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プロローグ



 夜気に包まれた街並み。


 だが通りは明るかった。幾百年前と変わらない、石造りの古びたデザインの建築に新しい時代の電飾の光が灯っている。


 ブリテンの国、リノンの街。人口八十万ほどの、中規模の都市である。大通りは夜になっても交通が忙しく、車は進んだり止まったり、いつも軽い渋滞を起していた。


「さあ、どけどけ!」


 車道を突っ切る一台の車。


 青と黄色の大柄の格子模様という派手な配色のボディに青いライトを乗せ、耳障りなサイレンを鳴らしている。それはパトカーだった。大きくて邪魔くさいトロリーバスや他の車の波間を滑るように進んでいく。その特権に満足して男は口の端を吊り上げる。


 エドガー・ウィリアムズ。


 三十を目前にした刑事課の巡査だった。肌は黒く、頭は禿げ上がっている。かっちりした制服から伸びた腕は太く、鍛えた抜いた体は大きかった。


「よーし、ここだな……」


 そこは病院だった。


 車道の脇に車を停めると彼は外していた帽子を被る。


 これから仕事だった。暴行された婦女が保護されたという通報を受け、治療を受けた彼女から事情聴取しなければならない。珍しいことではなかった。この街では犯罪が彼らを眠らせてくれることはない。殺人、暴行、恐喝――事件のない日は一日とて、ありえない。そして今夜もいつものようにそれが起こっただけだった。


「まったく、夜勤は損だぜ」


 車を降りながら愚痴る。


 犯罪の発生率は断然、夜が多かった。暗闇と月は人の邪悪な心を呼び覚ます。だが果たして、本当にそうなのか。夜の国から悪魔がやってきて人間を操ってるだけなのではないか。エドガーは後者のほうであればいいと思った。それなら悪魔を憎むことができるから。


 病院の受付。


 院内は目が眩みそうになるほど明るく、人が溢れていた。包帯だらけの入院中の患者が横切り、薬の処方を受け取りにきた老婆が椅子に座って、ちょうど事故か何かで傷だらけの男が担架に乗せられて過ぎ去っていく。そんな中、エドガーの目配せだけで受付の女性はそこの部屋です、と手で近くの通路を案内した。


 奥へ進むと診察室がある。


 中を覗ってみる。医師用の机があり、その前に患者用の椅子がある。その椅子にうなだれるように腰掛けた女性の姿があった。俯いていて表情は見えないが、背中の後ろまで伸びた黒髪と薄汚れた赤いドレスから覗く黒い肌が見える。彼女の前に立ち尽くしていた医師は、エドガーの姿を見つけ軽く首を振った。


「目立った怪我はありません……しかし」


 その先は語らなかったが、容易に想像できた。


 医師はエドガーの横を通り過ぎて部屋を出て行った。医者の役目はここまで、ということだろう。


「……辛いかも知れないが、犯人を逮捕するために協力してくれないか?」


 静かに声を掛ける。


 やりきれないという気持ちはいつもあった。暴行を受けた女性の多くはショックから立ち直れず塞ぎ込んでしまう。そんな彼女たちを事情聴取しなければならないのはエドガーにとっても苦痛だった。厳つい巨躯に似合わず、似顔絵を描くことができる特技のせいでこんな役目を任されている。


 女性は俯いたまま、黙り込んでいる。


 思い出したくもないのだろう。被害者の女性たちは犯人逮捕に積極的であることはそう多くない。本当はそっとしてやりたいところだが公務である以上、やらなければならない。


「名前を教えてくれないか? 俺はエドガー・ウィリアムズ」


 すると女性は、ぱっと顔を上げた。


 その表情は歪んでいた。殴られた痕があるわけではない――驚愕と悲痛、そして戸惑いが表情を複雑にしていた。


「エド……」


「な……ジュリア!? どうして」


 彼は絶句した。


 その女性をエドガーはよく知っていた。自分の妹を間違えるわけがない。ジュリア・ウィリアムズ。彼女こそが被害者だったのだ。他人事でしかなかったはずの事件が急速に現実味を帯びてくる。


「どうして」


 弱々しく立ち上がったジュリアをエドガーは抱き締める。


「どうして……お前なんだ」


「ごめんなさい……」


 絶望するエドガーに、ジュリアは慈悲を乞うように謝罪した。




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