エピローグ
「以上が――エドガー・ウィリアムズが異常な心理状態に支配されていたという証拠です」
重苦しい雰囲気が漂う。
裁判所の証言台にグスタフの姿があった。彼の編集したビデオテープは会場に流され、空気を濁らせていた。とてもすぐに受け入れられるものではないだろう。それはわかっていたことだった。
「宜しい。証人は下がりなさい」
中央の一番高い席に座る裁判長が告げる。
「待ってください。最後にひとつだけ」
視線で促され、グスタフは続ける。
「僕は思います。彼の精神は確かに正常ではなかった。しかし、犯した罪は償うに相当する大きな罪には違いない・・・・・・悪魔などは存在せず、悪は人の心に根付いているのです……では、公正な判決の程を期待しています」
沈黙が場を支配する。
「……これより審議に入ります。判決は厳粛なる陪審員に委ねられます……では十五分の休廷を」
ハンマーが打たれ、静寂を破る。
神妙な顔つきをした陪審員と聴衆が退席していく。そのなか、グスタフは知った顔と会う。
「ありがとう、探偵さん。これで兄もきっと、判決を受け入れてくれるでしょう」
「いや……感謝されるようなことはしてないと思うよ」
ジュリアだった。
撃たれたと思われた彼女は、生きていた。そもそも、銃は空砲にすり替えていたのだから当然だ。もちろん、エドガーも生きている。ただ、被告席に彼の姿はない。
「ねぇ、エドはどこに行ったの?」
見上げる視線と声があった。
ジョン少年だった。まだ幼い彼は真実を知るのに耐え切れるだろうかと、グスタフは危惧していた。だがジュリアは全てを彼に打ち明けるつもりでいた……彼の父親がエドガーであることも。
彼女が身ごもった時、まだ付き合ったばかりの恋人はそれを嘆いて消えてしまった。真実を伝えることはできなかった。妹に恋人が出来たことに嫉妬した兄が、無理矢理孕ませたのだということを。彼の心がいつから歪み始めていたのか、それは誰にもわからない。当のエドガーにさえ。
「エドは……パパは病院にいるの」
「パパ? エドはパパなの?」
ジョンは父親に良く似ていた。
エドガーがそれに気付かなかったはずはない。だが記憶を、意識を作り変えてしまい、何が真実なのかわからなくなっていたのだろう。
「先生ー! もう時間が……ぎゃっ」
不意に声が上がる。
入り口から姿を見せたアンナが呼んでいた。かと思うとつまづいて派手に転ぶ。ともかく、新しい事件が発生し、グスタフは捜査に追われている身だった。その忙しい合間を縫って証人喚問を済ませたのだった。
「すまない。判決まで待ってくれそうにないから、もう行くよ」
「ええ。エドの代わりにもう一度礼を言うわ……ありがとう」
ジュリアの表情にもう影はなかった。
苦しみから彼女はやっと解放されたのだ。これから新しい人生を歩もうとする強い女性の姿があった。
「いつか本人の口から聞くよ」
それだけ言うと、彼女たちに背を向ける。
一つの事件が終わった。それは人の心が生み出した悲劇だった。グスタフ・エヴァンズ。彼はそれを探求する旅人だった。犯罪はどうして生まれるのか。どこから芽生えるのか。彼はその答えを探し続ける。
だがその旅は決して容易ではない。
彼の蓄積した知識を持ってしても、複雑なトリックを仕掛けても、まだ何も見えてこない。
(いや、一つだけわかったことがある)
眼鏡の位置を直し、胸中で呟く。
善と悪は表裏一体の、切っても切れない関係にある。家族を守ろうとする愛は、それを独占しようとする欲望になることも有り得るのだ。何が悪で、何が善か。それは本来、同じ場所にあって、明確な線引きできるものではないのかも知れない。それでも人は、それを峻別しようとする。
(だから……歪んでしまうのか?)
新たに沸いてしまった疑問。
それを解き明かせるのはいつになるだろうか……それすらも楽しみでしかない。真理の探求者にして最大の罪人は今日も笑う。まるでそれが彼の存在概念と言わんばかりに……。