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第3話 失くした記憶③


 王家の紋章が刻まれた封蝋を確認しつつ、封を開けた。

 差出人にはフロレンツの署名が入っている。つい先ほど、彼にはチャラチャラとしたイメージが追加されたところだったが、代筆を疑うほど丁寧で綺麗な文字が並んでいる。


 しかしクラリッサは文字よりも内容の方にぎょっとして、一際大きな声を出した。



「まさか本気だったなんて!」


「なになに、なんて?」


「バジレ宮に来いって。登城にあたっては贈ったドレスを着て来い、その他生活に必要なものも準備しとく、だそうで」

 

 昨夜アメリアが投げてよこした嫌味を、フロレンツなりに考えたのだろうか。その結果が「俺様が贈ってやる」であるならば、発想が王子様過ぎてクラリッサには荷が重い。


(ていうかドレスって一晩で用意できるものなの……?)


「すごーい! いつおいでって?」


「このドレスを私が着られるように補修するのに、ひと月くらいかかるだろうって。だから来月」


「もしかして、お針子も」


「手配してるって。近いうちに打ち合わせに来るらしいよ……。これもう断れないよね」


 ため息交じりに言いながら、こめかみをおさえる。考えただけでげっそりするし頭も胃も痛くなる。一体いつ、どうして、フロレンツに目をつけられたのかクラリッサには皆目見当がつかないのだ。


 15歳のデビュタントのすぐあとにアルノーとの婚約が成立し、それからはほとんど社交に出ていないのだから。


「なんでそんなに嫌そうなの?」


「昨日のアメリア様を見たでしょ? 私、貴族だなんて名ばかりの田舎者だよ? マナーもダンスも中途半端だし」


 手紙を読んだだけでどっと疲れた気がした。目の前に並ぶ焼き菓子が、甘いアーモンドの香りでクラリッサを誘惑する。

 フォークだけで切り分けて口に放り込めば、あっという間に口の中の水分を持って行ってしまった。口の中がくっついてしまう前に、慌てて紅茶で流し込む。


「おー、さすがのクラリッサも前向きさんの仮面が外れてる! でもさ、オウチを立て直すのにもってこいじゃない?」


「え、結婚相手は探せないよ? 家格が違いすぎるもの」


「ゲシュヴィスターじゃなくて、お城に出入りする他の貴族と接点あるかもしれないでしょ。それに、お城で働き口が見つかるかも」


 ビアンカの言うことも一理あるかもしれないと考えなおす。どうせこのまま領地に帰ったところで、今のクラリッサはただの穀潰しである。作物の収穫を手伝うくらいならできるけれども。

 

 そもそも、行かず後家の姉が屋敷にいては可愛い弟の縁談がさらに遠くなってしまうというもの。ただでさえ、なんちゃって貴族だというのに。


「んー、それはわかるんだけど。いじめられちゃうじゃない」


「あはは! いじめるほうでしょ、クラリッサは。それにみんな元々はゲシュヴィスターだし、案外『ひさしぶりー!』なんて言ってあたしのこと忘れちゃうんじゃない?」


 クラリッサはケラケラと笑うビアンカを精一杯睨みつけた。他人事だと思ってるに違いないのだ。実際、他人事なのだけれども。

 意地悪な親友を恨めしそうに睨みつけて唇を尖らせる。


「ビアンカのこと忘れるわけないでしょ」


「でも、ゲシュヴィスターは忘れてるじゃない。ね、これから一緒に生活するんだから、思い出せることがないか、一緒に考えてみようよ」


 まだ行くと頷いたわけではないものの、王族から直接招待がある以上もう断ることもできはしない。クラリッサは現実逃避も兼ねてビアンカの提案に乗り、薄ボンヤリした思い出を振り返ってみることにした。


 とはいえ12年前の記憶。思い出せるようなことは多くない。



「何度か話したと思うけど、よく覚えてるのはいつも一緒に行動する男の子がいたってこと。名前も顔も覚えてないけどね」


 祖父カスパルの事件のあと、領地に帰ることになったクラリッサに、別れ際わんわん泣いて「行かないで」と縋った子がいた。


 勉強も苦手、運動も苦手、人付き合いも苦手、何をするにもクラリッサのそばから離れない。そんな少年に、クラリッサはいつも勉強を教えたり、他のみんなとの仲介役になったりしたのをなんとなく覚えている。


 なんだかほっとけない子。それがゲシュヴィスターに関する思い出の90パーセントを占めていた。


「他には?」


「お絵描きが大好きな子。……あと、笑顔が素敵でいつもみんなの中心にいた男の子。手を叩いて笑うクセがあった」


「へぇ。それ殿下っぽい」


「ね。そんな気がするよね。うーん、あとはいつも怒ってるアメリアの、むっとした口元しか覚えてないなぁ」


 5歳からたった1年間しかいられなかった場所だ。

 それに、建国五名家と言われた煌びやかな生活から一転して逃げるように田舎に引き籠った事件は、幼いクラリッサの僅かな記憶のほとんどを塗りつぶしてしまった。


 覚えてなくても仕方ないかと割り切ったつもりだったが、まさかまた彼らと一緒に生活することになるなんて。



「まだちょっと憂鬱?」


「すっごく。フロレンツ殿下は苦手だし。あと、なんで呼ばれたのかがわからないのが一番不安」


 思わず出た溜め息に、フロレンツのファンを公言するビアンカが口を尖らせた。


 アウラー家は代々ゲシュヴィスター制度への不参加を貫いているため、ビアンカにはゲシュヴィスターがいない。憧れのフロレンツ殿下様がゲシュヴィスターだなんて、ビアンカにとっては羨ましい以外の感想などないだろう。


 おかげでクラリッサはアウラー家のご厚意を受けることができ、ビアンカと一緒に最低限の基礎教育とマナー教育を受けさせてもらえたのだが。


「バジレ宮に行くまで、ウチにいるんでしょ?」


「そうさせてもらえると。ドレスの補修もあるし、それに領地に戻る時間なんてもうないもん」


「弟につけてる先生にさ、特別授業お願いしようよ。マナーとダンスのおさらいに! 不安だらけなら、ひとつずつ無くしていこ」


「ありがとう……でもホルガー様直伝の()()だけは遠慮させてね」


 ()()というのは、ビアンカの父であるホルガーが直々に護身術を叩き込んでくれるのだが、練習中に死んでしまうのじゃないかというくらい厳しかった。


 アレだけは二度とごめんだとクラリッサは今でも思い出すだけで震えあがってしまう。


「打倒アメリアなのに!」

「方向性違くない?」


 アイヒホルンの没落は確かにクラリッサの人生をすっかり変えてしまったが、ビアンカと姉妹のように育てられたことはこの身に余る幸運だろう。


 応援してくれる彼女のためにも、バジレ宮に行ってアイヒホルンを立て直す方法を見つけなければならない。



今回登場人物紹介

●クラリッサ:建国五名家のひとつで現在は弱小男爵アイヒホルン家の長女。

●ビアンカ:クラリッサの幼馴染。アウラー家の長女。フロレンツのファン。


名前だけ登場の人

●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。遊び人と名高い。ゲシュヴィスター制度の研究をしているらしい。

●アメリア:フロレンツの取り巻きのひとり。巻き髪がチャームポイント。

●アルノー:クラリッサの元婚約者。42歳。成人病が怖い。

●カスパル:クラリッサの祖父。故人。問題を起こして家を没落させた。

●ホルガー:ビアンカの父。アウラー伯爵家当主。武官省の大臣。

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― 新着の感想 ―
[良い点] フロレンツ殿下に漂う俺様感&ヤンデレ感w そしてアルノーさんの解説が……。 健康には気を付けて!
[一言] >勉強も苦手、運動も苦手、人付き合いも苦手、何をするにもクラリッサのそばから離れない。そんな少年に、クラリッサはいつも勉強を教えたり、他のみんなとの仲介役になったりしたのをなんとなく覚えてい…
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