第五章 雪山の隠れ里 (真実)
吹き荒れていた吹雪も少しずつ回復の兆しが見えてくる、長年雪山に住んでいる人々の予想の的確さには驚かされるばかりだ。そんな朗報の中で、僕の心の中のモヤモヤは天候とは打って変わって、一向に晴れる気配はなさそうであった。
引き出しを開けて写真を見つけたからといって、意気揚々と真相を聞き出すような事ができるわけもない。それにもし写真に写っている赤ん坊が僕だとしたら……それを隠している、そして話さない事には、きっと何か理由があるのかもしれない。そう思うと一層、一歩踏み出せないままの自分がいた。
「おーい、リオン」
隣の部屋からマシアスさんの呼ぶ声がする。僕は見ていた写真をそっと引き出しの中に戻すと、一息ついてからドアを開けた。そこにはテーブルに座るマシアスさんと見慣れない男性の姿があった。
「おー、お前さんがリオンか。話はマシアスとグレースから聞いてるよ」
そう言って男性は気さくに片手を上げる。顔中毛だらけで熊のような印象とはかけ離れた仕草であった。
空いているマシアスさんの隣の席に座ると、待っていたかのようにグレースさんが淹れたてのコーヒーの入ったカップを僕の前に置いてくれた。ここに居候して数日しかたっていないけど、持ち手に傷のあるこのカップは、前から用意されていたように、いつの間にか僕専用になっていた。
「確かに、どことなく顔つきがマシアスにも似てないことはないな」
まじまじと僕の顔を見ながら言う。まさに昨日のロメオと同じようなことを言っている。
「あんた、そんなこと言うために来たんじゃないでしょ」
「拗ねるな拗ねるな。安心せい、グレースにも似てるから」
「そんな、拗ねてないわよ」
からかわれて恥ずかしいのか、耳を赤くしたグレースさんは逃げるようにキッチンへと戻って行った。
「あの……それで、わざわざ来たっていうのは?」
呼ばれてみたのはいいけど、話しの展開がまったく読めないでいた。
「そうそう。実はお前さんが、旅をしている仲間を探してるって二人に聞いてな。それで近くの村に行った時の話を教えてやろうと思って来たのさ」
「ガイアは……おっと、まだ紹介してなかったな。彼はガイアといって、村の外とのパイプ役というか、数少ない村と外の行き来を許されている村人なんだ」
マシアスさんが紹介も兼ねて言うと、小さく「よろしくな」とガイアさんと握手をした。
「まぁ買い出し係みたいなもんさ。村の特産品を外に売って、生活に必要な物を買いに行くってな。もちろん村の場所がバレないようにはしてるぜ」
出入り禁止が厳しい村にしては、外でしか手に入らないようなものがあると思ったけど、そういうことだったのか。
「それで村の外の話とは?」
少しでも外の話を聞くことができれば、3人を探す手がかりにもなるかもしれない。
「そんなにガッツくなよ。実はな、お前さんがここに運ばれて寝込んでいる時、俺は村の外にいたんだが、そこで人探しをしている奴らを見かけたんだ。なんでも雪崩に遭遇して、はぐれた仲間を探しているとか」
「本当ですか? どんな人です? 何人ですか?」
「え? あ、ちょっと落ち着け」
テーブルに身を乗り出す僕の姿に、若干ガイアさんも引き気味のようだ
「すいません。興奮して」
「いいけど。確か聞いた話では男が一人に、女が二人だったな」
人数も性別も探しているルインさん達と一緒である。
「あと、酒場のおっさんが言ってたけど、その中の一人の女は晴れててもフードを被って、顔を隠してたそうなんだけど、風が吹いた時、チラッと女の髪の毛が見えたとか……なんて言ってたかな、世にも珍しい綺麗な銀色の髪をしてるって話だ」
「銀色の……髪」
話を聞いた瞬間に、僕の頭の中には一人の人物しか思い浮かばなかった。もちろんそれは僕がずっと会いたいと思っている人物である。
「それでその3人はどこに?」
「仲間が見つかるまではリンドベルの町を拠点にして探すらしい」
リンドベルの町……マシアスさんの言う通り、雪崩に巻き込まれた後、逃げ延びている可能性が多い町だ。よかった、みんなは無事で僕を探してくれているのだ。
「その顔を見ると、俺の話も役には立ったようだな」
「はい。ありがとうござます」
役に立つどころではない。立ちまくりである。気のせいかガイアさんの背後には後光がさしているようにも思えた。
仕事が残っているからとガイアさんが帰っていくと、僕はベッドの上に嬉しさから飛び乗っていた。ガイアさんがもたらした情報のおかげで、村を出てからどこに行けばいいのか、なんとなく決まって、少しだけ安心している自分がいた。これで後は明日、吹雪がおさまっていれば村を出ていくだけ、それで終わりのはず、はずなのに……胸の奥では本当に終わりなのかと自問自答する自分がいた。引っかかっているものをこのまま無視したままでいいのだろうか。いや、きっとこのままでは僕はずっと気になって前には進めないかもしれない。
戸棚の引き出しから写真を抜き取ると、ポケットにツッコむ。写真を握る手は少し震えていた。ゆっくりと扉を開けて部屋を出ると、リビングでグレースさんとマシアスさんは談笑していた。
「あら、どうしたの?」
気づいたグレースさんは、座りやすいように席を一つずらして空けてくれた。僕はそのまま席に着くと、一度、口の中に溜まった唾液を飲み込んだ。
「あの……ちょっといいですか?」
「どうしたんだい?」
「僕……これを見つけたんです」
ポケットから一枚の写真を取り出す。もちろんアルバムの中で見つけた、僕と思われる赤ちゃんが写っているものである。
「それは……」
「すいません。勝手にあさるようなことをして。でも引き出しを開けて、見つけた写真の裏には『ミリアとリオン』と書かれていたので」
「……」
「もしかして二人は本当に僕の祖父母ではないですか?」
「……」
問い詰めるように言葉を投げつけたせいか、二人はじっと黙ったままだった。
「本当のことを教えてもらえませんか?」
「……」
何の返答もないまま重苦しい雰囲気が僕らの間を包み込む。一体どれくらいの時間が立っただろうか、1分しかたってないと言われればそう思えたし、1時間と言われればそれも信じてしまう。それくらい特殊な空気に包まれていた。
「あの日、あの日もこんな天気だったな」
窓から外の景色を見ながら、思い出すようにマシアスさんは閉じられていた口を開いた。
「あなた」
「もう、いいだろ?」
何かを言いかけたグレースさんを諭すように手を重ねると、決心したように続きを話し始めた。
「あれは今日のように吹雪の吹き荒れる日の事だった。この村で結婚した私達の間には一人の子供がいた。写真を見たなら分かるだろうけど女の子で、名前をミリアといった。私達の子供であり……リオン、お前の母親でもある」
「僕の……母親」
予想はしていたことだけど、実際にマシアスさんの口から聞くと一段と現実味をおびてくる。
「ミリアは大きな病にかかることなく、村のみんなから愛されて大きく育っていった。そして19歳の誕生日を目前に控えたころ、一つの出会いが訪れた。村の外れでミリアは一人の青年が行き倒れているのを見つけた。その青年の名前はロイド、話を聞くとハイダルシアからリレイドに戻る途中、ゲルで休んでいると雪崩に巻き込まれてしまったとのことだった」
「それって……」
「そう、お前と同じ『忘却の雪崩」に巻き込まれたんだ」
ゲルをもなぎ倒してしまう、恐ろしい雪崩がこんな時にも起こっていたのだ。
「ミリアの献身的な看病もあって、体中ボロボロになっていた青年も徐々に元気を取り戻し、村の人々との交流も少しずつ盛んになっていった。彼の横で笑うミリアの笑顔を見ていると、親である私達ですら、すぐに分かった。ミリアは彼に恋しているのだと、そして彼もミリアのことが好きなのではないのかと……思った通りそんな二人が愛し合うのに時間はいらなかった。」
自分の両親の出会いについて話すマシアスさんの横で、グレースさんは終始俯いていた。
「でも二人の愛を厳しい村の掟は許してはくれなかった。リオンも知っている通り、この村はとてもよそ者を嫌う。そして村の者が外に出ていくのも許さない。村で生まれ育ったミリアと結婚して暮らしていくには、彼は村に留まるという選択肢しかなかった。それならば固い村の者たちも村の住人として歓迎してくれるはずだった。しかし、彼には叶えたい夢があった。生まれ故郷であるリレイドで孤児院を開き、身寄りのない子供達を助けてあげたかったようだ」
「どうして父はそんな夢を?」
「少しだけ後になって知ったことだけど、どうやらロイドも元々、孤児院出身だったようだ。だから孤児の気持ちが痛いほど分かる。だからこそ自分で孤児院を造り、孤児たちが幸せに過ごせる場所を作りたかったんだろうと思う……結局、ポツポツと粉雪が降り落ちる日の早朝に、二人は置手紙だけを残して、村から姿を消していた」
好きな人と夢、どっちも選べないが故に、二人は駆け落ちのように村を出た。淡々と語り続けるマシアスさんの口調のせいか、驚くほど冷静に受け止めることができている自分がいた。
「一度、コーヒーを淹れてなおしてくるわね」
話しがひと段落したのでグレースさんは、おぼんにカップを載せると、キッチンへ向かっていく。まだ写真のことなど聞きたいことはあったけど、グレースさんがいない間に聞いてはいけないような気もした。
しばらくして、湯気の上がるコーヒーの注がれたカップを載せたおぼんを持ってグレースさんが戻ってくると、僕らの前にカップを置いていく。持ち手に傷の入ったマイカップで飲むコーヒーはいつもより苦く感じた。
「その写真についてだったね」
「……はい」
駆け落ちでいなくなったはずの母と子の写真が、どうして二人の手元にあるのか。つまり僕が生まれてから一度、母は写真を渡しに来ているはずなのだ。
「ミリアが村を出て数年が立った頃、村の外から帰ってきたガイアが、血相を変えて家にやってきた。少し落ち着かせると、懐から手紙を取り出した。中を開けて読んでみると、そこにはミリアの筆跡で、村を出てからの生活が記されていた。息子のリオンが生まれたこと、そしてロイドが不慮の事故で亡くなってしまっていること、それでも子供と二人で元気に生活していること、さらにはリンドベルの町に来ているので会いたいと書かれていた。中には一枚の写真も同封されていて、それがその写真だ」
「会いに行ったんですか?」
「いや、行かなかった。行けなかった……手紙だけガイアに預けて……」
「どうしてですか?」
思わず声を荒げて聞き返している自分がいた。
「この村に住んでいないお前なら、会うのが当たり前と思うかもしれない。でも、私達は村の掟を守る義務がある。例え実の娘が会いに来たとしても絶対に」
そこまで村の掟を守って娘に会わなかった二人の元に、まさか孫である僕が迷い込むことになるなんて……そういえばもう一つ気になることがあった。
「でも、気づいていたなら、どうして最初から本当のことを打ち明けてくれなかったんですか?」
わざわざ嘘をついてまで隠さなくてもよかったようにも思えた。それに本当に隠そうとしていたなら、嘘でも初めから孫だって設定にしなくてもいいはずだし、あんな分かりやすい所に写真を置いておくことだってない。
「風の便りでミリアが亡くなり、リオンが孤児院に預けられたと知った時も私達は何もしてやれなかった。本当なら孤児院からお前を引き取って育てるべきなのに。村の掟を守ってただ、静観することしかできなかった。そんな私達が今さら、どの面下げて名のることができるだろうか……」
二人からすれば、死ぬまで会うことはないと思っていた孫が、娘を奪った『忘却の雪崩』のせいで現れることとなる。運命の皮肉さを呪わずにはいられないのかもしれない。
結局、僕は二人の話を聞いた後、何も言葉が出てこなかった。胸のモヤモヤを解決しても幸せになれないことだってある。みんなそれぞれに守らなければならない大切な物があるのは当たり前なのだから。
ベッドの上で横になり、頭まで布団を被る。思った以上にすぐに睡魔は僕を夢の世界へ連れて行ってくれた。夢の中で僕は何かを見ていた。小さな女の子と優しそうな両親が、幸せそうに鹿肉の入ったボルシチを食べている光景だ。アツアツのボルシチを頬張る女の子の姿を見ているだけで、夢の中のはずなのに、胸の奥が暖かくなっていた。
朝になると、空からどんよりとした雲がなくなり、太陽が久々に顔を出している。
「元気でね」
何となく気まづい雰囲気の中で、グレースさんの言葉に僕は一度頷くことしかできなかった。部屋の中、白い布で目隠しをされる。村の場所を特定できないようにするため、外に出る者は皆、視覚を隠さなければならない掟なのだ。
目隠しをされたまま、僕はガイアさんに手を引っ張られ雪道を一歩ずつ歩いていく。
どのくらい歩いただろうか……ふいに真暗な視界に輝く光が射し込む。あまりの眩しさにまだ目が慣れていない。徐々に目が慣れてくると、そこが外で、辺り一面雪景色だということが理解できた。
「あれがリンドベルの町。普通に歩けば、1時間くらいで行けるはずだ」
隣に立つガイアさんが、少し先に見える密集した建物群を指さした。
「元気でな」
「はい。あ、そうだガイアさん」
「うん? どうした?」
「二人に……体に気を付けて下さいって伝えてもらえますか?」
なんとなく最後のお別れがキチンとできていなかった。こうなるなら聞かないままの方が、綺麗に別れることができたのだろう。後悔しても遅いけど。
「ふん、嫌だね」
「え?」
ガイアさんの予想外な返答に思わずアホみたいな声が漏れる。
「そんなの自分で伝えればいい」
そう言ってガイアさんは後ろに振り返るので、僕も後ろを向いてみると……そこには。
「マシアスさん、グレースさん」
いるはずのない二人の姿があった。ここにいるということは村の掟を破ったということ……ありえない。
「どうして……?」
「もう私もグレースも後悔はしたくない。本当ならあの時、掟なんて気にせずに会いに行けばよかったんだ」
「リオン」
目を赤らめたグレースさんは、力いっぱい込めて僕を抱きしめる。その暖かさは遥か記憶の奥底に眠る暖かさと全く一緒だった。
「行ってきます。おじちゃん、おばあちゃん」
僕の言葉に二人は一瞬驚いた後、涙を流していた。そんな二人の姿がぼやけて見えたのは、きっと僕の目も同じように潤んでいたからかもしれない。でも立ち止まることはできない。遠く小さくなる人影に手を振って別れを告げると、仲間の待つリンドベルの町に向かうのだった。




