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第6話 久しぶりと言うには遠すぎる③


 フロレンツが扉を押し開くと、ふたりの耳に部屋の奥からパタパタと足音が飛び込んでくる。隙間からチラリと見えた影はすぐに扉の裏側に消え、フロレンツの手から離れた扉が大きく開いた。


 室内は見るからに質の良い調度品が並び、ほのかにハーブが香る。広くて清潔な部屋に気分が高揚したクラリッサはお行儀も忘れて窓辺まで駆け出した。


 実家のクラリッサの私室が3つは入りそうなほど大きく、窓の向こうに広がる庭はずっとずっと遠くまでまるで果てがないみたいに続いているのだ。アイヒホルンの領地なんか丸ごと入ってしまうんじゃないかと本気で悩んでしまいそうだ。



「まぁまぁまぁ! 到着なさってたんですね。お迎えにも参りませんで……」


 朗らかな声に振り返ると、お仕着せ姿の女性が深く頭を下げていた。クラリッサの母ロッテより幾ばくか若く見える。先ほどフロレンツが言っていた専属の侍女だろう。


 小さく頷いてよろしくお願いしますと声を掛けると、フロレンツは一仕事終えたとでも言うふうに閉まりかけた扉の向こうへ体を滑り込ませていた。


「準備が整ったら呼びに来させる。それまでは休んでいろ」

「あっ待っ――」


 呼び止める声も間に合わず扉が閉まる。慌てて駆け寄って重い扉を開くが、フロレンツの姿はもう随分遠くにあった。


 どうして自分をここへ呼んでくれたのか、手紙をもらった時から抱き続けた疑問はおあずけだ。わざわざ呼び止めるほどでもないし、話をする機会はまだまだある。


 それにしても、とクラリッサは首を傾げる。彼は随分と歩くのが早いようだ。足が長いのだから当然といえば当然か。


(じゃあ、さっきは私の歩く速さに合わせてくれたってことだよね)


 女性の歩幅とペースに合わせるなど、紳士にとっては当たり前のことだ。それでもほんのちょっとだけ、フロレンツに抱く印象が変わった気がして、クラリッサはふふっと笑った。




 クラリッサを出迎えた専属の侍女はカルラと名乗った。


 まずは、と部屋の中を案内してもらう間、クラリッサは「うう」と唸り続ける。フロレンツの準備した豪華なドレスや小物の数々も、小さいながらも意匠の凝ったバスルームも、貧乏根性の染みついたクラリッサには荷が重いのだ。


 乙女心はくすぐられる。それは間違いない。ワクワクもするしときめくのだが、それ以上に圧倒されたり申し訳ない思いに駆られたり。もっと小さな部屋でも十分なのだ。なんならこのバスルームくらいのサイズでも。


 カルラはクラリッサの様子を(おもんぱか)ってか、バジレ宮での生活についての説明は後にしましょうとお茶を淹れた。もちろん茶葉は当たり前のようにケイムン公社印で、クラリッサは思わず苦笑する。

 とても美味しいのだが、舌が肥えてしまったら元の生活に戻れなくなってしまう。


「お嬢様は覚えていらっしゃらないかと思うのですが、実は以前、アイヒホルン家に仕えていたのです」


「えっ。もしかして王都のお屋敷に?」


「はい。お懐かしゅうございますね。ご立派になられて」


 事件の後、祖父カスパルは全ての侍従に次の行き先を手配したらしい。心の整理がついた者から屋敷を出て行ったのだと言う。


 居残ろうとしたカルラを、カスパルや父のボニファーツが「先の無い屋敷で身を潰してはいけない」と送り出したと聞いて誇らしい気持ちになった。


 と同時に、侍従がパラパラと屋敷を出て行って少しずつ活気がなくなった屋敷や、快活だったカスパルが人が変わったようにふさぎ込んだのも思い出す。



「今は執事のヤーコプとメイドのコリンナが屋敷の一切を取り仕切ってくれているの。カルラに会えてよかったわ。お父様にも伝えておかなくちゃね」


「まぁ、ヤーコプさんが。それにコリンナさんまで! ええ、ええ! 私が知っている限りでは他の皆もそれぞれ元気にやっていますよ」


「良かった! ……あの事件のこと、お祖父様が悪いことをしたらしいとしか知らなくて。みんないなくなって寂しかったことだけ覚えてるのよ」


 目を伏せてカップの中の赤い水面を見つめると、映り込んだブラケットライトがさざ波のように揺れていた。

 ボニファーツは多くを語らないし、詳しいことは何も知らないままだ。


「事件の話になると、どんな顔をすればいいのか、どのように振る舞ったらいいのか何もわからなくて」


 家族ではない、けれども全くの部外者でもないカルラはなんだか話しやすい気がして、ついつい気持ちをポロポロとこぼしてしまう。


 こぼれた後でそれは良くないことだったと反省した。ぶちまけた水はグラスに戻せないとはよく言ったものだ。いくらカルラが事情を知っているとはいえ、家の愚痴を外の人間に聞かせるべきではなかったというのに。



「カルラ、あのね」


 話題を変えようとクラリッサが声を掛けると、カルラはほんの少し頬を膨らませて肩を怒らせた。


 クラリッサは思わず目を丸くしてして背も丸める。田舎の弱小男爵であろうと貴族。貴族たるもの、愚痴なんて言うべきではなかったのだ、ごめんなさい。


「いいですか、お嬢様。大きな声では言えませんが、いえホントは大きな声で言いたいのですけど。アイヒホルンの屋敷に仕える者で、大旦那様を疑った人間はいませんよ」


「え?」


「アイヒホルンは代々真っ直ぐで曲がったことのお嫌いな方々ばかりだと有名でございましたから。私どもに政治はわかりませんけれど――」


 カルラの素敵なお説教は、心地良く響いたノックの音に阻まれる。パタパタと小走りで近寄って扉を開けたカルラは、向こう側の相手と二言、三言言葉を交わしてからその重い扉を大きく開いた。


 どうやら、歓迎会の準備が整ったようだ。もう少し事件についての話を聞いていたかったが、こればかりはごねるわけにもいかないだろう。



 懐かしいゲシュヴィスターの面々とご対面の時間だ。



今回登場人物紹介

●クラリッサ:建国五名家のひとつで現在は弱小男爵アイヒホルン家の長女。王子の王族ムーブに辟易している。

●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。王族オブ王族な言動と行動でクラリッサをビビらせる達人。

●カルラ:バジレ宮におけるクラリッサの侍女。以前はアイヒホルン家で働いていた。


名前だけ登場の人

●ボニファーツ:クラリッサの父。アイヒホルン家当主。領地と屋敷の「今」を生きるのに精一杯。

●カスパル:クラリッサの祖父。故人。横領事件を起こして王都を追われた。

●ヤーコプとコリンナ:アイヒホルン家の侍従。ふたりだけ残って男爵家を助けてくれている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 〉(じゃあ、さっきは私の歩く速さに合わせてくれたってことだよね) これ、好きなんですよね。 私も前作で書いちゃった。 カルラさんはいい人っぽいなぁ
[一言] >「いいですか、お嬢様。大きな声では言えませんが、いえホントは大きな声で言いたいのですけど。アイヒホルンの屋敷に仕える者で、大旦那様を疑った人間はいませんよ」 ふうむ、これは裏がありそうです…
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