第四章 老人と湖 (過去)
「そんなに警戒せんでもええ。わしはただの老婆じゃ」
僕の心を見透かしたように言うと、老婆は木陰に置いてある切り株の上にゆっくりと時間をかけて腰掛けた。どうやら見かけ以上に曲がった腰がよくないようだ。
「どうしてエイダが灯り師だと分ったんですか?」
「やっぱり灯り師か。カマかけたんじゃがな」
そう言われて……しまったと後悔した。目の前の老婆はまだ「灯り師ではないかの?」と聞いてきただけなのだ。それなのに自ら正体を明かしてしまうなんて。
「ヒヒヒ。少年、お主は分かりやすいの。そして素直で顔に出やすい。嘘が下手じゃな」
完全にからかわれているのが、いくら鈍いといわれる僕だって分かった。これ以上話しても余計に情報を漏らしてしまう可能性もある。
「行こ、エイダ」
怪しい老婆とはさっさと別れたほうが得だろう。
「お待ち。からかって悪かったね。じゃが本当にその子が灯り師だということはお主が言う前から知っておる。そして特別な血を持っていることもじゃ」
勝ち誇ったように言う老婆の口からは灯り師の血の話もでてくる。どうやら本当に灯り師のことを知っているのかもしれない。
「じゃあ改めてどうしてエイダが灯り師だと分かったんですか?」
「今は言えん」
食い気味にキッパリと言う。よし、やっぱり帰ろう。2回も尋ねた僕が馬鹿だった。
「怒るな怒るな。話してやりたいが、ここでは無理じゃな。それに、お主らにはあと二人仲間がおるじゃろ」
「どうしてそれを?」
まさか町に入るところから見張られていたのだろうか。
「安心せい。誰にも見張られておらんわ。簡単なことじゃ、こんな田舎町にはほとんど旅人など来んから
「明日。お主らが泊ってる宿屋に迎えに行こう」
そう言うと曲がった腰を摩りながら立ち上がり、振り返ることなく帰って行った。
「と、いうことがありまして……」
場所は変わって、宿屋の横に併設された食堂の中、奥のテーブルでルインさんとマリアさんに老婆との出会いについて話していた。
「……なるほど。怪しいばあさんだな」
「ですよね。僕もそう思います」
怪しいだけではなく、人をおちょくるのが好きな意地悪な老人でもある。
「ただ、灯り師についての情報は聞きたい気もするな」
「ですよね。僕もそう思います」
灯り師について、なにかしらの情報を持っていることだけは確かなように思えた。
「……」
「どうしました?」
ジーっと僕を見つめたままのルインさんに尋ねた。
「いや、なんでもない。とにかく明日迎えにくるのを待ってみるか」
次の日の朝、予告通り老婆は宿屋までに迎えに来た。
「起きるのが遅いの。これだから最近の若いモンは」
いつから迎えに来たのだろうか? 宿屋の主人の話では、主人が起きて宿の鍵を開けた時にはすでに待っていたようである。年寄りは朝が早いというけど……早すぎである。
「アンタが灯り師を知ってるっていうばあさんかい?」
「そう言うお主は誰じゃ?」
「俺はルイン。リオン達と旅をしている仲間さ」
「ほうほう、どうやら4人連れの残り2人はお主とそっちの嬢ちゃんかい?」
老婆はルインさんを見た後、視線を後ろに立つマリアさんに向ける。
「そういうこと。さっそくだけど、どうしてエイダが灯り師だと知っているのか教えてもらえないかな」
世間話をする気もないのだろう、間髪入れずにルインさんは本題に切り込んだ。
「そうじゃな……話してもええがまずは家にこい。話はそれからじゃ。ヒッヘヘ」
そう言って老婆は曲がった腰を気遣いながら歩き始めた。
「どうします?」
「まぁ言ってみよう。それにエイダはもう着いて行ってるし」
「あ……」
ルインさんの言葉通り、すでにエイダは老婆の後に着いて歩いていた。しばらく行くと町外れに老婆の家はあった。
「汚いとこだが……我慢しとくれ、ヒッヘヘ」
部屋の中は汚いどころか、必要最低限の物しか置かれていないように見えるほど、何もない部屋だった。
「家まで着いてきたんだから教えてくれるんだろ?」
よっこらせと丸い椅子に座った老婆にルインさんは尋ねた。
「せかすなせかすな。まぁよい、あれは……もう九十年ほど前だったかのー。わしもお前さんくらい可愛らしい女の子だったかな。ヒッヒヒヒ。周りの男どもが放っておかんかった」
老婆は思い出すかのようにエイダを見ながら言った。言葉には出せないけど、到底エイダが九十年後に老婆のようになるとは思えなかった。
「なんか言ったかの?」
「……いえ」
また顔に出ていたのだろうか? 老婆とは思えない鋭さである。
「九十年前ってばあさんいくつなんだよ」
気をきかせてくれたのか、ルインさんが話題を変えてくれる。
「百歳を過ぎてからは面倒で数えとらん」
衝撃的な発言だが、目の前の老婆なら百歳どころか二百歳を超えてると言われても頷けるような気もした。
「話を戻すが、ある時ヘルタンの町に一人の女性が現れたのじゃ。とても綺麗な女性じゃった。特にお前さんと同じ、綺麗な白銀の長い髪と透き通るような蒼い眼をしていたんじゃ」
横に座るエイダの髪と目、これは灯り師の証でもあった。
「わしはよく、その人と会っては話していたものじゃ」
遠い思い出を語るように老婆は続ける。
「その人の名はローネといってな。その人には好きな人がいた、町の若い青年じゃった。そこまで整った顔をしているわけでもなく、腕っぷしも弱く、商売の才があったわけでもなかった。だからみな、どうしてあの女性はあんな男を好いたのか謎であった。ただ、今考えてみると、あの青年には誰にも負けない強い心があったのじゃな……」
そう言う老婆のしわくちゃな顔には少し寂しさが滲み出ていた。
「しばらくして二人は結婚した。町の皆からも祝福され二人は貧乏ながら幸せに暮らしていたが、時代が二人を平穏なまま過ごさせてはくれなかったのじゃ」
「時代?」
僕の問いに、老婆は目を伏せながら首を振った。
「大戦の影響じゃ。最近の若者には分からんかもしれん。大戦はすべてを持っていく、根こそぎじゃ」
そう言われて思い出した。確か九十年前だとハイダルシアは激しい戦いの真っ只中だったとアラド先生の授業で習った気がした。
「この町は凍えていたのじゃ……ただでさえ、元々この土地は近隣の山から冷たい強風が吹き込む場所、家の暖炉で薪を燃やさねば住民は凍え死んでしまう。それでも戦いが始まってしまうと……木材や鉄を国に取られてしまい、小さな町の住人達は凍えて暖をとることもできんかった。そんな時、見かねたローネ様は……今まで隠していたある特異的な力を町のみなのために使ってくれたのじゃ……お主らならもう分かるじゃろ?」
「……灯り師の力」
「そうじゃ、灯り師の呪われた力じゃ。魔法のような力じゃった、ローネ様が水の中に自らの血を溶かすと、薪がなくとも炎がつき、それは長い間消えることはなかったのじゃから。町のみなは喜び、こぞってローネ様の血を求めた。それはそうじゃ……町の住民もみな体も心も凍え切っていて、誰も血を流すローネ様を気遣える者はおらんかった。それでもローネ様は欲する者には笑顔で応じ、自分の体を傷付け……自分の血を人々のために分け与えていた」
リオンの脳裏には自らの指に針を刺して血を流すエイダの姿が思い出された。
血液の溶け込んだ水に炎が灯る光景は、藁にも縋る思いの人々にとってまさしくそれは魔法のような現象だったことだろう。
「事態はどんどん悪くなるばかりじゃ。大戦は終わる気配もなく噂だけが広まり、近隣の町からもローネ様の血を求めて人々が集まるようになっていたのじゃ。戦いの影響はヘルタンの町だけではなかったからのう」
大戦中のハイダルシアは国土こそ一番を誇っていたが、四つの国の中でも一、二を争うほど劣勢だった。
「隣で何もできないままやつれていくローネ様の姿に夫である青年は悩み、辞めるように何度も言った……それでもローネ様の意思は固く、頼まれれば嫌と言わず自分の身を削っていく日々、青年には耐えるしかなかったんじゃ。日に日にやつれ、生気が抜けていくローネ様を見守ることしかできない自分を責めながら」
そう言う老婆の目にはうっすらと涙が滲んでいた。
まるで自分のことのように話しているようにも思えた。
「そしてその時は来た」
一旦、話の間を開けると、大きく息を吸う。
「噂は広がりハイダルシアの首都から貴族が兵を連れ現れたのじゃ。目的はもちろんローネ様。敗戦に次ぐ敗戦で国もすでに餓え、ローネ様の力を利用しようとしたのじゃ」
灯り師の特別な力なら、当時の貴族が興味を持ってもおかしくないかもしれないし、擁護するわけではないけど、きっと貴族達も戦況を打破するためのキッカケを探して藁にも縋る思いだったのかもしれない。
「青年はローネ様の体を気遣い貴族や兵たちの前で懇願した……ただ、その願いは叶うことはなかった。青年は無残にも殺されてしまったのじゃ……」
「そんな……」
「ローネ様は青年の死を知ると、追手の兵士から逃げるように町外れの洞窟に消えて行った……それ以来誰も姿を見ることはできんかった」
「その洞窟は今?」
「ローネ様の遺体は見つけられないのじゃ……洞窟の入り口はもうないのだから……」
「どういうことですか?」
「ヘルタン湖の底にあるのじゃ、洞窟の入り口は」
「湖の底に?」
まさかの返答に思わず周りを見渡すと、ルインさん達も同じように驚いた表情をしていた。
「ヘルタン湖とは、大戦が終わってからついた名じゃ。本当の名前はローネの涙という名じゃ。かつて愛する青年を殺されたローネ様が嘆き、声を枯らすまで涙を流した洞窟は……ローネ様の思いに呼応するように、いつのまにか水が山から流れ、溜まり、池となり、洞窟を覆い、大地を侵食し、湖となったのじゃ。名の通りローネ様の悲しみの涙が溜まってできたものが、今のヘルタン湖なのじゃ」
ここまでで話を終えると、老婆はじっと黙った。
「だから……私が灯り師だって……?」
「そうじゃ。お主の目、そしてその白銀の髪は……よう似ておるローネ様に」
そう言ってエイダの髪を愛しそうに撫でる老婆の目からは大粒の涙が流れていた。




