第四章 老人と湖 (探索)
「このサラダもローネさんの恩恵で……おいしく食べられるんですね」
僕の持つフォークの先には緑の濃いレタスの葉が2枚刺さったまま持ち上げられている。老婆の話を聞いた後、僕らは宿屋の横の食堂で少し早い、お昼ご飯を食べていた。あんな話を聞いた後のせいだろうか、テーブルを囲む全員のフォークの動きは思いのほか鈍かった。
「戦時中のこととはいえ、あんな歴史があったんだな。この町にも……」
噛みしめるように言うと、空になったグラスにルインさんは水を入れる。
「……私……会ってみたい」
突然のエイダの言葉に思わず握っていたフォークを落としてしまう。他の二人も驚いた様子である。
「あの……エイダ、会いたいって?」
なんなく想像はできたけど勘違いの可能性だってある。念のため恐る恐る尋ねてみた。
「ローネさん」
「……で、ですよね」
話の流れから考えてみてもそれしか答えはないだろう。
「うーん……同じ灯り師に会いたいエイダの気持ちは分かるけど、残念ながら相手は死人だしな。それに居場所は湖の下ときたらこればっかりは」
「……ですよね」
困ったように言うルインさんに、僕も素直に頷くことしかできない。
「無理……リオン?」
揺れるエイダの蒼い瞳がじっと僕を見つめてくる。こんなに見つめられると僕としてもなんとかしてあげたい気持ちにはなるんだけど……。
「どうしましょう? ルインさん」
「俺か? いや……それは……なぁ? マリア」
逃げるように隣に座るマリアさんに目配せする。
「え? 私ですか? うーん、でも一度この町のことを調べてみるのはどうでしょう?」
何とか絞り出したかのようにマリアさんは言う。一言しゃべっただけなのに顔が少し疲れているようにも見える。
「そうだな。湖の下にローネさんがいるとしてもいないとしても、俺たちが知っているのは、ばあさんの話だけだしな」
「どこかで調べることができればいいのですが?」
「こんな小さな町に図書館なんてないだろ。かといってイーダストに戻るのもな」
未だにエルディーン司教の行方不明とトルトリン寺院の炎上でもめているイーダストに女神様そっくりのエイダが戻れば、一段ともめてしまうことは言うまでもない。
「そういえば……町外れに古本屋があるって言ってましたよ」
図書館という言葉で思い出した。昨日行こうとしていたのに、老婆に捕まったせいで行けなかった場所だ。
「なるほど、そこなら面白い本があるかもな。そうと決まればさっさと食べて向かうとするか」
僕らは急いで目の前の料理を空にすると、簡単に身支度をして宿を後にした。小さな町だけあって町外れにある古本屋もそこまで遠くはない。途中の八百屋ではあいかわらず威勢のいいおじさんが、お客さんと大きな声で話しているのが見えた。鮮度のいい八百屋さんだけあって昨日見かけなかった野菜が木箱に並んでいるようだけど、残念ながら宿屋にある僕の部屋の中には、まだ昨日買った白菜と大根がそのまましっかり残っているので、今日は諦めて素通りである。
八百屋の前を抜けて、少しだけ歩くと徐々に民家の数も減っていき、大きな屋根をした一つの家が見えてきた。屋根から推測してもかなり奥行のある大きな建物であることが分かる。周りの民家の何倍はあるだろうか? 遠目では家にしか見えないけど、他にそれらしい店もないようなので、おそらくあの家が古本屋なのだろう。
近づいてみると予想は確信に変わった。開いたドアからは部屋を埋め尽くす本棚とそこに収まった本たちが見え、さらには本棚に収まりきらなかった本が床や本棚の上、棚という棚に無造作に投げ捨てられているのだ。
「これは凄い。リオン以上だな」
比較されるのは嬉しくないけど、ルインさんの言う通りだ。リレイドにある自分の家も本ばかりで汚いとは思っていたけど、目の前の光景に比べると可愛らしく思えてしまう。
「……らっしゃい」
散らばった本を踏まないように店内に一歩足を踏み入れると、なんとか耳で聞こえるギリギリの声量がどこからか聞こえてくる。かろうじで声がした方を見てみると、そこにはボサボサの髪にヒビの入った眼鏡を掛けた青年が一人、入り口傍のカウンターの中で、腰で深く椅子に座って本を読んでいた。どうやらこの人がこの店の店主だろう。
「すいません。この辺の地域の昔のことが書かれた本っておいてますか?」
「……」
聞こえていないのだろうか? 店主の青年は何もなかったかのように変わらず本を読み続けている。
「すいません。聞こえてますか?」
先程より少しだけ大きな声で言う。すると……一度だけ本から目線を上げると、そのまま店の奥を見つめ、また本に目線を戻した。おそらく奥の方に置いてあると言いたいのだろう。返事が返ってこないだけに、上手く会話のキャッチボールができているのか不安でしょうがない。
それに奥の方って……チラッと見ただけでも店の手前よりも山積みになった本が部屋の中を埋め尽くしている。
「ここを探すのか?」
そう言うルインさんの表情は見るからに曇っている。気持ちは分かるけどやるしかなさそうだ。
「諦めて探しましょう」
倒れそうな本の山を少しずつ下して道をつくっていく。古本屋だけあって上に置かれた本はホコリまみれになっている。開いて見ても茶色く変色したものは字が読めなくなるほどだ。保存状態が良いとは到底言えない。それでも歴史的な本がありそうな雰囲気はするので、手分けして探していった。
「えーっと『楽しい園芸生活』、『野菜百科事典』、『健康な体は新鮮な野菜から』……」
マズイマズイ、ついつい自分の興味がある本ばかりを手に取ってしまう。探しているのはヘルタンの歴史が分かる本か、又は町に住んでいた人の伝記みたいなものがあればいいんだけど……なかなかお目当ての本は見つからないか……ふと周りを見ると、ルインさんやマリアさん、エイダも黙々と本の山と格闘している真っ只中のようだ。どれどれなにかヒントになるようなものでも見つかっただろうか。邪魔をしている本を避けながらマリアさんの傍に近寄っていく。
夢中になって本を読んでいるのかマリアさんにしては珍しく、傍に立つ僕の気配に気づいていないようだ。さすがはマリアさんである集中力が僕とは大違いだ。疲れた様子もなければサボっている様子もない。
「何かありそうですか?」
声をかけながら、後ろからマリアさんの見ている本を覗くと、文字ではなくラフ画のような色付きの絵が大きく描かれているのが目に飛び込んでくる。
「あの……マリアさん?」
「え? あ、あの。ははは」
瞬時に背中の後ろに隠したようだが、残念ながらもう遅い。バッチリ中身を見てしまった。
「もしかして服が載った本ばかりを探してませんか?」
マリアさんの周りには似たような表紙の本が積み立てられている。全部、服や装飾品、靴などが掲載されている本というよりも、雑誌である。
「……すいません。つい」
申し訳なさそうに言うと、逃げるようにマリアさんは積み立てた本を棚に戻していく。人のことが言えた立場ではないけど、これでマリアさんも真面目に探してくれるだろう。うん? ちょっと待てよ。嫌な予感がしてきた。普段真面目なマリアさんが本の誘惑に負けてしまっているということは……僕の視線はもちろんマリアさんより誘惑に弱いであろうルインさんの背中を捉えていた。奥の本棚の前でじっと立ち止まったままのルインさん、手元には何やら本を持っているようだ。ここまではいいとして問題は持っている本の内容によるけど……ゆっくりと気づかれないようにルインさんの背後まで忍び寄ると、こっそり覗き込んだ。
「ル・イ・ン・さ・ん」
「え? なんだよ。驚かすなよ」
「驚かすなじゃないですよ。なんですかその手に持ってる物は?」
やっぱりというか、案の定というか……想像していた通り、ルインさんの手には『今がチャンス!!まだ見つかっていないお宝大全集』と書かれた本が握られている。タイトルからしても怪しさ満載な本に思える。
「真面目に探してないですね」
「いや、旅にはお金も必要だなっと思って。あくまでついでに、ついでにだぞ。路銀集めができるお宝はないかなーっと……見てただけだ」
「本当ですか?」
「あ、疑ってるな。だいたいそう言うお前は見つかったのか?」
「え? それは……」
見つかるどころか……僕も完全に趣味の本に夢中になっていた始末である。
「ほらな、人の振り見て我が振り直せって言うだろ。ほら戻って探せ探せ」
なんだか上手いこと誤魔化された気もするけど、ルインさんが言うことも最もなので素直にしたがって探し直そう。ただ、その前にマリアさん、ルインさんと二人の様子をチェックしたのだから、もちろん最後の一人であるエイダが何を読んでいるのかチェックしないわけにもいかない。というかサボるとかサボらないとか関係なく、単純にエイダがどんな本を読んでいるのか気になっただけでもある。
店の入り口近くに戻ってくると小さな丸太でできた椅子にチョコンと置物のように座っているエイダの姿を見つける。服の袖にホコリの塊が付いているのも気にせず夢中で本を読んでいる。汚い古本屋の中に神秘的な少女が一人、黙々と本を読んでいる姿は、それだけで逆に本の挿絵になっていてもおかしくないようにも思えた。
「何読んでるのエイダ?」
「うん? ……これ」
途中まで読んでいるページを開いたまま、エイダはこちらに背表紙を見せてくれた。かなり古い本のせいか、背表紙に掛かれたタイトルは所々染みで読みにくくなっているけど、かろうじて『不思議な二つの洞窟』と書かれていることが分かった。中身を見て分かったけど、文字ばかりの本ではなく、どうやら絵本のようだ。
「……おもしろい?」
「うん……おもしろい」
「そ、よかった」
駄目だ……真面目に探そうとしているのは僕くらい。これだけの本の山の中からお目当ての本を探し出すなんて……長い戦いになりそうだ。トホホである。
「いや、あながち間違ってないかもしれないぞ」
「え?」
「これを見てみろ」
いつの間にか傍に来ていたルインさんはエイダから絵本を受け取ると、パラパラとページをめくっていく。そこには湖を高い所から見たような挿絵が描かれていた。
「この形に見覚えがないか?」
「そう言われれば……」
瓢箪を逆さにしたようなこの形はまさしくヘルタン湖と同じである。
「こんな形の湖が他にもあるとは思えないよな」
「ということは、この絵本に出ている湖はヘルタン湖のこと……まさか二つの洞窟って……」
老婆の話ではローネさんは町外れの洞窟に逃げ込み、そのまま姿を消した。後に残ったのは洞窟を覆い隠したとされるヘルタン湖のみだ。
「おそらくリオンの想像通り、一つはヘルタン湖の底に眠っている洞窟のことで間違いないだろうな。そして絵本によると対となる洞窟がもう一つあったことになる」
「町の近くに他にも洞窟があるってことですか?」
「それは俺にも分からん……どうやら俺たちは、もう一度ばあさんに話を聞く必要がありそうだな」
古本屋を後にすると、宿屋に向かって来た道を戻っていく。目指す先は老婆の家だが、宿屋を中心にしてちょうど古本屋とは町の反対側にあった。
横を歩くエイダの腕の中にはヒントをくれた『不思議な二つの洞窟』の絵本が大切そうに持たれている。
古本屋を出るときにカウンターで店主の青年にお金を払おうとすると、無言のまま静かに首を振るだけだった。どうやら、探し物をするついでに本を種類分けして片付けてくれたことへのお礼とのことだった。そう考えると、それぞれが趣味の本を集めていたことも不幸中の幸いであったのかもしれない。
町外れの老婆の家が見えてくる、家の前では石の塊の上に腰掛けている老婆の姿があった。まるで僕らが来ることが分かって待っていたようにも見える。
「おや、誰かと思えばお主らか」
そう言うと閉じていた目を少しだけ開いて僕らを見る。
「もしかして僕らが来ることが分かってました?」
「変なことを言うの、ヒッヒヒ。エスパーでもないわしが分かるわけなかろう。何か用があって来たんじゃろ。さっさと入りな」
上手くはぐらかされたような気もしたけど、手招きされるまま老婆の家に中に入る。家の中はあいかわらず何もなく簡素的であった。
「それで何して来たんじゃお主らは」
そう言って前回と同様に丸い椅子に腰かける。
「ちょっとばあさんに聞きたいことがあってな。これなんだけど」
ルインさんはエイダから絵本を受け取ると、老婆に手渡した。
「随分古い本を見つけたようじゃな。ヒヒ」
しわだらけの手で老婆は一枚一枚大切そうにページをめくっていく。
「聞きたいのはここなんだ。この絵本によるとヘルタン湖の底に沈んだ洞窟と対になる洞窟がどこかにあるらしいんだが。ばあさん何か知らないか?」
「洞窟……洞窟のう」
洞窟と小さく何度も呟きながら、遠い記憶を思い出そうとしている。
「そういえばこの町を出て東に少し行くと、名もなき小さな山があるんじゃが。その山の8合目付近にこれまた名もなき小さな滝があって、その滝の裏側に洞窟があるって話を聞いたとがあるかの」
「それだ。よく見れば絵本の中に、小さな山のような絵が何度も出てくる」
ルインさんの言う通り、どのページにも山のような形をした挿絵がある。老婆の話を聞いてから考えるとワザと何度も書かれているように思えた。
「そうと決まれば善は急げだな」
「山の洞窟に行ってみるんですね?」
「あぁもちろん。そこなら何か分かる気がする」
ルインさんを先頭にさっそく準備の為に宿へと戻ろうとすると「ちょいと待ちな」と、老婆に止められる。
「今から出ても、山に着くころには夜になってしまうぞ」
「それも……そうだな」
「それにお前たちだけで山の中で迷わずに滝を見つけられるのかの?」
老婆の言う通り小さいとはいえ山は山である。地の利のないよそ者が入って簡単に目当ての滝と洞窟を見つめることができるかは分からない。
「わしも連れて行ってくれんか?」
「は? ばあさん本気か?」
「当たり前じゃ。歳はとってもまだボケとらん」
「でも……その腰で山道を歩くのは……」
折れ曲がったような腰では普通の道だって歩きにくそうなのに、山道なんてもってのほかだろう。
「心配はいらん。それに、わしなら完璧に道を知っておる。どうじゃ?」
「どうって……」
隣に立つルインさんを見るとお手上げとばかりに諦めたように首を振る。
「……分かりました。その変わり途中で無理とか言わないで下さいよ」
「心配いらんいらん。大船に乗ったつもりで安心せい」
妙な不安に包まれながらも明朝、老婆を含めた5人で洞窟を探して山に登ることとなった。




