第十一話
「ついに本性を現したな……それとも、悪魔に心を乗っ取られたのか?」
キースは不敵に言い放つ。
これから彼は戦わなければならなかった。この瞬間のために時間も金も、そしてジュリアの心を削ったのだ。
「悪魔だとぉ……そんなもの、いるわけないだろう。俺はエド……エドガー・ウィリアムズ。初めっから、最後までなぁっ」
そこに立つ巨漢は、すでに別人に見えた。
剥いた目は血走り、口から泡を吹いている。尋常な状態ではない――だが彼は言った。自分はエドガーだと。
「馬鹿なことを言うな。どう見ても別人じゃないか。エドはどうしたんだ」
「それはこっちの台詞だぜぇ……お前、何者だぁ?」
気付かれるのは予想していなかった。
仕方なく、キースは変装を解き始める。顔に張り付いたマスクを脱ぎ、カツラを取って、懐から縁の丸い眼鏡を取り出す。そこにはもう、御曹司の姿はなかった。探偵グスタフ・エヴァンズ。
「こりゃあ驚いた……変装できるなんて聞いてねぇなぁ」
エドガーはげらげらと笑う。
「そりゃあトリックを先に話す馬鹿はいないだろうさ。そう……ここにキース・ヘルマンはいない。本物とジョンは僕の事務所でアンナと帰りを待ってるよ」
にやりとして答える。
エクスタシーを感じる瞬間だった。敵を欺き、罠に嵌め、種を明かす。彼が探偵をやめられないひとつの理由でもあった。そこに正義はなく、趣味に興じる奇人の姿がある。彼にとって犯罪はゲームでしかない。
「どこからぁ……どこまでがぁ……お前の筋書きだった?」
「パーティーがあった、事件の日から全てさ」
それを口火に、グスタフは語り始める。
ジュリアから依頼を受けた彼は、エドガーを尾行していた。
ピアニストとしてパーティーに参加していたのは嘘だった。ともかく、ドレスに着替えていつもより女らしい姿でジュリアは出かけた。その後を追う警官がいた。彼女の兄、エドガーに他ならない。パトロールという名目で署を出た彼は隠れ潜んでジュリアを監視していた。その後ろをさらにグスタフが見ていた。
「ちっとも、気付かなかったぜぇ?」
「尾行は探偵のもっとも得意とする技術だからさ」
得意気に語り、続ける。
エドガーは予想通り、ジュリアを追った。
グスタフは注意深くその様子を監視していた。そしてジュリアがパーティーを途中退席した時、エドガーは動いた。彼女を無理矢理空いた部屋に押し込んで暴行へと及んだ。グスタフは事が始まる前に、現場に踏み込んだ。エドガーは慌てて逃げていった。その気になればグスタフを叩きのめすこともできただろうに。
「あん時はぁ……そんな余裕なかったからなぁ……畜生、やっちまえばよかったなぁ」
「殴られていたら、ここにいる自信はなかった」
探偵は苦笑して、自分の非力さを認めた。
ともかく、状況証拠と目撃証言を作ることができた。だが直前になって、ジュリアはグスタフを止める。彼女はまだエドガーを信じようとしていたのだ。少なくとも、人格が変わる前の彼を憎む者はいないだろう。
「ふん、俺が作ったぁ……偽のエドに騙されていただけだぁ」
「偽者はどっちなんだ? まあ、それを決めるのは僕じゃない。君自身が決めなくては、エド」
「何をぉ……言っているぅ?」
そのための計画だった。
通報がされ、病院に姿を見せたエドガーはすでに昼の人格とでも言うべき、優しい彼に戻っていた。
あの時の彼に嘘はなかった。記憶が作り変えられているのだ。別人格とは。そして彼の知らないまま、署は彼の罪を隠蔽しようとした。現役の警官が暴行をしたというニュースは、署の評判を落とす要因となるからだろう。自分で自分の罪を暴こうとするエドガーは停職処分にされた。
「俺はぁ……ほっとしたぜぇ。あのエドは真面目過ぎるんだよぉ……馬鹿だな、自分が犯人だとも知らずによぉ」
エドガーは渇いた笑みを浮かべる。
「さて、ここからだよ。エド」
エドガーは予想通り、グスタフを頼った。
キース・ヘルマンが犯人であるという嘘の情報を作り信用させた。話は逸れるが、キースがセクシュアル・ハラスメントで訴えられたことはない。それすらも欺瞞だった。ともかく、話を信じたエドガーは誘拐されたジョンを救うためにやってきた。
「賭けだったが……確信はあった。ジュリアを取られまいとする君が、本性を現すだろうとね……だが実は、わからないんだ。君のどちらの人格が本当の君なのか。それを聞くためにこの状況を作ったんだよ」
「けけけ……面白いなぁ……探偵さんよぉ。何度も言ってるようにぃ……俺こそが本物のエド」
「どうかな? 君は嫉妬深過ぎるんだよ、エド。まるでそれが存在概念と言わんばかりに、ね」
エドの下卑た笑みが止まる。
核心を突かれたその表情にグスタフは満足し舌を滑らせる。
「擬似人格というのは、だ。歪んだ形で作られてしまうことがある。それは追い詰められた状況がそうさせるんだ。妹を守ろうと信念を持ち過ぎる余り、心のバランスが崩れた。崩れた心の欠片が、歪んで固まると新しい人格が生まれた」
「それが、俺だと……言いたいのか」
「あくまで推理に過ぎない。僕は心理学者ではないからね……犯罪を立証するのが僕の仕事だ。で、君が罪を犯したのは尋常ではない状態だったからか、それとも健全な心で計画的に行ったのか。それを確認する必要がある」
どちらであろうと罪は消えない。
エドガー・ウィリアムズは逮捕され、罪を償うために裁判を受ける。その裁量が心理状態によって少なからず変化するだけに過ぎない。グスタフにとってはどうでもいいことであった。
ただ、エドガーの本心を知ることが彼女の最後の依頼だったのだ。
「お、俺は……エドだ。や、やめろ……俺こそが本物だ! お前じゃないいいいいいい!」
「なんだ!?」
エドガーが頭を抱えて暴れ始める。
グスタフは身構えて警戒した。護衛二人がいるとはいえ、彼の巨躯を食い止めてくれる保証は無い。
「……あ、ああ……俺は、何てことをしたんだ? 思い出した……思い出してしまった……ああっ、畜生!」
「エド?」
そこにはもう、狂気に満ちた男はいない。
一人の警官。そして純粋に妹を思う兄の姿があった。裏と表の人格が統合され、記憶が完全になったのだ。
「ジュリア……この罪は死して償う」
「!」
エドガーは銃で頭を撃ち抜いた。
そして力尽きてその場に崩れ落ちる。全てが終わった瞬間だった。