第四話
「妻がな、早く帰れっていつもうるさいんだ」
夕暮れに赤く染まった部屋。
革張りの椅子に主の姿はなかった。その人は立ち上がって身支度を整えていた。ベルナルド・フレドリク。リノン市警の署長である。
「なぜです?」
「せっかく作った飯が冷めるとか言ってな。まったく、そんなもの電子レンジで温め直せばいいだけだろうに」
ベルナルドは嘆息する。
禿げ上がった頭を中折れ帽子で隠し、肥えて丸々と膨れ上がった体を窮屈そうにスーツで閉じていた。
「違います。俺が言いたいこと、わかるでしょう?」
「……妻は美人だが、嫉妬深いのが珠に瑕でね。飯が冷めるなんて建前なんだろう」
几帳面に整えられた口髭を動かしてベルナルドは呟く。
「署長!」
「君も同じだ、ウィリアムズ君」
細められたベルナルドの青い瞳がエドガーを貫く。
虚を突かれて彼はぎょっとした。リノンの治安を重任されている男の、伊達ではない重苦しい威圧を感じた。
「嫉妬しているんだろう、君は。手柄を横取りされたくないと」
「そうじゃない――そんなことじゃない」
エドガーは拳を固く握り締める。
その腕力であれば肥えたベルナルドを打ちのめすのは簡単だろう。だが、実際に打ちのめされていたのは彼の方だった。
「同じだ。被害者が君の妹だというのは知っている。が、特別扱いにするわけにはいかん」
「あんたのやろうとしていること自体がそうじゃないか!」
堪らず、エドガーは叫んでいた。
「……口を慎め、ウィリアムズ。そして、銃とバッジを出せ」
「!」
ベルナルドは醒めた表情で膨れた手を出した。
エドガーはその手を見つめたまま動けない。銃とバッジを失うということは、警官ではなくなるということ。否応なく、捜査する権限を奪われるということだ。
「なに、頭が冷えるまで仕事を休んでもらうだけだ」
恐らく嘘ではないだろう。
機嫌一つで部下をクビにするほど愚かではない。だが大いに愚かであるには違いない――エドガーは胸中で吐き捨てる。
腰に吊るされているホルスターから銃を抜き取り、懐から警官の証明であるバッジを取り出して、エドガーはそれらをデスクのほうへ叩きつけるようにして置く。
「……男はな、縛りつけられるほどにもがくものだ」
それは彼の妻に対してか、あるいはエドガーに対してか。
ベルナルドは、ふっと笑みを含んで呟いた。