第4話 久しぶりと言うには遠すぎる①
王城の門をくぐったなと思ってからさらに、ついウトウトしてしまうくらいの時間を馬車に揺られて、やっとバジレ宮に到着した。
ここは病に伏せがちだった数代前の王妃が療養するために造られた離宮で、今ではゲシュヴィスター制度を始めとした催し物だとか、国外の要人をもてなす場所として利用されている、らしい。
クラリッサは王城とは無縁の生活を送っているし、バジレ宮の間取りさえももはや覚えてはいないのだが。ビアンカがそう言うのたから間違いないだろう。
出迎えてくれたメイド姿の女性が「少々お待ちを」と言って奥へ引っ込んでしまってから、どれくらいの時間が経っただろうか。
喉が渇いていたため、出されたお茶はすぐに飲み干してしまった。
建物のどこかで、たくさんの人の気配が忙しなく行ったり来たりしているのがわかる。しかし行くべき場所をクラリッサに教えてくれる人物は来ないままだ。不安ばかりが胃のあたりに積もっていく。
ホールに設えられたソファーに腰をおろしてボンヤリしながら、ふと視線を下ろせば爽やかな黄色の絹がツヤツヤと光沢を湛えながら広がっている。
裾に散りばめられたラピスラズリがドレスに大人っぽさを与え、ついつい足の角度を変えては宝石が輝くのを楽しんでしまう。
贈られたこのドレスに初めて袖を通したとき、クラリッサは両親からプレゼントされたのではないかと手紙を読み直してしまった。
それほどまでに似合って見えたのだ。母譲りのアプリコットオレンジの髪は、身に着けるものの色を選んでしまう。突然贈られたドレスがこんなにも似合うなんて思いもよらなかった。
当の両親は、アルノーから婚約破棄があったあの夜会の翌日に「お前は何も心配しなくていいよ」と言い残し、微かに笑って領地へと帰ってしまった。
一方的な契約破棄に対して、最低限の違約金が支払われることで合意したのだと言う。それで当面はどうにかなるさという父の言葉をどこまで信じていいものか、クラリッサには量りかねる。
ただ、バジレ宮で何かしらお家再興の手立てを獲得して帰らなければならないことだけは確かだ。
(仕事か、旦那さ……いやいや、見つけるべきは仕事だわ、仕事。まったく、傾いた実家を結婚相手にどうにかしてもらおうなんて虫が良すぎるよね!)
アルノーの申し出が目から鱗だったせいか、ついつい良くない考えに囚われてしまう。自分の人生ひとつでアイヒホルン家の今後を買うことができるなら安いものだ、などと。
実際にできるのなら安いものだと今でも思うけれど。
「もしかして、クラリッサですか?」
「ふぁっ」
エントランスホールに響いた声は春の日差しのように柔らかく、考え事をしていたクラリッサを驚かせるには十分すぎるくらいの威力だった。心臓がばくばくと大きく動く。
クラリッサは胸を押さえながら、ほとんど反射的に立ち上がって声の主を振り返った。
「やっぱり。お久しぶりですね、こんにちは」
少し離れたところに立っていたのは、にこりと微笑む細身の男性だ。
耳を隠す長さの真っ直ぐなブロンドも切れ長のエメラルドグリーンの瞳も全て、洗練された彼のクールさを際立たせていた。ふんわり柔らかな笑みはアンバランスでありながら彼の魅力を引き立てる。
思わずほぅ、と溜め息を漏らして、どうやら息をするのも忘れていたようだと気づいた。
「あ、えっと」
「ああ、すみません。私は滅多に社交の場に出向かないので、ふふ、おわかりにならないですよね。ヨハンです。ヨハン・ハーパー」
「わ、ヨハン様。失礼いたしました。ご無沙汰しております」
困ったように笑いながら名乗るヨハンに、慌てて左足を後ろへ引いて礼をとる。
これだけ咄嗟に動けたことにクラリッサは内心で自分に向けて拍手をした。
このひと月の間、マナーの勉強を重点的に頑張った甲斐があるというものだ。アウラー家に招かれる家庭教師は愛の鞭が強力で、思い出すだけでも臀部が痛くなる。
(そういえば、ヨハン様のことぜんぜん覚えてないんだよね……。例のあの子かな、ちょっと控えめな感じがそれっぽいけど)
顔を上げたクラリッサを、またしても柔らかな笑みが待っていた。
「丁寧なご挨拶ありがとうございます。あとでフロレンツから説明があると思いますが、ここでは堅苦しい礼儀は忘れてしまって結構ですよ」
「そ、そうなんですか」
ヨハンの視線がさっと空っぽのティーカップの上をなぞる。
「随分とお待ちになったようですね。今日は誰もが忙しくしていますから、私が貴女の部屋までご案内して差し上げましょう」
彼の柔和な雰囲気に、クラリッサは小さく息を吐いた。朝からの緊張に加えて、待ちぼうけだったおかげで不安ばかりが募っていたのだ。
優しそうなヨハンに部屋まで案内してもらったら、少し休憩しよう。そう考えつつヨハンの方へ一歩踏み出した、そのとき。
「来たのか」
上質なビロードみたいにずっと身にまとっていたくなるような声がしてクラリッサは動きを止めた。耳当たりが良くて、でも重厚さのあるその声の主はフロレンツだ。
背後には整えられたダークブラウンの縦ロールが揺れている。アメリアはきっといつだって王子様にくっついていらっしゃるのだろう。
「フロレンツ殿下。この度はご招待いただき――」
膝を折って礼をとろうとするクラリッサを、フロレンツが左手を上げて制す。
(あれ。ご挨拶させてもらえないの? 私なにかやっちゃいましたかね)
意図が読めずに固まるクラリッサを尻目に、フロレンツはヨハンに向き直った。
これだから王子様ってやつは、と心の声が漏れないように細心の注意を払いつつ、様子を伺うことに決めて中途半端な体勢からゆっくりと身体を戻した。
「ヨハン、彼女の案内は俺がやる。相手をしてくれて助かった」
「承知しました」
「えっ、フロレ――!」
縦ロールのアメリアを視線だけで黙らせる姿に、再度王族の血を見せつけられた思いである。
こういうのを圧政だとかパワーハラスメントって言うのではなかったか、とクラリッサはバジレ宮での自分の生活が真っ暗闇に沈んでいくのを感じた。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:建国五名家のひとつで現在は弱小男爵アイヒホルン家の長女。
●ヨハン:ハーパー伯爵家の次男。クラリッサのゲシュヴィスター。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。偉そう。ゲシュヴィスター制度の研究をしているらしい。
●アメリア:フロレンツの取り巻きのひとり。巻き髪には一家言ある。
名前だけ登場の人
●ビアンカ:クラリッサの幼馴染。アウラー家長女。フロレンツのファン。
●アルノー:クラリッサの元婚約者。広がりつつあるオデコが気になっている。




