第2話 失くした記憶②
「少しは落ち着いた?」
悪夢のような夜会から一晩が過ぎた。温かい光が降り注ぐテラスで、ビアンカが首をコテリと横に倒す。
クラリッサの目の前にはやはり温かな紅茶。東方の大国の「ケイムン公社」が販売する茶葉で、最高級品だ。
ふたりの目の前に広がる庭には、忠実で警戒心の強い大きな犬が二頭じゃれ合っていた。アウラー家の番犬ジルとシャルルだ。ジルはビアンカが、シャルルはクラリッサが名付けた。
「こんなに美味しい紅茶をいただいたら、誰だって落ち着いちゃうよ」
「前は王家と公社の直接取引だったから、あたしたちは滅多に飲めなかったもんねぇ」
数年前から、ギーアスター家の援助で設立された商社があらゆる物品を一括して買い上げ、王家も含めた幅広い層へ販売するようになった。
とはいえこの紅茶を含む王家御用達の高級品は、貴族であっても一部の選ばれた家しか買えないのだ。少なくとも田舎の男爵家が触れられるような代物ではない。
社交シーズンにはいつもアウラーの屋敷に滞在させてもらうクラリッサは、こうして良い物のおこぼれにあずかるのがありがたいやら、申し訳ないやらでいたたまれない。
「バルシュミーデだって、とっておきのときにしか出さないし」
「あー、あのオデブちゃんほんと腹が立ったよねぇ。『ボクに似つかわしくない!』って、ナニサマーって言いたい」
「お金で買われた縁談だから……私たちにはわからない深遠なる理由があるんじゃないかな。でも、これからどうやって家を建て直せばいいやら」
クラリッサの祖父カスパルが起こした事件――ケイムン公社からの輸入品の一部を長期にわたり横領していた――は、アイヒホルン家を没落させた。
このウタビア王国では、建国に尽力した5つの家を「建国五名家」と呼んで崇めており、アイヒホルン家はこの五名家であるという最後の情けで、男爵位だけ残してもらったのだった。
その男爵位に付随する領地も半分近くが接収され、王都に店を構える商家よりもずっと金回りに困っているのが現実だ。
王都の屋敷もたくさんいた侍従も、みんなみんな手放した。いつか弟のエッケハルトが家を継ぐときに残せるものが借金だけとは笑えない。
そこにバルシュミーデ家が援助を申し出てくれたのだ。貴族の家に生まれれば、意に沿わない結婚をすることも普通だと自らに言い聞かせて応じたのに。
それがまさか先方から断られるとは。
「でも本音を言うとちょっとほっとした」
「あたしも」
ふふっと笑い合って、空を見上げる。雲一つない綺麗な青は昨日見た紺碧の瞳とはまるで違う、爽やかな青だ。
ぼんやりと空を愛でるクラリッサの背筋を、手を叩くパンという音が跳ねさせた。慌ててビアンカを振り返ると、きらきら輝く瞳と弧を描く口。その向こうにクラリッサと同じく真ん丸に目を見開いたジルとシャルルの姿がある。
「殿下、カッコよかったねぇ」
「えー、そうかな。俺様ーって感じであんまり……」
「バルシュミーデみたいな小さなオウチの夜会に殿下がいらして、アルノー様が突然婚約破棄して、で『バジレ宮に来い!』でしょ。何か裏があるんじゃないかって思わない?」
「なにそれ」
ビアンカはたまに、夢見る乙女みたいな想像力を発揮することがある。こうやってニマニマ笑うときは大体それだと思い出して、クラリッサは片方の眉を上げた。
「ね、知らない? バジレ宮って、殿下や五名家の適齢期の男女が結婚相手探すために集まってるって噂」
「え、俺様なだけじゃなくてチャラチャラ要素もあるの?」
「あくまで噂だよぉ。ほんとはね、兄弟姉妹制度の研究のためですって」
「どっちが建て前か、考えるまでもなさそう」
ゲシュヴィスター制度は、元々は王子、王女の情操教育のためにと始められたもので、同年代の子供たちを数名集めて一緒に勉学に励むものだ。
概ね5歳を迎えた頃に始まって、10歳まで一緒に王城で生活する。
いつしかそれを貴族たちが真似るようになり、今ではホストとなる家が場所や教師を選定し、子供たちの教育や横のつながりの強化に励むようになった。
身を乗り出したビアンカが早口でまくし立てる。
「だってね、いまバジレ宮に集まってるのって、フロレンツ殿下の王族のゲシュヴィスターなんだよ。適齢期の男女ならもっと他にたくさんいるでしょ?」
「ビアンカとかね」
(ゲシュヴィスターか、懐かしいな)
そういう意味じゃないもん、と顔を真っ赤にするビアンカに微笑みかけながら、クラリッサは記憶の奥から懐かしい思い出を引っ張り出した。
幼い頃、まだ祖父が事件を起こす前。クラリッサはフロレンツ王子のゲシュヴィスターとして彼らと共に教育を受けていた。生粋のご令嬢であったのだ。
――リサがいなかったら、オレ、どうしたらいいの……っ!
顔も思い出せないあの子の言葉がクラリッサの脳裏に響く。
「いまバジレ宮にいるのは殿下の他に、ロベルト、ヴァルター、ヨハン、シュテファニ、アメリア、カトリン。ほらね、みんなゲシュヴィスターでしょ」
「そだね」
指を折りながら、国内有数の権力者の子女の名前を挙げるビアンカに苦笑する。どうしても、フロレンツ王子殿下様はチャラチャラしていないと訴えたいらしい。
だが昨夜のアメリアの様子を見る限り、結婚相手探しというのも間違っていないような気がするのだが。
「クラリッサ様」
テラスから続く部屋の奥からクラリッサを呼ぶ男性の声。アウラー家の執事だ。初老の彼はいつも折り目正しい身のこなしで、屋敷の全てを取り仕切っている。
ゆっくり近づく彼の手には銀色のトレイ、その上に華美な封書が乗っていた。
「はい」
「王家よりお手紙でございます。また、ご一緒にお荷物がひとつ。そちらはクラリッサ様のお部屋へお運びいたします」
「……はい?」
今回登場人物紹介
●クラリッサ:建国五名家のひとつで現在は弱小男爵アイヒホルン家の長女。
●ビアンカ:クラリッサの幼馴染。代々武官省の大臣を務める伯爵家の長女。
名前だけ登場の人
●アルノー・バルシュミーデ:新興貴族で子爵。42歳。初恋が忘れられず、相手の娘に婚約を申し込んだ。
●カスパル・アイヒホルン:アイヒホルンの先代当主。故人。クラリッサの祖父。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。遊び人と名高い。ゲシュヴィスター制度の研究をしているらしい。
●エッケハルト:クラリッサの弟。クラリッサとは5つ差。




