かいますか?」
重たく響くノックの音がした後、これまた野太い声が聞こえてきた。
おそるおそるドアを開けると、そこには立派な髭を蓄えた初老の男性の姿があった。後ろには初老の男性と同じ制服を着た男の姿もある。
お揃いの制服の胸元には警備隊の証であるライオンのエンブレムが輝いていた。
「近隣住民から通報があったのですが……」
そう言ってドアの隙間から部屋の中を覗こうと首を伸ばす。
なるほど、物音に気付いた誰かが通報してくれたのだろう。
「それが……部屋を見ていただくと分かると思います」
口で説明するよりも、その方が早いだろうと思った。
「どれどれ。これはひどいですな」
部屋に入るなり困ったように言う。言葉とは裏腹にそこまで驚いていないようにも思える反応だった。
まるで最初から知っていたかのように。
「荒らされたように本が散らばっていますね」
「いや……本はいつもです」
「あ、そうですか……」
「すいません」
お互いの間に気まずい雰囲気が流れてしまう。
「何か取られたものは?」
「いえ……僕は怖くて隠れていたので」
ルインさんに言われた通り、エイダの事は黙っておくことにした。
「うーん、犯人は複数でしたか?」
「たぶん、顔は覆面をしていたので……分かりません」
「そうですか。とりあえず私たちのほうでも、犯人を探してみますので、なにか思い出したら、警備隊の基地まで連絡を」
そう言い残すと警備隊はすんなり基地へと帰っていった。
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「……という様子でした」
一通り話し終えると、ルインさんは何かしら首を捻って考え出した。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
ふと、昨日からどうしても気になっていることがあった。
「いいけど、なんだ?」
「もしかしてルインさんとマリアさんってアルセントの方ですか?」
そう言った瞬間ルインの目は見開らき、僕を鋭く捉えた。
先程までの柔らかい目線とは違い、その目は完全に敵を見る目だった。
「どうしてそう思う?」
鋭い眼と同様、ルインさんの声色は心臓を鷲掴みにされるかのような重たい声であった。それは嘘をつかせない恐怖を植え付けるもののようで。
「そ、それは……」
あまりの恐怖に口が上手く動かない。
「どうしてそう思った?」
一段と重く低い声でルインさんはもう一度訪ねる。
「騎、騎士隊って言ったので昨日、それで……騎士隊があるのはアルセントだけだと授業で習っていたから」
「……」
なんとか絞り出した僕の言葉にルインさんはしばらく目を閉じていた。
それでも周囲にはまだ張り詰めた空気が漂い続けている。
「迂闊だったな。リレイドの場合は警備隊か」
と、目を開けると最初の優しい声で言った。
「しかし、お前を過小評価していたかな。怯えていても、しっかりと俺の言ったことを聞いているんだな」
「た、たまたまです」
胸に手を当てると、心臓はまだバクバクと激しく鼓動していた。
「それにしてもお前って本の虫? 俺も本は好きだけど、ここまではいかないな」
話を変えたかったのか、ルインさんは散らばっている本を取りながら言った。
僕としてもやっと心臓も落ち着きを取り戻してきていた。
「えーと、植物学概論……生態学、植物図鑑。こういうのが好きなんだ?」
「昔から植物が好きだったんです」
「好きなものがあることは、いいことだよな」
「分ります? 実はこの本もすごくて、実はこの本にのっている植物がですね、こっちの本のもほとんど見つからないもので、それに……」
「え?」
「あーこっちも、すごくいいんですよ、でも僕としては、一番はこれで、この色もいいですけど、生育条件によって、色が変化したり……などなどなどなど……あ、すいません、つい」
昔から植物の事となると、つい無我夢中で周りを気にせずしゃべってしまっていた。
思った通りルインさんも驚いたように固まっている。
「できましたよ」
タイミングよく、美味しそうな匂いを漂わせた料理を持ってマリアさんが現れた。
「ナイスタイミング。マリア」
いつの間にかフリーズから復活したルインさんは、嬉しそうにテーブルを片付けていく。
ウンザリした表情をしていたルインさんにとってマリアさんは救いの神様にでも見えているのだろう。
「え……何のことですか?」
当の救いの神様本人はポカンとした表情だ。
「いや、何でもない。それより食べながらだけど、マリアも揃ったから本題に入ろうかな」
「はい」
「リオンが話してくれた警備隊の事を聞いて、犯人の目星はある程度はついたかな」
「本当ですか?」
思わず箸から料理を落としてしまう。
「たぶんな。まず警備隊がすぐに捜査を切り上げたところを見ると、すでに何かしらの力が動いていたと考えるべきだな」
「力……ですか?」
「あぁ、そしてそんな力があるとすれば警備隊を取り仕切る、リレイドの領主」
「領主様が……」
民主主義制度を導入しているリレイドでは、国民の中から選ばれたリレイド議会の議員30名の中から選挙で領主が選ばれている。
現在は確か、エイブラハム・リレイドという90歳を超えた歴代最高齢の領主様だったはずである。もちろん一般人である僕は一度も会ったこともないが、噂では争いを好まない温厚な人物で通っているらしい。
「もしくは……エビナス教会だろうな」
エビナス教会とは、唯一この大陸に存在するすべての国にあり、過去の大戦時でも常に中立を貫いてきた教会の事である。ただ中立の教会であってもその力は大きく、各国の用心に信者や太いパイプがあるとか……もちろんリレイドにも支部はある。
「そんな……教会が悪事を」
「そんなに驚くことでもないだろ、何事にも表があれば裏がある。俺たちは昨日のうちに教会が怪しいと思っていて探りを入れてみた。なぁマリア」
「ええ、昨日聞き込みをしたところ、エイダさんを誘拐した覆面集団はある一定の場所周辺で、目撃証言がなくなりました」
「そこって?」
「ミレーネ広場です」
「怪しいだろ」
ルインさんも思わず、悪そうに口元から白い歯を見せた。
「考えてみろ、ミレーネ広場を抜けるとその先には何がある?」
「……エビナス教会のリレイド支部、パラミナス寺院があります」
リレイドの国の中で一番大きなエビナス協会の寺院である。
「そう、そして今日の朝、俺は港にも行ってきた」
「どうしてですか?」
「教会関係の船が出航するかどうか調べるためにな。調べてみると何船か出航するものがあった、その中でアルセント行の船を知らべてみると」
「どうだったんですか?」
「昨日の夜、急に船が出ることが決まったものがあった」
「それが……もしかして?」
「そうだ、アルセント行だ。思ったとおり今日の夜出航するそうだ。怪しくないか? 夜に船を出すなんておかしいよな、それもエイダが攫われてすぐにだ」
「じゃあ、その船にエイダが……」
「十中八九そうだろうな。行き先はきっとアルセントとエルルインの間にある教会の総本山、アセピレート大寺院ってところか。あそこに船で行くには一度アルセントに寄らないといけないからな」
「……そんな」
未だに教会がエイダ誘拐に関係しているとは信じられなかった。
それくらい教会という組織は、一般市民にとって平和的な組織なのだ。
「どうする?」
俯く僕に、ルインさんは考える間を与えずに言う。
まるで尋問されているかのようだ。
「どうするとは?」
「決まっているだろ。助けるか、それとも教会を信じたままエイダを見捨てるか」
「ルイン、そんな言い方は……」
「いいから。マリアは黙ってて」
「……分かりました」
制止されたマリアさんはしぶしぶといった様子で僕を見る。
「僕は……」
正直、エイダと出会ってから嵐のようにいろんな事が起こりすぎて頭がついていけなかった。ただの女の子誘拐事件に、平和の象徴でもあるエビナス協会がかかわっているかもしれない。さらには国をまたにかけて行われている可能性まである。
一般市民である自分にはあまりにスケールが大きすぎるのだ。
「まぁ無理にとは言わない。もちろん危険もある、昨日のように殺されかけるかもしれない。それにエイダとは偶然出会っただけの関係だろ。そんな子の為に命をかける覚悟があるのかってことだ」
ルインさんの言う通り、エイダとは昨日たまたま出会い、一緒にご飯を食べただけの仲だ。時間にしたって数時間程度一緒に過ごしただけ。彼女の事だって何も知らない……知らないことばかり? いや、一つだけ教えてくれた。
「でも……でもエイダは初めて会った僕に……いい人だって言ってくれました。だから秘密も教えてくれて……なのに僕は襲われたとき何もできなくて……怖くて震えていただけで……」
自然と悔しさから膝の上に置いた握りこぶしに力が入る。
ポタポタ拳の上に落ちる水滴の存在で初めて、自分が泣いていることにも気づいた。
「こんな僕でも……エイダを助けたいです」
きっと涙でクシャクシャになった酷い顔は誰に見せられないくらいだろうけど、そんなの関係ない。エイダを助けたい。それが僕の一番の素直な思いだ。
「よく言った」
「……え? ……グス」
「お前の心意気に感動したよ。なぁマリア」
「えぇ、ルインよりよっぽど男だと思いました」
「ひどいなぁーマリアは」
目の前の二人は何故か楽しそうに話している。
必死に涙を手の甲でふき取る僕なんておかまいなしである。
「俺たちも手伝うから、取り返そうぜ」
「でも二人は何も関係ないのに……」
「ここまで関わって手伝わないってことないだろ、それにリオンだって一人でどうこうできることじゃないはずだ」
「それはそうですけど……」
「じゃあ決まりだ」
ルインさんの言葉には有無を言わせない、そして安心感があった。
「分かりました。ありがとうございます」
「その言葉はエイダを助けてからにしようぜ」
「はい」
胸の中でエイダ救出への思いは奮い立たされていた。
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「……う、うん……」
頬に伝わる冷たい感触にエイダは目を覚ます。
そこはエイダにとって見たことのない場所だった。
ガシャ
動こうとすると足に巻き付けられた鎖がそれを制限させる。
部屋の中は薄暗く、遥か頭上に見える小さな窓から点のように光が見えるだけ。
「……リオン」
エイダの小さな呟きは誰にも届かず冷たい壁に吸い込まれていた。
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