第一章 硝子な少女と少女奪還作戦 (邂逅)
「い……つま……るんだ?」
遠い、どこかで誰かの声が聞こえる。
「いつまで……ね……だ?」
聞き覚えのある声なのに、なぜかところどころ上手く聞き取れない。
どうしてだろうか? 聞き取ろうとしているのに聞き取れない、まるで寝ぼけているかのように。
「いつまで寝ているんだ、お前は」
「は、はい」
脳を揺らすような、怒号に思わず条件反射的に立ち上がる。
寝ぼけた目をこすると、周りにはクスクスと笑っているクラスメイト達の顔があった。
「グッドモーニング。やっと起きたかな、リオン君? おはよう、寝起きはいかがかな?」
そう皮肉るのは教科書を片手にもったアラド先生。眉間に浮き上がる皺がイライラで一段と濃くなっている。なるほど、ここまでくればいくら寝ぼけて思考回路停止中の僕でもなんとなく状況を思い出せた。
お昼休みに大好物のフィッシュサンドをお腹いっぱいになるまで食べたせいで、アラド先生の呪文のような授業が始まるとすぐに、暖かな午後の日差しに誘われて居眠りしていたのだ。
「そんなに私の授業はつまらないかね? リオン君?」
「い、いえ……そんなことは……」
「言い訳せんでいい。さっさと顔でも洗ってこい」
「す、すいません」
逃げるように教室を出ると洗面所に向かう。
バシャバシャ
蛇口を捻り、2回、3回と冷たい水で顔を洗うと上着のポケットからハンカチを取り出して顔を拭いた。
「気持ちいい風だな」
まっすぐ伸びた廊下に潮風が吹き込んでくる。
廊下の窓からは、雲一つない晴れ渡った空と、深い青色の海が広がっていた。
海の上には、たくさんの帆船が行き来している。
丘の上に建てられたテムズ学院からはリレイドの大きな港と街が一望できた。
僕がこの学院に通い始めてからもう、半年になる。
物心ついた時から両親のいなかった僕はエビナス協会の運営する山奥の小さな孤児院で育った。
小さな頃から本を読むことが好きだったおかげで、孤児院の中では勉強ができた僕は教会の支援を受けて首都であるリレイドの街に移り住み、学院にも通わせてもらっていた。
ただ、運がよかったのはここまでで……山奥の孤児院では神童でも都会に出てしまえば只の少年。
まさしく井の中の蛙大海を知らずである。
おかげで授業にはついていけず、今のように居眠りして怒られる毎日だった。
「はぁ」
海を眺めながら、出てくるのはため息ばかり。
諦めて教室に戻ろうとした時、視界の隅に見慣れた旗を掲げた帆船の姿が見えた。
次の瞬間、僕はもう授業なんて忘れて学校を飛び出していた。
そうだった。
マズイ。すっかり忘れていた。なんでこんなに大切なことを忘れてしまっていたのだろうか。自分のことながら
ハァハァ、ハァハァ
一目散に校門を抜けて、学校前下り坂を駆け抜ける。
足が悲鳴を上げてるけど、そんなこと知ったもんか。
商店街を抜け、橋を渡ると大きな港が見えてくる。
学校の窓から見えた帆船も、すでに港に到着していた。
僕の住むリレイドという国は他の隣国の中でも有数の大きな港を持ち、品物の行き来が盛んである。そのため、大小さまざまな船が日夜行き来している。
見慣れているはずなのに近くでみると、いつも驚かされてしまう。
「えーっと荷物の受付はどこかな……」
停泊した帆船の間を進むと斜め前にひっそりと佇むコンテナでつくられた小さな建物を見つけた。
おそるおそる中に入ってみると、真ん中のテーブルに女性が煙草をふかして座っていた。
「あの、頼んでいた荷物届いてますか?」
醸し出す雰囲気に思わず声が小さくなる。
僕の声が聞こえていないのか目の前の女性は斜め上を見つめたまま煙草の煙を吐く。
「あ、あのー」
こうなってはこっちも意地である。
意を決して声をかけると、壊れたおもちゃのように少しづつ首がこちらに向けられ、ギョロっとした大きな目がまっすぐに僕の顔を見つめる。まるでメデューサの目に見つめられているかのように、僕の体は石化したように動かない。
「あんた名前は?」
「リオンです。リオン・エラルド」
僕の名前を聞くと、テーブルの引き出しから一冊の赤い手帳を取り出すし、ページをめくっていく。女性の視線が手帳に移ったおかげなのか、石化が解けたように僕の体は自由を取り戻していた。
「……探しものはB倉庫内の102番の箱よ」
しばらくして受付の女性はそっけなく言うと、斜め上を向いて再び煙草を吸い始めた。あの角度は何か意味があるのだろうか? 問いかけたくなりつつも、これ以上話かけるなオーラをプンプンに醸し出す姿を後に、僕は逃げるように建物を出た。
変に藪をつついて蛇を出すどころか、再び石化状態にされてはわりにあわないだろう。
大きな帆船がたくさんくる港だけあって、港内には品物を保管しておく倉庫もたくさんある。A~Zまである倉庫群の中から、デカデカと入り口の上にBと書かれた倉庫を見つけると中に入った。
「えーっと102番……102番」
自分の背丈以上の高さまで格子状の棚で覆われた倉庫の中で、102番の荷札が掛けられて荷物を探していくと、お目当ての物は、倉庫の奥にひっそりと置かれていた。
が、102番の箱の前には倍以上の大きさの別の木箱が邪魔するようにあった。
「うー……うー……無理か」
押しても引いても、持ち上げようとしてもびくともしない。
「あーもう」
バキ
「あ……」
やけくそ気味に木箱を蹴ると箱の一部が壊れ、穴があいてしまった。
ま、まずい……誰もみてないよな。慌てて辺りを見回すが、どうやら誰もいないようだ。
「どうしよう……弁償かなー……どうにかして穴を塞がないと」
困惑しながら穴を覗いてみると
「うん?」
ギュウギュウにオレンジが詰められている箱の中、透き通った人間の腕のようなものが見えた。
はぁははは……見間違いだよな。背中に嫌な汗が流れる。
目を擦りながら、もう一度しっかり中を覗くために穴を広げてみると、この世のものとは思えない、長くてきれいな白銀の髪をした女の子がオレンジにまみれて、そこにいた。
カオスだ。一度に入ってくる情報が多すぎてクラクラしそうだ。
危ない危ない、そんなことしている暇なんかない。とにかく本物か確認するしかないだろう、もしかすると人形の可能性だってある。
「……触ってみるか」
ゆっくり穴に手を入れて、折れてしまいそうな腕を触ってみる。
フニャ
「や、柔らかい……女の子の手ってこんなに柔らかいんだ……」
初めて触る女の子の体に一人感動してしまう。
て、感動している場合じゃないだろう。馬鹿か僕は、柔らかいってことは人間で……人間ってことは……死体だ。
死体を見つけたなら警備隊に通報したほうがいいかな……でも……頭の中に浮かぶのは嫌な予感。
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「警備隊のおじさん、あのー死体がありました」
「どこにだ?」
「箱の中にです」
「ほんとだ、お前怪しいな、捕まえろー」
「え、え、なんでー」
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なんていうことになったらどうしよう?
頭の中には警備隊に連行される自分の姿しか想像できなかった。
「よし。見なかったことにして逃げよう」
お目当ての本は諦めることになるけど、捕まるよりはマシである。
そうと決まればさっさと……
「う、う……」
かすかに人の息遣いが箱の中から聞こえてきた。
もしかして……生きてる? 恐る恐る穴から手を突っ込んで、もう一度女の子の腕を触ってみた。
フニャ
「柔らかいし……温かい」
少女の体からは、人形にはない体温の暖かさが手に伝わってきた。
「う……うん」
今度は間違いなくはっきりと聞こえる。
穴から覗く少女の目はゆっくりと開き、その目は蒼く透き通っていて、引き込まれてしまうほど綺麗だった。
人間だけど人形のような、そんな言葉がピッタリだと思えた。
「かわいい……」
思わず口から零れていた。
「誰?」
消えてしまうような小さな声で、少女は言う。
「僕はリオン」
「リ……オン……?」
「そうだよ。キミは?」
「私……エイダ」
エイダ、それが白銀の髪を持ち蒼い眼をした少女の名前だった。
「エイダ、いい名前だね。それでエイダはどうして箱の中に入っているの?」
「追われているの……」
「追われている?誰に?」
「分からない。でも怖い人達」
思い出しているのか、そう言うエイダの体は小刻みに震えていた。
「とりあえず、この中から出さないとね」
未だ、オレンジに囲まれて窮屈な箱の中に入っているエイダを、いつまでも木箱の中に入れておくのはかわいそうであった。
「甘い匂いがする」
箱の中から抜け出たエイダは、さっきから自分の体の匂いを嗅いでいた。
甘いにおいがするのが面白いようだ。
その横にはバラバラになった木材とオレンジが散らばっている。エイダを助け出すためとはいえ箱を壊すしかなかったのだが……絶対にバレたら怒られるだろう。
「これからどうするか?」
後先考えずエイダを出してみたはいいものの、この子をどうしたらいいか、考えていなかった。
「とりあえず何か着た方がいいよな」
目の前で未だに身体の匂いを嗅いでいるエイダの服装は、オレンジの染みがいたるところに付いている白いワンピース一枚だった。
流石にこのまま外を歩くわけにもいかない。
「はい、これ着て」
とりあえず自分の着ていた上着を脱いで渡した。
「……ありがとう。でも」
「気にしないで。あと……フードも被ってね」
「……うん」
素直にフードを被るエイダを見て、安心した。
もちろんエイダにフードを被らせたのには訳がある。けっして僕の趣味ではない。
確かに今の状態、つまりオレンジの染みがいたるところに付いたワンピース一枚の女の子に街中を歩かせるだけでもマズイ、でもそんなことよりも……僕はリレイドの街で髪の毛が白銀の子や、蒼眼をした子を見たこともなかったし、聞いたこともなかった。
きっと街を歩く人達も見たことないに決まっている。
そうしたわけもあって、エイダには髪と目を隠す為にフードを被ってもらったのだった。
よし。準備もOKなら「とりあえず、家に来る?」
女の子と付き合ったことのない僕にとって言うだけでも恥ずかしいセリフなのだが、今回はわりと自然と口から出ていた。
「……うん」
何の迷いもなく頷くエイダを見て、一人で浮足立っている自分が恥ずかしくなったことは黙っておこう。