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5.1945年4月 鹿児島県鹿屋

 あの時代の若者にとって、生き方の選択肢はさほど多くない。ほとんどの若者には、ただ一つの選択肢しかなかった。祖国の求めに応じて、軍役につくこと。それは日本男子の義務であり、当然のことだった。もちろん軍役につくことが必ず死ぬということではないし、他の国の若者も、第二次世界大戦に参戦し徴兵制のある国に住んでいれば、当然のように軍役についた。けれど日本では、他国と比べ軍役イコール「死を覚悟すること」の度合いは強かったように思う。日本の軍隊の性格、日本の民族の資質、日本の精神文化の影響、それらが相重なって軍役と死との距離を近いものにした。

 一つ目の日本軍の性格について。日本軍は「天皇の軍隊」として、軍(上官)の命令は天皇の命令であり無条件に従わなければならない、と兵士に絶対の服従を強いた。二つ目の日本民族の資質。私よりも公、個人よりも集団を優先させ、集団への献身や自己犠牲の精神を美徳とする。三つ目の精神文化の影響。名誉を重んじ、恥をなによりも嫌う。

 事実、日本軍の下士官と兵士の優秀さ、勇敢さ、頑強さは諸外国からも賞賛された。(一方、上級の指揮官でそのように評価されたものはまれだった。)どのような過酷な環境でも、どんなに戦況が不利でも、一度与えられた命令には最後まで忠実に従い、常に集団のために献身的に行動し逆境にあっては仲間を救うために自分を犠牲にすることも厭わず、名誉を守るためには死さえ選択する。確かに戦場で戦う兵隊としては、理想的な特性に思える。そしてその特性は、戦場における兵隊の死亡率を高める方向へ導いていく。例え無謀な命令でも、口答えせず粛々と従う。危機にあたっては、己の身を省みず集団に殉じる。窮地に陥っても、逃走や降伏は名誉にかけて許されない。日本兵の命は、敵に殺されるということだけではない理由で、多くを失っていった。

 日本の兵隊の優れた特性(絶対服従、滅私奉公、名誉重視)を、しかし日本の軍隊、特に陸軍は活かすことができなかった。日本の軍隊は、明治維新後の日本が近代国家へ生まれ変わろうとする過程で、国民皆兵による近代的な軍制の確立で生まれ、「富国強兵」の旗印のもと帝国主義が全盛だった世界情勢の中で独立の維持と国勢の発展を目指して育てられた。そして明治時代に日清戦争、日露戦争の2つの対外戦争を勝利し、その強兵策が正しかったことを証明した。とりわけ日露戦争は、ロシアという当時世界最大の陸軍国に対して、日本陸軍は兵力数や火力に劣りながらも、日本兵の優れた特性もあって辛うじて勝利を収めることができた。この日露戦争の戦訓と勝利の記憶は、その後の日本軍の性格付けに大きな影響を与えた。特に兵隊の精強さは、その後の兵士教育の課程で精神面を強化し精強さを維持しようとする努力に繋がった。そしてそれは「無敵皇軍」という、天皇の軍隊は神聖にして最強であり敵に負けるわけがないというイメージや、戦陣訓での「生きて虜囚の辱を受けず」と捕虜になることを禁ずる規範に繋がっていった。

 日本軍の精神主義とも呼ぶべき、兵隊の精強さがあれば最終的には勝利を得ることができるという思想は、しかし太平洋戦争でアメリカ軍と戦った時、一気に破たんする。近代戦争の主役は、航空機や戦車といった機械やレーダーといった電子機器に代わっていた。機械をいかに大量に生産して戦場へ送ることができるか、工業力や輸送力といった総合的な国力が戦争の帰趨を決めることになった。一人の兵士がいかに優秀でも、生身では太刀打ちできない。機械を操作するのも兵士だが、操縦士や乗員を一人前に育てるにはコストと時間を要する。戦闘の度に軽々しく命を捨てられては、その後の戦力維持にも影響が出かねない。

 太平洋戦争も緒戦期、日本が有利に攻勢していた間はまだ良かった。航空機の操縦士にも熟練者が多く、航空機の性能もゼロ戦に代表されるように敵よりも優れていた。しかし1942年後半から日本が守勢に回ると、日本の戦争指導は混乱を極めていく。補給を無視し敵戦力を過小評価した作戦の強行、軍のメンツにこだわり勝利が望めなくなっても撤退を認めず、取り残された島々には救援も叶わないまま守備隊に死守を命ずる。戦争後半には、航空機でもアメリカ側の性能が日本のそれを上回るようになった。生産量では比較するまでもなく、アメリカ側が日本を圧倒した。航空機を操縦するパイロットにおいても、日本が緒戦期の攻勢を支えた熟練者をうち続く戦闘で失っていきその補充ができなかったのに対し、アメリカ側はシステムとしてパイロットの大量育成を進め、また作戦行動で遭難したパイロットの救助にも努力を払うなど、戦力維持のための合理的な行動を取った。 日本軍の精神主義は、取り残された島々で守備隊が全滅したことを玉砕と呼び、まるでその死に何か価値があるかのように取り繕ったが、兵士の命をすり減らしたことに変わりなく、戦局は悪化の一途をたどった。そして特攻が生まれる。

 特攻(特別攻撃、欧米では最初の航空機による特別攻撃を行った部隊名「神風特別攻撃隊」からKAMIKAZEと呼ばれる)は、1943年の半ばに海軍の中堅将校の間から提唱されるようになった。1943年半ばとは、ニューギニアなどの戦線で敗退は続けていたが、まだアメリカの本格的な反攻は始まっておらず、日本もある程度の戦力(特に艦艇では)を維持していた時期でもある。それなのに、もはや尋常の戦法では勝つことができない、爆弾を積んだ航空機や艦艇、人が乗った魚雷を操縦者もろとも突入させるしかない、と発想させたものとはいったい何だったのだろうか? 最初は、軍の上層部も特攻は作戦指導として尋常な手段ではないと認めなかった。ただアメリカの反攻が本格化する1944年以降は、特攻作戦を要求する声が高まり、最初に海軍の中で特攻兵器(人間魚雷や爆弾を積んだモーターボート)の開発が進められるようになった。そして1944年10月、フィリピンレイテ島を巡る戦いで、航空機による最初の特攻隊の編成と出撃が行われた。この時期同時に行われた海戦で日本海軍は水上戦力のほとんどを失ったため、以降日本海軍の戦いは航空攻撃、さらに特攻へと注力していくことになる。太平洋の島々を巡る戦いでは玉砕、太平洋の海と空での戦いでは特攻と、日本は日本兵士の命をすり潰す戦い方しかできなくなっていった。

 特攻を発想させたもの、その根底には日本軍が陥っていた精神主義があったのではないか? 航空機を使った特攻に関していえば、当時の日本軍操縦士の練度不足からまともに攻撃しても爆弾を命中させることができず、操縦士ごと突入した方が命中率は高くなる、という冷酷だが合理的な判断もあったのだろう。(ただし、操縦士の練度不足が問題になるほど、ちゃんと飛べる操縦士を育てることができなかった点と、せっかく育てた操縦士も無謀な戦闘で直ぐに失っていた点は日本軍の構造的な責任なのだが)ただその根底に、日本の兵士一人一人は精強であり、生身では敵軍艦に対抗できなくても、それに相応しい爆弾や魚雷を身にまとえば、必ず一人で一艦を葬り去ることができる、そして千人、万人が続けば日本は必ず勝てる、という精神主義があったように思う。1945年に入ると、日本軍は陸軍も海軍も特攻作戦を中心に動いていき、「全軍特攻化」やついには「一億総特攻」という言葉まで飛び出すようになっていく。

 生き方として若者は、軍役につくことしか選べなかった時代、そして軍役につくとはまさに生還を期さないという覚悟を強いた時代。そのような時代に青春を迎える若者の心理とはどのようなものか? 人生で最も多感な時期に、自分は何者であるかの自我を確立し、自分はどのように生きるかの自己実現の方法を模索し、そんな自己は正しいと自己肯定感を持つために他者に認められることを欲する、そんな時期に軍人になることしか生き方として選択できず、さらに軍人として自分の命を投げ出しても祖国を守ることを要求される。それが正しいとされ、当然の義務とされ、他者に認められるためには潔く戦いの場に身を置くことが必要だった時代。若者たちが我がちに特攻隊員へ志願した理由には、単に愛国心だけでは説明できない、青春期特有の心理があったのだろう。彼らは自己の存在価値を高める生き方として、特攻隊員になるという死に方を選択した。

 特攻隊員は最初は志願のみで選ばれた。その後指名での選抜も行われるようになったが、皆喜んで特攻に行ったという。思いや感情は人それぞれであり、特攻隊員になった理由や立場も個人差はあったが、いざ特攻隊員として攻撃に向かう際には、皆さっそうと、未練を残さず、屈託のない笑顔さえ見せて旅立ったという。生き方として特攻隊員になるということは、そういうことなのだろうか? 特攻隊員とは国の行く末を案ずる憂国の士であり、一人一艦の信念で強敵に立ち向かう勇士であり、我が身を省みぬ無私の精神であると。決して恐れたり怯えたりしてはならない、未練を残してはならない、泣いてはならない、生き方として特攻隊員になったからには、自分自身の心に特攻隊員としてのあるべき姿を納得させなければならなかっただろう。そして自分自身の心に納得させるためには、それ相応の理由がいったはずだ、自分が特攻隊員として死ぬことの理由を。

 特攻以外にも、その当時の日本には死を強要される場面が多かった。玉砕もあった。戦場での特攻(爆弾を抱えて敵戦車へ歩兵が突っ込むこともあった)もあった。自決の強要もあった。ただ特攻には、他と比べて隊員へ一層の心理的な重圧を与えるものがあった。一つは実施日までのカウントダウンがあること。特攻隊員に選ばれてから実際に特攻へ飛び立つ日まで長短はあっても待ちの時間が発生する。その間は特攻隊員としての決意を鈍らせてはならない。二つ目は、死ぬことになる場所まで自分の力で行かなければならないということ。航空機にせよ人間魚雷にせよ、敵艦に激突するその瞬間まで正気を保っていなければならない。そして三つ目、逃げ出そうと思えば逃げ出せるということ。玉砕はもはや逃げ場のない島々でのこと。その場に兵士としていたなら、自分の意志だけで逃げることは叶わない。ただ特攻隊員は、戦地ではない国内におり、また操縦する飛行機を使ってでも直前に逃げることは可能であった。それらを乗り越え、特攻隊員として自己を完遂させるための精神的な努力には並々ならぬものがあったと思う。それ相応の理由が。ゆえに特攻隊員にとって、祖国はあくまでも気高く美しいものでなければならない(その祖国の求めに応じて自分は死ぬのだから)、国民はあくまでも優しく慈愛に満ちた人々でなければならない(その国民を守るために自分は死ぬのだから)、理由はもしかしたら何でも良いのかもしれない。ただ自分の命交換するのに値する理由を、心は求めた。


 鹿屋飛行場は、連日少数機による特攻隊を送り出していたが、4月も終わろうとするこの時は一時的に出撃が控えられていた。ただ沖縄戦では、これまで防戦一方だった陸軍が総反撃を計画しているとのことで、それに合わせて大規模な特攻攻撃が行われる予定だった。基地でも慌ただしさを増し、一時帰郷を許された隊員たちも続々と帰って来ていた。その中には、いさおたちと同じ隊の飯田二飛曹もいた。

 帰って早々は、飯田はいさおに向かって、

 「幼い妹たちに会えて、もう思い残すことは何もない。前に描いてもらった似顔絵は置いてきたから、それを兄ちゃんと思って安心するように言い聞かせてきたよ。」と、快活にしゃべっていた。

 ただ、その後人目につかない場所で、飯田が落ち込みため息をついているのをいさおは目撃した。いさおの中のイサムの心にも、彼が幼い姉妹の行く末を本当は心配でたまらないという様子が見て取れた。人目がある時は、特攻隊員として当然のように後顧の憂いなしという風を装っているだけに、余計に痛ましいものを感じた。

 その夜、イサムが眠りにつこうとして、誰かが押さえたように泣いているのを聞いた。夜は心が露わになるのか、特攻隊員の泣き声や舌打ちが聞こえることは良くあった。気にしていては、自分まで滅入ってしまう。それで眠ろうとすると、誰かが彼の寝床ににじり寄って来た。飯田だった。彼はさっきまで泣いていたという眼をいさおの顔に近づけて、低い小さい声で言った。

 「お前、以前土浦の基地で、小川の身体に入り込んだ別の人間で、戦後の時代から来たって言ってたよな。まだ戦後の人間の心は、そこにいるのか?」

 いさおと心が入れ替わった時、直ぐ後に会った飯田には確かにそんな風にしゃべっていた。あの後、飯田との間でその話題が出ることはなかったから、てっきり忘れたか無視しているのかと思っていた。イサムはこのままごまかそうかとも思ったが、その前に飯田が言った。

 「もしいるなら教えて欲しい。戦争はどうなるのか? 本土決戦は起こるのか? 戦争が終わった後、この国はどうなるんだ?」

 暗がりの中、飯田の必死な表情が浮かんだ。

 「頼む、教えてくれ。俺の妹たちは無事なのか、ちゃんと生きていけるのか。それを知らないと、心配で心配で。このままだと俺は、逃げ出して妹たちの元へ行ってしまいそうだ。頼む。」

 イサムはいさおの目を閉じ、いさおの感情を確かめながら答えた。

 「確かに、戦後生まれの人間の心が、この身体の中にいます。ですから戦争の結末と戦後日本がどうなっていくかについて、正確にお話しすることができます。」

 飯田が、期待するように「やはりそうか。」と呟くのを聞きながら、イサムはことばをつづけた。

 「ですが、お話しするのは今ではなく、明日の午後、できれば峰少尉も一緒にいるところでお話ししたいと思っています。」

 飯田は了解し、自分の寝床へ戻って行った。明日の午後、それまでに思い出せることを全て思い出さないと、とイサムの心は思った。

 翌日、峰少尉を連れ出し、飯田とともにいつもの食堂へ行った。

 峰少尉へ、最初に自分小川功の中に戦後生まれのイサムという人間の心が入っていることを告げた。当然、何ばかなことを言っている、と真剣に取り合おうとしなかったが、それでもイサムは続けた。

 「信用できないのは当然です。ですが心が入れ替わっているというのは事実ですし、これから話すことも真実です。話を信じるも信じないもお任せしますが、決してウソやふざけて言っているのではないことだけは信じてください。」

 そう言うと峰少尉は黙り、話に興味を持ったようにうなずいた。

 それを確認し、イサムは話し始めた。

 「まずこの戦争ですが、今年中に日本の敗戦で戦争は終わります。」

 飯田がとっさに質問してきた。

 「負けるって? それで本土は? 米軍は上陸してくるのか?」

 「本土決戦は起こりません。本土に米軍が上陸してくることも、戦場になることもありません。我々の特攻は、米軍を押し返すことはできませんでしたが、甚大な損害を与えることになります。その損害の多さと日本人の勇敢さに恐れをなして、米軍は日本本土への上陸を諦めたのです。」

 峰少尉は、「それでは特攻は無駄ではなかったのか」と呟いた。

 「ただ本土に上陸する代わりに、米軍はB29での空襲を強めます。東京、大阪、京都などの大都市は破壊されつくされます。それで耐えきれなくなって、日本は連合国の条件を飲んで降伏し戦争は終わります。」

 峰少尉も飯田も、戦争が終わるということでホッとしていた。そして飯田がたずねた。

 「それで戦後に生き残った者たちの生活はどうなる? それと日本はどんな国になる?」

 「戦後直ぐの時期は、物が不足し生活は大変になります。それでも戦争に生き残った人たちは皆で力を合わせて、日本を復興させようと努力してきます。戦争で親兄弟を亡くした子どもたちは、地域の住民が皆で世話をするようになります。また日本人の勤勉さは、経済の面で日本を割と早く回復させます。日本が作る製品は安くて優秀なので、世界中の人々が買ってくれるようになるからです。自動車でも、機械でも、船舶でも、飛行機でも、日本製は優れているということで世界中の国々に輸出され愛用されるようになります。」

 「米国もか?」峰少尉が、話に興味を持っていることを感じさせる口調で聞いた。

 「もちろん米国もです。米国は日本の一番の輸出先になります。米国ではあまりに国民が日本製品を買うので、逆に自国の企業がつぶれてしまうことも起こります。」

 今度は感心した口調で峰少尉が呟いた。

 「ほう、戦争では負けても、経済で仇を討つわけか。」

 「そのため、日本は米国には追いつけませんが、世界でも有数の豊かな国になります。都市もきれいに再建され、高いビルもたくさん建つようになります。生活も安定し、商店では世界中の商品があふれるようになります。子どもたちは大事にされ、全員が学校へ通えるようになり、希望すれば誰でも大学まで進むようになります。」

 今度も峰少尉が感心したように頷いて、それから質問した。

 「戦争は? この戦争が終わった後は、もう戦争は起こらないのかな?」

 「世界中ではまだまだ戦争が起こります。でも日本ではもう戦争は起こりません。この戦争を経験した反省から、日本は軍隊を放棄しもう戦争はしないと宣言しました。」

 「軍隊がない? じゃあ徴兵もないのか。」とは飯田。

 「それじゃあ、他国から攻め込まれたらどうするんだ。」とは峰少尉。

 「日本は軍隊を放棄しましたが、その分世界中に仲間の国ができました。戦争となったら、その仲間の国が守ってくれます。」

 そしてイサムは少し考えた後、話続けた。

 「日本は平和を守る国と評判になります。日本が作る製品は、優秀さで世界中に輸出され愛用されるようになります。それに輸出されるのは製品だけではありません。文化も輸出されます。日本で生まれた服装や流行も、世界中に広まり評判となります。戦後になってから生まれたもので、マンガという絵と物語で人々を感動させたり興奮させたりする作品もたくさん世界中に輸出され人々に愛されるようになります。」

 そのことばに峰少尉が、

 「文化も? マンガって絵本のようなものが?」と、応えた。

 「はい。文化もです。日本の文化は、世界でもそのすばらしさを認められ、愛されるようになります。例えばラーメンという食べ物があります。この食べ物も戦後になって日本で広まったのですが、その味に外国の人も魅せられ、わざわざ日本に食べに来たり、自分の国で同じ食べ物を作って広めるようになります。」

 いつの間にか、食堂のかおりさんも話を聞いていた。

 「戦後になって、日本には世界中から観光客が来るようになります。日本の美しい風景や日本人の優しさに皆感動して帰っていきます。当然日本の製品をお土産として一杯買って帰ります。文化でも、日本が作り出すもの、マンガやラーメン以外にもたくさんありますが、それらは世界中の人々に気に入られ、なくてはならないものになっていきます。日本は、日本人は、日本の生み出す製品は、日本の文化は、世界中の人々に受け入れられ、尊重され、大切にされるようになります。」

 「わかった。」

 突然、峰少尉が叫んだ。

 「日本はこの戦争に負ける。それは避けられない運命だ。だが戦後の人々は日本を立て直し、世界の中で文化的にも尊敬される国としてくれる。それは精神的な、文化的な勝利を勝ち得るということだ。今は敗北かもしれない。でもいずれ日本が文化的な勝利者となるのであれば」

 そして、確信を込めて言った。

 「我々は敗北者として死ぬのではない。将来の文化的な勝利者として死ぬことができるのだ。」

 それからは、他愛もない、しかし落ち着いた雰囲気で、戦後のことや未来のことについていくつか質問され、イサムが答えたりして過ごした。答えながらイサムの心は内心ほっとしていた。イサムが思い出せる戦後のことは、それほど多くなかった。そのためいさおの想像力を借りながら、戦後の話を作り上げていった。事実と大きく異ならないことを祈るばかりだったが、一方で事実であろうがなかろうが、その話に飯田と峰少尉が納得してくれれば良いということも分かっていた。特攻に行くことを自分自身に納得させるだけの理由が、この話の中から見つけてもらえたら良かった

。全くのファンタジーに過ぎない、けれど自分自身に自分自身の死を納得させるためには、大量のファンタジーが必要なのかもしれない。

 かおりさんが「ラーメンって食べてみたい」と言いだし、それに飯田も同調したため、出撃の前日にイサムがラーメンを作って皆に食べさせることになった。

 翌日、自分の部隊の出撃が5月3日と決まった。イサムは、今度こそいさおの両親宛ての遺書を書こうと考えた。いさおが特攻で死んだ時、自分の心がどうなるか分からなかったが、少なくともいさおに特攻隊員としての生き方を全うさせてやりたいと感じていた。多分いさおはそのことを誰よりも喜ぶだろうし、またぼんやりと自分の心がいさおの死と同時に消えることはないように思えたから。きっと心は、イサムといさおの間で入れ替わったように、その瞬間から風のように漂うか、また誰かの心に寄り添っていくか、そんな気がしてならなかった。そしてもう一つ、これはいさおが喜ぶかどうかわからなかったが、イサムには出撃前にぜひやっておきたいことがあった。

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