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第11話 知ってること、知らないこと③


 シュテファニの助言通り近くを歩くメイド姿の女性に声を掛けると、クラリッサが恐縮して半泣きになるほど丁寧に自室までの道順を説明してもらえた。

 女性は腕の中の荷物とクラリッサを何度か見比べて、「お連れできず申し訳ございません」と何度も何度も頭を下げ、別れ際にはふたりとも涙目になっていた。


 まさか道を尋ねるだけでこんな扱いを受けてしまうとは。もう二度と迷子にならないようにしなくてはいけない、とクラリッサは心に決める。

 



 ソファーに身を沈め、カルラの用意した水を喉に流し込む。冷たさが火照った身体に染み渡って、細く長い息を吐き出した。

 まだ顔が熱い。もちろん、歩き回ったり怒ったりしたからであって、決して頬を撫でられたからではないのだけれども。


 ロベルトのいたずらっ子のような表情と頬に触れた指先の感触を思い出して、また背中がぞわっと粟立った。慌てて腕の中のクッションをむぎゅっと抱き締めて顔を沈める。


(イケメンだとは思うけど、あれは無理だぁ……)


 デビュタント直後に婚約した田舎者なら当然と言えることだが、クラリッサは今まで極端に男性と接する機会が少なかった。

 だから突然のスキンシップには免疫がないのだ。初日にして、ロベルトはクラリッサにとって要注意人物のリストの一番上に記載されることが決まる。

 


「歓迎会はいかがでしたか?」


「それ自体はすごく楽しかった。皆さんここでは思い思いに過ごしてるのね」


「そうですね。ロベルト様やシュテファニ様を中心に、日中はご公務で留守にしていらっしゃることも多くございますし、社交も積極的です」


 カルラはほんの少し間を置いてから、クラリッサに聞こえるかどうかの小声で「ヨハン様以外」と付け足した。

 クラリッサもまたカルラが気づくかどうかというほど小さく頷いて同意を示す。歓迎会でみんなが話すのを聞く限り、ヨハンは図書室か自室にこもっていることが多いらしい。


(ヨハンにはお兄様もいらっしゃるもんね)


 クラリッサはバジレ宮へ来る前に復習のつもりで捲った貴族名鑑を思い出した。

 家族構成や勲功や領地、所属、職務など貴族の個人情報が余すことなく記載されているそれに、ハーパー伯爵の欄には子息が二人とあったはずだ。

 面倒な社交は兄に任せているのだろう。



 頭の中で貴族の名簿をペラペラ捲りつつ、このバジレ宮には建国五名家のうちアイヒホルンとエルトマンとローゼンハイム、それにペステルの4つが揃っているのだと気づいた。

 残りのひとつは執政部門の人事一般を担う官吏省の大臣、グレーデン伯爵家だ。当主はクラリッサの伯父で、母ロッテの兄である。


 この国は、古くから二府六省の制度で(まつりごと)を動かしてきた。当初は建国五名家と、力のある3つの家がそれを担っていたものの、アイヒホルン家の没落からオスヴァルト家が六省入りを果たしている。


 家同士の力関係など、貴族の多くは空気と同じくらい当たり前に感じているのだろうが、クラリッサにとってはそうではない。アイヒホルン家以外の貴族は全て等しく目上で、人と人の間に不等号をつけて接する方法を知らないのだ。


 そういう意味では、フロレンツがバジレ内で礼儀や上下を取っ払っていたのは幸運だと言える。何も知らなかった幼少期と同様に、ただ友人として接することが許されるのだから。


(……アメリアを除いて、ね)


 あの堂々たる宣戦布告を思い出すと胃が痛くなる。


 とはいえ、仮にフロレンツの機嫌をとるためであったとしても、彼女は歓迎会に出席したうえ他のメンバーを交えて普通に会話もしていたのだ。

 きっと必要以上にフロレンツにくっつかない限り、積極的にいじめようとはしないのではないかとクラリッサは考える。無害であるとアピールするのが肝要かもしれない。



「忙しい中でもこうして歓迎会を開いてもらえるなんて」


「こういった催し物は、皆さん随時手配していらっしゃるんですよ。えっと、ちょっと待ってくださいね」


 カルラがポケットから小さな手帳を取り出し、ペラペラと捲る。クラリッサの位置からその中身を見ることは叶わないが、踊るページに細かな文字がぎっしり詰め込まれているのがわかった。

 どうやら忙しいのは貴族の子女に限らないらしい。クラリッサは眉根を寄せてカルラの言葉を待つ。



「来週には、カトリン様がお嬢様方を対象に『お茶会』を予定していらっしゃいます。そのあとにも、新作絵画のギャラリー、奇術鑑賞会とスケジュールが目白押しです」


「ええっ!?」


 カルラが指を折りながらいくつものイベントを読み上げては説明する。それらは人気の楽団や王室お抱えの美術商を招聘して開催するらしい。


 どうやら、催事を手配するのも芸術系に出資するのも貴族の仕事のひとつであり、練習と人脈作りを兼ねて積極的に行われているのだと言う。なるほど、あの華やかな舞台の裏にはこうした努力が隠れているのかと頷いた。


「それ、私も出席するの?」

「ええ、もちろんです。招待客としての振る舞いの練習にもなりますよ」


(それはわかるけど……)


「でも今後、アイヒホルン家が何か主催するようなことも、人脈が必要になることも、招待されることも極端に少ないと思うのだけど、いいのかな」


 クラリッサが俯くと、カルラは閉じた手帳で口元を隠してフフと笑った。


「こうしてバジレ宮へ招待されたことは、全ての貴族の知るところとなりましたから、遠くないうちにお嬢様もいろいろなご招待を受けるようになりましょう」


「そうかなぁ?」


「はい。それを見据えてかはわかりませんが、フロレンツ殿下からお嬢様にダンスと語学の教師を手配するよう承りましたよ」


 カルラの言葉に、クラリッサはまた豆鉄砲を食らった。

 一体どういうことだろうか。ダンスが不得手であることはクラリッサにも自覚がある。披露する機会が少ないのだから仕方ないことではあるのだが、だからこそなぜバレているのかわからない。


 婚約破棄のあったアルノー邸で踊ったのだったかと記憶を探すが、いまいち該当する場面を思い出せない。


(それに語学。なんで語学? 私、国外に追放でもされるの?)


 さすがに追放刑を受けるような悪いことをした覚えはないクラリッサは、意味がわからないまま口をハクハクと動かした。


「ご……ごがく?」


「はい、近隣諸国の言葉を学んでおくようにと。意図はわかりませんが」


(意図ー! 聞いてー!!)


 近隣諸国という響きから、フロレンツが学ばせようとしているのが複数の言語であることがわかる。

 ごくごく基本的な読み書きや日常会話程度であればクラリッサもアウラーの家で学んでいるが、求められていることはそんなニュアンスではない、ように思う。

 

「マナーの先生……じゃないんだ」


 フロレンツは歓迎会の前に、マナー講師でもつければと言っていたのだ。結局あれはただのロイヤル嫌味だったということになる。

 教師もテキストも好きにしろと言っていたのに、これ以上授業をお願いしたら時間がギチギチになってしまうではないか。


「あ、失礼しました。マナーもですね」


「なるほど!?」


 王子様の深遠なるお考えはクラリッサには小指の爪の先ほどもわかりはしないが、ロイヤル嫌味は実行され、クラリッサの日常は勉学で彩られることが決まった。


 そういえば、どうしてここへクラリッサを招待したのかもまだ聞くことができていない。機会が訪れたときには忘れないようにしなければ。……聞きたいことはたった今めちゃくちゃ増えたけど。



今回登場人物紹介

●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。予想外のことが起こると思考停止しがち。

●カルラ:バジレ宮におけるクラリッサの侍女。以前はアイヒホルン家で働いていた。


※名前だけ登場の人

●シュテファニ:ローゼンハイム公爵家ひとり娘。全貴族の憧れの君。

●ロベルト:エルトマン公爵家長男。手を叩いて笑う癖があるスケコマシ。

●ヨハン:ハーパー伯爵家の次男。クールな見た目と柔らかい物腰がアンバランスな魅力。

●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。ゲシュヴィスター制度の研究をしている。

●アメリア:ギーアスター伯爵家長女。クラリッサが嫌いだと堂々宣言する胆力の持ち主。

●カトリン:オスヴァルト伯爵家の末っ子。もちもち。

●アルノー:新興貴族で子爵。42歳。クラリッサの元婚約者。


今回登場用語基礎知識

●建国五名家:ウタビア建国に尽力した五家。ローゼンハイム・エルトマン・グレーデン・ペステル・アイヒホルン。

●官吏省:国政にまつわる人事のほとんどを担う部門。代々グレーデン家が大臣を務める。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ダンスに語学にマナー……。 まさかフロレンツ殿下、王妃教育とかのおつもりではないでしょうね? あ、フロレンツは第2王子か。
[一言] >「なるほど!?」 wwww
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