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第四章 老人と湖 (休息)



------------------------暗い地下室の一室------------------------------


 ヒュー

 月明かりも射しこまない暗い地下室に、一陣の風が吹く。

 すでに部屋の中にいた人物には、これが合図であるかのように分かっていた。


「戻ったかエリザ?」

「……はい」

 暗闇から静かで透き通った声が返ってくる。


「少し……疲れているな?」

 声色だけで感じたのか、低いかすれた声で部屋にいた人物は尋ねる。


「いえ……そのようなことは……」

「ならよい……」


 しばらくして、小さなロウソクの火が地下室の中に一本だけ灯る。ロウソクの火に照らされるようにエリザと呼ばれた人物の姿が少し映し出される。暗い地下室の中で黒いローブにピエロのような仮面をつけていた。


「……エルディーンは死んだようだな」

「はい。最後は寺院と共に炎の中で」

 炎が消化された後の寺院からは、エルディーン司教の骨すら見つからなかった。


「奴とは長い付き合いだったが、存外死んでみると何の感情も湧いてこないものだ……なるほど、所詮その程度の奴だったということか」

 言葉の通り、口から紡ぎだされる声に悲しみはもとより、感情が籠っている様子はなかった。


「だが……絵を焼失してしまったことは大きな失態だな。エリザ」

「申し訳ありません」

「貴様らしくもない」

「……」

 張り詰めた空気が二人の間を包み込む。


「……まぁよい。それでエイダは今どこに?」

「ヘルタンの町に」

「……湖しかない田舎町か」

「私はすぐに監視に戻ります」

「分っているならすぐに動きなさい。次の失態は……」

「分っています。それでは……」

 言い終わると部屋の中から仮面の人物の気配が消える。


「まだまだ長い旅……束の間の休息を楽しんでもらおうではないか」

 隙間風も入るはずがない地下室の中、唯一の暖かな光を生み出していたロウソクの火もいつのまにか消えて、元の暗闇が部屋を支配していた。



-------------------------------------------------



 イーダストの街から歩くこと1日かからない距離、僕らはハイダルシア領内にあるヘルタンの町を訪れていた。この町はイーダストよりも小さい町だがハイダルシアでも一番の水量を誇る大きなヘルタン湖の恩恵で農業の盛んな町であった。

 いろいろとトラブルが多く、女神信仰が強いイーダストの街から早く逃げたいという考えもあったけど、この町に寄った一番の理由は……


「教会の支部がないんですね」

 ひと二人が寝るのが精一杯なくらい狭い中に、強引にベッドが二つ置かれた部屋で僕はルインさんと話していた。この町には宿屋が一つしかなかったのでどれだけ狭かろうが我慢するしかない。野宿するよりは、狭くてもベッドで寝られるだけマシである。


「こんなに小さな町にまで支部は必要はないだろうな、それにイーダストが目と鼻の先にあるしな」

 おそらくルインさんの想像通りだろう。農業が盛んとはいえ、旅人もほとんど来ない町に教会を作る理由もないし、片道数時間でイーダストの教会に行けるのだから。とはいえ僕らにとっては好都合な町である。


「リレイドの街を出てからいろいろあったからな。少しここで休息も必要だろう」

「そうですね」

 さすがに毎回、毎回攫われたり、捕まったりするのは勘弁してほしいものだ。たまにはこんなのほほんとした時間もいいかもしれない。そうと決まれば……。


「どこ行くんだ?」

 ベッドの横を器用に歩いて部屋を出ようとすると、ルインさんに呼び止められる。


「天気もいいし。ちょっとエイダと散歩でもしようかと」

 言いながら少しだけ頬が熱くなる。膝枕をしてもらって以降、なんとなくエイダとはいい雰囲気ではないかと自負していた。小さな田舎町を若い男女が散歩する、すると次第に二人の距離は一段と近づき、気が付けば二人の手は繋がっていたりして……。


「何? 想像してニヤニヤしてるんだ?」

「あ……なんでもないです」

 あぶないあぶない妄想が完全に表に出かけていた。


「ちなみにエイダならいないぞ」

「え……? なんでですか? だってさっき宿屋に入るまでは一緒だったじゃないですか」

 いつものことながら女性陣2人は別部屋の為、宿屋に入ってから分かれていた。


「残念ながら甘いぞリオン君。新しい町に来たんだぞ、ということはマリアの性格を考えてみろ」

「マリアさんの性格……」

 美人で優しい上に元家政婦の経歴を活かして料理から掃除、洗濯までできる完璧な女性マリアさん……そういえば一つだけよくない癖があった。それは無類の買い物好きであることだ。特にエイダの服になると歯止めが利かなくなるほど……そんなマリアさんなら新しい町に来たとなればすぐにエイダを連れて服屋に向かっていてもおかしくはない。


「でも……お金がないはずですよね」

 そうなのだ。ここに来るまでに散々浪費したせいで、爆買いするための路銀は残っていないはずである。


「チッチッチ。だから甘いんだよリオン君」

 人差し指を左右に振りながら、学校の先生のような口ぶりでルインさんは言う。

 なにがいったい甘いのだろうか。


「残念ながら、マリアが買い物するためのお金ならあるんだな」

 少し言いにくそうにルインさんは言う。

「どうしてですか?」

 イーダストの街を出てからヘルタンに着くまでにお金を稼ぐ時間も方法もなかったはずだ。


「それはトルトリン寺院でチョロッとな」

 そう言ってルインさんは懐からパンパンに膨らんだ布袋を取り出した。しっかり紐で縛ってある袋の形から中身がコインであることは間違いなかった。ちなみに4大国共通で使える通貨は、価値の大きい物から金貨、銀貨、銅貨となっている。


「泥棒じゃないですか」

「声が大きいって」

 慌てた様子のルインさんに思い切り口を両手で塞がれる。

 防音がしっかりされているとは到底いえない部屋の中だ。宿の人にでも聞かれてしまえば大変だからだろう。じっと部屋の外を気にした後、しばらくして僕はやっと解放された。


「いいかリオン? 違うんだ」

「何が違うんですか?」

 どこをどう聞いても盗んだ以外の表現方法が思いつかない。


「これは元々、エイダが貰うはずのお金なんだ。だから盗んだというよりは丁重に貰っただけだ」

 ルインさんの話では、僕らを捕まえた後、トルトリン寺院の司祭達は市民向けに女神を悪用してさっそく儲けに走っていたようだ。例えば女神と会える権利銀貨1枚、女神と話せる権利銀貨10枚、女神と握手できる権利銀貨5枚といった感じである。

 それで、僕らが牢屋から逃げ出した時、寺院の中にあまり人がいなかったようだ。寺院内での職務を放棄してまでお金集めに走るとは、教会の職員にあるまじき所業である。つまりルインさんが言いたい事は、エイダの名前で市民から集めたお金ならエイダが貰ってもおかしくないと。


「どうせあのまま寺院に置いていても、崩れた建物の下敷きになっていたしな」

「……それはそうですけど」

 理由も分かりなんとなく納得できた気もするけど、スッキリはしていなかった。


「深く考えすぎなんだよリオンは、お金を使って還元することが、お布施をくれた町の人への恩返しと思えばいいだろ」

「それならイーダストの街で買い物するのが筋では?」

「え?」

 図星を突かれたのか珍しくルインさんの顔に焦りの表情が見て取れた。


「あー……それはだな……あれだ、あれ……そう、イーダストの街だとまた市民に女神騒動で囲まれたりしちゃうだろ……そ、それ対策だよ」

「……」

 ルインさんの話を黙ったまま聞く僕の顔はきっと、石のような表情をしているだろう。


「あ、そうだ。俺もナイフの手入れで鍛冶屋に行かないと」

 ワザとらしく思い出したようにルインさんは言う。完全に逃げ出す口実で思いついたことはさすがの僕にも分かった。


「じゃ、じゃあ俺は行くな」

 ベッドの上に投げ捨てられていた上着を掴むと、逃げるように部屋を出ていった。部屋の中には残された僕が一人。ちょっと意地悪をしすぎたかもしれない。

 僕だって旅をしていく中で、綺麗ごとばかりではないことくらい分かっている。ルインさんだって無事に旅ができるようにいろいろ考えくれているのだ。うん、戻ってきたら謝ろう。

 それまでは……部屋にいてもすることもない。僕も町に繰り出すことにした。一人でいるのもなんだか久しぶりである。とくに予定もないまま町の中を歩いていると小さな八百屋が見えてきた。


「あの、何ですかこれ?」

 店頭に並ぶ同じ形をした木箱の中には、見たこともない野菜が並んでいた。さすがは農業が盛んな町だけあって種類も豊富である。


「おう、にいちゃん。白菜は初めてか?」

「これ、ハクサイって言うんですか?」

「そうだよ。ハイダルシアの寒さに耐えて育つんだ」

「凄いですね。こっちは?」

 白菜が詰め込まれた木箱の横、白い棒のような野菜を指さす。


「それは大根だ」

「凄い、これが本物の大根……本では見たことあるけど……」

「へー、大根も初めてか。にいちゃんどこの生まれ?」

「リレイドです」

「潮風が強すぎて、あそこでは大根も白菜も手に入らないかもな」

「そうなんですよ」

 本でしか見たことがない野菜に思わず話が弾んでしまう。


「まいどありー」

 威勢のいいおじさんの掛け声に送り出されるように八百屋を後にする。もちろん僕の右手が大根と白菜の入った布袋を持っているのは言うまでもないことだ。

 使い道は考えてもいないけど、思わず買ってしまっていた。もちろんお代は例のお金を使ってしまっている。僕も完全に同罪、ルインさん達のことを言えた義理ではない。

 八百屋のおじさんの話では、町の離れに少し行くと古本屋があるそうだった。本好きな僕としてはこちらも外せない。

 はやる気持ちを抑えながら向かうと、トコトコと可愛らしく歩くエイダを見つける。一緒にいるはずのマリアさんの姿はない。どうしたのだろうか?

 向こうもこちらに気づいたのか駆け寄ってくる。


「どうしたのさ? 一人でこんなところに?」

 ルインさんの話では、エイダはマリアさんと一緒に服屋にいるはずだった。そういえば、今エイダが着ている服はヘルタンの町に着いた時と同じ物。いつもならすぐにでも買った服を着ているはずなのに。ますます不思議だ。


「うん。マリアと一緒にお店に行ったけど……」

 ポツリポツリとエイダは事情を説明してくれた。なるほど、どうやらマリアさんと一緒に服屋に行ったのはいいけど、夢中になったマリアさんがエイダをそっちのけで選んでばかりいて、試着と待つのに疲れたエイダは逃げてきたようだ。


「じゃあ一緒に本屋に行く?」

「うん」

 よっぽど大変だったのか、僕の誘いに嬉しそうに頷いてくれた。順序はメチャクチャだけど当初の予定通り、エイダと二人で散歩ができそうである。高ぶる気持ちのまま今度こそ古本屋を目指して進もうとすると……。


「ちょいとお主ら」

 待ってましたとばかりに声を掛けられる。

 やっぱり神様も、そう簡単には二人きりにしてくれないようだ。

 声がしたほうを見ると、腰のまがった老婆が立っていた。よく見ると右手に掴んだ木製の杖でバランスをとらなければ倒れてしまいそうだ。

「なんですか?」

「お主じゃない。そっちじゃ」

「……私?」

 話しかけられたエイダは不思議そうに言う。


「そうじゃ。お主、もしや灯り師ではないかの?」

 灯り師という言葉に嫌な予感がするのと同時に、束の間の休息が音を立てて閉まっていくような気がした。


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