第八話
家に戻ると、ジュリアはすでに帰宅していた。
日が落ち夕暮れがリノンの街を淡くセピア色に彩っている。その景色を窓から眺めていたジュリアは嘆息した。
「疲れてるのよ、エド。話はまた後日にしましょう」
「駄目だ。大事なことなんだ、ジュリア」
ジュリアはエドガーへと視線を移す。
その瞳は揺れていた。悲しみに暮れているのかと推測するも、それとはどこか違うようにも見えた。
「ジョンを施設に預けたままで、何を話そうって言うの」
「今日、奴に会ってきた。あのグスタフとかいう探偵だ」
息を呑むのを感じる。
ジュリアはその一言でエドガーの意図を理解したようだった。続ける。
「話は全部、聞いた。キースとかいう野郎、絶対に許すわけにはいかん」
「……無理よ、エド。私にはできない」
「できる。やらなくちゃ、ジュリア」
エドガーが伸ばした手をジュリアは避ける。
「お願い。このことはもう忘れるつもりなの。これ以上、私を苦しめないで……!」
悲痛な叫びだった。
全ての憎しみをぶつけてくるかのような、激しい視線。
「ジュリア……」
「ごめんなさい……ジョンを迎えに行くわ」
行かせてはならない。
咄嗟にそう思ったエドガーは彼女の腕を取った。そして、何をしようとしたのだろうか。強く握られた腕に顔をしかめるジュリアの表情に、はっと我に返る。
「す、すまん」
慌てて手を離す。
だがジュリアは何も言わず、逃げるように部屋を出て行こうとする。その時、電話が鳴った。彼女はそれを一瞥するが動こうとはしない。代わりにエドガーが受話器を取る。
「ウィリアムズだが……」
『息子は預かったと伝えろ。生きたまま返して欲しくば、二人でこちらまで来るんだな。場所は言わなくてもわかるはずだ』
早口でまくし立てる声。
機械で男か女かも判別できないほどに変えられた声だった。誘拐――すぐにそれだとわかった。
「おい!」
叫ぶが、もう通話が切れている。
プロの手口だと思い知らされた。手際が良過ぎる。恐らくはエドガーを監視していたのだろう。グスタフの事務所に出向いたのを契機に行動に移ったのだと容易に想像できた。
「……どうしたの?」
「ジョンが誘拐された」
表情を見なくても、ジュリアの顔が驚愕に歪むのがわかる。
「なんですって!?」
「俺のせいだ。すまん……恐らく、キースだろう。こちらまで来いと言っていた」
もはやジュリアの説得どころではない。
不用意に動いたことで余計な事態を生んでしまった。エドガーは自分の軽率さに腹立ちを覚える。
「オードリー社の最上階に、彼の住むペントハウスがあるの……」
震える声で呟くジュリア。
思っていたより、落ち着いているような気がしていた。現実を直ぐには受け入れられないのだろう。エドガーはそう判断する。
「警察は奴の飼い犬だ。俺たちで行くしかない」
それは死刑宣告に近かった。
キースが交渉に応じるかわからないが、彼らを生かして帰す保証はどこにもない。だがそれでも、ジョンを見捨てるわけにはいかなかった。
「わかってるわ」
そんな不安を打ち消すようにジュリアは強く頷いた。