第七章 権力の在り方 (十席)
「……これを着るのも久しぶりだな」
姿見に写る自分の姿を見つめながら、思わず呟いてしまう。鏡の中には枢機卿にだけ着用が許された、黄金の刺繍があしらわれた汚れなき白いローブを身に纏い、頭がすっぽり収まる白いフードを被る姿があった。ミッサーレ(枢機卿の晩餐)に出席する枢機卿はみな、この正装をする決まりとなっていた。
「セシル様」
自室の扉が開き、執事服に身を包んだ男性が入ってくる。彼の名前はヨハン、枢機卿には実務の補佐、身の周りの補佐など、補佐官を側近として置く権利がある。人数に制限はなく、多い人は数十人の補佐官を従えているものもいる。私には今、補佐官は彼一人しかいない。その為、おのずと彼がすべてを兼務していた。別の補佐官を増やすことも簡単にできるのだが、彼が有能すぎるのか、今のところその予定はなかった。
「リンから報告が届いております。ユーべという村に生家があるのは、サンデロイツ卿とのことです」
「やはりな。ありがとう」
予想していたことなので、正直驚きはなかった。ただ、ミッサーレ(枢機卿の晩餐)の前に、確証が持てたことは大きいことである。
「そろそろお時間ですね」
「あぁ行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
ヨハンに見送られるまま自室を後にすると、ミッサーレ(枢機卿の晩餐)が開催される、元老院の間に向かう。
「こちらでお待ちください」
司教に誘導されるまま、扉の前で待たされる。これから一人ずつ名前を呼ばれる。前回初めて参加した際には、驚かされたのだが、ミッサーレ(枢機卿の晩餐)に古くからある慣習の一つで、10人の枢機卿がコールマンと呼ばれる専門の司教の呼子の順に、入室していく。
「No,10 セシル・フォン・グランヴィッツ卿」
3メートル程の高さはあるだろう、重厚な両開きの扉が開かれ、元老院の間に足を踏み入れる。ミッサーレ(枢機卿の晩餐)のみで使用される元老院の間には、中央に円形のテーブルと10席の椅子のみが置かれ、余計な物は何もない。
私は扉の傍にある一番下手の席の椅子を引くと、ゆっくり腰を下ろした。円形のテーブルを囲む席順は決まっていて、一番奥の上手の席がNo,1シャルル・ド・ナーヴェル卿様の席となり、そこから順にNo,2.3.4.5……と左右に座っていく。つまり丁度、ナーヴェル卿様の席と、私の座る席が向かい合わせになる仕様となっている。
名前の前に付く数字、表向きは形式上の数字でしかないが、実際、内情を知るものからすれば、これが自分の枢機卿内での序列を表す番号であることは、子供でも分かることだった。暗黙の中で、枢機卿には序列がある。つまり、今の私は枢機卿内の序列では最下位、だからこそ一番下手の席に、最初に呼ばれて座るのだ。
「No,9 アルベルト・ラス・ドゥーブル卿」
背後の扉から次の枢機卿が元老院の間に現れる。装いは同じ白いローブにフードを被っている。枢機卿の序列については必ずしも新参者が下位になるわけではない。現在の10人の中では私が一番新参者ではあるが、No,9のドゥーブル卿は2番目の新参者というわけでもない。これも序列があくまでも、暗黙の了解である所以なのかもしれない。
「No,7 ルイス・デ・フスカ卿」
地響きが起きそうな巨体を揺らしながら、フスカ卿が姿を現した。ローブを膨れ上がらせる体付きは相変わらずで、繊維が悲鳴を上げているようにも見える。フードの下から聞こえる、荒い鼻息をまき散らしながら、ドゥーブル卿の右隣に着席する。
No,8 ハンフリー・メル・ジープ卿については、順番間違いではなく、今回のミッサーレ(枢機卿の晩餐)も病気療養の為、欠席とのことだ。10年近く公の場所に姿を現しておらず、私も枢機卿になってからミッサーレ(枢機卿の晩餐)ではお会いしたことがなかった。
「No,6 ラニエ・ロ・エスター卿」
先に入室したフスカ卿とは反対に、今度は長身の男性が入室する。2m近くある身長はすべてを見下ろしているようで、立っているだけでも存在感が強く、枢機卿になる前はアルセントで騎士をしていたそうだ。枢機卿としての歴は私の次に浅く、推挙された際は退任したNo,6の席に、そのまま就任となった。
「No,5 オットー・ア・カッセル卿」
神聖な白いローブの所々に、汚れやホコリを付けたまま入室するのは、元老院の知識と呼ばれるカッセル卿である。身なりや装いに無頓着な代わりに、豊富な知識と探求心で常に新しいことを学び、考える革新派でもある。噂では普段、片田舎の本屋でひたすら本を読み続け、さらなる知識の向上に努めているそうだ。
「No,4 アドルフ・マクベス殿」
待ちくたびれたかのように、丈の長いローブを引きずりながら入室する、彼だけ名前に卿が付かない。あえて付けなくていいのだ。枢機卿に任命された時、誰もがみな、権威と立場の証明から家名と名前を与えられる。それはとても光栄で名誉なことであるが、ただ一つ例外がある。それがマクベスの名だ。エビナス教会の始祖である、エビナス・マクベスの子孫(正確にはエビナス・マクベスには子供はおらず妹の子孫)は、枢機卿に任命されたとしても、マクベスの名を名乗ったままでいい。それほどマクベスの名は偉大であった。
「No,3 ベルラード・イム・サンデロイツ卿」
名前を聞いただけで、自然と眉毛がピクっと反応してしまう。ハイダルシアでは大臣を裏で操っていた張本人、権力の執着心が強く、新しい芽が潰れる時には必ず背後にサンデロイツ卿がいるとも言われている。今回のミッサーレ(枢機卿の晩餐)でも間違いなく、何か手を打ってくる可能性は高い。要注意人物の一人である。
「No,2 マリー・ルク・セブルス卿」
マリーという名前から連想される通り、枢機卿の中で紅一点、唯一の女性である。他の男性枢機卿と同じ装いをしていても、所作や歩き方からして女性特有のしなやかさや、緩急の付け方が見て取れる。唯一の女性枢機卿であるため、同性の信者や司教からの人気も高いと聞く。
「No,1 シャルル・ド・ナーヴェル卿様」
そして最後に呼ばれる方が、教会の最高決定機関である元老院を司る、枢機卿10人を束ねる絶対的権力者、枢機卿になって50年以上、教会の始祖エビナス・マクベスと一緒に教会の基礎を作り上げた、生きる伝説でもあるお方である。同じ枢機卿でも他の9人とは、天と地ほどの差があると言われ、コールマンが呼ぶ際も唯一、ナーヴェル卿様と呼ばれている。
ゆっくりとナーヴェル卿様が、私と向かい合う席に着席されると、元老院の間に病気療養中のジープ卿を除けば、全員揃ったことになる。
「皆がこうして変わらず、また集まれたこともマクベス様のご加護であろう」
低いかすれた声でナーヴェル卿様が話始める。基本的にはNo,1であるナーヴェル卿様の判断で進んでいく。
「ではこれより、ミッサーレ(枢機卿の晩餐)を始めようではないか」
始めようの言葉が合図のように、全員がフードを外す、このタイミングでやっとお互いの顔を認識できるのだ。
「晩餐会を始める前に、各々近況でも語らい合おうか」
「ナーヴェル卿様、よろしいでしょうか?」
待っていたとばかりにサンデロイツ卿が、様子を伺いながら発言の許可を求める。何かしてくると予想はついていたが、早速である。
「サンデロイツ卿か、よろしい」
「ありがとうござます。実はグランヴィッツ卿の独断行動についてですが、先も前例がないまま巡礼隊に帯同しております。これは他の枢機卿に相談もないままとか」
「あらあら、サンデロイツ卿は人気者に妬いているのかしら」
ドゥーブル卿が横やりを入れる。相変わらず男性であるが、少し特異な話し方をする。
「ドゥーブル卿、余計な私語はやめてくれんか」
「あら、ごめんなさい」
分かりやすい程、気持ちのこもっていない返答である。
「ゴホン、話を戻しますが、巡礼隊が滞在する現地での独断行動も多いと聞きます。警備する聖騎士も気苦労が絶えないとか……古くからある慣習や慣例を蔑ろにする、グランヴィッツ卿の考え方はいかがなものでしょうか?」
民衆に訴えかける教祖のように、身振り手振りを合わせて語る。だが訴えが届いてないのか、つまらないのか、マクベス殿は平然と大きな欠伸をしている。
「グランヴィッツ卿、サンデロイツ卿の意見に何かあるか?」
反論のチャンスを頂けるということだろう。ナーヴェル卿様から指名される。
「では私からも……古くからの慣習や慣例と言われますが、それはもしかして行く先々の寺院で、こっそりと渡される裏金のことですか? それであれば私は断固拒絶します。きっと古き慣習を重んじるサンデロイツ卿でも、私の考えに賛同して頂けるかと思いますが?」
「失敬な言い方ではないか? まるで私が不正な金品を受け取っているようだ」
思わずサンデロイツ卿は立ち上がる。
「そう思われてしまったのなら申し訳ありません。私はただ、袖の下を渡そうとする司教がいる寺院は、どこもサンデロイツ卿が管轄される場所ばかりでしたので、ご注意をと思い」
「うぅぅあー言えば、こー言いおって」
テーブルを握る腕も揺れ、一段と苛立ちの様子が分かりやすくなる。
「あー言えばでもう一つ、実はサンデロイツ卿にお悔やみを申し上げたいと思っておりまして」
「お悔やみ? 藪から棒になんのことだ?」
「おや、郷里の友をお忘れですか? 先日ハイダルシアで逃亡の末、自殺したジョイス大臣殿です。同じユーべ村では?」
王族誘拐犯が竹馬の友であることを、認めるわけがないだろう。それでもミッサーレ(枢機卿の晩餐)での発言に意味があるのだ。
「う、うるさい。さっきからなんだお前は」
サンデロイツ卿から冷静さはなくなり、吐き出されるのは怒号でしかなくなっている。
「少し落ち着いたらどうだ? サンデロイツ卿」
腕を組んだまま黙っていたエスター卿が、見るに見かねた様子で割り込む。
「部外者は口を挟まないでもらいたい」
「挟むつもりはなかったが、ここは口喧嘩の場ではなく枢機卿の集まる場だ。それに貴殿の子飼いでもあるフスカ卿は、震えているぞ」
エスター卿の向かいの席では、巨体を小刻みに震わせるフスカ卿の姿があった。
「それとグランヴィッツ卿も、必要以上に相手を逆なでするような言い方はよくない」
自分でも少し派手に言いすぎているように感じていたので、そろそろ誰かが止めにはいるような予感はしていた。
「失礼致しました。きっと貴重な出会いに興奮していたのかもしれません」
釘を刺されるのが分かっていただけに、ここで話題を最後の狙いに持っていくのがよさそうだ。
「あら、貴重な出会いってなーに?」
上手くドゥーブル卿が話にのってきてくれた。
「書物でしか語られていない特異な少女に出会いまして……白銀の髪に蒼い眼をした灯り師の少女です」
灯り師という言葉に一瞬で場が氷ついたのが分かった。危険な賭けではあったが、ミッサーレ(枢機卿の晩餐)の場で、灯り師の話題を出した意味はあったかもしれない。
「グランヴィッツ卿、以上かな?」
「いえ、まだ詳しくは今から……」
「私は以上かと聞いたのだが。聞き間違えたか?」
冷めきった場の、冷たさが一段と厳しくなる。第6感が激しく警報を鳴らし、口から出る言葉によっては枢機卿の席だけではなく、全てを失ってしまう怖さもあった。
「……いえ」
絞り出すように出せたのは2文字だけ。
「よかった。では以後、灯り師の件はワシの預かりとする。よいかな?」
誰も口を挟める理由もなかった。憤りで血が頭に上っていたはずのサンデロイツ卿ですら、借りて来た猫のように静かに座っているだけ、誰も口を開けない、開かせない空気が出来上がっているのだ。
「ねぇご飯はまだ?」
張り詰めた緊張感をぶち壊すように、お腹を摩りながらマクベス殿は言う。壊わされた緊張感の先には、一転して嘘のように和やかな空気が息を吹き返していく。
「ふふ、ナーヴェル卿様。そろそろ晩餐会にしてはいかがでしょうか?」
そう言ってセブルス卿はほほ笑む。
「うむ、そうだな」
ナーヴェル卿様が2回、手を叩くと一斉に扉が開き、待っていたとばかり給仕係が料理の載ったキャリーを押して入ってくる。モヤモヤとした気持ちを引きずる者のいる中で、テキパキと料理は並べられていくのだった。




