第六話
「どうぞ」
ソファに座るエドガーの前にコーヒーカップが差し出された。
差し出した華奢な白い腕の持ち主は女性だった。ブロンドの髪は滑らかに真っ直ぐ胸の下まで伸びていた。大きな瞳はブルーアイ。ふくよかな唇を赤い口紅でより印象的に見せている。控えめなようで、どこか艶かしい、そんな色っぽさのある女性だった。
「彼女は僕の助手、アンナだ」
「アンナ・ベルです。宜しく……えへっ」
エドガーは呆然とその笑顔を眺めた。
クールな表情を一転させ、少女のように、はにかんで見せる。歳は二十くらいだろう――大人っぽい色気と子供っぽい無邪気さを兼ね備えた不思議な女性だった。
「惚れたかい?」
「ば、馬鹿をいうな!」
にやにやと頬を緩ませる男。
その縁の丸い眼鏡は見覚えがあった。グスタフ・エヴァンズ。ジュリアを保護したという私立探偵である。
「そういえば、君は付き合ってる女性はいるのかい? 良かったら彼女をもらってくれよ」
「ちょっと! 先生、何を仰るんですか」
アンナが怒るのをグスタフは面白がっていた。
そんなやり取りに、ここへ訪れたことをエドガーは後悔し始めていた。グスタフ・エヴァンズ探偵事務所。その応接間。自分の名前を付けただけの安直なネーミングだった。
「あのな、俺は遊びに来たんじゃない」
「ああ、わかってるよ。ジュリアの件だろう」
言いつつ、軽薄な笑みは消えない。
そのことに苛立ちを感じるが、本当に出て行くわけにはいかなかった。何としてでも、犯人を捕まえなければならない。ジュリアの笑顔を取り戻すために、平和を約束しなければならなかった。
「警察は何か掴んだのかい?」
グスタフは言いながら向かいのソファにもたれ、アンナもそれに習う。
「いや……警察はだめだ」
「どうして?」
エドガーは表情を曇らせる。
真実をグスタフに話して良いものか悩んでいた。まだ彼を信用したわけではない。だが事件を解決するためには彼の力が必要だった。決心して口を開く。
「署長の指示で特別チームが動いた。そして俺は銃とバッジを取られた」
「えっ、クビになったんですか?」
アンナが大げさに驚く。
エドガーが一瞥すると彼女は目を泳がせて大きな口に手を当てて黙った。
「特別チーム?」
構わず、グスタフが先を促す。
「ああ……署は事件を揉み消すつもりだ。そのためのチームがある。あと、クビになったわけじゃない」
「なぁんだ、良かったですね!」
的外れなことに喜んでいるアンナを無視して続ける。
「時間がない。奴らが何か手を打つ前に犯人を挙げたい」
「ふーむ、なるほどね……じゃあ、エド――と呼ばせてもらうよ。君はその調査を僕に依頼するということでいいのかな? その場合、契約書にサインしてもらうよ」
「契約書?」
エドガーは怪訝に眉根をしかめた。
どうやらグスタフは善意で動くほどお人好しではないらしい。やはり金を要求するつもりなのだろう。彼に頼って本当に良かったのかとエドガーは疑問を抱く。
「えっと、後払いでいいんですが、成功報酬として三万ポンド頂きます」
「…………」
にこにこと笑みを浮かべるアンナ。
簡単に言ってのけたその金額はエドガーの年収に匹敵していた。そうそう集められるものではないし、それほどの蓄えもない。
「おい、探偵。俺を見くびってるのか?」
凄みを利かせてグスタフを睨みあげる。
ろくに運動もしてなさそうなその優男など、一捻りで叩き伏せてしまうだろう。だがグスタフは怖気ず、にやりと笑って言い返してくる。
「もちろん、そんなことはない。妹さんのためなら、それを払う覚悟があるんだろう?」
相手の方が一枚上手だ。
エドガーを試すつもりなのだろう。食えない男だとつくづく思わされる。
「犯人が捕まったら、その倍の慰謝料を絞れますよ」
にこにことアンナ。
その時エドガーは気付いた。一番食えないのは彼女だと。