第五章 雪山の隠れ里 (秘境)
ここは……どこだろうか? 目を開けているはずなのに辺り一面何も見えない。あるのはただの黒、黒い世界だけだ。夢なのか? 夢にしては意識がはっきりとしているような気もした。誰もいない真暗な世界、こんなにも寂しいものなんだ。他の皆はどこに行ったのだろうか? ふとそう思った瞬間、目の前に小さな光の玉が現れた。球はずっと光を放ち続け、まるで小さな太陽が目の前にあるかのようだ。浮いたままの玉は次第に揺れ始める、前後左右関係なくランダムに動きながら次第に大きくなっていき、人をかたどったシルエットになった時、目が霞むほどの閃光が走り、次に目を開けた時には目の前にルインさんが立っていた。
「ルイン……さん?」
問いかけても無表情のまま何も答えてはくれない。
「いったい何があったんですか? それにここはいったい?」
「……」
口が開き、言葉を発する様子はなかった。というよりも顔の表情自体に感情が籠っている様子すら見られない。まるで目の前にあるのは、そっくりに作られた人形のようだ。
何も言わないままルインさんの姿は水滴が弾けたように光の粒が飛び散っていき消えていった。
「いったい……なんなんだ……」
訳が分からないとはこういうことを言うのだろうか……不可思議な場所で、不可思議な現象……一人頭を捻っていると、またしても光の玉が目の前に現れる。見た目や大きさは先程とほとんど変わらないような気がする。同じように少し時間が立つと、揺れ動きだし、人の形へと姿を変えていき、閃光が走った瞬間、目の前に今度はマリアさんが立っていた。服装も最後に見た時と同じ、暖かそうな毛皮のマントを肩から掛けていた。
「マリアさん?」
今度も呼びかけてみても、返答はない。
「さっきルインさんもいたんですが、消えてしまって」
「……」
残念ながらルインさんと同じように、マリアさんもただ目の前に立っているだけのようだ。瞬きもしなければ、指一つ動くこともない。まさしく静止、ルインさんの時にも思ったけど99%そっくりに作られた人形にしか見えなかった。大切な残りの1%が欠けてしまっている。何も言わず、何も語らないマリアさんもまた、制限時間を向かえたかのように、自然と粒になって消えて行く。また僕は一人になってしまった。
こうなるとなんとなくだけど……次の展開が読めてくる。ルインさん、マリアさんとくれば……2度もありえない光景が続いたことで、変に頭の中の1部分が冷静に物事を考察していた。そしてその考えは、実際の光景となって正解であったことを確証へと導いてくれた。思った通り現れた光の玉は、予想していた通りの人物へと姿を変えていった。
「……エイダ」
最近は髪の毛を隠す為に帽子を被ることが多かったので、久々に髪を自然に下ろした姿を見るかもしれない。それがまた新鮮で、一段と白銀に輝く美しさを僕の目に植え付けてくれるかのように捉えてしまっていた。
「……リオン」
初めてだった。別にリオンと呼ばれたことではない。この意味不明な空間に取り残されている中で、光の玉から現れた人物が口を開き、言葉を発したことだ。見た目でも本物だとは思ってはいたけど、声色もまったく本物と一緒、目の前にいるのが実在の人物であるとしか思えなかった。
「エイダ……ここは? エイダは無事なの?」
分からないのか……それとも僕からの問いには何も答えないのか、目の前のエイダは黙ったまま首を振ると、ゆっくりと腕を上げ、人差し指をピンと伸ばす。何かを指さすように伸びた人差し指はそのままゆっくり僕の足元を刺したまま、氷のように固まってしまった。
「え? 足元が……何?」
謎の行動理由を問いかけた瞬間、僕の体は全てのしがらみから解き放たれたかのように軽くなった。その時になって僕はやっと気づくことができた。何もない、黒一色だった僕の足元にはいつのまにか、さらなる奈落へと僕を導くだろう大きな入り口が顔を出していたことに。
「エイダー」
手を伸ばしたまま僕はきっと奈落へと落ちていた。感覚では落ちているように感じても、視覚では常に黒しか認識ができないからだ。唯一視覚が僕にはっきりと伝えてくるのは遥か頭上彼方に小さく見えるエイダの姿だけだった。
「はぁはぁはぁ」
荒い息が肺から追い出されるように流れだす。どうやら僕は現実に奈落の底に叩き落されていたわけではない。どうやらさっきまでの出来事はすべて夢だったようだ。よかったような……よくなかったような。ただし、新しい謎が生まれてきた。自分は今、どこにいるかということだ。見覚えのない部屋の中、白いシーツに包まれたベッドの上に僕はいた。ベッド横のサイドテーブルの上には小さなランプ、水の入ったガラスの瓶とグラスが一つ、ベッドの反対側には茶色のレンガで積み上げられた暖炉があり、パチパチと音をたてて薪が燃え、部屋の中を暖めている。ゲルの中ではないことだけは確かだった。
木が軋むようなキーっという音がして、暖炉横の扉が開くと一人の女性が部屋の中に姿を現した。
「おやおや、起きたようね」
そう言って女性はサイドテーブルの傍にあった椅子に腰かけた。薄暗い部屋の中でよく顔は見えなかったけど、声と雰囲気から50代~60代の年配の女性だろうと思った。
「僕は……いったいどうしてここに?」
「おや、覚えてないのかい?」
僕の質問に驚いたように言う。
「あんたは雪崩に巻き込まれて、雪の下敷きになってたのよ」
「雪崩?」
「そう。雪の下に埋まってたのを、うちの主人が助けたの」
女性の話を聞いて、なんとなく思いだしてきた。あの時、ルインさん達の慌てた声が聞こえてきて、寝ていた僕は何かに流されていく感覚にあっていた。あれはきっとゲルを雪崩が襲ったからだったのだ。じゃあルインさんやマリアさん……エイダは?
「あ、あの、他に助けられた人はいませんでしたか? 3人です。男性1人に女性が2人、そのうちの一人は綺麗な白銀の髪をして、そ、それに吸い込まれるような蒼い、蒼い眼をしていたは、はずです。ゴホゴホ」
「落ち着いて。ほら一回ゆっくり水を飲んで」
グラスに瓶から水を灌ぐと、女性は手渡してくれた。
「……ありがとうございます」
グイっと一気に飲み干すと、ひんやりとした水が体の中を流れていく感覚と共に、少しだけ熱くなっていた脳も静まっていた。
「落ち着いたようだね」
「はい……すいません」
「じゃあ、あんたの質問に答えていくけど。残念ながらうちの人が助けたのはあんた一人だけ、他の子たちがどこにいったのかは私にも分からない。それにあんたは二日間ずっと意識を失っていたのよ」
「そんな……二日間も……」
今になって体の節々に痛みがした。よく見れば、頭や腕には包帯が巻かれている。
「あの……ここはどこなんですか?」
「説明がまだだったね。ここはハイダルシア領の山の奥、地図にも載っていない名もなき小さな村さ。そして私の名前はグレース、そういえば名前を聞いてなかったかしら」
「すいません。助けてもらっておきながら……リオンです。リオン・エラルド」
名乗った瞬間、先程まで快活に話していたグレースさんの口が閉じ、何かに驚いたかのように目を見開いていた。
「あの……どうしました?」
「あ、いや……なんでもないよ。ちょっとボーっとしただけ。まだ夜だから私も眠くなったのかな? とにかく今はお休み、まだ体も本調子ではないだろうから」
「え、あ、はい」
意図的に会話を終わらせるかのように言うと、横になった僕にそっと布団を掛けてくれる。その仕草は慣れていて、なんだか母親のような印象を受けた。きっとグレースさんにもこんな風に布団を掛けてあげる相手がいるのかもしれない。
グレースさんが部屋を出ていくのを見送ると、僕はベッドから抜け出し枕元のカーテンを開けてみる。外は夜の闇で、時折パラパラと雪が降っているのが見えた。結局、急いでも自然には逆らえない、今は何もできないのだ。諦めてベッドに戻ると、目を瞑る。思い浮かべるのは3人の姿だ。もしかしたらこの雪山の中で3人は今も助けを求めているのかもしれない……いや、きっと僕と同じように誰かに助けられているはずだ。
無事であることを祈ることしかできないまま、僕は意識を失っていた。




