第五章 雪山の隠れ里 (疑惑)
「ちょうどヘルタンの町からハイダルシアの首都に向かう途中でした」
「それで雪崩に」
村に滞在させてもらうこととなり、一応表向きは二人の孫ということになっているので、お互いのこれまでの話をして、簡単な帳尻合わせをすることになっていた。
「生まれはリレイドです。両親は小さい時に亡くなったので、それから孤児院で育てられました」
話すといっても、ほとんどが孤児院での生活がメインの僕にとってはたいして語ることもない。
「リオン君はリレイドにずっと住んでいたのに、どうして旅をしてるんだい?」
「え?」
旅をしている理由……聞かれるとは思っていたけど、改めて聞かれると困ってしまう。本当の事を言うと、灯り師であるエイダをエルルインに連れて行くために旅をしている。でも本当のことを言うわけにもいかない。助けてくれた二人を疑っているわけではないけど、どこでエイダを狙う教会の組織が見張っているかも分からないからだ。それに秘密を話してしまって関係のない人を巻き込むこともしたくはなかった。
「えーっと……あれです。一緒に旅をしてる仲間に誘われまして……」
我ながら下手な嘘だとは思ったけど、察してくれたのかマシアスさんもグレースさんもそれ以上は何も聞いてはこなかった。
「ねぇ、孫なのにリオン君というのもおかしいかしら?」
「それもそうだな。よし、私たちはリオンと呼ばせてもらおう」
僕としてはどちらでもよかったのだが、二人が何やら嬉しそうに決めているので口を挟むのはやめにした。
「では、僕もおじいちゃんとおばあちゃんにしましょうか?」
呼びなれない言葉だけど、二人に合わせて怪しまれない為には、これくらいした方がいいだろう。
「それはありがたいが、キミは無理せんでもいい。急に変えるよりも今のままのほうが自然だろう」
「あ、そうですか」
思ったよりもあっさりと否定されてしまう。あまり踏み込まないほうがいい境界線があるようで難しくも感じた。
「そういえばお二人の本当の娘さんのお名前はなんていうんですか?」
話を変える意味も込めて、気になっていたことを聞いてみた。設定上は僕の母になる人の名前くらい知っておかないと不自然である。
「あぁ……それはね」
なんとなく言いあぐねているように見えた時、入り口のドアが開いた。すると突っ込んでくるかのような風の風圧と音が部屋全体に襲い掛かる。
「うわ、ぺっぺ。すごい吹雪だな」
風と一緒に入って来た男性は、肩や頭の上に降り積もった雪を払い落していく。
「ロメオじゃないか。わざわざこんな天気になんのようだ?」
「マシアンさん達のお孫さんがいるって聞いてね。おや、彼ですか」
ロメオと呼ばれた男性は部屋を見まわした後、お目当ての物を見つけたのかのように言った。
寒い所から暖かい部屋に入ってきたせいか、丸い眼鏡のレンズは真白に曇っている。
「いやー、まさかこんな出会いがあるとは思わなかったよ。キミがミリアさんの子供か、そう言われるとどことなくミリアさんにも似ているような」
僕の顔をまじまじと見ながら言う。本当に分かって言っているのだろうか……若干まだ少し曇った状態の眼鏡で見られているので本当かどうか怪しいものである。
「ねぇそう思いますよねマシアスさんも?」
ひとの気持ちなどお構いなしに、どんどん話を進めていく。
「あぁそうだな。まぁ親子だからな」
「あの……ミリアさんって僕の母ですよね?」
ロメオさんの口から発せられたミリアという名前。実はさっきから気になっていた。
「何を言ってるんだい? 当たり前じゃないか、それとも母親の名前を知らなかったのかい?」
眼鏡をクイッと指で器用に押し上げながら、疑うように目を大きく見開かせる。まるで警備隊に尋問されているかのようだ。
「ロメオやめなさい。それにリオンは小さな時に両親を亡くして、その後は孤児院にいたのよ。小さな時のことを鮮明に覚えていなくてもおかしくないでしょ」
咄嗟にグレースさんが助け舟を出してくる。
「なるほど。それで母親のことを覚えてないんだ。ごめんね、リオン君変なこと聞いて」
「いえ……」
小さかったせいで孤児院に入る前の事をはっきりと覚えてないとか、忘れてしまったとか……そういうことではないのだ……僕が驚かされたのは母親の名前が同じだったからだ。確かに母親は小さな時に亡くなっている。それでも少しだけ母の腕に抱かれた時の思い出や、眠る時に子守唄を歌ってくれた優しい歌声、名前だってしっかりと間違えことなく覚えている。それがロメオさんの口から出たミリアという名前と一緒だった。つまりグレースさんとマシアスさんの子供の名前は僕の本当の母親と同じミリアなのだ。こんな偶然があるのだろうか?
「俺も小さい時にしかミリアさんには会ってないからな。そういう意味ではリオン君と一緒かな? おや、クンクン。いい匂いがしますね」
真面目な話から一転して、急に犬のように鼻をピクピクと動かす。
「これはグレースさん自慢の一品、鹿肉のボルシチですね」
「あいかわらず鼻が利くわね」
「自慢ですからね。エッヘン」
嬉しいのか胸を張って誇らしげに言う。
「当てたご褒美にロメオ、あんたも食べていくかい?」
「いいんですか?」
「最初からその気だったくせに」
「バレてましたか?」
バツが悪そうに笑うロメオさんはちゃっかり僕の隣の席に腰掛けていた。そこにグレースさんはボルシチの入った器を並べていく。白い湯気が上がり、暖かさとおいしそうな匂いが一段と部屋を充満していく。
一口スプーンですくって口の中に頬張ると、口いっぱいに広がる濃厚なスープの味、美味しさと同時に不思議と懐かしさに包まれていた。どうしてだろうか? ボルシチ自体初めて食べたはずなのに、初めてのような気がしないのだ。自然と握ったスプーンは止まることなくボルシチをすくい続ける。
「う? どうしました?」
視線を感じて、かじりついていたお皿から顔を上げると、3人の目が僕を見つめていた。やってしまった……あまりに夢中になりすぎて行儀でも悪かっただろうか……。
「いや、リオン君が泣いているから?」
指摘されて初めて涙が流れていることに気づいた。手で触れてみると指先が涙で湿った。本当に泣いているのだ。自分でも理由が分からない。ここにきてから何かおかしなことばかりである。
「リオン君ゲームしないか?」
食べ終わるとロメオさんに誘われるまま隣の部屋へ、といっても僕が今寝泊りしている部屋である。
「懐かしいな、ここはミリアさんの部屋だったんだ」
「……そうだったんですね」
改めて見てみると、調度品や家具など女性らしい装飾がされているようにも思えた。
「あれ? 前は写真が飾ってあったのに……」
なにかを探すようにロメオさんは言う。
「写真ってミリアさんのですか?」
「うん、そうだよ。ミリアさん一人のものだったり、家族写真もあったんだけどね。しまったのかな?」
部屋を使わせてもらってからは写真1枚すら見かけたことはなかった。前から飾るのをやめたのか……それとも僕が来たから隠したのか……。
「まぁいいや。そろよりもゲームゲーム」
思い出したように棚から大きな箱を取り出す。この中に入っているのだろう。
初めてみるボードゲームを数回行い、初心者に手加減する様子もなく全勝したロメオさんは満足げに帰っていった。まさしく大人げないとはこのことだろう。
外は吹雪が止むことなく吹き荒れたままで、猛烈に駆け抜ける風の音を感じながら僕は眠りについた……はずだったが、どうにも眠れない、目が覚めてしまうのだ。ベッドから起き上がると、部屋の中はすこしだけ冷たくなり始めていた。暖炉の薪が燃え尽きてしまったせいだろうか。
枕元のテーブルの上に置かれたロウソクにマッチで火を点けると、暗闇を照らしながら戸棚の引き出しを開けていく。どうにもロメオさんの言葉が引っかかっていた。そして僕の予感は見事に的中したのだ。ボードゲームがしまわれた戸棚の一番上の引き出しを開けた時、そこにはアルバムと書かれた一冊の冊子があった。
開いて見ると、そこには若かりし頃のグレースさんとマシアスさんの姿があった。二人の間には小さな女の子がいる。ページをめくっていくと次第に女の子は大きく成長していく、成長していくにつれて女の子はグレースさんと似た女性へと、それは微かな記憶の母親に似ている。そして自分にも。最後のページを開いた時、母親に似た女性の腕にはまだ小さな赤子が抱きかかえられていた。気持ち悪いくらい面影のある赤子である。
アルバムから取り出した写真の裏にはミリア、そしてリオンと記されていた。




