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第三章 現実の女神と絵画の女神 (炎上)


「ここまでくるとおしまいだな」

 エルディーン司教の指が引き金を引こうとした瞬間、部屋の中に声が響く。

 この声……間違いなく聞き覚えのある声である。

 

「誰だ?」

 エルディーン司教は短銃を僕に向けたまま、周りを伺うようにキョロキョロと首を動かす。


「こっちだよ」

「何? うわ……」

 天井に吊るされた大きなシャンデリアから、ロープを使って一気にエルディーン司教目掛けて飛び降りると、持っていた短銃を蹴り飛ばす。


「油断したな。エセ髭司教さん」

 ルインさんの持つナイフは、エルディーン司教の首元に沿ってキラリと刃先が光る。気が付けば同じようにロープで降りてきたマリアさんは、エイダの横で巻き付けられた鎖を外そうとしていた。

 二人ともいつの間に天井に隠れていたのだろうか? そんな時間があったなら早く助けてくれもよかったのに、余計な詮索はやめておこう。


「ルインさん、マリアさん」

「おう、無事かリオン」

「はい、ルインさんも」

「言ったろ。後で会おうって」

 ルインさんは笑顔で言うと「形勢逆転だな」とエルディーン司教に向かって言った。


「貴様ら……いつのまに……衛兵は何をしているのだ」

「残念ながら、その衛兵なら今頃みんな気を失って倒れているかな」

「くそ……何故、だれも分からないのだ。中央にいる爺の支配を逃れるには、革命が必要だということを」

「おい、エセ髭爺。自分を棚に上げて、他の爺の悪口言ってんじゃねーよ」

「く……だが……まだだ」

 そう呟くと、勢いよくエルディーン司教は振り上げた右足でルインさんの足を踏みしめる。痛みでルインさんの腕が外れた瞬間に、部屋の壁際まで駆け寄ると勝ち誇ったようにニヤッと笑う。その瞬間、回転扉のようにエルディーン司教の体は壁の中に消えていった。

 予想外としかいえないくらい、髭の生えたお爺さんとは思えない程の俊敏な動きであった。


 逃げられた……のか? 一瞬ポカンとしてしまった後、壁に駆け寄ろうとすると、ルインさんに肩を掴まれる。


「放してください」

 あんな奴を逃がしたら百害あって一利なし。キチンと捕まえて警備隊で捕まえてもらわないと気がすまない。


「まぁ落ち着け。お前の気持ちも分かるけど……」

「でも……」

「それよりもお前はもっと気にかけてあげるべき人がいるだろ」

 そう言われて、思わずハッとした。頭に血が上って一番大切なことを完全に忘れてしまっていた。何度もルインさんにも言われていたはずなのに。

 一度胸に手を当てて深く呼吸すると、ゆっくり振り向いた。

 まだエイダの腕には短い鎖が巻き付けられていたけど、マリアさんが器用に杭を折り曲げてくれたおかげで、自由に動けるようにはなっていた。


「エイダ……」

「……リオン」

 駆け寄るエイダは、そのまま僕の胸の中に飛び込んできた。両手でギュッと抱きしめて初めて気づいた。彼女の体がこんなにも軽く華奢なことに。


「よかった……リオン……」

「うん、エイダも無事でよかった」

 腕の中からエイダの声が聞こえる……幸せな時間なはずなのに……何となく視線が気になる。抱きしめたまま顔だけを上げると……ジーっとこちらを見つめる二人の目があった。


「そこ、イチャイチャしてないで早く行くぞ」

「イ、イチャイチャしてないです」

 すぐさま抱きしめていたエイダから離れる。


「ほんとかなー? 顔真っ赤だぞ」

「ルインさん」

「悪かったって、ほら急げ」

 そう言うとルインさんとマリアさんは走り出した。僕の横でエイダは無表情のままだ。


「ねぇ……リオン」

「なに?」

「イチャイチャって?」

「そ、そんなことはいいから。早くいか……な……あれ? ……」

 舌が重たく感じて呂律が急に思った通りに回らなくなる。平らなはずの地面が揺れて揺れて回っていく。目の前の世界が暗転と光転を繰り返していく内に、僕の世界は完全に真暗となっていた。


「おい、リオン」

 駆け寄る三人の顔が慌てふためいていたことを僕は知る由もなかった。



--------------------トルトリン寺院地下実験室----------------------------



「はぁはぁ……まさか私の計画が崩れてしまうとは……だが」

 地下へと降りる階段を震える足でなんとか降りていく。


「まだ、まだだ。私には女神の絵があるではないか……ふはは」

 エルディーン司教の腕の中には宝物のように抱えられた女神の絵があった。研究室につくと……変わり果てた様子に一段と動揺が走る。研究に使われていた水槽やガラス器具は割られ、薄いピンク色の液体は床に流れ落ちていた。まるで地下室の中だけ嵐でも去っていったような様子だった。


「な、なんだ……これは……私の研究が……」

 狼狽えるエルディーン司教の背後でパチッとガラスの踏み割れる音がする。

「誰だ?」

 振り返ると、そこには全身黒のローブとフードで体を隠した人物。フードから見え隠れする顔には、仮面が被られている。


「元老院の犬か? 私をあざ笑いに来たのか? それとも私の命……いや、絵か?」

「はい。絵を回収させて頂きます。元老院の皆様は貴方の命には興味はないそうです」

「ふっふふ、私も軽く見られたものだ。やはり元老院の爺もこの絵の価値に気づいたか。だが、例え殺されようとこの絵は渡さん」

「無駄な抵抗は……」

「動くな」

 仮面の人物が右腕を動かそうとすると、エルディーン司教は研究室の机の上に置かれた銃を構える。銃口はもちろん仮面の人物に向けられている。


「動くなよ。一歩でも動けば撃つ。ヒ、はは。この銃に込められた銃弾は普通ではないぞ。試作品ではあるが女神さまの血を込めた弾丸だ。少しでも皮膚をかすめると、壮絶な拒絶反応が起こり人の体は一瞬で燃えて灰となる」


「そんな震えた手で、正確に私を撃ち抜くことができますか?」

 仮面の人物の指摘通り、銃を持つ手は小刻みに震えていた。


「う、うるさい。ほ、本当に撃つぞ」

「貴方にできますか?」

 銃が怖くないのか? それとも撃たれない自信があるのか? 仮面の人物は挑発するように一歩ずつ確かに近づいていく。


 すると……パァン、乾いた破裂音がして銃口から白い煙が上がる。


「ば、馬鹿め。だから言ったのに」

「こんなものですか……」

 煙が晴れると、何もなかったように仮面の人物は変わらず立っていた。


「当たったはずなのに……」

「確かに当たりました……ただのかすり傷ですが」

 仮面の人物の黒いローブの袖から赤い血が手の甲をつたって垂れる。


「馬鹿な……少しでも当たれば女神さまの血で拒絶反応が出るはずなのに……お前いったい」

「所詮貴方の研究は未完成だったようですね。貴方自身と同じように……空しいだけです」

「なんとでも言え……わ、私の研究……女神が……ここで終わるなら……私がすべてを一緒に持っていく。絵も研究も寺院もすべて私のもだ。ヒ、ヒヒヒ、ハハァハハハ」

 豹変したように地下室の天井に向かって叫び始めると、壁に掛けられた燭台を強引に取り外す。燭台のロウソクの火も振動で大きく揺れる。


「まさか」

 初めて仮面の人物の声に、焦りの色が見られた。

「そのまさかだ」

 手に握った燭台を地面に漂う液体に近づけると、一気に炎は燃え広がっていく。


「くそっ」

 押し寄せる炎から必死に逃げるように後退すると、着ている黒いローブを火避けに使って仮面の人物は階段を駆け上っていく。


「燃えろー燃えるんだー。ハハハハァハ、ヒャハハア」

 綺麗に輝きながら燃え上がる灯り師の炎は研究室を飲み込んでいく。その輝きとは相反したように、エルディーン司教の狂ったような笑い声だけが最後まで響いていた。



--------------------------------------------------------------


「う……うぅん」

 なんだか暖かく、とても心地よい匂いに包まれている。


「リオン……起きた?」

「エイ……ダ?」

 目を開けた瞬間、僕の脳細胞は活動を再開させたはずなのに……体は石のように固まって動かなかった。なぜなら、言葉そのまま本当に目と鼻の先ほどにエイダの可愛らしい顔があったからだ。あまりに近すぎて僕を覗き込むエイダの蒼い眼には、僕が映っているのがはっきりと分かった。


「うわ、どうして? え? 膝枕?」

 自分の置かれている状況にも、なかなか頭が追いついていけない。

 どういうわけか気を失っていた間に、いつの間にかエイダに膝枕をされていた。場所はマーズさんの宿屋だろうか……なんとなく見覚えのある部屋の、見覚えのあるベッドの上だ。


「ルインがこうしたら……リオンが早く良くなるって」

「ルインさんめ……」

 口では文句を言いながらも、半分嬉しいのは秘密である。

 少し名残惜しいけどエイダの膝枕からお別れするように起き上がった。


「もういい……の?」

「うん。エイダのおかげでバッチリかな」

「……よかった」


「そういえばルインさんとマリアさんは?」

 部屋の中に二人の姿はなかった。


「隣の部屋で休むって」

「そう……」

「……」

 無意識に二人の間を沈黙が包む。エイダと二人きりになるのは初めて会った時以来で、なんだか緊張してしまっていた。


「「あの……」」

 思わず同時に声が重なる。


「ごめん、エイダが先に言って」

「うん。あのね、これ……食べて」

 そう言うエイダの手には……器に盛られた、かろうじて料理にも見えなくもない物体があった。

「もしかして……エイダが作ったの?」

「……うん、マリアに教えてもらって」


「ありがと、食べてみるね」

 スプーンで勢いよく口に入れた瞬間、なんとも言えない激臭と味覚が舌の上で踊りだす。

「……どう……かな?」

 尋ねるエイダの顔は少し不安げである。


「う……うまいよ。お、おいしいなー」

 体中から謎の液体が噴き出す感覚に襲われるも、目の前で見つめてくるエイダがいるかぎりスプーンの手を止めるわけにはいかない。



………………………………その頃、隣の部屋にいる二人はというと……………………


「覗き見はよくないですよ」

「そんなこと言って、マリアだって見てるだろ」

 壁に空いた穴から隣の部屋の様子を覗くルインの横で、マリアも同じように目を凝らしていた。

「それは……」

 ボロボロの建物を継ぎ接ぎで作った宿だけあって、覗き見するには好都合とばかりに小さな穴がポツポツと開いていた。


「お、食べた食べた。ちなみにエイダの腕は?」

「ルインの想像通りです」

「なるほど」

 いくら教えるマリアがプロ級の腕前を持っていたとしても、そう簡単に料理の腕が上達するほど、料理は甘くない。


「愛だな」

「愛ですね」

 愛は味覚をも凌駕することをしみじみと感じつつ、二人には別の気になることがある。

 覗き見も終わり、窓から外を見るとモクモクと黒い煙が空に上っていく。

 燃えている寺院は見えなくても、煙の勢いからまだ火の手が収まっていないことはハッキリしていた。


「どうやら追ってはいないなようだな」

「えぇ。いまごろ大混乱で、それどころではありませんから」

「……」

「何か気になることでも?」

 黙ったままのルインにマリアは問いかける。


「あぁ、あの時いったい牢屋の鍵は誰が投げ落としたのか、いや俺たちに渡したのか。そして寺院内の衛兵の大半を倒したのは誰なのか……」

 ルインとマリアが寺院内を探索している際、ほとんどの衛兵は気を失っていた。


「ただの仲間われではないでしょうし」

「……それにあの灯り師についての研究内容も気になる」

「研究? 地下で見つけたっていうアレですか」

「アレを見つけてから灯り師と教会の関係が余計に分からなくなった。もしかして俺たちは……」

「でも、やめる気はないんですよね」

 思いつめたようなルインの顔を見てマリアは、優しくそう言った。


「あぁ、とりあえずは考えてみても解決できそうにもないし、それにあいつらとの旅も嫌いじゃない」

「私もです」

「だったら俺たちは二人を守るだけだ」

 ルインとマリアが新たな決意を胸に秘めている中、覗き穴の向こうではまだ、幸せそうな蒼い眼に見つめられながら冷や汗を流す二人の姿があった。


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