第四章 老人と湖 (再会)
「もう大丈夫です……よね?」
台座の上では灯り師の炎が燃え続けているだけで、さらなる揺れが起こりそうな気配はなかった。模様から推測した予想は当たり、目の前には、さらに深くまで繋がっているのであろう洞窟の顔が姿を現していた。
「ここから湖の底の洞窟まで繋がっているんでしょうか?」
「分からん。でも可能性は高いな」
結局のところ入り口の前で考えていても答えはでてこないのだ。
「行こう」
ランプを握ったルインさんを先頭に、先程と同じように老婆、僕、エイダ、マリアさんの順でさらに奥へ進んでいく。崩れた壁の先は下へ降りる階段になっていて、一歩進むごとに水の流れる音がはっきりと聞こえるようになってきた。暗くて見えないけど、どうやら山の上から水が流れ落ちる用水路になっているのかもしれない。
「湧水か何かが流れているんでしょうか?」
同じように気づいたのか、一番後ろにいるマリアさんが銀色の淵をしたランプを使って周囲を確認している。ランプは階段を降りる前にマリアさんも鞄から取り出して火を点けていたものである。
「おそらくヘルタン湖に流れているのじゃろう」
「やっぱり」
老婆の答えは予想した通りの内容である。
「ということはヘルタン湖に水が溜まったって話も、この地下水が関係しているんですね」
そう考えると、ますますこの階段の先がヘルタン湖の底に眠る洞窟に繋がっている信憑性が高くなる。
「じゃろうな。もしかするとローネ様が洞窟に入った後、何かのキッカケで地下水がヘルタン湖に流れるようになったのかもしれんのう」
「それを悲しみの涙にしたってわけだ。昔の奴らはおとぎ話が好きだな」
呆れたようにルインさんは言う。
階段を降りていくと、はるか下に光の点のようなものが見えてくる。どうやらあそこが終点のようだ。光を頼りに進んでいくと、石で造られた両開きの頑丈な扉が道を遮っていた。光は扉の隙間から漏れ出ている。
「この先だな」
僕とルインさんで慎重に扉を押していくと、漏れ出る光が増え、一瞬まぶしさから目を閉じた後、再び目を開くと滝裏の洞窟と同じように、中央に台座の立つ部屋となっていた。台座には同じように模様が刻み込まれ、その上では……。
「見てください、あの炎」
台座の上では灯り師の炎が輝きをはなって燃えていた……ただエイダが滝の裏で灯した炎に比べて、誰が見ても弱りきっているように見えた。まるで命の灯が消える前の最後の力を振り絞っているかのようだ。
「ローネ様」
台座のすぐ傍に倒れている女性に老婆は駆け寄る。数十年以上も洞窟の中で放置されていた亡骸のはずなのに、目の前にはまるで数分前まで生きていたかのように思えるほど、綺麗な亡骸が横たわっていた。腰まで伸びた白銀の髪、きっと閉じられたままの瞼の奥にはエイダのように透んだ蒼色の瞳が隠れているのだろう。
「この空間だけ……ローネの炎が守っていたんだな」
周りの濡れていない壁を見ながらルインさんは言う。僕らが入って来た通路と逆側の通路を見てみると、まるで透明な壁に阻まれているかのように、湖の水がせき止められている。
「灯り師の炎にはこんな力も……あるんですか?」
「さぁ。でも目の前の光景を見てしまったら、信じるしかないだろ」
「……そうですね」
まだまだ未知の力を秘めた灯り師の一族と、その血で燃え上がる炎、台座の上でも燃え上がる灯り師の炎は綺麗で大きくて……でも何度見てもこれは……。
「もうすぐ……消える」
僕の気持ちを読んだかのように、エイダは悲しげに呟いた。もしかしたら同じ灯り師であるエイダなら僕よりもはっきりと炎の寿命が感じ取れるのかもしれない。
「やっぱり……そうなんだね」
炎を灯したローネさんが死んでからも、炎だけは亡骸を守るようにヘルタン湖の底で燃え続けたのだろう。ただ、それも有限であり最後の時が近づいているのだ。
「リオン……ナイフを……貸して?」
差し出したエイダの手の指には、先程の包帯がまだ巻かれている。
「エイダ……もしかして」
エイダが何をしようとしているのか、僕を含めた、ここにいる全員に分かっていた。
「……お願い」
蒼く透き通ったエイダの目が僕をじっと見つめる。
「……分かったよ」
あんな目で見つめられたら駄目だと断ることなんて僕にはできるわけがない。でも……。
「あまり血を流しすぎないで」
「うん……ありがとう……」
エイダはそう言ってほほ笑むと、受け取ったナイフを自分の指にあてる。痛みを堪えるエイダの表情を見るのが僕は辛かった。もしかすると……ローネさんの婚約者も同じ気持ちだったのだろう。目の前で傷ついていくのを見守ることしかできないもどかしさを感じて。
指先から滴る真赤な血をエイダは台座の上で弱弱しく燃える炎に垂らしていく。すると次第に消えかけた炎は、エイダの血が交わったことで、輝きを増しながら、強さを取り戻していく。僕の自己満かもしれないけどよこたわるローネさんの亡骸もほほ笑んでいるように思えた。
「ありがとう……ローネ様に代わってお礼を言わせてくれ。そしてお主らのおかげで……やっと兄さんを合わせることができた」
老婆は立ち上がると、胸元から一つの皮袋を取り出す。きつく締められた紐をほどくと、中には砂のような灰のようなものが入っていた。
「兄さんの遺灰じゃ」
袋から遺灰をひと掴みすると、ローネさんの亡骸の手の中に、老婆は灰を握らせる。
「ローネ様の愛した青年はわしの兄じゃった。死んだ後もずっと離れ離れになった二人を、もう一度めぐり合わせる……それがわしの……わしの願いじゃった。これで……もう思い残すことはない」
この言葉が何を意味しているのか、怖かった。
「何を言ってるんですか?」
「わしは生きすぎた……」
そう言うと、疲れ果てたように老婆は亡骸の横に腰をおろした。
「だ、だめですよ。そんな……そんな弱気な」
「よせ、リオン」
僕の腕を後ろから制止するようにルインさんが掴む。
「でも……」こもり
「リオン」
掴む手に一段と力がこもり痛みが走った。ルインさんだって納得はできない……それでも老婆の思いを尊重しようとしているのだろう。表情と僕の腕を掴む力で痛い程、気持ちが伝わってきた。
「こっちじゃ。リオン」
老婆は片目を開けて手招きをする。そういえば、ちゃんとリオンと名前を呼ばれたのは初めてのことだった。
老婆の傍に近づくと、おぶった時と同じように耳元で小さく呟く。その言葉を最後に、幸せそうな笑顔で老婆は息を引きとっていた。数十年という時を経て、ようやく三人は同じ場所にいられるのだろう。
来た道を戻った僕らは夜の山道を下るのはやめ、行きに休憩した木こりの小屋で一晩休んでから下山することにした。囲炉裏の炎を囲んで横になると、山登りに疲れたのか寝息が聞こえてくる。僕は音を立てないように起き上がると、壊れた扉の隙間から外に出た。登った時の嵐が嘘のように山は静かで夜空は澄んでいた。
「眠れないのか?」
少し湿った切り株に座っていると、背後から声を掛けられる。
「はい」
「俺もだ」
そう言ってボサボサになった髪をかき分けながら、ルインさんは僕の横に腰掛けた。
「……」
「……」
虫の鳴き声も聞こえない静かさが、一段と僕らの間の沈黙を際立たせていた。
「……ハチャメチャなばあさんだったけど、いなくなると寂しいものだな」
「……はい」
「俺たちはきっと、ばあさんの為にやれるだけのことはやったはずだ」
「……そうですね。もしかして僕の事を心配してくれてますか?」
「え? あ、いや」
「それに、あの草むらに誰かいますね」
「え? あーそうだな」
図星なのだろう、それにルインさんが来た時から、後ろの草むらに誰か2人の気配がしていた。
「バレたか。ならいいや、エイダ達も心配してるから、早く小屋に戻って来いよ」
そう言うと、ルインさんは小屋へと戻っていった。
どうやら老婆の件で、みんなに心配をかけてしまっていたようだ。ダメダメである、いつまでも考えていたってしょうがないのに……それでも木々の隙間から見える星空を見上げる僕の脳裏には「兄の果たせなかった願いを……叶えてくれ」という、老婆の言葉がずっと残っていた。




