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騒乱のロンドン〜1780

作者: 砂城 桜

 1780年6月2日金曜日 ロンドン国会議事堂


「これは一波乱起きるな……」


 カトリック救済法廃止案が下院で192対6の大差で否決された結果を知った、下院議員のジョー

ジ・ゴードン卿は静かに呟いた。


 外からは相変わらず怒れる群衆の怒号が聞こえ

る。


 それもそうだ。この議事堂は5万人もの群衆によって取り囲まれている。彼らがこの結果を受け入れて静かに帰宅できるだろうか……それは無理というものだ。

 

 熱心なプロテスタントである彼らにとって、これは屈辱的な敗北である。


 私は可能な限り努力をした。少なくとも議論によって平和的にこの問題を解決しようとした……しかし、議会は私の努力を踏みにじったのだ。


 ならば、言葉で解決せぬのならば、暴力に頼るしかないだろう。


 これから起こることは、結果的には私が煽ったせいなのかもしれない……だが所詮私には関係の無いことだ。


 

 

ーーーーー



 

 議員達が外の様子を固唾をのんで見守る中、議事堂の外では漸く到着した騎兵隊と歩兵隊が群衆を解散させようとしていた。


「直ちにこの場から立ち去れ!」


 騎兵隊の将校が怒鳴るものの、その声は憤った群衆の罵声にかき消される。


「ふざけるな! カトリックの味方をするのか!」


「そうだ! 議会の犬め! これでも食らえ!」


 一人の男が石を投げつけたの皮切りに、群衆は兵士達に向かって一斉に投石を始めた。


「貴様ら何をする! 止めんか!」


 将校は再度群衆に向かって怒鳴るが、群衆の罵声と投石は止む気配がない。   

 

「これではらちが明かん……治安判事を呼べ」


 将校はそう言ったが、直ぐに治安判事は現れなかった。群衆を恐れて中々出てこなかったのだ。


 この様な場合、法律では治安判事が群衆の前で騒擾法という法律を読み上げ、彼らが解散するまで一時間の猶予を与えることになっていた。それに従わない場合は死罪に相当する罪であり、軍隊は必要なら発砲が認められていた。 

 しかし、この法律には重大な欠陥がある。


 治安判事が騒擾法を読み上げない限り軍隊は武力を行使できないのだ。 

 この法律が後に悲劇を生むことになるとは、この場にいる多くの者が想像しなかっただろう。


 しかし、今回は一人の勇気ある治安判事が現れた。


「宣告………わが国家元首たる国王は、すべての集会者にただちに散会し、厳粛に家または仕事にもどることを命ずる。これに従わぬものにはジョージ一世統治下初年に制定された、暴動ならびに騒乱集合防止法に定められた刑罰を科する…………国王万歳」 

 

 騎兵隊に護られた治安判事が、群衆に向かって騒擾法を一語一語ゆっくりと読み聞かせる。群衆は怒りを堪えながらも議事堂から去っていった。議員や兵士達は胸をなで下ろした。しかし、これはイギリス史上最悪の暴動の始まりに過ぎなかったのだ。


 ゴードン卿は安心しきった議員達の顔を見て心の中で呟く。


 これで終わりなはずはない、市民の怒りは爆発寸

前だ……ロンドンは今、かつてないほど革命に近づいている、と


 

 そして翌週、それは現実のものとなる。


「カトリックは出て行け!」


「カトリック救済法を廃止しろ!」


 街の至る所から市民達の怒号が響き渡る。


 今まさにロンドンは暴徒の支配する無政府状態に陥っていた。


「おい! お前はカトリックか」


「い……いえ、違います。私も父も……も、もちろん祖父の代から私達はプロテスタントです」


「ほぅ、そうかそうか、それは良い心がけだ。なら俺達の目は節穴ってことになるな、へっへっへ」


「それはどういうことで……」


「嘘をつくんじゃねぇ! てめぇがカトリックだってことはとっくに調べがついてるんだ! 野郎ど

も、家に火を放て」


「あぁ、そんな! 見逃して下さい! お願いで

す」


「命まで取らないだけありがたいと思え、よし、次の家へ向かうぞ」  


 そして多くのカトリック教徒や外国人、特にアイルランド人の住居は徹底的に略奪され、カトリック教会の礼拝堂は打ち壊された。

 

 暴徒はカトリック排斥を唱えながら通行人や住居の所有者から金銭を巻き上げ、ロンドン中を荒らし回った。


 だが、そんな状況にも関わらず、軍隊は動かなかった。


「治安判事はどうしたのだ! こうしている間にもロンドンの街は暴徒によって破壊されておるのだ

ぞ!」


 歩兵隊の将校が、目の前を我が物顔で闊歩する暴徒の一団を睨みつけながら悪態をついた。


「ですが……どの治安判事も暴徒に自宅を焼き討ちされるのを恐れて騒擾法を読み上げるのを拒否しています」


「クソッ、肝心なときに何てザマだ! 今の我々に最も必要なのは増援ではなく、役に立たない治安判事を逮捕する権限だ」


「やい、役立たずの軍人め! 悔しかったらその銃で俺を撃ってみな」


「議会の犬め、良い気味だ。思い知ったか!」 


 将校の眼前では数人の暴徒が、突っ立ったままの兵士達を嘲っている。


 兵士達は銃を担ぎながら、暴徒達が略奪する様子をただ黙って眺めることしかできなかった。


 もし直ぐに軍隊が動いていれば暴動は早期に鎮圧されていたであろう。しかし、法律の欠陥がこの様な事態を招いてしまったのだ。


 そして、誰も止める者がいなくなった暴徒達の関心は、次第に行政施設へと移っていく。


 難攻不落の要塞であった悪名高いニューゲート監獄は群衆に包囲され、あっさりと陥落し、収監されていた囚人は全員解放されて監獄は焼き払われた。


 もちろんそれは他の監獄でも行われ、街には犯罪者が野放しとなり、ロンドンの秩序は過去最悪の状態にまで悪化した。

 

 更に暴徒の関心はロンドンの中心部であるシテ

ィ、とりわけイングランド銀行へと移っていく。


 ここまでくると最早、暴動は反カトリック主義という問題ではなくなっていた。


 しかし、ここに来て漸く暴徒に対抗する人々が現れ始める。


「イングランド銀行を襲うだって! ふざける

な!」


「これ以上暴徒に好き勝手にされてたまるか!」


「軍隊が動かないなら俺達がシティを守るんだ!」 


 遂に暴徒の横暴に業を煮やしたシティの志願兵達が立ち上がったのだ。 

 志願兵達の激しい抵抗にあった暴徒の進行はストップし、暴徒の指導者は防衛体制に入った。


 更に……


「おい、見ろ! 軍隊が動き出したぞ!」


「そんな馬鹿な! 治安判事が騒擾法を読み上げた

のか!」


「それはあり得ない! 奴らめ、遂に法律を破った

な!」


「おい止まれ! 誰の許可で動いているんだ! 自分達が何をしているのか解っているのか」


 数人の暴徒が行進する歩兵隊の前に立ちふさが

り、指揮官の将校を睨みつける。


 それを将校は冷たい視線で見渡すと、心底愉快といった表情で隣にいる副官と目を合わせた。


「誰の命令で動いているか……だと。フフフ、面白い質問だ。そう思わんかね」


「全く同感です、彼らに言ってやりましょう」


「最早、治安判事など無意味だ! 我々は国王陛下の命によって動いている。そこの暴徒共を逮捕せ

よ!」

 

 混乱の極みにあったロンドンで、治安判事の無能ぶりに我慢の限界に達した国王ジョージ3世が、秩序回復のために治安判事から許可を取らずに自ら軍隊を指揮し始めたのだ。 


 多数の国民軍と正規軍がロンドンに集まり、6日間続いた暴動はあっという間に鎮圧された。


 ロンドンの秩序は回復されたのだ。


 暴動の首謀者達の多くはイングランド銀行襲撃の際に死亡したが、後に450人が逮捕され、160人が起訴、21人が公開処刑された。


 ジョージ・ゴードン卿はこの騒乱への関与を疑われ、大逆罪で裁判にかけられたが無罪となった。


 こうしてイギリス史上最悪のゴードン暴動は幕を

閉じた。


 パリでフランス革命の発端となったバスティーユ牢獄襲撃事件が発生したのはゴードン暴動から9年後のことである。


 こうして考えてみると1780年のロンドンはまさに革命一歩手前の状況であったとも言えるのではないだろうか。




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