08_総務はハードワークです7
誤字脱字、ご容赦ください。
※今回は残酷な表現があります。ご注意下さい。
カメラは更にズームする。少年の表情が見て取れる程に寄った画面には、手に持った金属板を見つめ、まつ毛を滴る雨垂れを拭う様に、ゴシゴシと頬をする少年の様子が映る。そして、少年はそのまま天を仰ぐと、困ったような、自嘲気味の笑顔を作ると瞼を閉じる。
「…何も、起きない……か。……ちぇっ、期待させて。仕方ないか……。もう眠いや。このままカラスに啄まれたら痛いかなぁ……。」
少年の呟くような言葉がノイズに混じって浩市の耳に届く。
――ちょ、ちょっとまて。これマジでヤバいやつか?この子、死んじゃう?
「あ、あのっ!これ、なんですか?この子どうしちゃったんですか?」
浩市は、慌てて視線を上げ、犬門に質問する。
「ふむ。この小さいのが召喚者ですかね? 肉体的にも損傷が有るようですし、召喚に大分エネルギーを使った様ですから、そろそろ限界でしょうね。」
「え、え? 限界って!」
「肉体からの魂の開放です。」
浩市の心配をよそに、犬門はさらりと答えた。
浩市の脳裏に何かがフラッシュバックする。
――ああ。あれは、子供の頃 よく遊んだ神社の境内か。
――小さな滑り台と鉄棒、ブランコがあったな。
――そうそう、あの滑り台の下に…………なんだっけ? 段ボール箱……。
――そうだ。仔犬がいたっけ。まだよちよち歩きのぶち。
――母さんに怒られるのが分かっていて、連れて帰れなかったんだよな……。
浩市の子供の頃の記憶が蘇る。よく遊んでいた近所の神社の境内。夏休みが始まったばかりの朝。ラジオ体操の帰り道、そこで捨て犬を見つけたことがあった。しかし浩市はその仔犬を見捨てた。連れ帰ると母親に叱られると思いそのまま立ち去った。
翌日のラジオ体操の帰り道、段ボール箱に群がるカラス数羽の姿に愕然とした。慌てて、カラスを追い払うと、段ボール箱の中には肉片があっただけだった。何故連れて帰らなかったのかと悔やみながらも、恐怖とショックで泣きながら走って家に帰った。
当時、一緒に住んでいた祖父が、様子のおかしい浩市に気が付き、事情を聞いてくれた。「浩市は悪くない、カラスも悪くない、捨てた者は少し悪いが、そうするしか手がなかったんじゃろ。犬は運がなかったんじゃ。」と言って浩市を慰めてくれた。
そして、祖父一緒に神社へ、とって返し、仔犬の遺骸を社の横の花壇へ埋めた。
実際には、真夏の炎天下で仔犬は衰弱死したのだろう。しかしそれならば、連れて帰ってやらなかった浩市が一番悪いのではないだろうか?そう考えると胸が締め付けられ、出来なかった事への後悔が押し寄せてくる。
段ボールの中の朱の色。仔犬を埋めた土の感触。夏の匂い。蝉の声とカラスの声。浩市の頭に置かれた祖父のごつごつした手。頬をなぶる熱い風。全てが鮮明に、脳内で再生される。
その記憶が、浩市の思考を侵食する。今まで、封印してきた思い出。
ーー”できないこと”と”やらないこと”は同じでは無い。
「おれ。こいつ助けます。……ここ行ってやります!」
本能的な感覚で言葉を口に出した。それは浩市自身にも分かっていたが、止めることはできなかった。
犬門はすっと目を細め、パッシェンは少し驚いた様な表情で、浩市を見据えた。
「先程もお話した通り、我々の目的は、こちらの次元世界に干渉するものの特定です。その目的を遂行して頂けるなら、ご協力致しましょう。急がないとこの小さいものの肉体が滅んでしまいかねません。」
犬門はがすっと立ち上がり、浩市に右手を差し出す。思わず、浩市も右手を出してしまった。犬門がその手をがっちりと握り返す。
「交渉成立。ということでよろしいですね。」
犬門は、薄っぺらな笑顔でそう言った。
「あれ?良いの?行くの?」
狼の姿のままの六木が軽い調子で浩市に疑問を投げ掛ける。その姿のままでは表情は読み取れないが、人の姿であったなら、浩市をイラッとさせるような笑みを浮かべていることだろう。
「期待しております。」
浩市の右手を握り締める犬門が、更に拳に力を込める。
先程まで、熱いマグマの奔流の如く、怒りや悔しさがドロドロと一緒くたになって浩市の思考回路を埋めつくしていた。犬門が強く握り返す掌の痛みと、面白がる風な六木の声に、ふと我に帰る。浩市の理性は、この状況は良くないと警鐘を鳴らしている。
ーーあ。俺、行くって言っちまった…。
「……ありがとう。あなたにそう言って頂けて……。」
パッシェンが静かに口を開く。そして、優しい笑みを浩市に向けた。
ーー!!素の笑顔スッゲーかわいい。
不覚にも、浩市の脳裏を過る感情。
そして、思わず神谷明ばりの台詞が口をついて出てしまった。
「いえ。俺が行きたいと思ったんです。俺に何ができるか分からないですが、やれるだけやってみますから。」
ーー俺、筋肉超人とか、スイーパーでも、名探偵でもないし…、あ。毛利小五郎本人はダメダメか。じゃぁ、大丈夫か?いや、そう言うことじゃなくて…。
「本当に、ありがとう。早速、転移の準備をさせてもらうわ。」
ウダウダと思いを巡らす浩市を置き去りにして、事態が進んで行く。パッシェンは立ち上がると、慌ただしげに説明をしながら、移動を始める。
「こちらの世界に帰還するためにも、あなたの肉体はこちらへ残す必要があります。向こう側へ行って頂くのは魂と言うことになりますが、それだけでは心許ないかと思われましたので、向こうで使用するボディを準備します。前島さんもこちらへどうぞ。」
それは、2.5m四方程の鉄骨フレームと、そのなかにチューブや配線を接続した、何やらSF映画的な球体の前。この空間に初めて足を踏み入れた時から、浩市の目を引いた異質な機械。
「これは、前島さんの肉体を保管すると共に、向こうの次元世界で仮のボディに受肉するためのモノです。現代的なフェアリーサークルみたいなものです。次元を越えた介入者は必ず排除しなければなりません。その為に、前島さんのミッションをサポートするに足る、仮のボディデータを準備します。」
パッシェンはその機械の横に据え付けられたモニターを凝視しながら、説明をする。
「前島さん、こちらへ。」
犬門が球体機械のモニターとは反対側で、浩市を呼び寄せる。微かなモーター音と圧縮空気の排出音が聞こえ、球体の一部が口を開く。野球のボールの縫い目を解く様にして、球体機械の内部が顕になる。
球体の中には、酸素カプセルの様な小さなベッド状になっていた。犬門に促されるまま、その中に横たわる。
「パッシェン~。これ、一人しかダメなの?」
慌ただしさが漂い始めた空間に、場違いに明るい、六木の声がする。
「ん?基本的には1人用だけれども、どうした?」
忙しそうに、キーボードを叩き、モニターから目を離さずにパッシェンが答える。
「こんな、面白そうな事、おいらも交ぜて貰えたらなぁ~ってね。」
「遊びではないぞ。」
愉しそうな口調で六木が答えると、横から犬門が一喝する。
そのやり取りを聞いていた、パッシェンが思い付いた様に提案する。
「そうか!六木、犬門。お前逹、前島さんのサポートとしてご一緒しろ。」
「うぇ~ぃ!やったね。言ってみるもんだね!」
「え。しかし、多次元世界に干渉することは禁忌となるのではありませんか?」
各々の言い分を聞き流す様に、パッシェンが命令を下す。
「前島さんのサポートと、こちら側との連絡がメインです。前島さんは向こう側からの干渉により、召喚されているのです。多少のオマケがあったとしても、問題は無いはずです。そもそも、我々の魂は多次元世界間での移動が可能なはずです。それを拒む事の方が、多次元世界の摂理に反しているのですから。さ。早く魂元体になりなさい。前島さんの仮のボディと共に向こう側へ送りますよ。」
「前島様の準備は完了いたしました。その様に仰られるなら、私も早速準備いたします。」
横になった浩市に手際良く様々な電極やコードを取り付けていた犬門が、そう言って立ち上がる。
吹き抜ける一陣の風。
横たわる浩市の横には大きな黒犬がいた。六木が狼になったときと同じように、その姿は忽然と消え失せ、超大型犬になっていた。
「私共も、ご同行せよとのことですので、よろしくお願い致します。」
黒犬は先程までの犬門と変わらぬ様子で浩市のベッドの枕元に恭しく座る。
驚く間もなく、モーター音がして球体の蓋が閉まっていく。
「データの準備が完了したわ。前島さん、よろしくお願いします。」
浩市のベッドサイドのスピーカーから、パッシェンの声が聞こえる。蓋が完全閉じられ、視界が暗転する。睡眠ガスか何かだろうか。浩市を急激に睡魔が襲ってくる。意識が朦朧とする。
「必ず戻って来てください。お待ちしております。」
パッシェンの声を最後に、浩市は眠りに落ちた。