第七話
「キース・ヘルマン」
渡された資料のタイトルだった。
経歴や身長・体重・健康状態などから、交友関係や女性遍歴まで事細かに纏められている。ページをめくるとクリップで留められた写真がある。砂色の髪の、整った容姿をした若い男だった。ハリウッドスターだと言われても疑わないだろう。
「この二枚目の坊やが?」
エドガーの問いにグスタフが頷く。
「ジュリアが雇われているオードリー社の社長の御曹司だよ。彼のパーティーがあったのは知っているかい?」
「ああ……事件の日のことだな」
「そう。あの日、僕はパーティーに参加していたんだ。なに、出し物の演奏をやっていただけさ。探偵である前に、ピアニストでもあるんだよ」
タタタン、と机を指で弾くグスタフ。
「奥の書斎にグランドピアノがあるんですよ。もう、それが邪魔で邪魔で……おほほほ」
アンナはグスタフに軽く睨まれ笑って誤魔化す。
「……で、僕がパーティーに参加していたのも、ジュリアを保護したのも、偶然ではなかった。何故なら僕はキース・ヘルマンを調査するために動いていたわけだからね」
「なんだと?」
「彼の備考の欄を見たまえ――ひどいものだろう? セクシュアル・ハラスメントで何度も訴えられている。だがその度に彼の父親……つまり社長が裁判になる前に事件を揉み消しているんだ。僕は別件の依頼でキースの素行の実態調査をしていたんだよ」
それがどう繋がるのか。
エドガーにも事の顛末が見え始めていた。女癖の悪い上司に、暴行された部下。必ずしも結び付けられるものではないが、グスタフの口ぶりが結末を決定付けていた。
「パーティーの途中だ。ジュリアは帰った。子供を預けている児童施設に迎えに行きたかったんだろう……その直後、キースの姿が消えていた」
「…………」
押し黙ったエドガー。
その視線が意味するものを知ってさすがにグスタフの顔から笑みが消えていた。
「ああ、すまない。僕は演奏の最中ですぐには抜けれなかったんだ……まったく、何しに行ったんだかね。とにかく、急いでキースを探した。パーティーの会場はホテルだったんだが、廊下の一室から叫び声が聞こえた」
その先を聞くまでもなかった。
ジュリアは最初から目を付けられていたのかも知れない。彼女が帰ったのを見計らってキースは追った。そして事件が起こった。
「僕が部屋に飛び込むと、奴は慌てて逃げて行ったよ。すぐに追おうとしたんだが、彼女が……ジュリアが止めたんだ」
病院での視線の意味がわかった。
真相を知るグスタフを口止めしていたのだ。ジュリアは。裁判沙汰にして会社を辞めるわけにはいかなかったのだろう。何よりも子供を大切にしている彼女だから、それは考えられた。
「馬鹿な奴だ」
エドガーの呟きにアンナが頷く。
「ほんと、そうですよね! 社長の息子だからってこんなこと許されない」
「いや……ジュリアのことだ」
そんなことのために。
生活のために罪を見過ごすというのか。傷付けられたのを受け入れようというのか。それで本当にジョンが幸せだと思うのか――エドガーは苦虫を噛み潰す。
「奴の犯罪を立証するには、ジュリアの協力が必要なんだ」
さらに追い討ちを掛けられる。
状況証拠と目撃証言しかないとなれば、あとは被害者であるジュリア自身が彼を訴えなければならない。だが当の彼女は事件を封印しようとすらしている。しかも警察当局が社に買収されているのは明白だった。
「何か、手はないのか」
祈るように呟くエドガー。
するとグスタフは、にやりとして言った。その言葉をずっと待っていたのかも知れない。キースを追い詰めるにはこの方法しかないと言わんばかりに。
「説得するんだよ、エド。それは君にしかできない。そうだろう?」
軽薄な笑みに、利用されていると確信する。
一体どこからどこまでが彼の計算で事態が動いているのか、エドガーには想像できなかった。