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第1話 失くした記憶①


 繊細なガラスが小さな明かりを反射して、それをまた違うガラスが反射して――広い会場内を、シャンデリアの明かりがふわふわキラキラと彩っている。


 社交シーズンの王都では、連日どこかしらの屋敷で虚栄と欺瞞のパーティーが繰り広げられていた。


 新興の貴族であるバルシュミーデ子爵家は、高位貴族と称される人物を呼べるほどの力は持っていない。にもかかわらず、この日はなぜかこの国の第二王子フロレンツと、その取り巻きの若い貴族の子女が出席していた。


 バルシュミーデ子爵の婚約者であるクラリッサ・アイヒホルンもまた、その他の列席者と同様に虚飾に身を沈めて薄っぺらい笑顔を浮かべている。ただ、妙な胸騒ぎを感じて落ち着かないまま、軽薄さの滲む王子に群がる人々を眺めた。


「クラリッサ、こちらへ」


「はい」


 フロレンツ王子の相手で忙しそうにしていたアルノー・バルシュミーデ子爵が婚約者の名を呼んだ。少し後退し始めた額にはぽつぽつと汗が浮いている。


 年の頃は41、いや、42だったか。クラリッサの母親よりいくつか年上の婚約者は、ボタンの止まらないジャケットの裾をペシペシと叩き、ホールの中央でクラリッサの到着を待っていた。



「ボクは、今この時をもって、クラリッサとの婚約を破棄する」


(え……?)


 なんの冗談だろうかと、クラリッサはアルノーの重たげな瞼の奥の小さな瞳を探ってみるが、真意は読めないままだった。


 どうにかして第二王子とお喋りしようと躍起になっていた多くの参加者が、一斉にその口を閉じる。

 シンと静まり返った会場内で、クラリッサの心臓だけが大きく跳ねた。喉の渇きに気づくと同時に、腰から背中にかけてひんやりとした何かが這い上がる。


「なぜでしょう」


「端的に言えば、君はボクに似つかわしくない」


 会場のどこからかクスクスと嘲笑が漏れ出た。


 アルノーが笑われたのか、それとも自分が笑われたのか、クラリッサには判断がつかなかったが、きっと両方であろうと思い直す。多くの人にとってコレは、明日のサロンへ持って行く土産話に過ぎないのだ。


 静かに深呼吸して、真っ赤な顔にたくさんの汗を浮かべた婚約者を見据えた。


「具体的には」


「アイヒホルン家の起こした事件は未だ根深く尾を引いてる! そんな家と縁を持ったところで、ボクにメリットはないじゃないか」


「えぇっ!?」


 アルノーの言う()()は12年も前のことだ。それに関連するデメリットも全て最初からわかっていて、いや、だからこその婚約だった。


 周囲の嘲笑が次第に大きくなる。

 それもそのはず。彼は初恋を追いかけるあまり誰とも婚約を結べないまま時が過ぎ、初恋の女性の娘に、借金の肩代わりを条件に結婚を迫った。それがアルノーとクラリッサの婚約だ。


 金で買った婚約を一方的な理由で捨てるのだから、心無い言葉のひとつやふたつ飛び交うのも頷けるというもの。


 しかし、当事者たるクラリッサはそんな身勝手な婚約破棄を受け入れることはできない。肩代わりされるべき借金はどうなるのか。この結婚を失えば弟の継ぐ家がなくなってしまうのだ。


(どうしたらこの考えを撤回してくれるかな。『この機会を逃したら一生結婚できませんよ』とか? いやいや、それじゃ火に油だし)



「アルノー様、」

「リサ。もういい」


 クラリッサがどうにか絞り出した声を遮ったのは、父であるボニファーツ・アイヒホルンだった。

 そっとクラリッサの前に立って、アルノーをギリと睨む。


「婚約は家同士の約束事だ。ここから先の話はわたしが聞きましょう。場所を用意いただいても?」


 クラリッサと違って幼少時から()()()()として厳しく躾けられたボニファーツは、指の先まで洗練された優雅な所作でアルノーを別室へと促した。

 取り残され、好奇の目に晒されるクラリッサは自らの肩を抱いて小さく震える。



「クラリッサ、大丈夫?」


 武官省大臣、つまり軍部の最高司令官であるホルガー・アウラー伯爵を父に持つビアンカが、クラリッサの背中を気遣わしげに撫でる。


 アイヒホルンは歴史の古さだけが取り柄の田舎の弱小男爵家だ。アウラーとは家格も雲泥の差だが、古い付き合いだからとクラリッサは昔から良くしてもらっていた。

 このアウラー家のおかげで、今のクラリッサがあると言っても過言ではないほどに。


「ビアンカ……うん、平気。ありがとう」


 ここは夜会であり、貴族にとっての戦場である。


(しっかりしなくちゃ。おじさんに振られたからってメソメソしてる場合じゃない)


 顔を上げると、目の前にはプラチナブロンドの髪に縁どられた陶器のような肌があった。日が沈みきる直前の空のような、深い深い海のような、紺碧の瞳がクラリッサを冷たく見つめている。


「行くアテがなくなったのなら、バジレ宮に来ればいい」


「へ……」


 まるで一流の調律師にいじってもらったかのような、厚みがあるのに涼やかでよく通る声がクラリッサの耳をくすぐった。


 彼がなんと言ったのか、言葉だけが上滑りして理解が追い付かない。口を閉じるのも忘れて呆けるクラリッサの脇を、ビアンカが肘で小突く。



「殿下、こちらの方はドレスを準備するのにも時間がかかると思いますわ。実際に離宮へいらっしゃるのは何年後かしら」


 美しく整えられた縦ロールが特徴的な女性アメリア・ギーアスターが、広げた扇の上からクラリッサとよく似たアイスグレー色の瞳を覗かせた。


 プラチナブロンドの髪を揺らしたフロレンツ王子殿下は、彼女の言葉に「そうか」と頷いて踵を返す。アメリアもその後を追い、この場には彼女のクスリと笑う声だけが残された。



 婚約を破棄され、王子殿下に話しかけられたかと思えば取り巻きの女性から嫌味を言われた。ほんの数分の間に、その身に起こった出来事を振り返って顔を(しか)める。


 なんて日だ。イベントが盛りだくさんすぎる。俯いた視界の隅ではアプリコットオレンジ色の毛先が小刻みに揺れ、クラリッサは自分が震えていることに気づいた。


「クラリッサ、もう帰ろう?」

「ん、かえるぅ」


 アウラー家流の護身術を学ぶビアンカが、力強くクラリッサの手を引いて歩き出す。

 クラリッサは前を歩く親友の姿を見つめながら、もし彼女が男の子だったらきっと恋をしていただろうにと現実逃避したのだった。


今回登場人物紹介

●クラリッサ・アイヒホルン:田舎の弱小男爵アイヒホルン家の長女。アイヒホルンは12年前に何かあったらしい?

●アルノー・バルシュミーデ:新興貴族で子爵。42歳。初恋が忘れられず、相手の娘に婚約を申し込んだ。

●ボニファーツ・アイヒホルン:クラリッサの父で現当主。

●ビアンカ・アウラー:クラリッサの幼馴染。アウラー家は代々武官省の大臣を務める伯爵家。

●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。遊び人と名高い。

●アメリア・ギーアスター:フロレンツの取り巻きのひとり。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読み込んでから感想書こうとおもってたのに、続きが気になって、気になって1話から感想書いちゃいました。 12年前に何があったのか……。 そして、あの婚約者破棄オヤジは何を考えているのか。 続…
[良い点] おー、最初から謎の婚約破棄に、興味を惹かれます。 初恋の女性の娘と婚約なんて、普通はニヨニヨ案件だと思うのですが、このオッサンの真意は一体? 12年前の事件とは……? ま、あんまり可…
[良い点] いよ!! 待ってましたぁ!! これから何が始まるのか、どきどき待機!! 楽しみに待ってます!!
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