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第三章 現実の女神と絵画の女神 (群衆)


「起きろ」

耳に入ってくる声で薄れている意識が呼び戻される。


「う……ふぁー。おはようございます」

 抑えきれないくらいに大きな欠伸が止まらない。

 周りを見渡すと、少し薄暗いながらも朝であることが分かった。


「おはようじゃないだろ。見張りを忘れて寝やがって」

「あ……」

 そう言われると、ルインさんが川に顔を洗いにいった後、しばらくして記憶がない。どうやら焚火を見ながらそのまま寝てしまっていたようだ。直前まで眠れないんですっと相談していた自分が恥ずかしい。


「……すいません」

 謝る以外に他に言葉が思い浮かばない。

「まぁいいけどな」

 そう言って少し燃え残る焚き木にルインさんは水をかける。昨日の話は夢だったのだろうか? そう思ってしまうほどいつも変わらない様子だ。


「とりあえず関所に向かおう。二人も、もう起きてるから」

 顔を洗ってきたのだろうか、タオルを手に眠そうなエイダとマリアさんが小川の方から戻ってくる。さすがのマリアさんは朝でもいつも通り、すっきりとした顔をしている。ただ、なんとなく目が少し腫れているようにも見えた。たぶん気のせいだろう。


 テントなどの荷物を鞄に押し込めると片づけは完了。関所となっているイーダスト南門に向かって歩を進める。朝早くなので、イーダストの町は静まり返っていて、まだ人々の大半は眠りについているようだった。


「こんな時間でも国境検査室は開いてるんですか?」

「大丈夫」

 ルインさんの言うとおり南門の足元に併設された国境検査室には、一人優しそうな眼鏡を掛けた年配の女性が座っていた。ちなみに国境検査室とはハイダルシアの関所にある証明書の発行施設である。旅人が領内に入る場合は、検査室を通らなければ、正規の入国者にはなれない。


「証明書をもらいたいんですけど」

 受付の女性は顔色を変えずに、4枚の紙をルインさんに渡した。一人一枚ずつということだろう。


「一人一枚ずつご記入頂き、ご提出下さい。その後、奥の部屋で手荷物検査と、身体検査を行います。男性は入って右奥、女性が入って左奥です」

 機械的な読み方で眉一つ動かさない。業務を徹底して遂行している様子が伝わってくる。


 記入が終わり提出すると、奥の部屋に向かう。男性は確か……右奥だったはず、ルインさんが先に行くと、5分もしないうちに奥の部屋から出てくる。

「もう終わりですか?」

「簡単だって言っただろ? 先に街の入り口で待ってるよ」

 そう言って片目を軽く閉じてウィンクすると部屋を出ていった。うーん、自然にあんなことができるとは……僕には絶対に無理だ。

 奥の部屋には制服を着た警備隊の兵士が一人待っていた。朝早いせいだろうか、目の下には大きな黒いクマができていて、眠そうな雰囲気が嫌でも伝わってきた。

「ふあぁ。とりあえず荷物を置いて下さい」

 欠伸をこらえながら、僕の鞄の中を物色していく


「次は身体検査です。両手を上げて」

 言われるまま両手を上げると、服の上から軽く叩くように上から下へとチェックしていく。

「はい。問題ないです。それでは以上で検査終了です。もう行っていいですよ」

 ルインさんの言う通り、ものの数分程度で検査は終了した。こんな簡単で大丈夫なのだろうかと逆に心配になってしまうけど、旅をしている方としてはラッキーなので楽させてもらおう。

 関所の中からドアを開けて抜けると、そこは街の入り口になっている。

 言っていた通り、先に終わったルインさんが待っていてくれた。


「無事終わったみたいだな」

「はい。予想以上に楽なんですね」

「だから言ったろ。お、女性陣も終わったようだ」

 無事検査を終えたエイダとマリアさんも関所から姿を現した。


「問題なかったですか?」

「ええ。少しだけエイダさんの珍しい髪の色と蒼い眼について驚いてましたけど、それ以外は問題なかったです」

 初めてエイダの髪の色や眼を見れば誰だって驚いてしまう。それくらい希少で綺麗だ。

 当の本人は全くそんな自覚はないようで、脱いだ帽子を一生懸命被り直している。


「さて、先に宿を押えとくか」

「あれ? できるだけ早く通過しないんですか?」

 イーダストの街は教会信者が多いので、確か……長居は避けようという話だった。


「そうは思ったけど昨日も野宿だしな。この先の町や村との距離を考えたら一泊くらいはしてもいいかなと思ってな」

 ルインさんとしては、連日野宿になるのを避けてくれているのだろう。女性陣の事を考えれば納得できる。こういう紳士的なところを見習わなければと改めて一人で関心してしまう。


「それに隠れ家みたいな宿も知ってるしな」

「隠れ家ですか?」

「あぁ。通りから一本奥に入った裏通りだから少し治安は悪いけど、教会の目は届きにくいから隠れるには最適なところだ」

「ではマーズさんの宿に?」

 思い当たる場所があるのだろうか、マリアさんの口から“マーズ”という名前が出てくる。


「マリアさんも知ってるんですか?」

「えぇ、前にイーダストに来た時にお世話になった方の宿です。確かに裏通りで普通の旅人は行かない場所ですけど……気風のいい女将さんが切り盛りしていて、信頼できる宿だと思います」

 マリアさんがここまで褒める様子を見ると、かなり信頼できる相手で、安全な場所なのだろう。であれば僕に否定する理由もない。

 ルインさんの案内も元、表通りの商店街から一本奥に入っていき、橋の下の暗いトンネルを抜けた先に、お目当ての宿はあった。

 確かに、表通にある宿と比べると、大きさは変わらないけど、こっちの宿は無理やりボロ家を継ぎ接ぎのようにくっつけて、部屋を増やしていっているのが外から見ただけでも分かる。大丈夫なのだろうか? 崩れる一歩手前で、絶妙なバランスで維持されているように思えた。


「見た目はあれだけど、心配するなって」

 僕の心配が顔に出ていたのだろか? 安心させるかのように肩に手を置く。


「いらっしゃい。お、朝早くから誰かと思えばルインじゃないかい」

「マーズさん。久しぶり」

 威勢のいい声で迎えてくれたのはパーマのかかった栗色の髪をバンダナでまとめ、目の下のそばかすが印象的な恰幅の良い女性だった。


「いつぶりかねー懐かしいね。あいかわらずマリアちゃんも一緒だね」

「お久しぶりです」

 そう言ってマリアさんも綺麗な角度で挨拶をする。元家政婦と聞いてからは余計に目がいくようになってしまった。


「で、そっちの二人は?」

 マーズさんと呼ばれた女性の目が、しなさだめするように僕とエイダを交互に見る。


「新しい仲間さ。今、4人でエルルインを目指して旅をしてるんだ」

「エルルインねー。あんな変わったところにわざわざ行くとは……もの好きだね、あんた達も」


「もの好きなのは昔からだし。それにマーズさんほどじゃないよ」

「言うようになったわね。ルイン」

 二人の会話から、なんとなくマーズさんが信頼できる人だという雰囲気が伝わってくる。ルインさんやマリアさんが心を許しているのがいい証拠である。


「ところで部屋は空いてる? できれば2部屋」

「2部屋かい……ちょっと待ってね」

 確認するようにマーズさんは手元に置いた分厚い帳面のようなものをめくり始めた。


「おや、ついてるね、あんた達。ちょうど昨日出てった客の部屋が2部屋空いてるよ。明日になってたらもう埋まってたね」

「それはよかった。それにしても繁盛してるね?」

 ルインさんの質問に、一瞬マーズさんは驚いたように目を見開いた後、一人納得したように頷いた。


「なるほど。あんた達知らずに来たね」

「知らないって何のことです?」

 思わず横から聞き返してしまう。


「この町ではちょうどいま、年に一度の巡礼祭の時期なんだよ。どこの宿や飲食店も近隣の町から来た観光客でいっぱいさ」

「え?」

「やっぱり知らずに来たね」

 祭りがあるなんて思いもしなかったし、想像もしていなかった。というか近隣の町で噂も聞かなかったような……。


「どんなお祭りなんですか?」

「もともと教会発信で終戦の記念祭みたいなものだったらしいけど、今では昼間からどんちゃん騒ぎするような、なんでもありの祭りだね。一つだけ昔からの名残で教会の持ってる絵画が一般公開されるから、それを見に来る客も多いね」

「絵画ですか……」

 貴重な絵ならちょっとだけ気になってしまう。


「せっかく来たんだ。楽しんでってくれよ。ほい、部屋の鍵」

 マーズさんから2部屋分の鍵を受け取ると、受付横の通路へ進む。


「楽しめって言われても……」

 部屋に向かう階段を登りながら口から出てくるのは愚痴ばかり。まさか人目を避けて旅をしているのに、祭りと出くわしてしまうとは、ついてないにもほどがある。


「そう言うなって、しょうがないだろ。あ、あと次は左の階段で」

 外から見えた通り、宿の中はまるで迷路のように入り組んでいる。部屋につくまでに何回曲がって、何回階段を使えばいいのだろう? 入り口に戻れるかが心配である。


「私……お祭り見たいな」

「え? 本気? エイダ」

 まさか狙われているだろうエイダが、自ら人がたくさんいる場所に行きたがるなんて、自殺行為だ。


「うん。私……お祭りって見たこと……ない」

「見ていきましょう。ルインさん、マリアさん」

「簡単だなお前」

 僕の変わり身の早さに思わずルインさんもツッコむ。でもしかたがない、ないって悲しそうに言うエイダの姿を見たら、駄目なんて言えるわけないじゃないか。


「まぁまぁエイダさんも楽しみにしてますし、少しくらいなら大丈夫では? ね、ルイン」

 マリアさんの援護射撃のおかげか、渋々ながらルインさんも納得してくれたようだ。


「では、荷物を置いて準備ができたら宿の前に集合しましょう」

 そう言ってマリアさんとエイダは部屋に入っていく。僕とルインさんも部屋に入ると、ベッドの上に鞄を置く。


「……すいません」

「なんでお前が謝るんだよ」

「危ないのは分かってるのに……祭りに行くって決めてしまって」

「そんなの気にするなって。確かに危ないとは思うけど、できるだけエイダには楽しんでほしいっていうお前の気持ちも分からなくはないしな。それに旅は楽しむものさ。分かったら、さっさと、行くぞ行くぞ」

「はい」

 部屋を出るルインさんの後を追いかけていった。

 迷路のような道を戻って宿の前にくると、二人の姿はなかった。どうやらまだエイダとマリアさんは来ていないようだ。


「遅いですね?」

 いくら女性の方が、時間がかかるとはいえ、あまりに遅すぎる。

 宿の前で待ち始めてから30分以上は立っていた。


「まさか……嫌な予感が……」

 ハッとしたようにルインさんは立ち上がる。


「やられたぞマリアに、とりあえず片っ端から服屋を探せ」

「服屋? ……なるほど、そういうことですね」

 駆けだしていく、ルインさんを追いかけるように僕も走り出した。

 マリアさんの悪い癖が出てなければいいけど……。


「はぁはぁ、ここかやっぱり……」

 残念ながら、ルインさんの予想通り服屋の店先には夢中で服を選んでいるマリアさんの姿があった。


「何してるんだ? マリア」

「ルイン? いえ……あのーそのー……」

 言葉に詰まりながら、咄嗟に手に持っていた服を後ろ手に隠す。可哀そうだけど、はみ出した袖の部分がバッチリ見えている。

 

「騙したな、お前」

「ち、違います。宿の前で待っていたら少し時間があったので、エイダさんと近くを散歩してるだけです」

「へー散歩ね。散歩にしてはずいぶん楽しそうだな」

 ルインさんの目は後ろ手に隠した服を、見透かしたように見つめる。


「いえ……せっかくハイダルシアに入ったので……その……ハイダルシアで流行っている服をエイダさんに着させてあげたいなーっと思いまして……」

「ふーん」

 背中に隠した服を棚に戻すマリアさんを、ルインさんは醒めた目で見つめる。


「マリアさん、エイダは?」

 店内を見渡しても、肝心のエイダの姿はなかった。


「それなら試着室にいますよ。とびっきりかわいい服を着てもらおうと」

「マ・リ・ア」

 今にも駆けだそうとするマリアさんを、怖い顔をしたルインさんが言葉と共にガッシリと捕まえる。


「……すいません」

 さすがのマリアさんも、ヒシヒシと伝わってくる、もの凄い圧力に謝るしかなかった。

 ちょうどその時、試着室のカーテンが開いていく。


「……どう?……マリア」

 外で起こっている争いなど知るはずもないエイダが、少し恥ずかしそうに言う。

 その服装は暖かそうなダッフルコートに、お揃いの色をした手袋とブーツ、首元にはハイダルシア名産グータ縫いの赤いマフラーが巻かれていた。もちろん髪と目を隠すために、狩人が被るようなモコモコした帽子と丸い伊達メガネは忘れていない。

 

「あれ? リオンいつのまに……ダメかな?」

 こちらに気づいたエイダが自然にクルっとその場で回る。

「い、いいと思うよ」

「……よかった」

 か、かわいすぎる。これもマリアさんの入れ知恵なのか……完敗だ。さすがはマリアさんチョイスである。


「ずるいぞマリア。エイダにリオンを取り込ませるなんて……はぁーまたお金がなくなっていく……」

 諦めたように両手を上げて座り込んだ。


「すいませーん。お会計を」

 ここぞとばかりにマリアさんはお財布を持って、お店の人を呼ぶ。すると店の奥から腰の曲がったおばあさんがやってきた。


「この子が着ている服と、あと、これとこれで、いくらですか?」

 しれっと先ほど返したはずのたくさん服が追加されている。


「白銀……蒼い眼……女神……さま」

 服屋のおばさんは、マリアさんなど目にも入らないのか、エイダを見つめて小さな声で呟いていた。

「女神さま……女神さまじゃ」

 おばさんは座り込むと、祈りながらエイダを女神さまと呼び続ける。その目には涙まで流れている。


「エイダさんのことですよね?」

 目の前の光景を見ながらマリアさんが困ったように言う。

 おそらくエイダに向けてだろうけど……様子が普通ではない。


「さぁな、とはいってもあまり関わらないにこしたことはなさそうだ」

 そう言ってルインさんはすばやく財布からお金を取り出して机の上に置くと「宿に戻ろう」と、ボーっとしているエイダをつれて店を出て行く。


 ただ、いつの間にかお店の周りには騒ぎを聞きつけた住民が押し寄せていた。


「何か……人が集まってないかな?」

 通行人というよりも、間違いなく集まってきたという表現がしっくりくる。


「きっとそれは気のせいではないと思いますよ」

 4人の周りにはいつのまにか人の群れができ始め、集まった人々はエイダを見ながら「女神さまー」、「女神さまー」と、祈りながら呼び続けていた。

 それはまさしく異様という言葉が似合う光景である。


「なんだこれ?」

「さぁ……でもどうするんです?」

 宿に戻ろうにも、群衆が道を塞いで身動きがとれない。


「どうするって言われても囲まれてるし……」

 話している間にもどんどん人々は押し寄せてくる。


「「女神さまー」」

 群集たちは、ひたすら女神という言葉を取り付かれたように呼び続けている。


「女神って……エイダのことですよね?」

「たぶん……というか絶対そうだな」

 集まった人々の目は僕らを無視して、あきらかにエイダ一人を見据えている。

 まるで視線で殺そうとしているかのように目を見開いて凝視している。


「殴っていいかな?」

「駄目に決まっています」

 ルインさんの発言を即座にマリアさんが却下する。


「だったらどうするんだよ」

「それは……私にも」

 困惑している間にも、周りを囲む群衆の数は増えていく。

 街の住民すべてが押し寄せてきているのではないのかと錯覚してしまうほどだった。


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