恋人は意地っ張りで泣き虫
まずは馴れ初めから説明するべきだろうか。
私と彼、ショウタが出会ったのは小学3年生の頃だ。
クラス替えで初めて同じクラスになって、お互いの存在を知るようになった。
当時のショウタは身長がクラスで一番低くて、やせっぽち。明るい色のふわふわしたくせっ毛。全体的に色素の薄い印象で、日本人離れした茶色い瞳と白い肌の持ち主だった。
そしてとにかく感情表現の豊かな子供だった。
と、言うとよく聞こえるけれど、何かと怒りっぽくて、そのくせすぐ泣いた。
かと思えば、何が面白いんだというような些細なことでケタケタと大笑いすることもある。
他者から見て少し目立つ外見と
すぐに大騒ぎして泣いたり笑ったりするショウタは
クラスの数人の男子によくからかわれていた。
そして私はというと、融通が利かなくて頑固。そして正義感にあふれた少女だった。
だからショウタがからかわれていると、必ず止めに入る。
相手の男子には
「いい加減にしなさいよ。いつもいつもこんなくだらないコトして、馬鹿なの!?」
と詰め寄り
ショウタには
「アンタもいい加減、すぐ怒るの何とかしなさいよ!我慢できないわけ!?」
または
「いい加減に泣くのはやめなさいよ。ほら、顔拭いてあげるからこっち向いて」
と、世話を焼いてきたわけだ。
でも私も別にめちゃくちゃ強い訳ではないから、時には返り討ちに遭う時がある。
口八丁で応戦するわけだけれど、相手が多くてぶん殴られたこともあったし、
「お前、ショウタのこと好きなんだろー!お似合いなんだよブスー!!」
とか言い逃げされると、少女の心に「ブス」が突き刺さってしまうこともあった。
そうすると悔しさに涙がこぼれてくる。
ぐっと我慢しようとするけど、止まらなくて、地面をじっと見つめて、こぶしをぎゅっと強く握る。
身体が震える。
そんな時は、今まで泣いたり怒ったりして騒いでいたショウタが、急に静かになって、私の頭を黙って撫でてくれたり、「ごめんね、ありがとう」とかしおらしく言ってくれたりする。
「ごめんね、ありがとう」じゃないだろ、こんちくしょー。
そもそもお前がしっかりしていないから、こんなことになったんだろうが。ふざけんな。
いつも内心、私を殴ったりブスって言った奴らと一緒に、ショウタに対しても悪態をついていた。
そんな小学生を経て、私たちは中学生になった。
クラスは別れたから、もう世話を焼くこともないし接点もないと思っていたけれど、委員会で一緒になった。
私は子供の頃から本が好きだったから、図書委員になったけれど
ショウタは記憶している限り本なんて読んでいる姿は見たこともないのに、なぜか図書委員に混ざっていた。
長期休業中の図書室の貸し出しチェックと本の整理くらいしか、集まって活動しなかったからそうそう顔を合わせなかったけれど、
たまに会うショウタは、落ちついて、小学生の頃みたいに怒ったり泣いたりすることはなくなった。
そして3年間で身長も嘘みたいにグンと伸びて私より10㎝以上は大きくなった。
色素の薄い髪も目も、むしろ垢抜けた雰囲気に見える。
中学生になると他の男子たちも大人っぶってんだか知らないけれど、落ち着いてくるようで
ショウタをからかうことも無くなった様だった。
ショウタも相変わらず表情はコロコロと変化するし、感情豊かなのは変わらないけど、他人と騒ぎを起こすことは全然なくなったようだった。
結果として、接点はあったが世話は焼かずに済んだ。
中三の冬休みの最後の委員会の後、ショウタに声をかけられた。
「シオン、いつもお世話になってるお礼に、コンビニスイーツ奢るから、一緒に帰らない?」
子供の頃から、自分の名前に違和感を感じる。
仏頂面で、可愛くもなくて、こんな時素直にうれしい顔さえできない私が、“シオン”なんて可愛い名前をしていることに。
でも、子供の頃からショウタが呼ぶと、悪くない気がするから不思議だった。
甘えてすがるように呼ばれていた小学生の頃も、
少し低くなって、かすれたような今の声でも。
なんだか自分の存在を包まれて、認めてもらえているような、落ち着いた気持ちになれた。
きっと私にとってもショウタはずっと特別だったんだと思う。
だからその日、「高校生になったら、付き合ってほしい」とショウタに言われたことも、
なぜだか前からこうなることが当たり前だった様に思えて、黙って頷いた。
一
帰り支度をしている教室に、まるで愛玩犬が大好きな主人にしっぽを振るようなテンションでショウタが転がり込んできた。
「シオン!シオン!今日は?今日はどうなの?部活なの?」
キラキラした目で、期待いっぱいの表情。
声がデカい。最近その目立つ見た目と素直な表情が女子に密かに人気なようだ。
私も一緒に目立たせないでほしい。
クラスメイトの視線が刺さる。
「…部活。先に帰ってて」
対する私はきっとニコリともしてなし、めんどくさそうな表情さえしているかも知れない。
「えぇ~。最近ずっとじゃん。じゃあさ、いつ一緒に帰れそうなの? 俺って、シオンの彼氏だよ?」
ちょっと目をウルウルとさせて、悲しそうに眉をしかめる私の彼氏。
「知らない。テストも近し、勉強もしたい。それどころじゃないわよ」
ショウタのテンションが高ければ高いほど、つっけんどんな態度をとってしまう。
良くないな…とは思っているけど、なんだか恥ずかしいし、もともと乏しい表情から、こんな時にどんな顔をすればいいのか、ちっとも分らない。
でもそんな私に慣れているからか、ショウタはそんなに気にした様子もなくまた笑顔を作って、小指をたてて突き出してきた。
「…なに?」
「約束しよ! 今は我慢するから、テストが終わった最初の日には、ドーナツ屋デートするって!」
無邪気な笑顔を向けられて、つい小指を絡めてしまった。
「約束だからね!! 絶対だよ!! 嘘ついたらハリセンボンだから!」
「子供かよ…」
ちょっと馬鹿らしいやり取りも、ショウタは私に自然にやらせてしまう。
ホントに、大した奴だ。
ショウタと別れて、カバンと参考書、読み途中の文庫を抱えて図書室に入る。
私は文学部に所属している。活動内容は集まって本を読んで週に一回お互いの読んだものを発表しあったり薦めあったりする。
要は週に一回いれば、事足りる。毎日図書室に通っているのは、部長の私くらいのものだ。
一人きりの日も珍しくない。
それなのに私が彼氏の誘いも断って、図書室に通うのは、落ち付くというただそれだけだ。
勉強するにも、読書をするにも、これほど私が安心できる空間はない。
それに校内で勉強していれば、わからなくなった時にすぐ教師のところに行けば解決だ。
こう言うと、まるで私が成績優秀な優等生みたいに聞こえるかもしれないけど、むしろ逆だ。
進学校であるこの高校に入学できたのも、ギリギリだった。
今も授業についていくのに必死だし、成績は中の下程度だ。
もしかしたら下の上くらいかもしれない。
真面目で融通の利かない私は、ひたすら頑張るしか能がないのだ。
高校二年生の冬。
来年は受験生だから、もう志望校も決めてそこに向かって頑張らないと、直前で巻き返しなんてきっと無理だと思う。
……どうして私はこんなに馬鹿なんだろう……
小学生の頃は、ショウタをいじめてる男子たちを内心馬鹿にしていたのに、今はそいつらの方が成績はいいくらいだ。
ショウタも私よりはるかに勉強はできる。
でも彼氏に勉強を教えてもらうなんて、プライドが許さない。
弱いところなんて、見せたくない。
自分は可愛くない女だと思う。
ショウタは私のなにが良くて彼女にしているんだろう。
子どものとき、世話をやいたことを、感謝でもしているのだろうか。
律儀なやつ…
図書室のいつもの席に腰かけて、ふぅっとため息をつくと
ショウタのまぶしい笑顔が脳裏に浮かんだ。
こんなに可愛くなくて、嫌われたらどうするんだ、私。
別に流されて付き合っている訳じゃない。
私は私なりに、ショウタのことは好きだけど、素直な愛情表現ができない。
好きな子いじめる子供かよ、って自分でも内心突っ込んでる。
宿題の解らないところを、職員室に押しかけてそれぞれの教師のところで教えてもらって、
校門を出たのはもう薄暗くなった頃だった。
何度聞いても解らないものは解らない。
教師がイライラし始めて、私も涙目だけど、何とか問題が解けた頃には読書の時間なんて残っていなかった。
こうして宿題一つやるのにも、私のプライドが針で削り取られるようにギリギリと傷ついていく。
でも立ち止まるわけにはいかない。
これで志望校の受験にでも失敗したら、それこそプライド木っ端みじん。再起不能だ。
とりあえず宿題は終わったんだから、読書は家で堪能しよう。
たまにはストレス発散に漫画を開くのもいいかもしれない。
バトルものとか、スッキリするかも。
「「本屋に寄ろうかなぁ…」」
つい口をついて出た独り言に、聞きなれた声がハモる。
顔を上げると、校門にニコニコしたショウタが寄りかかって立っている。
「どうして?帰ったんじゃなかったの?」
きっと我ながら間抜けな顔をしていたと思う。ショウタはキシシ、と空気の漏れるような笑い声をあげて紙袋を差し出してきた。
「一回帰った。でもそろそろ帰る時間じゃないかと思って迎えに来た。靴もあるの確認して、待ってた。あとこれ、漫画。面白かったから読むんじゃないかなーって」
「どうして…」
どうしてそろそろ帰るってわかったの? どうして漫画読みたがってるってわかるの? どうして迎えに来てくれるの? どうして私のことなんて好きなの? どうして? どうして?
何を聞いていいのか、自分でもわからなくて、口をぽかんと開けて、聞きたい言葉は尻切れトンボに宙をさまよう。
「ん?なにが? とにかく遅いから帰ろうよ」
無理に手を引いたりはしない。
ショウタは私が歩き出すのを待っている。
笑顔で待っている。
「どうしてぇ…」
ギリギリでこらえていた気持ちがあふれ出すような気がした。
実際涙がボロボロとこぼれだす。
ズタズタのプライドとか、自分への自信のなさとか、うまくできない感情表現とか、抑え込んでいるものが、ショウタの前ではぐずぐずになってしまう。
「あ、泣いた」
ショウタは驚いた様子も見せず、そのままニコニコと私の顔をまじまじとのぞき込んでくる。
「やめてよ、みないでよ、ばか!うえぇ…ぇ」
子どもみたいなみっともない姿で、人気のない薄暗い校門前でショウタを前に泣いた。
小一時間は泣いた。
たまに下校の生徒が通って、不審そうにこちらを見るのがわかる。
これじゃあ、まるで痴話喧嘩みたいに見えてるんじゃないだろうか。
恥ずかしい…。
辺りは真っ暗になったけど、ショウタはずっと私の手を握って、泣き止むまで待ってくれた。
小学生の頃と真逆だ。
なんでこんな情けない私になったんだろう。
そしてコイツは、どうしてこうして私が泣き止むまで黙って待っててくれるんだろう。
べそべそと、鼻水をすすりながらショウタに手を引かれ帰り道を歩く。
「ねぇ本当にどうして迎えにきたのよ?」
こんな時でもつっけんどんな言葉になってしまう。
ショウタはそんな私をたまに振り返りながら、優しいく目を細めている。
「今日、放課後迎えに行ったとき、なんかそろそろ泣きそうだなって思ったから」
「は?意味わかんない?なんでよ?」
泣きすぎて、目が重い…
「なんとなくだけど、テスト近いし、切羽詰まってるのかなーって」
お見通しってこと?
本当に嫌になる。
弱みなんて見せたくないし、いつでもしっかりしていたいって思っているのに、コイツに見透かされているなんて。
あの、私にかばわれて、めそめそ泣いたり怒ったり騒いだりしていたコイツに…
すごく悔しい。
「…私みたいなのの、いったいどこが良くてアンタはこうして世話焼いてくれるわけ?」
つい日頃から疑問だったことが、最高にひねくれた言い方で口をついて出た。
「ん?それは元々シオンの方じゃない?俺の何が良くて守ってくれてたの? まぁいいけど、俺はねぇ。そうだなぁ。 ……正直に言っても引かない?」
振り向いたショウタはいつもと同じように笑っていた。私のひねくれた言い方なんて気に留めた風もない。
でも、どこかギラギラとした目をしているように見えた。
今まで見たことないようなその目に背筋がゾクリとしたけど、好奇心が勝って睨むようにショウタを見た。
「それは、約束できないけど… 知りたい。」
ゆっくりと体ごとこちらを向いて、ショウタに両手をとられる。
ゆっくり顔が近付き、間近で息を吐き出すように微かな声で呟かれる。
「泣いてほしい」
「……は?」
コイツの前で、今日は何回ぽかんとした間抜けな顔をしなくちゃならないんだろう。
全く意味が解らない。
そんな私を見て、怪しげに光る目で薄く笑う。
「昔から、俺を守って戦ってくれてたじゃん? で、たまにやられてさ、シオンも泣くじゃん。あの泣き顔が、すごく綺麗だなって思ってた。なんか、ゾクゾクする。シオンが泣くと。だから今日も、そろそろ泣くなら、俺の前で、見せてほしかった。」
それを聞いて背筋がゾクゾクしたのはまたしても私の方だった。
そして今度はぎょっとした顔をしたに違いない。同時に顔に熱が上がるのがわかった。
「---っ!! な、何それ!?キモイ!え?それ性癖なの!? まじでキモイ!ひっ…引くわ!!」
咄嗟に手を振り払い後ずさりで距離をとりながら、自分にしては珍しくそこそこ大きな声が出たと思う。
子供の頃、私が泣くと急に静かになって、私の顔をショウタが静かに見ていたのって…
そういうことなの!? いつからそう思われていたんだろう…
なんだかものすごく恥ずかしいんですけど!
「うわぁ、ひどい言い草だな。つーかだから引かないでって言ったのに。いいじゃん。別に。俺が積極的に泣かせるわけじゃないんだし。普段は大事に甘やかしたいと思ってるよ?それこそ溶けるくらいに甘やかしたいと。」
意味わかんない?とでも言うように、可愛らしく小首をかしげて、私がとった距離を詰めてくる。
小首をかしげるその仕草が可愛くてムカつく! しかも様になってるからクソ腹立つ。
「それにさ、性癖かどうかはわかんないなぁ。だって、別にそーゆー性的な接触はしたことないでしょ?俺とシオンは。手をつなぐくらいの清い仲じゃん?それなのに性癖って、ねぇ?」
細めた目つきが、怪しい色気さえ感じさせてくる。
初めてショウタを男の人だと意識させられた気がする。
「む、ムカつくし、キモ!! やだ、一人で帰る!! 漫画だけよこせ、この野郎!」
ショウタの手の中にある紙袋に飛びつこうとすると、ふわりとよけられる。
「また泣いてくれたら、言うこと聞いちゃうかもよ?」
どこか嬉しそうに、ひょうひょうとした様子に遊ばれていると気づいてさらに顔に血に気が上がる気がした。
「っざけんなバカ!この変態!!ぶっ殺すぞ。」
「お好きなように呼んでいいですよ、俺の彼女さま」
ぎゃあぎゃあと言い合いながら、家路につく。
ムカつくことだけど、私が自然体でいられるのは、コイツの前だけだということは
意地っ張りの私にもわかるから、キモイとは言いながらも、結局付き合ってやる。
でも、あんまり自然体で無防備なのは、そろそろお年頃的に危険なのかもしれない…
二
外は雲一つない快晴で、俺と彼女は夏特有の生暖かい風を避けて、クーラーの効いた俺んちの居間にかれこれ3時間引きこもっている。
テーブルの上には食べ終わったコンビニ弁当のカラ。これは彼女によって綺麗に重ねられて袋に戻された。
飲みかけの麦茶はぐっしょり汗をかいている。
今日で学校は一旦終わって、明日から夏休みということになっている。
が、進学校の3年生には容赦のない夏期講習が明日からもある。
とりあえず、今日は午前で学校が終わったから、たまには一緒に過ごそうとお願いした。
いつも部活と称して学校で居残り勉強をしている彼女は、さすがに申し訳ないと思っていたのか、大した嫌味も暴言もなく、二つ返事で了承し今に至る。
小学生の頃からの仲だし、お互いの家には子供の頃から行き来があるから、全く緊張感はない。
お互いに漫画を持って、ソファに並んで座り、特に話をするわけでも無く過ごす。
たまに彼女にしては珍しく声を上げて笑っている。
その度にチラリと横を盗み見るが、すぐに元の無表情に戻る。
読書家の彼女だが、漫画も好む。
少女漫画よりも、少年漫画の方が好きだそうで、バトルもの、スポコン、ファンタジー何でも読む。
その中でも特にギャグ漫画を好むようだ。
多分、いつも考えすぎでオーバーヒート寸前の頭を冷やすのに丁度いいんだろう。
ちなみに少女漫画はイライラするとのこと。
ストレスたまっているんだと思う。
一瞬でスッキリしたいなら、確かに少年漫画の方がいいのかもしれない。
俺としても、ギャグ漫画を見ている彼女が好きだ。
普段緩むことのない鉄仮面が、強制的に緩むんだから、とてもいい。
あと、感動できるヤツもイイ。
俺は彼女の泣き顔がたまらなく好きだから。
もっとも、それは彼女にはキモイと拒絶反応を示されているが。
彼女は子供の頃から表情の動きの少ない少女だった。
一重の切れ長の目。伏し目がちになると白い肌に長いまつ毛が影を作る。
俺のそれとは全然違う重く、黒く光るストレートヘア。
しっかりと引き結ばれた唇は、リップクリームくらいしか塗っていないだろうに、ふっくらツヤツヤ。
気の強さと意思の強さを感じるきりっとした眉。
まるで感情のないお人形のような完成された容姿だと俺は思っている。
その顔つきを裏切らず正義感はめちゃくちゃ強いから、弱くて泣き虫だった俺はよく助けてもらった。
最初は女なんかに守られて情けないし、恥ずかしいと思っていたけど、彼女の泣き顔を見たときに、初めて感じたそれに衝撃を受けて、そんなことどうでもよくなった。
氷の様に冷淡で硬質な表情がゆがんで、その目から零れ落ちる涙。
強気な彼女にまるで似つかわしくない。
我慢しているのに漏れる嗚咽。
細い肩の小さな震え、強く握られたこぶし、上気した頬、朱に染まる目元。
完璧な容姿が崩されて歪む姿。
どれも腰に響くような、ゾクゾクと湧き上がる落ち着きのない感覚を誘う。
子どもながらに、欲情していたんだと気づいたのは中学生になってからだったけど。
本当に衝撃的だった。あんな官能的なものを俺は感じたことがなかった。
そしてその感覚は、今なお健在で、彼女が泣くのを見るのは本当にため息が出るほど幸せだ。
泣いている時の彼女は、いつもはほとんど感じさせない感情の動きが前面に出てくる。
その瞬間は彼女を自分だけのものにして、隠してしましたい、閉じ込めてしまいたい、誰にも見せたくないという気持ちが次々に湧き上がる。
彼女には気持ち悪い性癖だと言われているし、自分でも危ないのかもとは思うが、泣いていれば誰でもいいというわけではない。
あくまで彼女だけ。
彼女の泣き顔だけが、俺を喜ばせて、興奮させる。
さて、そんな氷の女王陛下が今、隣で笑いで小刻みに震えている訳だが
高校生カップル、付き合って二年半たったがヤバい性癖の俺は彼女とはキスもしていない清い仲。
こうして二人きりで密室にいても、絶対に手をつなぐ以上のことはしない。
大きな理由は二つある。
一つは、もし俺から彼女にそれ以上を望んだりして、同意を得ていないうちに何らかのコトに及んだとする。
するとこのプライドの高い女王陛下は、自分が人間として俺にマウントを取られたと思い激怒することだろう。
そしておよそその可愛らしい口から発せられるとは思えない、罵詈雑言が吐き出されるはずだ。
このスカイツリーもびっくりな高さを誇るプライドは彼女の大きな特徴だ。
だからこそ、傷つきやすく泣き虫なんだろうけど。
そして二つ目は彼女が思いのほか子供っぽいということだ。
鋼鉄の仮面。真面目で愚直、曲がったことは大嫌いでしっかり者の彼女。
でもその外面に反して、求めている愛情は幼稚園児みたいな承認欲求だ。
ただ認められていたい。無条件に愛されたい。
幼児期の発達段階の獲得に問題でもあったんだろうかというレベル。
でも彼女の両親は、普通の優しい父母だし、特別しつけが厳しいとか、虐待が…とかそんな物騒な様子は全くない。
だからこの承認欲求は、やっぱり超絶高いプライドの裏返しなのかもしれない。
そんな幼稚園児レベルの彼女に、あまり過激なことは出来ない。
高校生カップルにキスが過激か、と言われれば判定は微妙だが、彼女には何が起こるか…というか、俺がどんな目に合わされるかわかったもんじゃない。
最悪の場合嫌われることだってあり得る。それはマズイ。
だからギャグ漫画に震え、たまに聞かれるかみ殺したような笑い声を隣で堪能できるだけでも、
この鉄仮面さまの隣にいる幸せをかみしめるに値する。と、思うことにしている。
そして今日の彼女は比較的上機嫌だ。
この前の模試の結果が来ていたが、それが納得いく結果だったらしい。
いつもの努力が報われたわけだ。
素直に俺も嬉しい。
彼女の泣き顔が大好物な俺だが、愛する彼女が喜べば素直に嬉しいし、ベタベタに甘やかしたいとも思う。そしてぐちゃぐちゃに歪んだ泣き顔も見たい。
この矛盾、ジレンマ。
さて、彼女、本当に今日は柔らかい空気をまとっている。
普通の女子高生みたいだ。
これならいけそうだと、デートに誘ってみることにした。
「ねぇシオン。」
行儀よくソファに腰かけている彼女の膝を叩く。
「あん?なによ?」
手負いの狼の様に常に臨戦態勢のいつもの彼女だ。
「来週さ、花火あるじゃん。行こうよ。高校最後の思い出に。夜だから危ないし、俺、ちゃんとシオンのお母さんに先に話して許可取るからさ。」
甘えた声で彼女にお願いしてみるが、彼女は漫画から目を離さない。
「あー… うー… ぐっ!ふふふ」
ひどい。まぁ、レアリティの高い笑顔だ、ご馳走です。
「オイ、ちょっと、聞いて。俺も人間だから、悲しみの感情をもっているんだよ。無視は無いよ。」
諭すように言ってみるが、半分アンドロイドみたいな彼女に果たして俺の人間の感情は理解してもらえるだろうか。
「はいはい、花火ね。花火。いいんじゃない?別にいいよ。お母さんにも私から話すから、別にショウタからわざわざ言わなくてもいいよ。」
良かった。彼女の人間の部分に響いたようだ。でも相変わらずこっちを見ない。漫画が優先だ。
「イヤイヤ、夜連れ出すんだもん。ちゃんと言うよ。そこはほら、俺、男だし?」
「…アンタみたいな非力な男と二人って聞いた方がお母さん心配しないかな?」
漫画から顔を上げて、俺の顔をまじまじと見つめてきた。真面目な顔で言われると、不安になる。
彼女は的確に人の心をえぐる。
俺はどうも不安な顔をしていたようだ。
「ま、最悪私が守ってあげるわよ。最近護身術の動画見てるから、大丈夫だと思う」
安心させるような、諭すような言い方をしてくるが、彼女はそんなに強くないと思う。
「…そうか… うん、よろしく…。」
彼女のプライドを潰してはいけない。
漫画に視線を戻そうとする彼女に、俺はさらにお願い事をしてみることにした。
「俺、シオンの浴衣姿、見てみたいんだけどさぁ。どうかな?」
「はぁ?ヤダよ。めんどくさい」
一瞬でぶった切られた。
夢も希望もない。
彼女が帰ってからずいぶんたってから、ソファの隙間に携帯電話が挟まっているのに気付いた。
ケータイカバーは淡いピンクに桜の模様が可愛らしい。
仏頂面で、ツンツンしている彼女だが、実はとても少女趣味だし、甘い物も大好きだ。
このギャップに萌える。
さて、しかし携帯電話がないのはいかに友達のいない彼女でも困ることだろう。
久しぶりに彼女の家の固定電話へ連絡することにする。
2コールすると、受話器がとられた。
「はい。どちら様ですか?」
軽やかな声。似ているけれど、やや明るいトーンだからこれは彼女のお母さんだ。
挨拶をし、まず花火大会に行きたい旨を話し、夜間の外出許可をもらう。
『まぁ!花火!いいわね、ぜひシオンを連れて言ってちょうだい。あの子ほら、暗いから、ショウタ君以外とは全然出かけたりしないし、気分転換にぜひお願い!』
快く許可をもらえた。このお母さんは彼女と違って血の通った人間だ。
携帯電話を忘れたことを伝え、彼女に変わってもらう。
『もしもし?ショウタ?』
同じ声なのに血の通っていない、冷めた印象の彼女の声がする。
電話を通すとさらに機械的。
「シオン、携帯忘れてる。今夜使うならこれから届けるけど、どうする?」
チラリと時計を確認する。20時半。うまくいくと風呂上がりの彼女に会えるかもしれない。
『もう遅いから、明日でいい。携帯無いの気づいてなかったくらいだし。』
ハイ、一刀両断。流石過ぎる。携帯電話なくて気づかないなんて、俺の彼女ホントに女子高生なの?
『わざわざ電話、ありがとう。明日また学校でね。おやすみ』
「はいよー。おやすみ」
通話もアッサリしたものだ。
まぁ、彼女の“おやすみ”を聞けたんだから、いいか。
翌日、学校について下駄箱を開けたときに彼女の携帯電話を自宅に忘れてことを思い出した。
「あ…」
まさか忘れるとは思わなかった。
机の上におきっぱなしだ。
忘れるわけないと思っていたのに… カバンに昨日のうちに入れておけばよかった…
そんな俺の後ろに無表情な彼女が後ろに音もなく立っていた。
「ショウタ、おはよう」
「うっお! おはよう。びっくりした。あ、シオン、ごめん、ケータイ、忘れてきちゃって…」
彼女は別に気にした様子もなく、
「あ、そう。じゃあ、ショウタんちに帰り寄る。部活で残って帰るから、3時過ぎくらいかな。」
と、告げると、さっさと行ってしまった。
悪いことしたな…
今日も外はうだるように暑い。
特に部活にも入っていない俺は毎日特にすることも無く、まっすぐ家に帰る。
夏期講習は午前だけだ。宿題を一通り片付け、時計を見ると3時少し前だった。
もうすぐ彼女も来るだろうから、ちょうどいい頃合いだ。
今日はいつも買ってる漫画の週刊誌が出るし、彼女が来たら、送りながらコンビに寄って一緒にアイス食べて、漫画買って帰って来ようかなー…
ソファにひっくり返って、天井を見上げながらぼんやり考える。
クーラーが気持ちいい。
だらけた短パンとTシャツでだらけたポーズをとる。
あー…
ピンポーン…
ふと気づくとウトウトしていたようで、5時半を回っていた。
あれ?やば、寝てた。こんな時間だけど、シオン?
「はいはーい。」
玄関を開けると、シオンが立っていた。
「ごめん、遅くなった。」
「今ケータイ持ってくるから玄関入って待ってて。」
俺は慌てて居間に向かう、彼女の携帯電話と自分の財布を掴む。アイス、食べるかな、シオン。
「お待たせ、シオン、アイス食べる?奢るから一緒にコンビニ…」
そこまで言って、シオンの表情の変化に気付いた。
シオンの目のわきが赤い。鼻も赤い。
「シオン… もしかして泣いた?」
ビクリ、とシオンの肩が震える。
なにも言わないが、俺を見つめ返す表情に微かに怯えのようなものがみえる気がする。
「シオン、なんかあったの?」
詰め寄るように聞きたい気持ちをぐっと抑え、ゆっくりと聞く。
シオンが視線を落としていく。
「あ…の。 ちょっと、なんて言うか、悪口、聞いちゃって…」
「うん…」
「クラスの子たちだけど、私のこと、感じ悪いとか、ショウタに合わないとか…」
「そうなの…」
ポツポツと話すシオン。
下を向いたから、表情はよくわからくなったけど、きっと悔しかったんだろうと思う。
声が震えている。
「でも、ちょうど顧問の先生、来てくれて… 話聞いてくれて、これでもちょっと落ち着いた」
顔を上げたシオンは、珍しくふわりと笑って見せた。
でも俺がその時咄嗟に感じたのは、彼女の珍しく作られた笑顔への喜びよりも
彼女の部活の顧問教師への明確な嫉妬だった。
若い、優男。現国の担当で、いつも笑顔を絶やさない、長身のイケメン…
シオンが泣いていた時に、俺以外の奴が側にいた。
シオンの側に。 どうして俺じゃなかった? どうしてシオンは俺のところに来てくれなかったんだろう。 俺は何をしてた?
「あの、ショウタ?どうしたの?」
黙りこくった俺を不審に思ったのか、シオンが俺の顔をのぞき込んできた。
瞬間、俺の中で怒りがはじけた。
「どうしてすぐに俺のところに来てくれなかったんだよ!?」
シオンの肩を荒々しくつかむ。
「は!?」
「は!?じゃないでしょ! 俺はシオンが泣いてるときは何時でも側にいたいの! なのになんで他の奴のところで泣いてんだよ!?」
自分でもめちゃくちゃなこと言っているとは解っているが止まらない。
「はぁ!? …っざけんな。お前の都合で私は泣いてるんじゃねぇ!!」
いつもの罵倒が飛んでくるが、俺も今日は負けじと言い返す。
「そんなの解るけど、お前は俺の彼女でしょ!!」
「だから何だって言うのよ!?」
「他の男の前で泣くのとかはないでしょ!」
「他の男も何も、ありゃ教師でこっちのことなんて何とも思ってねぇわバカ!」
「そんの解んないじゃん!!」
「冷静になれ、アホンダラ!」
「アホはシオンでしょ! 無防備なんだよ! 俺の彼女の自覚ある!?」
「自覚ってなによ!?」
「そんなことも解んないの!?」
「わかるか!ボケ!!」
「わからせてやる! キスしてやる!!」
「おうおう!上等だコラァ!! やれるもんならやってみやがれ!!」
どこのチンピラかと思うような勇ましい彼女の肩をさらに強くつかんで、玄関のドアに押し付け勢い任せに顔を近づける。
すると彼女が俺の手首を掴み、両足を高く上げジャンプした。
当たり前に彼女は一瞬で床に座るように落ちる。
だから俺は反動で前のめりになって、力いっぱい玄関のドアに頭を強打した。
「がっ!」
しかもその勢いで彼女は遠慮なく俺の股間を拳でぶん殴ってきた。
「ぐふっ!」
右ストレートがしっかりと決まった。
「ざまぁみろ!バーカ!!!!」
よろける俺を置いて、彼女は俺から携帯電話をむしり取って、玄関を飛び出していった。
なるほど… なるほどな… 護身術の動画見てるって言ってたもんな…
それにしても… この仕打ち… あんまりだ…
玄関にしゃがみ込んで動けない。
頭は痛いし、股間も痛いし、何より心が痛い。
久しぶりに泣いた。
しゃがみ込んだままで、頭を抱えて泣いた。
「あら、こんなところで、どうしたの?」
玄関が開いて、仕事をしている母が帰宅した。
涙目で見上げる。
我が母親ながら若い。
いや、若作りと言うのが正しい。
ゆるくまとめ上げた明るい色の髪の毛。
しっかりと塗られた隙のない化粧。
そしてこの人は些細なことには動じない。
「あらぁ?頭から出血してるじゃないの。 あらあら、タンコブ。 何事?」
優しい手つきで俺の額の髪をよけ、怪我をを確認しながら大して驚いた様子もなく、ふわふわした口調で問うてくる。
実の母親に彼女にキスを迫って護身術をかけられた。とは言いづらい。
「………」
黙りこくった俺を見て、
「あー…えーと、さっき走っていくシオンちゃんを見たわぁ。原因はあれかしら? ついにフラれたのかなぁ?」
ニヤニヤしながらこっちを見てくる。
「今までこの愚息の相手をしてくれたんだもの。最後くらいはぶん殴って流血させても文句言えないわ。アンタ、殴られるようなどんな悪さをシオンちゃんにしたのかしら? …なにかスケベなことかしら??」
ニヤニヤしながら探るような目つきが気に食わない。
「…なんでもねぇよ。」
強がって言ってみても、どうせお見通しなんだろう。ムカつく。
「そうかぁ。泣いてたなぁ、シオンちゃん。なんでもない顔には見えなかったけどなぁ。まぁ、とにかく家に入らせてちょうだい。アンタも来るのよ?そのオデコ、手当てしてあげるから。」
シオンは翌日も、その翌日も夏期講習を休んだ。
真面目なシオンだからサボりとは考えられづらいけど、もしかして俺とのやり取りが本当にショックだったのか…
信じられない。
そのまま週末に入り、なんと連絡していいかわからないまま、4日もシオンの顔を見ていない。
ぼんやりと、味気のない日々が過ぎていくようなそんな毎日だった。
週が明け、シオンを校内で見かけた。
目が合って、俺を見て険しい表情をして走り去っていった。
これは本当に嫌われた?
その現実に、めまいが起きた。
足元が崩れるような気分って、こんな感じだったんだ…
なんとかしないといけないと思いつつ、どうしていいか打開策が全く思いつかない。
ショックが大きくて頭もうまく回らない。
なんであんなことを、勢い任せに言ったり、やったりしたんだろう… 自責の念で立っているのも精一杯の状態だ。
どこからともなく、俺とシオンの異変に気付いた奴らの噂話も聞こえてくる。
そもそもそんなくだらないコトをいちいち話題にする奴らがいるから、あの日にシオンは泣いていた。
そいつらを見つけ出して、男女問わずボコ殴りにしてやりたい。
だが、俺にはその腕力はない…
本当に、シオンの方が今なら腕力的には上かもしれない…
俺の額の傷が、何よりの証明だ… 本当に情けない…
心も体も未熟な自分を再確認させられる。シオンの険しい表情を思い出すたび、泣きだしたくなる。
守ってあげたいのに、それができない弱い自分。
いつもシオンに守られていた自分。
目の前が真っ暗になる気がして、俺は次の日から夏期講習をサボった。
もう何もかもが面倒くさい。
そして、布団にもぐって本当に泣いた。子供の時みたいに。
そんな毎日を過ごしていたある日、インターホンの音で目が覚めた。
外は薄暗くて、朝方か夜だと思ったけど、来客があるなら夜か。
ずっとテキトーに生活していたから時間の感覚がない。
玄関が騒がしい。来客に母さんが対応しているんだろう。
ホントに騒がしい人だから。シオンみたいに静かな女ってのはなかなかいない気がする。
みんなおしゃべりで、うるさくて、値踏みするようにこっちを見てくる。
シオン…
媚びることのない、ちょっとささくれだった、一匹狼。
たまに見せる、笑顔や泣き顔。
あ、ヤバい、また泣きそう。
ガン!と扉が壊れるような勢いで開かれ、そこに母が立っていた。
「ちょっと!起きなさいよ!シオンちゃん来てるわよ!」
「あ?」
コイツ、怠惰な生活を送る俺を見かねてそんなウソまで… ふざけんな…
遠慮なくドカドカと入ってきて、布団を容赦なく剥いでくる。
「おい、なんなんだよ!」
「なんなんだよ!じゃないわよ!早く起きてよ、シオンちゃん待たせる気!? うわ、くっさ、汗くさいわよ、男子運動部の部室みたいな臭いさせて… ちゃんとした格好で出かけなさいよ!?」
畳みかけるような勢いに押され、俺は体を起こした。
本当に来てる? シオンが? 俺のこと、怒ってるのに?
居間のソファに、紺色に、朝顔の柄のついた浴衣をきて、髪をアップにしたシオンが座っていた。
母がひっきりなしにその姿をほめそやし、困ったような、照れたような、複雑な愛想笑いを浮かべている。
「あ、ショウタ… あの…」
俺を見つけ、おずおずと何かを口にしようとするが、母の存在が気になっているのかはっきり言えない様子だ。
「ちょっと待ってて、とにかくシャワー浴びて着替えてくるから!」
シオンだ!本当にシオンだ…。 浴衣着てた。似合う!! そうか、今日花火か! まさか浴衣で来てくれるなんて…っ。いや、そもそも来てくれるなんて…
嬉しさが溢れる。もう嫌われて会えないかもしれないとまで覚悟してたから、うぅ…また泣きそう…
今俺は、全世界を愛いている。
浴衣のシオンが、俺の隣を歩いている。
うつむいて、何も言ってこない。
でもそこにシオンがいるってだけで、俺はあふれる喜びが収まらない。
「あのさ、シオン、手、つないでもいい?」
この前喧嘩になったことには、あえて触れたくない。
何もなかったようにして、流してしまいたい。
このシオンの隣を、失いたくない。
シオンは、俺の顔を見ずに黙ったまま手をつなぎ、指を絡めてきた。
あ、良かった、こうして恋人つなぎしてくれるってことは嫌われてはいないようだ。
花火の会場についても、シオンは何も言ってこない。
流石に不安になる。
「あのさ、シオン、浴衣、めちゃくちゃ似合ってる。俺が頼んだから着てきてくれたんだよね?ありがとう」
下を向いたシオンの耳が、朱に染まったから、ちゃんと言葉はシオンの心に届いているんだと思う。
「あの、ショウタ…」
か弱い声でシオンが俺の名前を呼ぶ。
周りに人が増えてきたから、ざわざわとしていて聞き漏らしそうになる。
「どうしたの?」
できるだけ優しく聞き返す。
「ごめんね… 私のせいで、怪我、痛いよね… カッとなって、本当にごめんなさい。本当に、ごめんなさい…」
絞り出すように謝る、震えだす肩。
「もっと早くに謝らなきゃって思ってたんだけど、次の日からなんか熱は出ちゃうし、怪我したショウタのこと見たら、本当にひどいことしたって、実感して、こわくて… いい加減私なんて嫌になっちゃってるんじゃないかって…。 今日も、私が行っても、相手にされなかったらって、すごく不安で…
本当に、ごめんなさい…」
あぁ、きっと泣いているんだろうな。
その顔を見せてほしい。きっと、すごく綺麗だと思う。
「シオン、俺も、カッとなった。ごめん。怪我のことは本当に大丈夫だから。顔、上げて。顔見せて」
握った手に、少し力を込める。
「いやだ、私、今ひどい顔だもん。こんな人がたくさん居るとこで、顔上げられないもん」
ふるふると頭を振る。
下を向いているから、俺からはシオンの首元が見える。
朱に染まった耳も、上気した頬も見える。
見たい。とても見たい。でも確かにここでは俺も嫌だ。
誰にも見せたくない。見られたくない。
パっと、周りが明るくなり、少し遅れて音がする。
周囲の人たちの歓声。
最初の花火が上がった。
「顔がみたい」
シオンの耳元にささやく。
「みんな花火で、こっち見てないよ」
少し強く手を引く。
おずおずと、シオンがこちらを見つめ返してくる。
「やっぱり、泣いてた。」
目じりが赤くなっている。
「…まだ、泣いてない…」
ぶすっと、むくれた表情をして、睨んでくる。
可愛い。
シオンは可愛い。
「可愛いよ。どんな表情でも、どんなことをしても、シオンは可愛い。俺は結局なんでもいいんだ。どんなシオンでも、ゆるしちゃうんだ。」
真っ赤な顔で、目を見開いて、シオンが見つめ返してくる。
「本当に、この前はごめん。もう、あんな風にカッとなって無理やりなことはしない」
できるだけ優しく語り掛ける。
触れたくない、蒸し返したくないと、本心で臆病な自分は思っている。
でも、シオンに向き合ってきちんとしない自分はダメだ。
シオンが一生懸命謝ってくれている。応えない卑怯な自分じゃ情けない。
シオンはこうやって、俺を強くさせてくれてきた。
子供の頃から、どうしようもない俺を、怒ったり、励ましたり、見捨てず手を取ってきてくれた。
シオンは俺を見つめ返している。
「…乱暴したのは、私よ…」
ぽつりと言い、睨んでくる。
本当にかたくななお姫様だ。
「やれやれ… じゃあお互い様なんだから、もうこれは水に流そうよ。」
いい加減、これ以上言い合っても仕方ないと、俺はため息交じりに告げる。
「いや。」
挑むような口調で、シオンが食い下がる。
「じゃあ、どうすんの?」
「こうすんのよ」
怖い顔のシオンに胸倉をつかまれる。
「ちょ… Tシャツのびる…っ」
言い終わらないうちに、シオンの顔が近付いてきて、
俺は言葉を奪われた。
三
春はみんなが浮かれる季節。
桜が咲くと、それだけでお祭り騒ぎ。
私だって、春になればいつでも大体浮かれた気分になる。
近所公園の桜並木をショウタとお花見として歩く。
平日の16時。人もまばらだ。
珍しく二人で映画を見て、お茶をした。まるで本当にカップルみたいだ。いや、カップルだけれども。
見上げる桜の枝の、淡い桃色。薄水色の春の空とのコントラストが本当に美しい。
今年の春は、今までの春なんて比じゃないくらいに私は浮かれている。
なぜなら、受かったのだ。
第一志望の大学に受かったのだ!!!
もう何も心配することなく…というわけではないけど、心はかなり軽い。
高校の卒業式も終わり、人生の春休みとでもいうこの季節をこれ以上ないくらいに噛みしめている。
大学は電車で1時間くらいのところを選んだ。
実家から通うから、引っ越しするわけでもないし、この春休みに焦ってする準備はない。
遊んで暮らせる。
幸せが身体からにじみ出てるんじゃないかと思うし、
身体が浮いてるんじゃないかと思うくらい気持ちが軽い。
表情も緩むってもんだ。
「今日は特に可愛いよね。キスしていい?」
隣を歩くショウタの軽口も、カチンと来ないから、我ながら心まで広くなったもんだとびっくりする。
「いやよ。こんな所で」
満面の笑みで答えてやる。
「えぇ?いいじゃん。」
ニヤニヤと締まりのない顔でこちらをのぞき込んでくる。
また身長が伸びたんじゃないのか、コイツ。
私だけでなく、ショウタもこの春に浮かれているんだろう。
ショウタは私とは違う大学に進学が決まっているが、通うのは同じ町の大学だ。
要するに、私たちは二人そろって同じ町まで電車で通学する。
ショウタは私より勉強ができる。
もっと遠くの、有名大学だって本気を出せば行けたかもしれない。
ショウタが私に合わせて近くを選んだんだろうことは、わかっていた。
別にショウタが進学する大学だって、県内ならかなりいい大学ではあるけど、私のせいでショウタの可能性を潰してしまってはいないか、足を引っ張っていないか、気になるし、申し訳ない気持ちにもなる。
とりあえず、締まりのない顔をしている今のショウタを見ると、まぁそんなことどうでもいいか、と今は忘れることにする。
「よくないわよ。ほら、今はこれで我慢して」
しつこくキスだなんだとしつこいショウタの手を取り、指を絡ませる。
見上げると、満足げな笑顔で、ショウタがこちらを見下ろしている。
細めた目が、優しい。
その後ろに見える桜と青空、ショウタの茶色い髪の毛。
どれも優しい色をしている。美しいな、と素直に思える。
「ねえ、大事な話があるんだけど、聞いてくれる?」
急に立ち止まってつないだ手を引っ張られる。
相変わらずの笑顔のままで、ショウタがのぞき込んでくる。
「大事な話?」
思い当たる節もなく、オウム返しになる。
このお気楽な男は、もしかして大学出たら結婚しようとか今度は言い出すんじゃないだろうかと一瞬頭をかすめる。
イヤイヤ、さすがにそれはないでしょう。
でも、頭がお花畑にお気楽だったのは自分の方だった。
ショウタの次の一言で、世界の色が変わったような気がした。
「俺さ、大学行くの、辞めようかと思ってるんだ。」
「…………は?」
すごく間抜けな顔をしていたと思う。
全く理解が追い付かない。
「え…でも私より頭いいのに、もったいないじゃん…」
絞り出した言葉は、なんだか聞きたいことの本質とは少し違う。
なんで、とか、どうして、とか
理由を聞かなきゃダメなのに、どんな理由が飛び出してくるのか予想もつかない。
いや、予想できないのは、その答えに対する自分の反応だ。
「そこはほら、家庭の事情ってやつだから」
ショウタのどこかけむに巻いたような、はっきりしない物言いが
自分にとっていいのか悪いのかも良く解らない。
根掘り葉掘り聞いて、わかったところでサッパリするだろうか。
全部理解した上で私はショウタに何と声をかけることができるのだろうか。
ショウタにかけるその言葉には間違いないのか。
そして今日一日中浮かれていたのは本当は私だけで、ショウタはずっと私に合わせて浮かれたフリをしていてくれたということだ。
自分の鈍感さにびっくりする。
「ちょっと待って。理解が追い付かない…」
「そうだよねぇ、ごめんね。シオンが、今、大学受かって嬉しそうにしてるのに、こんな話して…」
正直に口に出すと、ショウタも少し困ったような表情で応じてくる。
「びっくりさせちゃったよね。本当にごめん。俺と大学通えなくて、シオン、泣いちゃう?」
黙りこくった私の顔をのぞき込んで、おどけたような様子で聞いてくる。
「いや、泣く泣かないの前に… 待って、ちょっと良く解んなくて…」
「一緒の電車に乗って、大学へは通えなくなっちゃうってことだよ。」
「それは、一応理解したけど…」
「なにが分らない? なにが知りたい?」
意を決して、ショウタの瞳を見つめ返す。
その目を見てハッとする。
黙って目を見つめ続ける私に疑問に思ったのか、ショウタが少し首をかしげて同じ問を重ねてくる。
「なにが知りたい?」
無意識に、つないでいた手を振りほどいてショウタの胸倉をつかみ自分にぐい、と近づける。
確信を得たくて、もっと近くでその目を見たかった。
「ちょっ…、なに?」
焦ったようにショウタが顔を離そうとするけど、逃がすものかと胸倉をつかむ力を入れる。
「今、泣きたいのは、私じゃなくて、ショウタでしょ?」
ぎょっとしたようにショウタの目が見開かれる。
「目の奥、ギラギラした感じに見える。そーゆーときのショウタ、泣いたり怒ったりするときでしょ?ちがう?」
畳みかけるように言葉を重ね詰め寄る。
ショウタの見開かれた目を見て、またハッとした。
手に込めていた力も抜いて、ショウタを開放する。
こんな時、勢い任せに言葉がキツくなってしまうのは本当に私の悪い癖だ。
私の浮かれた雰囲気に遠慮して、きっとショウタは言い出すタイミングをうかがっていたはずだ。
ちゃんと見れば、気づけたはずだ。その変化を見落とした。
私に合わせて、一緒に浮かれたような顔までしてくれてて、なのに何も気づかなくて、これじゃあショウタがあんまりかわいそうだ。
「…ごめん。ちょっと乱暴だった」
直視するのが都合悪くなって、視線をそらしてショウタの履きこなれたスニーカーを見る。
ずっと一緒に歩いてきた。
いつも自分のことばかりがむしゃらに生きていて、周りなんて気にしてあげる余裕のない私。
そんな私が歩み寄ることは少なかったのに、ショウタはいつも寄り添うように同じペースで歩いてくれてきた。
それなのに、今突然告げられた違う進路に、独りぼっちで投げ出されたような気分になっている自分がいる。
今までショウタが何も言わずに寄り添っていてくれただけで、自分からは何の努力も歩み寄りもしてこなかったのに、本当に自分勝手すぎる。
「少し歩こう」
うつむいてしまった私の手を、ショウタが再びとって、軽く引っ張って促す。
「ん。」
さっきまで浮かれて歩いていた桜並木を、全く違う気分で歩き出す。
ショウタがいつも私に優しすぎるから、わがままばかりだ。
きちんと謝らないといけない。今度は私から話しかける。
「ごめん。いつもだけど、私、ホントに勝手で、自分のことしか全然考えてなくて、今もショウタが話してくれるまで進学辞めることも全然知らなかったし、そもそもショウタが何か言おうとしてることさえ気づかなくて…」
ショウタは何も言わない。
私の手を引いて、少し前を歩いているみたいになっている。
「ねえ聞かせて。どうして進学できないことになったの?」
さっきまで、私の浮かれた雰囲気に合わせてヘラヘラしていたショウタが、今度は言葉数が少なくなって、私ばかりしゃべっている。
その状態に不安になってくる。
何をどう言ったら正解なのか解らない。
元気づければいいのか、謝ればいいのか、私は大丈夫だと伝えればいいのか
今一番大事で、言わなきゃいけないのはどれで、どんな言葉を選べばショウタが安心してくれるのか、元気づけられるのか、
その全てが手探りで、知らない。
ショウタのことで、こんなに不安で孤独な気持ちになることなんて今まであっただろうか。
でも、ショウタが今本当は叫びたいほど泣きたいとか、暴れだしたいくらい怒っているとか、感情を吐き出したくて、我慢しているのは確実だ。
理屈じゃなくて、私にはそれがわかる。
「ありがちだけどさ、親がさ、リストラってやつ。今までみたいに暮らすのはちょっと無理みたいでさ。大学も、厳しいみたい。奨学金とかもらっても、最後まで行けるかちょっとわかんないから、ならいっそ、最初から無理して行かないで働こうと思って。」
「…。」
応える言葉を知らない私は黙って聞く。
ショウタは振り返らないけど、今度は目を逸らしちゃだめだとぐっと力を入れて、
その明るいふわふわした髪の毛の後頭部を見上げる。
どのタイミングでショウタが振り返っても、きちんと目を合わせて、せめて視線だけでも受け止められるように。
でもショウタはそのまま振り向かずに話し続ける。
「ホントは大学行きたかったよ。別に勉強が好きなわけでも、シオンみたいに将来の夢があってすごいいきたい学科があったわけでもないけどさ。シオンと大学生して、一緒に通うとか、すごい楽しそうじゃん」
「…。」
「大学行ってたほうが、卒業した後就職するにしても給料だっていいわけじゃん。そしたらシオンだって安心してお嫁に来られたろうしさぁ」
あ、やっぱり結婚の話とかしちゃうんだ。
私が予想してた感じとは全然違う感じで言ってきたけど、やっぱりそんな乙女チックなこと、考えてたんじゃん。
「でも、今、親のお世話になってる身で、無理して大学行って、たとえバイトしたって、親にも大変な思いさせちゃうだけじゃん。俺、起業したりとかするような思い切りのあるタイプでもないし、今就職したら、ずっと平社員とかで高給取りにもならないような気もするし…。もしかしたら、この先はずっとビンボーかもしれない。そんな先のことまで考えるのも、なんか考えすぎでバカみたいだなって思うけど、こーゆー時ってそんなことまで考えちゃうみたいだね。」
つらつらと、何でもない世間話でもするようなトーンでショウタは話し続ける。
「考えるよ。考えちゃうよ。私なんて、どーでもいいことまでいつも深読みして悩んじゃうよう!」
視線に意識して力を入れているせいか、言葉尻もなんだか力が入って強めの語気になってしまった。
私の勢いにびっくりしたのかショウタが立ち止まる。振り向いて、視線が合った。
「どうしたの? ずいぶんアツいね」
やや茶化すような口調で、ふっとショウタが目を細めて笑う。
「悪かったわね…。どうせ私は感情的よ」
なんでこんな喧嘩腰な口調になっちゃうのか、本当に自分、可愛くない。
「そんなつもりで言ってないよ。わかってるでしょ。」
空の青さと桜のピンク、柔らかいショウタの茶色い髪。細めた目も柔らかい茶色。優しい。
「…わかってるけど、つい…。ごめん」
この優しさに、私はいつもどのくらい応えてきたろう。
少しでも、素直に、応えなきゃいけないってわかってるのに、どうしても可愛くない姿ばかりだ。
どうしても、視線が泳ぐ。
「謝ることなんてないよ。俺こそ、なんか茶化したかも。ごめん」
力なくつぶやかれた言葉に、咄嗟に視線をショウタに戻す。
「どうしてショウタが謝るのよ!? 今のは私が良くなかった、つんけんして、可愛くなかったもん! 大体どうして我慢してんのよ。泣きたいって顔してるくせに、カッコつけてどうするの? 私の前では泣けないって言うの? 私には泣いて見せろとか、キモイこと言ってくるくせに! お前の泣き顔も私にさらして見せろ! 私に今さら見せられない顔でもないでしょ! ここが嫌なら、うちに来い! 一晩でもなんでも泣けばいいのよ!」
何をどう言ったら正解なのか解らないまま、
元気づければいいのか、謝ればいいのか、私は大丈夫だと伝えればいいのか、
今一番大事で、言わなきゃいけないのはどれで、どんな言葉を選べば伝わるのか、
その全てが手探りで、知らない。
そんな私がショウタに言っているのは、結局なんの気遣いもない言葉で、
ホントに、感情的で嫌になっちゃう…
ぐっと力を入れて、ショウタの手を取って引っ張って歩き出す。
「ちょ… どこ行くの!?」
「気にせず泣けるところよ!!」
薄暗くなり始めて
春休みで誰もいない小学校の塀の内側の地面に、おしりも汚れるのも気にせず、18歳の私とショウタが体育座りで並んでいる。
目の前にある校舎で初めて出会った、8歳の春の日。
出会った翌日には、ここで泣くショウタを慰めた。
クラスに慣れなくて不安がるショウタを、そんなことでとあきれ半分で慰めた。
春なんだし、慣れてないのはみんな同じなのに、感受性が強すぎるんだ、コイツは昔から。
あの日と同じ場所に
おんなじ態勢で二人並んでいる。
なんでここに来たのか、はっきりした理由は自分でもわからないけど知っている懐かしい場所に安心できる気がした。
あの日みたいに、目を真っ赤にして、涙を流すショウタを見守る。
「ずっと一緒だと思ってた。俺は今もずっと子どもだった。小学生の時と全然変わってなくて、何も考えなくても進学して、就職して、好きな子と結婚して、年とってくって思ってた。でもそれって本当は全然違って、黙っててもそうなるわけじゃないんだって、今回初めて、気づいた。」
ふわふわした髪をなでる。
柔らかくて、気持ちいい。
撫でていると、なんだか私の気持ちが落ち着いてくるから不思議。
「願い事はなんでも、勝手に叶うなんて、子どもだった。シオンに、お嫁に来てなんて、言えないよね」
この期に及んで、結婚の話をするとはコイツも大概図々しいヤツだと、ふっと笑いが出る。
「なに笑ってんの? こっち泣いてんのに、失礼じゃね?」
「あ、ごめん。この期に及んで嫁に来てとか、さらっと言ってくる図々しさに驚いて」
正直に言って、もう一度ふふと笑う。
「そんなとこばっかり素直で、ホントに困った子だよね、シオンは。しかも今はなんかずいぶん機嫌いいじゃん」
最近はずっと私に甘いだけで文句を言わなかったショウタが、恨みがましい視線を送ってくる。
「そうね。それは否定できない」
こんな時なのに、久しぶりに少し優位に立てているみたいで不謹慎にも楽しい気もしている。
「ホント可愛くないね。可愛くないけど、シオンのこと嫌いになれないんだ。 俺が大学行けなくても、俺のこと捨てない?」
真っ赤に泣きはらした目で、久しぶりに見上げられて、可愛いな、と思ってしまう。
あ、私の泣き顔をショウタが好きなのは、こういう感覚なのかな?
「捨てるって何よ。私が別に彼氏を作るってこと? ハッ、面倒くさい。そんなことするか。私の余暇を、読書とアンタ以外に使うなんて、心底めんどくさい。 たまにアンタも面倒くさいって思うのに」
見下ろして、わざとちょっと意地悪を言ってみたくなる。
もしかして、私とショウタはすごく似てるのかも?
「ひどいね。でも、シオンが変わらずにそうやって口が悪くて、意地っ張りで、でもこうして俺の面倒見てくれてて、そんな変わらないことに、今、すごく安心してる。」
「ショウタも私に対して大概ひどい言いようだよ。」
二人で少し声に出して笑う。
日が沈み始めている。もうすぐお互いの顔もきちんと見えなくなると思う。
手をつなぐ。
私はここにいるよって、言葉にしなくても伝えたい。
言葉にすると、可愛くなくなるから、黙ってても伝わったら、いいのに。
「側にいてもいい? ずっと」
ショウタが出会った頃の様に、不安げな声で私に聞いてくる。
「ずっとって、どんくらいよ?具体的に言ってみ」
少し間があって、ショウタが強く手を握りながら言ってくる
「俺が就職して先に社会人になって」
「うん」
「シオンも大学卒業して、社会人になって」
「うん」
「結婚して、子どもが生まれて」
「うん」
「仕事も定年退職して」
「うん」
「よっぼよぼのジジババになっても。死ぬまで。」
「で、それは結婚相手が私でいいってことなのね?」
「シオンがいい…」
「なるほどねぇ。口が悪くて、可愛くなくて、感情的な私と結婚したいと。」
ショウタが顔を上げる。
「ちょっと、茶化さないでくれない? 俺、今こんなぶっさいくな顔して、べそべそみっともなく泣きながらプロポーズしてんだけど。」
「は?いつも散々私泣いてるときに茶化してくるのはショウタでしょ?」
むっとしたように言い返す。
「……そうかもしれないけど、今は別でしょ」
子供の頃ならともかく、最近のショウタにしては言いよどむ。
なんだかその状態に面白くなってしまうから、ホントに私は性格が悪いみたいだ。
「私とショウタで生きていくなら、二人同時にべそべそしたりしてたら、イカンでしょ。だから今は私が元気に茶化す番。 いいわよ、そのプロポーズ、受けてあげる。だから安心して。ショウタの夢は、全部、黙ってても叶う。私がちゃんと叶える。子供の頃と変わらなくても、全然平気。 …大学は今は無理だけど、行きたいなら、私が社会人になったら行けばいいじゃない。二人でお金出し合って、何とかしたらいいんじゃない? お互いの知識もお金も、夫婦になったら共有財産でしょ。」
胸を張って、力いっぱい言いきってやる。
少しでもショウタに安心してもらいたい。
何かあっても、私だけはちゃんと側にいるって安心してもらいたい。
「…かっちょいい。シオンちょーかっちょいい。惚れ直す。」
「おう。好きなだけ惚れ直せ。許す。」
私は泣き虫だ。
ショウタに言われるまでもなく、泣き虫だという自覚はある。
ショウタも本当は泣き虫だ。
今は大きくなったから、我慢しているだけで、泣き虫。
私は意地っ張りで、可愛い言葉も言えない。
でも、ショウタの気持ちの動きは、なんとなくわかるから、ちゃんとこの人を幸せにしてあげたい。
優しい泣き虫のこの人を、この人が満足するまで側にいて、幸せにしてあげたい。
この人が泣きたいときは隣で強く支えていきたい。
この人が望むなら、自分の涙も素直に見せたい。
私はまだ子供だ。
周りのことなんて全然気遣ってあげられる余裕もなくて、いつも自分のことばかり。
ショウタのことも、いつも二の次だったと思う。
泣き笑いのショウタの顔を見て、大人になりたい。大人にならなきゃ、自分のことばかりじゃだめだと決意する。
繋いだ手を強く握る。
「これって、愛って気持ちなのかな? まだよくわからないんだけど。一緒にいたらちゃんと解れる気がする。楽しみだね」
暗くなる。
夜が来るんだ。
春の夜はまだ寒い。
寒い夜を超えて、明日が来る。
明日はきっと、今日より少し暖かいはずだ。
明日を重ねて、私たちは進んでいく。